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ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

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常備曲 

 

コンサートピアニストは別として、常時自分のレパートリーを常備している人の割合が日本では少ないのではないかと、僕は常日頃感じていた。人前演奏の機会の多いアマチュアでも、本番で弾く予定の曲は弾けるが、その他の過去に弾いた曲などがいつでも弾ける状態にあるわけではない。これはピアノ教師でも同じだろうと思う。

日本では、このことは、ごく普通のことだと思われる。むろん、例外もあるだろうが・・・

たまたま海外在住のピアノ教師から複数メールを貰った。北米在住の方と、ドイツ在住の方だ。二人とも、日本の有名音大(○朋・・・伏字意味なしか?)を卒業し、留学し、その地で暮らしているという経歴を持つ。

おそらく、「弾ける曲がない」という内容の記事に関してのレスという意味合いのメールなのだろうと思うが、日本の音大生が「弾ける曲限定主義」で卒業してしまうのは、日本の初期教育に関係があるのではないかという意見で二人とも一致していたのが興味深い。

北米の音楽院の入試は、大体次のような課題が要求される。

① バッハのプレリュードとフーガ、または組曲(その場合は全曲)
② 古典派の曲
③ ロマン派の曲
④ 近現代の曲

学校によってはエチュードが課題にあったり、古典派はベートーヴェンのソナタ(もちろん全楽章)に限定されたりするが、大体は上記のような課題だ。4期という考えに基づいているのだと思う。そして、必ずどこかに「大曲」を盛り込むということが特色で、ロマン派だったらショパンのソナタやシューマンの幻想曲とか、近現代だったら「夜のガスパール」を弾く・・・のような感じだ。これだと、どのような選曲をしたとしても、1時間近くのレパートリーとなる。むろん、試験当日に全部を弾くわけではないが・・・

思うに、日本の平均的音大生の感想は、「えっ、無理!」とか「げっ、大変!」というものではないだろうか?日本の平均的な音大の入試よりも課題曲としては、比較にならないほどに幅広くハードな内容に感じる。

でも、「用意」はできるのではないかとも思う。1年なり、その入試課題をひたすら練習すれば、多くの日本の音大生でも「用意」はできるのではないかと・・・

二人の留学経験者の意見で共通していたのは、そのような入試のことよりも、そして日々のレッスンでの具体的な指導内容ということよりも「死にそうに苦労して帰国すら考えた」ほど、自分たちと現地の音楽院学生とで差がついていたのは、レパートリー常備率の差だったのだという。

「k子・・・来月教会で音楽会があってね、君を推薦しておいた。リサイタルの用意を頼む」

「えっ・・・」

「あさって30分ほど何か弾いて貰えないだろうか、聴衆はこのような人たちで・・・」

「えっ・・・」

一般的に、日本の音大生(もちろんアマチュアもだが)は、今現在レッスンで習っている曲は弾けるが・・・というのが普通なのではないかと思う。学内試験があったりして、その試験曲1曲集中長期熟成型で過ごしてしまう。アマチュアも同じで、一つの演奏会なり練習会なりに向けて、その曲を必死に練習する。現在弾いている曲が、大きなピアノ曲体系の中の一部なのだという感覚はとても薄い。

初歩指導の段階から、一つの曲が弾けるようになったら、新しい曲が課題として出される、発表会などでは、かなり長期間かけて、一つの曲を長期熟成で弾きこんでいく。そして、ある意味だれもそのようなことを疑問に思わない。

レパートリー常備のできていた海外の学生に共通していたことは、個別の才能の有無ということとは別に、初歩指導の段階から「合格」~「新しい曲」~「合格」~「新しい曲」という流れにレッスンそのものが染まっていなかった。

むろん、弾けるようになったら「合格」なわけなのだが、合格した曲を再度弾く機会というものがあって、ごく初歩の生徒で、年齢が9歳だろうが10歳だろうが、今まで弾いた曲を組み合わせて、20分とかのステージ経験が豊富だったのだそうだ。「発表会」のような「ハレ」のような華やかなステージも、むろんあるけれど、それとは別に教師の自宅や教会などで、常日頃から発表する機会がとても多かった・・・

考えてみれば、今まで弾いた曲を組み合わせてのステージだと、1曲そのものは小さくて、聴き映え(?)しなくても、組み合わせることによって、リトルピアニストのリトルリサイタルが可能になるわけだ。

その経験の決定的な差というものが、専門的な音楽院という機関で露出されてしまう・・・

だれでも、やはり「ハレ」の場所では、聴き映えのする曲を弾きたいというものが人情なのだと思うけれど、その機会が1年に一度とか1年半に一度・・・と極端に限定されてしまうと、いわゆる「発表会向き」とされる、聴き映えはするけれど、でもそれだけ・・・というキャッチ―で派手な曲が世に蔓延してしまうことにもなりかねない・・・

「合格」~「新しい曲」~「合格」~「新しい曲」というレッスンは、はたして妥当なのだろうか?

専門家(ピアノの先生、音大生)の中で、「来月45分ほど何か弾いてくれない?」と依頼されて受諾できる人はどのくらい日本にいるのだろう?

ふとそんなことを思った・・・

kaz

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アドリア海の風が生んだ歌 

 

今はアンコーナという街にいる。Mも今まで訪れたことはなかったそうだ。アドリア海を望む港町・・・

静かな、観光地でもないアンコーナ、ここはフランコ・コレッリの生まれ育った街でもある。小学生だった僕に、ある意味、音楽の扉を開き、中に導いた人でもある。初めて生演奏で泣いた演奏会、それがコレッリのリサイタルだったのだ。

昔の声楽家はピアニストのように、早期英才教育という道を辿らない人が多い。そして割と貧しい家庭に生まれた人が多い。周囲が、類まれな美声を認め、本人もそれに気づき、歌手を目指したという人が圧倒的に多い。

コレッリは極貧という家庭で育ったわけではない。父親は造船所の技師だった。このアンコーナの街の人々は、海と共に生活し、海に関わる仕事で生計を立てるのが普通だったのだ。

コレッリも、父親のように、最初は「海の男」だったのだ。測量技師、そして船舶の技師の資格を経て市役所に勤務していた。堅実で穏やかな人生、美しい港町での静かで平和な生活・・・

このような想像をしてみる。堅実な人生を送り、安定した職業に就いていた30歳近い息子が、ある日こう言ったら・・・と。

「僕はオペラ歌手になりたい!」

ほぼすべての親が反対するのではないだろうかと思う。安定した仕事を捨て、成功するかもわからない、いや、成功などしないことが普通の、そんな夢物語みたいなオペラ歌手を今さら目指すなんて・・・

「そんなに歌が好きなら、アマチュアとして仕事をしながら趣味で楽しめばいいでしょ?」

コレッリ自身もオペラ歌手というものは、生まれながらになるものだと思っていたそうだ。生まれながらの美声を持ち、隠された才能を持っていた人こそがオペラ歌手になれるのだと。練習や訓練でオペラ歌手になどなれるものではないと・・・

コレッリは生まれながらに類まれな美声を持っていたわけではない。彼の声は訓練の賜物なのだ。たしかにコレッリの声は独特なところがある。事実、オーディションを受け始めた頃、コレッリは多くの人に言われたのだそうだ。「なんて酷い声なんだ!」「オペラ歌手なんて無理だよ、その声じゃね・・・」

普通はここで諦めてしまうのだ。どんなに音楽が好きでも。歌が好きでも・・・

コレッリには憧れがあり、音楽への情熱があったのだろう。

自身、自分の声が、いわゆる「美声」ではないことを自覚していたコレッリは、偉大なる歌手、カルーソーについて書かれたアメリカでの批評を自分の心の中で唱えながら歌手の道を目指した。

「カルーソーの声は美しい声だ。だがその心は声よりも大きく、そして素晴らしい!」

コレッリの歌唱・・・8歳の時に実際に聴いた時の感動を僕は忘れることができない。

小さな美しい港町アンコーナ、ここでコレッリは育ったのだ。海から30メートルほどのところに彼の家はあったのだそうだ。海に生きる人生のはずだったのだ。でも何者かが彼の「心」に歌への憧れを秘めさせたのだ。

アドリア海からの風を静かに感じながら、コレッリ、そして音楽を感じる・・・

kaz



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「11月のある日」 

 

「イタリアは消滅しないさ!」

ふと思ったんだ。また来られるのかな・・・と。Mは僕を叱り飛ばすように言った。

そう、イタリアは消滅しない。また来られる・・・きっと・・・そう思いたい。

夕食のあと、海を見た。海岸を歩きながら、波の音を聴きながら不安になる。

「僕はね、よくここで練習するんだ。海を見ながらね。ギターを抱えて一人海岸で・・・なんて我ながら自己陶酔だと思うよ。でも気持ちいいからね。自分が上手くなったと勘違いもできるしね」

「ねえ、リクエストがあるんだ。ブローウェルの曲なんだけど・・・」

「11月のある日・・・だろ?」

Mのギターの音色は物悲しい。彼のギターを聴きながら、ブローウェルの曲を聴きながら、ふと思った。

「11月のある日・・・ピアノで弾いてみようかな・・・」

「ピアノで?うーん、考えたことないなぁ・・・いいかもしれないね・・・こんなに哀しい曲はないからね・・・」

11月、ピアチェーレの演奏会、そこで弾けたらどんなに素敵だろうと思った。弾けるかもしれないとも感じた。でもそれはイタリアの魔術かもしれない。日本に帰ったらなくなってしまう魔法・・・

弾くとしたら、ギター譜を参考に、耳コピしながら自分で作らなければならない。でも「アルフォンシーナと海」はできたのだ。「11月のある日」だってできるかもしれない・・・

「この曲はね、映画の音楽なんだ。僕もその映画は観たことはないんだけど、キューバの映画だったと思う。映画のタイトルも11月のある日・・・だったと思う。主人公は脳の病気かなにかになって、自分の人生を見つめ直すという内容だったと思う。自分は革命に命を捧げている、でも残された人生、それだけでいいのだろうかと自分に問い直す・・・」

「そうなんだ・・・」

自分と重なる。誰でも重篤な病を患えば、自分の人生を見つめ直すものだ。「これで本当にいいの?」と。

「弾けるだろうか?」

「弾けるかじゃないだろう?弾くんだよ!弾きたいんだったら弾くんだよ!」

憮然としながらMはもう一度ブローウェルの「11月のある日」を弾いてくれた。

涙が出そうになる。でも泣いてはいけないとも思う。この心の動きをそのままピアノに乗せる・・・そんな野望があってもいいじゃないかと思う。それができたら、そしたら思う存分泣こうと思う。

kaz



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紺碧の「愛の夢」 

 

本当は呑気に旅などしている場合ではないのだ。今月末にはサークルの演奏会があるのだ。おそらくアマチュアにとっては、とても贅沢なホールとピアノなのだと思う。ピアノはファツィオリなんだよねぇ・・・

でも「練習しなきゃ・・・」とはあまり思わないんだよねぇ・・・

今の自分を、そのまま出せばいい・・・なんて今は思う。帰国しても、このまま気持ちをキープできればいいと思う。インプットしたものを「大丈夫かしら?できるかしら?」と震えながら演奏するよりも、その時のすべてをアウトプットすることができればいいと思う。ピアノ演奏は、どのようにインプットできたか、その結果をどのようにアウトプットするかということなんだと思うけれど、アウトプット時は、自分の中から湧き上がるものをピアノに託すことも大事なんじゃないかと思う。

「いかに弾けるか・・・」というインプットの結果というものを気にしすぎていると、決められたものを「なぞる」ような感じになってしまうのではないだろうかとも思う。演奏は「インプット」と湧き上がるものを加味して「アウトプット」する複合という感覚が必要なのではないかと・・・

到達度や表面上の完成度のようなものに関係なく、意味不明の(?)「なんだか分からないけれど惹きこまれてしまう」という演奏はアウトプット時の演奏者の気持ちの差が演奏に出てくるのではないかとも思う。

気持ちだけではピアノは弾けないんだけど、その瞬間の気持ちがないと弾けないのも事実。本番前に「ミスなく練習どおりに弾けますように」と思いすぎると、アウトプット時に本来の自分がいなくなってしまう・・・

なんて今は気持ちが大きくなっているけれど、まぁ。当日は緊張するだろうなぁ・・・

今はイタリアにいる。演奏会なんて遠い未来のような気がしている。友人(M)が現在暮らしているアパートに滞在している。南イタリアのブーリア州というところで、レッチェという街だ。

観光地ではないのだろうか、日本人の姿は少ない。東洋人が珍しいのか、振り返って見られることも多い。街自体はとても素敵な街だ。バロック様式の建物が多く、タイムスリップしたような感じだ。

このレッチェはテノール歌手のティート・スキーパの生まれ故郷でもある。スキーパの叙情的な声は昔から大好きだったけれど、この街の出身であるということはMに教えてもらうまで知らなかった。

「そうか・・・スキーパはこの風景を見て育ったのか・・・」

このレッチェの貧民街に生まれたスキーパ、歌だけで生きてきた人なんだな・・・そう思う。メトで活躍した人だから、どうしてもアメリカ時代のスキーパばかり連想してしまうけれど、この風景が彼を育てのだと思う。

バロックの石の建造物、澄み切った青い空、碧い海・・・

リストの「愛の夢」はもともとは歌の曲。もっぱらピアノで演奏されるけれど、そしてピアノで演奏された「愛の夢」の方が素敵だとも思うけれど、唯一スキーパの柔らかい声で「愛の夢」を聴くときだけ、この曲は歌の曲なんだな・・・と感じる。

kaz



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category: The Singers

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「今弾ける曲がないの」 

 

小さな子どもが親に連れられてピアノ教室の門をくぐる。まずは、楽譜の仕組みと鍵盤との思考連結というものを教えられるのであろう。「楽譜」=「弾く」という基本の取得。弾く曲が、どんどん高度になり、ブルグミュラーやソナタになり、ロマン派や近代の曲を弾くようになっても、思考連結というものは変わらずに「楽譜」=「弾く」のまま・・・

むろん、ピアノというものは練習しなければ弾けるようにはならないのだけれど、でも思うのだ。譜読みをして一生懸命して、そして発表会なりサークルの練習会なりで弾く。考えてみれば、自分なりにその曲が「弾けるような状態になっている」という機関は、ごく僅かな期間なのだ。本番が終われば、また新たな曲の譜読みが始まるわけだから・・・

素朴な疑問がある。この疑問は底なし沼のようなところがあるので、あまり考えたくはないのだが、クラシックのピアノを習っている人が密かに恐れているのは「ねぇ、ピアノ習っているんでしょ?何か弾いてよ」という言葉、リクエストではないだろうか?以前弾いた曲は物凄い勢いで忘れてしまうし、現在勉強中の曲は譜読み状態でとても人様に聴かせられる状態ではない、つまり何も弾ける曲がない。そしてそれは、ある意味当たり前のことにもなっている・・・

考えてみれば、これはとても楽しくない状態だ。

何年もピアノを習っていて、簡単な即興で遊んだりとか、気に入った曲を自分なりに耳コピして楽しんだりということが苦手(というか、できない)というのは、とてもおかしな話ではないだろうか?

あまりにもザッハリヒな演奏解釈が幅をきかせて、演奏者の内面から湧き出るような何かというものを抑え込んでしまう結果になるような演奏が多いような気が個人的にはする。でも人間には感情があるし、それを音楽を媒体にして表現したいという欲求は誰でも持っているのではなかろうかと。なにかその部分が置き去りにされているというか・・・

別に「即興名人」になる必要もないと思う。クラシックのピアノを習う人は「~という曲が弾きたい」という欲求だと思うから。でも、その部分でも、本来は「~という曲が弾きたい」というよりは「~という曲」が持っている何かと自分の内面の表現意欲のようなもの、サウンドのようなものとの一致があるから、その曲を選曲するわけで・・・

子どもだからとか、育った環境がどうだとか、所有している楽器がどうだとか、それらに関係なく人間だったら本来、心から湧き出る何かがあるのだとしたら?それをピアノの曲を弾くという行為と一致させられたら・・・

デヴィット・アレン・ウェルシュさんは、6歳の時に家を失い、以後ホームレスのシェルターを渡り歩く人生となった。この演奏は彼が50歳の時の演奏。シェルターにあったピアノで遊んだりすることはあってもピアノを習ったことはない。6歳の時からホームレス生活なのだから・・・

彼は現在もホームレス生活。ワシントン州で生活しているらしい。月2回、リサイクルショップの古いピアノを弾きに来るのだそうだ。もちろん彼は楽譜など読めない。

「私はどのように演奏すればいいのかなんて分からない。でも頭の中で鳴っている音を聴くのは好きなんだ」

本来だったら人間であれば、彼だけではなく誰でも頭の中で音が鳴るのではないだろうか?

本当は「弾ける曲が今ない」とか「楽譜を一生懸命弾いて並べてみました」とか、そしてその部分で悩むとか、おかしいのかもしれない。

「誰かがここに来て純粋に感動して、手を差し伸べてくれて、そしてハグしてくれたら私も泣いてしまうんだ」 デヴィット・アレン・ウェルシュ



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category: ピアニスト

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教えすぎなのか、それとも教えていないのか 

 

クラシック音楽は、多くの人が再現するものと認識しているのだと思う。楽譜をしっかりと読んで、指を動かして練習して、そしてレッスンに挑む。そして色々と直される。そのくり返し・・・

もしかしたら、聴いている人を「ハッ」とさせてしまう演奏って、何かしら才能のある人、もしくは専門に進むような人、超上級者だけに許された特権(?)のようなものと思っている人もいるのかもしれない。

ある程度弾けるようになってから、表情をつける・・・

なんとなく自分のピアノって、ただ弾いているだけのように感じる・・・

でも思うのだ。「まっ、弾けていないわけだし、まずは弾けるようになってから考えよう」と。

もしかしたら、ピアノは「楽譜の再現」という側面だけではなく、自分の中にある「理想のサウンド」のようなものが、弾く前から存在していて、それを表出するという面もあるのではないだろうか?楽譜を読んで、頭の中の理想サウンドがゼロの状態から練習し、弾けるようになって、先生に作ってもらうとかではなく、「どのように弾きたいか」という理想形は弾く以前に存在しているのが本来の姿なのではないか・・・

有名音大の卒業演奏やコンクールでの演奏を聴いても、そのことは感じる。「この人は何を表現したいのだろう?」と。昔のようにロボットのように弾くということは、現在では最も敬遠される弾き方だから、皆一応「表現はつけている」のだが、どこか借り物というか、皆同じというか・・・たしかに表面上は達者に弾いているのだが・・・

簡単に言うと、聴き手としては「ハッ」とさせられる演奏というものが実に少ない。これは音大生レベル、初心者レベル関係なく感じることだ。

どのような教材を使用するにしても、「理想のサウンド」が初めにあって、それを「表出する」という順番を導入期から行う必要があるのかもしれない。

「ただ弾いてしまうのよねぇ・・・」「リズムを機械的に刻んでしまうのねぇ・・・」「練習はしてくるんだけど、表現力がねぇ・・・」と生徒の演奏で悩んでいる先生も多そうだ。

ソルフェージュ、セオリーの必要性もあろう。今では総合的なピアノレッスンも盛んだと思われる。即興演奏を目指してみたり、全調で弾かせてみたり、コード譜を導入してみたり・・・

そのような「総合力」を身につけることが目的なのだろうか?そうではないと思う。身につけることによって、「楽譜」=「練習」=「音にしてみました・音を並べてみました」ということではなく、「自分の理想サウンド」=「練習」=「レッスンで修正」=「完成」という手順にするために総合力が必要なのではないだろうか?

本来は、理想サウンドがまず必要であるのでは、というよりも、そもそも自分の理想サウンドというものが存在しなければ、「ピアノを弾いてみたい」という動機づけにもならないのでは?

課題をレッスンで先生に貰って、真っ白の状態で自宅で一生懸命に練習して・・・という繰り返しでもピアノを習っているということになるのだろうか?なるのだろうが・・・

この人は独学なのだそうだ。中学生の時、教室にあった壊れたピアノで同級生から「トルコ行進曲」の弾き方を教えてもらったのがピアノとの出逢い・・・

むろん、すぐには弾けなかったのだろうが、「弾いてみたい」「表現してみたい」という欲求がピアノとの出逢いで芽生えたのに違いない。以来、この人は独学でピアノを弾いてきた。仕事の合間に練習しながら・・・

独学は難しい。弾き方については、ピアノの先生だったら「突っ込みどころ満載」の演奏なのかもしれないし、もしかしたら独学ならではの「遠回り」もしているのかもしれないが、この人の演奏には達者な音大生にもないものがある。それは「ハッ」と聴いてしまう・・・という演奏になければならない基本のイロハのようなもの・・・

弾く前から、この人には「このように演奏したい」という理想のサウンドが存在しているのだと思う。

「ただ音を並べてみました」という演奏は、何か発想の順番が違うような気がする。

教えすぎなのか、それとも全く教えていないのか・・・

kaz



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category: レッスン

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「永遠のサウダージ」 

 

スペイン旅行を共にしている友人の名前はマルチェロという。以後Mとしようと思う。実は、今回の旅で彼に頼んでいたことがあった。それは、ギターを弾いてもらうこと。彼はアマチュアのギタリストでもある。今回の旅行が彼のギターを聴く最後の機会になるかもしれないと思った。彼は自分のギターを持ってきてくれた。

「僕のギターなんて・・・趣味なんだし・・・」

Mは僕と異なり、ピアノを習った経験はない。でも子供の頃の自宅にはピアノがあったし、両親ともプロの音楽家ではなかったけれど、心底音楽を愛する愛好家だったので、Mは幼い頃より音楽、特にオペラに親しみながら育った。ミラノ育ちだから、スカラ座で何度もオペラを聴いたのだという。ここが不思議なのだが、習ったことはなくても、なんとなくピアノは弾けるのだそうだ。むろん、超絶技巧の曲を本格的に・・・というわけではないが。

Mと僕が大学で知り合った頃、特に音楽の話をするということもなかったが、帰国後、お互いに音楽とは無縁の職業に従事しながらも、やはり音楽からは離れられないという気持ちは、お互いに共有し、その気持ちを確かめ合った。

「楽器が弾けるって憧れるよねぇ・・・いいよねぇ・・・でも練習する時間なんてないしねぇ・・・」

僕は、40歳を過ぎてから、ピアノを再開したけれど、Mは35歳の時にギターを習い始めた。

ある日、Mはラジオから聴こえてくるギターの音色に魅せられてしまった。残念なことに、曲名が分からなかった。その曲を何年も探した。でもギターの曲は多い。なかなか見つからない。

「ギターを習おう、そうすれば、いつか聴いた、あの曲にも巡り合えるかもしれない・・・」

ギターという楽器に魅せられたというよりは、その曲を知りたいという気持ちからギターを習い始めた。

「なんというか、呼吸ができないくらいに圧倒されてしまってね。しばらくボーッとしていたよ。知りたいという気持ちから弾いてみたい、自分でも弾いてみたいという気持ちになってきてしまってね・・・」

彼のギターを何故かスペインの台地で聴きたかった。これは僕の我儘だ。スペインの後は、イタリアに行き、彼の自宅にも泊まるから、そこで聴けばいいのだ。でも、どうしてもスペインで聴きたかった・・・

Mは、長年探し求めていた曲を、とうとう探し当てた。4年ほど前のことだったという。そして、その曲を練習した。何時間も・・・

車を走らせていると、小さな村があった。その村の小さなレストラン・・・僕らの他には誰もいない・・・

「ここでギターを弾いてもいいだろうか?」

「もちろんですよ!我々も聴かせてもらってもいいですか?」とそのレストランの主人、そして切り盛りする娘さん・・・

「いやぁ・・・どうしよう・・・この曲は人前で弾いたことないんだ・・・」

Mは弾き始めた。なんともいえない感じだ。

弾いているMの目が潤んでいる。そして涙が頬を伝わる。僕も、そして店の人も・・・

音楽歴、育った国、話す言葉、すべてが異なった人が何かを共有している瞬間だ。この何かを追い求めるためにピアノを、そしてギターを弾いているのだ。

おそらく、Mの演奏を聴くのは、これで最後かもしれないな・・・ふと、そう思う。

この「共有感覚」のようなものを知らずにいる人のほうが多いのかもしれない。音楽に携わっている人でもね。

せっかくピアノを習っているのだ、習ったのだ。何かを共有しようよ・・・そう思う。

Mが弾いてくれたのは、ディレルマンド・レイスというブラジルのギタリスト、作曲家の曲・・・

「永遠のサウダージ」という曲だった・・・

スペインに来てよかった・・・

kaz



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category: 秘曲

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楽しいレッスン、追うレッスン 

 

街のピアノ教室の先生、その責任の大きさについて考えている。多くの生徒はピアノを一度は辞めるのが普通だろうと思う。普通は進学ということで辞めてしまうことが多いと思う。では、辞めてしまった生徒は、その後ピアノとの関わりはなくなるのであろうか?たしかに、結婚して子育て、そして介護とか、就職してキャリアを磨くという生活にどの人もなっていくのが普通で、その間はピアノのことや、昔ピアノを習っていたことすら忘れて生活しているのが普通だと思う。この期間をブランクというのだと思うが、ブランクが何年あろうと、人間であれば、再びピアノの魅力にハマるのではないかと思う。その時・・・

そう、その時に「ああ、ピアノと出逢えてよかった」「ピアノが弾けてよかった」と思えるのかどうか・・・

基礎があれば・・・と思う。むろん、そこには読譜力や指のアジリティという側面もあると思うが、それよりも「音楽とどのように関わっていくか、ピアノって、あなたにとって何?」のような、もっと根本的な部分・・・

どうも、最近の子どものピアノレッスンの方向性として、感性を磨くということに目的がシフトしすぎていると思う。感性を磨くのが必要なのは、むしろ大人のほうであって、子どもには「将来まで続く基礎力」というものが大事なのではないかと思う。

そしてこうも思う。「生徒が興味を示さないから」・・・「では興味を示し、目を輝かせて取り組む方法は?」とか「練習しないのよね」・・・「では練習の意欲を引き出す教材は?」のように、目の前に存在している生徒(子ども)の状態だけを見て、レッスンの方向性が決まってしまっているような危機感を覚える。それも必要だろうと思う。ピアノなんか大嫌いと辞めてしまっては、そこで終わってしまう可能性だってあるから。

でも、目の前の子どもには将来があるのだ。レッスンは辞めてしまっても、将来再びピアノの魅力、音楽の魅力に開眼する可能性だってあるのだ。と言うより、多くの場合は開眼する。

それは「先生・・・学校が忙しいのでピアノ辞めます」と生徒が言った10年後かもしれないし、20年後、30年後かもしれない。その時に子ども時代に習っていた内容、身につけたものが多いに重要になってくる。どんなにブランクがあったとしても・・・

街のピアノ教師で最も重い部分はここだろうと僕は思う。その生徒の将来をも担っているということ・・・

「え~!B雄くんの30年後のことなんか責任持てないわ~」

「A子ちゃんの30年後、そんなの分からないわ~」

実際にはA子ちゃんが30年後にピアノを再開して、子ども時代の先生を恨んだとしても、別に訴えてくるわけではないだろうが、ブランクが何年だろうと、再び歩んでいける、ピアノ道を歩んでいける力を身につけさせておく責任が街のピアノ教師にはあるのだと思う。その部分は音大の先生よりも「専門家」である必要がある・・・

「ああ・・・」と生徒が音楽に焦がれ、「弾いてみたい、私も弾いてみたい・・・」と感じる心を育て、実際にそのような方向に持っていく・・・

単に、その曲が格好いいから弾きたいとか、素敵だから弾いてみたいということではなく、何故にその曲が自分の心を捉えるのかという部分、その何かを追っていく楽しさを子どもの時の修行時代に身につけさせる・・・

「先生・・・この曲・・・弾いていて泣きそうになっちゃう・・・なんで?」

「わからないわ・・・でも先生もそうだから、だからピアノを弾かずにはいられないの。ピアノってそういうものなのよ」

「そうね・・・」

この部分まで子ども時代に収めておけば、ブランクはこわくない・・・

本当のピアノの楽しさって、そういうことなのではないだろうか?追っていく楽しさ・・・

「楽しい、笑顔のレッスン」・・・ではなく・・・

kaz



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心臓の楽器 

 

あまり伝記を読むほうではない。でも誰でもそうだと思うけれど、メジャーな作曲家であれば、大よその生涯は知っているというか・・・

「では時系列に述べよ!」などと言われたらモーツァルトやベートーヴェンの生涯だって述べられないと思うが。

有名な作曲家ではなく、マイナー・・・とまでいかなくても、特定の曲だけが有名な作曲家などは、その人の生涯などはあまり考える機会もなかったりする。

例えばフランシスコ・タレガとか。

タレガはギターを演奏する人にとってはメジャーな人だろうけれど、僕などにとっては「タレガ?ギターの人だよね?スペイン人だろうね、名前からして」ぐらいで終わってしまうような人ではあった。

でも、タレガ・・・いい曲たくさんありますねぇ・・・知りませんでした。

「ギターのサラサーテ」とか呼ばれたりもするのだそうだ。ギターの独奏楽器としての地位を高めた人でもあったと。

子供の頃から知っている、この曲、こんな曲を書ける人って、どんな生涯だったのだろう・・・などとスペインの風景を見ながら、ふと思った。

この曲は、どこか哀しげだ。でもタレガは裕福で幸せな人生だったのかもしれない。何不自由なく笑い暮らした人だったのかもしれない、でもそのような人には決して書けないメロディーだとも思う。

タレガは裕福な家に生まれたわけではなかった。父親も母親も働いていた。タレガの音楽を考えるうえで、重要な出来事が幼少時代にあった。泣き止まないタレガを子守番の少女が汚水の堀にタレガを投げ込んだのだ。それが原因でタレガは失明するかもしれないところまでいったのだ。タレガの視力は完全には戻らなかったとも言われている。

父親も目が不自由で、35歳くらいには失明していたらしい。

「この子の将来が心配だ。私のように目が見えなくなってしまうことだって考えられる・・・音楽の道に進ませてみてはどうだろう?」

目が見えない=音楽への道という発想が僕には今一つ理解できないところでもあるが、タレガは最初、盲目の音楽家に習っている。タレガ自身も家計を助けるために、学校を休んで働かなければならないような境遇だったから、音楽の道に進ませようとした父親の愛情が感じられる。「芸があれば・・・」ということだったのかもしれない。

ここでタレガが音楽との運命的な出逢いがあったのだ。

名声を得てからも、裕福な生活とは言えなかったようなところがある。生活のためにバーでピアノを弾き、生徒を教え、夜遅く、小さな音で自分の練習をし、また生活のためにピアノを弾きにでかける・・・そんな生活。

ギターは、当時、独奏楽器としての地位を得ていなかったのかもしれない。そのギターを発展させてきたのがタレガだった・・・

ギターという楽器は、最も演奏者の心臓に近い位置で演奏する楽器でもある。だからハートの楽器・・・

タレガのこの有名な曲を聴くと、そう感じたりする。

kaz



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演奏を聴いて失神したことはありますか? 

 

フランツ・リストの人気ぶりは大変なものだったらしい。かつてのビートルズに対する熱狂ぶりにどこか似ている。演奏途中で失神する人もいたとか・・・

パデレフスキーも、彼の黄金の髪欲しさに鋏を隠し持ったファンに待ち伏せされたり、彼専用の列車での移動の様子を一目見ようと人々が群がったり・・・

パデレフスキー専用列車にはグランドピアノはもちろん、執事、コックなども乗車していたとか・・・

今、このようなクラシックの演奏家はいない。ロックスターとかだったらいるのかもしれないが。

クラシック音楽にも娯楽的な側面があってもいいのではないかと思う時がある。そもそもクラシック音楽は、忠実に再現することに意義を見出すところがある。現代はそのような方向性が強いと思う。作曲者の意図に忠実に、楽譜に忠実にと。演奏者は、その崇高なる芸術を伝える巫女のようなもので、その巫女が主張したり、本当の内面を出したりするのは非常によろしくないと・・・

クラシック音楽に日頃馴染んでいない人、どちらかと言うと嫌いな人は、「クラシックって堅苦しい」と言う。「難しくて理解できない」とも。崇高なものを楽しめないので、自分の能力が低いのであろうと。だから「私には難しくて・・・」などと言う。

昔はクラシック音楽は、現在よりも娯楽的な要素を感じつつ聴いている人も楽しんでいたのではないかと思ったりする。昔はテレビもパソコンもなかったし現在よりも娯楽が少なかったからクラシック音楽を人々は聴いていたのだろうか?クラシック音楽しかなかったから「クラシックじゃなくポップスを聴こう」という選択肢がないのでクラシック音楽を聴いていたのだろうか?

演奏者は巫女でいいのだろうか?

僕自身は昔の演奏家を好む傾向がある。でも昔のピアニストの演奏はデフォルメされた演奏と言われたする。その演奏の魅力を認めた人でさえ、どこかデフォルメされた部分というものが過去のものであり、現代では作曲家の意図に忠実な演奏が主流であると・・・

個人的には昔のピアニストの演奏は、とても自然に聴こえる。個人的にはデフォルメされた演奏とは全く感じない。非常に熱く、生々しい魅力がある。演奏本来の魅力があるというか・・・

現代の若手の演奏の方が、よほど違和感がある。最新の研究成果の楽譜を使用し、再現音楽ということに徹し(個人的には徹していないと感じるが)、いわば「シモベ」のように演奏する。僕はこのような演奏は、サクサクと事務処理をしているようで違和感を感じるのだ。

クラシック離れは、音楽そのものがツマラナイからではなく、演奏が死んでいるから人々が離れていくのでは?

「忠実に再現する」・・・「シモベに徹する」・・・「崇高なものを襟を正して聴く」・・・「かたくるしい」・・・僕には負の無限ループに見えてしまう。

楽譜に忠実にとか作曲者の意図に忠実にとか・・・正直に告白すると、その本当の意味が僕にはわからない。「忠実に再現」ということそのものを否定するということではなく、本当の意味がわからない。

「楽譜に指示を守って・・・」当たり前すぎることだが、「何故ですか?」という質問に答えられる人はどれくらいいるのだろう?「クラシック音楽は再現芸術だから」では答えになっていないだろうと思う。

楽譜に、作曲者の意図に忠実とされている演奏家の演奏を聴いて僕だって感動することはある。その場合、別に忠実ぶりに感動しているわけでもない。とても「その人」を感じるから好きなのだ。

大昔(?)にファリネッリという歌手がいた。カストラートだった人だ。もちろん、実際の歌唱が残っているわけではないので、書かれたものから推測するしかないのだが、とても素晴らしいものだったらしい。人々は熱狂して彼の歌声に聴き惚れ、失神してしまった人も多かったらしい。むろん、当時の女性はコルセットでしめつけていたということもあろうし、誇大に伝聞されているところもあろうが、ヨーロッパ各地で「失神した」という記録が残っているということは、彼の歌の何かを物語っているということにはなると思う。

当時の人は、ファリネッリの歌唱をどのような感覚で聴いていたのだろう?「難しげな崇高なものを静かに拝聴する」という感覚ではなかったと僕は推測する。今のクラシック音楽の聴き方よりも、娯楽性を持ち、自らの心の躍動を演奏家に求めていたのかもしれない・・・

もし当時、聴き手が娯楽性や心からの躍動感、感動を演奏家に求めていたとしたら、それは演奏家にとっては酷な時代だったと思う。

kaz



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明るくも暗くもなく・・・ 

 

スペインという国のイメージ、それは「南国」「陽気」「情熱的」「闘牛」「フラメンコ」・・・

どこか明るいイメージがある。白い壁、輝く太陽・・・

そのイメージも正しい。スペイン人は親切だ。こちらの片言のスペイン語(というより単語?)にも流暢なスペイン語で答えてくれる。「わかった?大丈夫?」(このような言葉は何故か理解できる・・・というか多分そう言っているのだと感じる)と、こちらがわかるまで(わからないんだけど)教えてくれる。

光が眩しければ、影も濃くなる・・・ここがスペインの魅力なんだよね。それはラテンのピアノ曲にもそのまま当てはまる。気分の動きが激しいというか、そのような部分が好きなんだと思う。そのような意味でイタリアも僕の好きな国だ。

こちらに来て、何もしていない。気に入った街で車を止めてブラブラしているだけだ。空が東京の100倍綺麗なので、空を見たりしている。

演奏会を聴きに行く予定もスペインではなく、ただ「何もしない」ということをしている。

なんとなくスペインに来たら、頭の中でオブラドルスの曲が鳴っていることが多いような気がする。フェルナンド・オブラドルス・・・

声楽曲の好きな人だったらお馴染みの作曲家なんだけど、ピアノの人の間では有名ではないのかな?といっても有名なのはオブラドルスの場合は編曲作品。スペインの民謡を巧みな和声づけにより、芸術作品に昇華させている。

この曲、もとが素朴な民謡だったとは思えないほどだ。「オーベルニュ」のカントルーブみたいだなと思う。

オブラドルスの最も有名な作品かなと思う。このような曲を聴くと「明るい」とか「暗い」なんてカテゴライズは無粋だなと思う。分けられないから音楽なんだよ・・・と思う。

オブラドルス、作曲は独学だったそうで・・・

48歳で亡くなってしまったらしい・・・

kaz



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暗闇の中のアランフェス 

 

アランフェスにはホアキン・ロドリーゴの墓がある。興味のない人には、ただの石なのかもしれないが、ロドリーゴは妻のビクトリアと共に、アランフェスのサンタ・イサベル墓地に眠っている。

大きなギターが象られている墓石で、そこにはある旋律も彫られている。

ロドリーゴは3歳の時に悪性ジフテリアを患い、4歳の時に完全に失明した。視覚障害者としての人生を歩むことになる。見えないから頭の中に音楽が鳴り響いていたのだろうか・・・

アランフェスは風光明媚な場所で、美しいアランフェス宮殿もある。でも哀しい歴史もあったのだ。スペイン内戦時代、フランコ側の軍隊がアランフェス宮殿に入城し市民を壁に立たせて銃殺するという出来事があった。アランフェスの街も被害を受けた。

内戦が終了し、アランフェスを訪れたロドリーゴにビクトリア夫人は、アランフェスという街が、どれほど美しい街なのか、アランフェス宮殿がいかに美しい宮殿なのかを説明した。ロドリーゴは目が見えないから・・・

そして、この場所でどのような出来事があったのかも説明した・・・

ロドリーゴは作曲家であり、そしてピアニストであったが、ギターは演奏できなかった。でもアランフェスのこの曲は、ギターでなければならなかった。ギターでなければ表現できなかった。ロドリーゴはギターに拘ったのだ。

ロドリーゴの墓石には、このアランフェスの第2楽章のメロディーが刻まれている・・・

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カタルーニャの鳥の歌 

 

かつてスペインはフランコによる独裁政権に支配されていた。

ファシズムの嵐が吹き荒れたヨーロッパ、ヒトラー政権がドイツで誕生した。ドイツ軍はバスク地方の小都市、ゲルニカを攻撃した。死者は1600人あまり・・・ゲルニカの人口は7000人だった。ゲルニカは没落した。

ピカソは「ゲルニカ」を描き、世界に訴えた。

やがてカタルーニャの都市、バルセロナの没落、首都マドリードの没落、そのような中、フランコ政権が誕生したのだ。30年にも及ぶ独裁政権だった。

カザルスは、1971年、国連に招かれ、演奏し、そしてスピーチを行った。この演説はとても有名なものだ。彼の演奏したカタルーニャの民謡も有名になった。「鳥の歌」として・・・

「私は公の場では長年演奏してきませんでした。しかし私はまた演奏しなければならないと感じています。カタルーニャの民謡を演奏します。カタルーニャの鳥たちは空にいる時に歌うのです。ピース、ピース、ピース(平和、平和、平和)と・・・そしてそれはバッハ、ベートーヴェン、そしてすべての偉人たちが賞賛し愛したメロディーになるのです」

地上では自由が認められなかった時代、でも空に舞いあがれば、自由、自由、自由・・・と歌うことが出来る・・・

カザルスはフランコの死を知ることなく先に亡くなってしまった・・・

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再勉強の権利 

 

スペイン女王イサベルの栄光と悲劇 (1980年)スペイン女王イサベルの栄光と悲劇 (1980年)
(1980/12)
小西 章子

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大昔に読んだこの本を持ってきた。こちらで再読する時間はあるだろうか?

小西さんの本を初めて読んだのは、この本ではなく、たしか「スペイン子連れ留学」という文庫本だったと記憶している。高校生くらいの時かなぁ、中学生の時だったかもしれない。読んだ時期の記憶は曖昧だが内容は割と覚えている。その頃は「異文化」というもの「外国」というものに憧れていた時期だったので、このような留学記を多く読んだものだった。

「スペイン子連れ留学」とあるので、子どもを引き連れての留学だ。著者は結婚前にアメリカに留学している(蛇足ながら、僕が学んだ大学と同じだ)。アメリカ留学時代に短期的にスペインに留学している。アメリカの大学では、休み中に外国の短期講座などを受講すると、それも単位として認めてくれるので、著者の場合もそうだったのかもしれない。

なので、一般的な専業主婦とは違うのかもしれないが、思い立ってすぐに外国へ・・・という境遇だったわけでもなかっただろうと思う。たしか、10歳以下の3人の女の子をスペインに連れていったと記憶している。1975年のことだ。今から40年前・・・

現在でも、小西さんのような行動を主婦が起こそうとしたら、非難されるのではないだろうか?

「自分の我儘のためでしょ?子どもは大事な時期でしょ?スペインだなんて・・・」

「ご主人はどうするの?日本に置いていくんでしょ?誰が世話をするの?」

世話・・・夫は犬ではないのだ・・・

学びたいと思う気持ちに年齢も性別も関係ないのだと思う。しかし、実際に行動する時に女性の場合、ものすごく制限されることが多い。今でもそうだと思うし、10年後もきっと変わらないだろう。

男性だったら非難されることなく、むしろ賞賛されるようなことでも、女性というだけで非難される・・・

1975年といえば、スペインはフランコ政権だった時代ではないか・・・その時代に、周囲の攻撃に耐え、「人間として当たり前」のことをした女性がいたのだ。

女性の自立、この場合は保守的な男性がネックになることが多いのかもしれない。あとは、保守的な女性も。配偶者の控除とか・・・「おかしいわ」と思い、自ら働いて、自ら税金を申告すること、が当たり前の世の中になれば、小西さんの行動も「大胆」などと言われなくなるのかもしれない。40年・・・日本はあまり変わってないのかもな・・・などと思う。

「もう一度勉強したい!」

著者がマドリードの空を見た時、どう感じたのかなと思う。子どもはこう言った。

「ママ、スペインには太陽がたくさんあるの?」

kaz

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category: ピアノ以外の本

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表現できない悔しさ 

 

思い切って空を飛んできて良かったのだと思う。やはり懸念したのは自分の体力。「異国で具合が悪くなったらどうしよう?」と・・・

半ば強引に計画し、精神的な後押しをしてくれた友人に感謝している。異国といってもスペインなのだ。未開の地でもジャングルでもないのだ。でもねぇ・・・言葉がねぇ・・・

友人はイタリア人なのだが、僕と彼は、もちろん英語で会話をしている。スペインでも観光地やホテルや美術館などでは英語が通じる。今回の旅はガイドブックにも掲載されていないような「生のスペインに触れる」というものなので、レンタカーで田舎を走ることが多い、つまり英語が通じない場面が多々あるのだ。

友人はスペイン語を特に勉強したというわけではないみたいなのだが、結構通じている。やはり相手の言っていることが理解できなければ、はじまらないわけで、なんだか羨ましい。イタリア語とスペイン語は似通っているのだろうか?まぁ、僕には音のシャワーにしか聞こえないが・・・

やはり、自分の表現したいことを表現できないということは、かなりイライラする。友人を介すればいいのだが、面倒だ。

僕にとってスペイン語習得ということは、これからの僕の人生にとって重要なことではない。だからいいのだが、これがピアノだったら・・・と考えてみた。むろん、僕はアマチュアだから、心の中で表現したいことがあり、その表現を表出することができなくても生きてはいける。自分のプロフェッションではないから。

僕にとって音楽とスペイン語で異なるところは、自分の欲求に「音楽で表現したい」というものがあるところなのだと思う。

この欲求、実はプロもアマチュアもないのではないかと思う。音楽を聴いて、心が動いてしまえば、僕の場合でも「表現したい」と思うから。

「ピアノを習っていました。でも部活やら塾が忙しくなって辞めました・・・」

一般的には、ピアノを現在習っている人の多くは、こうなるのであろう。むろん、専門的に勉強しますという人は別として。でも辞める時には全く感じていなくても、将来「表現したい!」と思う割合は高いのではないだろうかと僕は思う。それは、その人がピアノを辞めて数年後かもしれないし、ピアノなんか生活から消え去ってしまった大人になってからかもしれない。そう、何十年後かもしれない。

でも、その人(生徒)から音楽が消えることは決してないはずだ。ある日、ふと音楽を聴いて、泣きだしたくなるような瞬間がくるのだ。絶対にくる。その時なのだ。その時、その人の心を救うもの、それは「基礎」なのだと思う。その人が初級だろうが中級だろうが、基礎さえきちんと教えられていれば、再び「音楽を表現する」という至福の喜びに入っていける。でも基礎がいい加減であったら、流れてしまった歳月に打ち勝てないだろう。

「表現したい」という気持ち、それは基礎力に関係なく誰でも持っている。気づく時のために、今習っていると言ってもいいくらいだ。子ども時代のピアノレッスンは「音楽」に気づく瞬間、その時のためにある。

表現できないという悔しさを体験させてはいけない。絶対に・・・

kaz



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心の嗚咽 

 

かつて子どもだった時、音楽を聴いて胸が苦しくなるような感覚を味わった。僕は、音楽を「楽しい」とか「悲しい」で分けられる人が、ある意味で羨ましい。あるいは、「上手い」「上手くない」とかで分けられる人。

なんというのだろう、もうちょっと深い・・・のではないだろうかと思う。そもそも、心の奥底の動き、心の嗚咽、そして歓喜のようなものは、言葉で表現するのが難しい。なので、音楽(芸術)というものが発生し、その歴史を積み重ねてきたのではないか・・・

極限の状況では、親は自分の子どもの命を守る。強制収容所のガス室や、空襲後の焼けた遺体の山、そこには抱きかかえるように自分の子どもを守った親の遺体が数多くあった。この時の気持ち・・・それは言葉では表現できないものだ。

音楽にも同じようなところがあるのかもしれない。親しい人を永遠に失った時、自分の未来を見失ったとき、そのような時の心の嗚咽・・・叫び・・・それと似たようなところが・・・

それを音楽に乗せる演奏者がいて、それを共有する聴き手がいる。上手いとか、そのようなことではなく、いい曲ね・・・とか、そのようなことでもなく、聴き手の心の奥底に隠れていた、あるいは無意識に隠している、触れたくないような、物凄く強い何か、音楽によって、その何かを開き、他人と触れ合うことができれば、それは人生最高の幸せだ。

といっても、それは無理難題というものだろう。たかがアマチュアのピアノ弾きにとっては、夢想というべきか、生意気というべきか・・・

実際、本番が近づけば、いや近づかなくても、自分の演奏がどうしたとか、ここが弾けないとか思うのだ。それで終わってしまう。せいぜい、「まぁ、無難に弾けたかな・・・」ぐらい弾ければ、御の字なのだ。そして、そうなることしか本番前は考えない。「「失敗しませんように・・・」「失敗しませんように・・・」「失敗しませんように・・・」

人生、一度でいいから自分の心の奥底の叫び、嗚咽を人前に出してみたい・・・

その嗚咽を感じとって共有してくれる人が演奏会場にいたら、一人でもいたら・・・

今は気持ちが大きくなっていると思う。だから本音が書ける。外国にいるから・・・

でも、日本で、11月にそれができたら・・・

自分のピアノ人生が終わってもいいとすら思う。

一度でいいから・・・

kaz



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ラテンの国から・・・ 

 

体力がないからこそ、未来というものが不確実だからこそ、やりたいと思っていたことをやろうと思う。

たしかに、今この時期に、自分が決断した行動は無謀だったと思う。でも、来年の今日、自分はいないかもしれない。でも、これは僕だけじゃないよね?みんなそうなんだから・・・今は健康でも、先のことは誰でも不確実なんだから。

ということで、いきなり何故かスペインにいるのだ。一人旅ではない。イタリア人の友人と落ち合って、スペインをドライブするのだ。スペインを車で周遊するということは、長年の夢だった。友人も休暇なので、僕の気まぐれに付き合ってくれる。彼と一緒に旅行するのは、これで2度目だ。20年くらい昔に一度旅行したことがある。大学で同じクラスだった・・・

もう3度目はないだろう。僕もそれは思う。彼は何も言わないし、僕も何も言わないが・・・

コンスエグラという場所にいる。何もないところだ。本当に何もない。風車しかない・・・

この場所で佇んで、夕日が沈むのを眺めるのが子供の頃からの夢だった。やりたいことを一つやり終えたと思う。

まさに、下の動画の場所、本当に何もないんだよ。

いつものことだけれど、カメラは持ってきていない。何故か写真とか・・・興味ない。街の様子や、レストランでの食事など、ブログにアップするのが普通なんだろうけど。でも、僕はタイヤ会社の星とか興味ないし。そしてVサインをした写真なんか大嫌いだ。だからフェイスブックなども苦手だった。自分で記事を書いたことはないけど、他人の記事を読んだり、写真を見たりするのが嫌いだった。居酒屋でVサインをした他人の写真なんてどうでもいいんだ。

なので、スペインにいる間も、このブログでは、感じたことを、いつものように綴るだけだ。むろん、感じたことがスペインやラテンモードに関することになる可能性はあるが・・・

やはり、僕は中央ヨーロッパよりも、ラテンの国が好きなのだと思う。南米の国々を訪れる機会はあるのだろうか?分からないが、「ない」と決めつけることもないだろう。

ラテンのピアノ曲をやはり弾きたいな・・・11月に・・・そう思うね。ここにいると・・・

kaz



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魂を売らなかった人たち 

 

コンクールというものの弊害の一つには、皆が「同じ価値基準」というものを無意識に追ってしまうということがあるのではないかと思う。コンテスタントとしては、やはり「勝つ」ということが目的なわけだから、「自分の演奏」と「コンクール基準の演奏」というものの間でギャップがあったときには、心の中で葛藤があったりするのではないかとも思う。むろん、そのような「自分の演奏」というものを持たないコンテスタント(まっ、若い人が多いだろうし)がほとんどで、だからこそ「コンクール」というものが成り立っているのだとも思うけれど。

音楽愛好家としては、別に演奏者の「達成度」を聴きたいわけでもないのだが・・・

審査するほうは、やはり保守的なのだろうか?そのような演奏を求めるのだろうか?

「自分の演奏」というものを突き詰めて考えていってしまうと、そもそも「コンクール」という発想にはならないのが普通なのかもしれない。でも現実にはコンクールというものがなければ、演奏そのものの機会さえ与えられないというのも現実なのだろう。

もう20年以上昔になるのだけれど、アイスダンスにデュシュネー兄妹というフランスのスケーターがいた。当時は特にそうだったのだと思うけれど、アイスダンスという競技は、どこか「氷上の舞踏会」とでもいうか、優雅な雰囲気を求められているところがあったと思う。優雅に、そして軽やかにステップを踏んでいく・・・のような・・・

このデュシュネー兄妹の演技は、そのようなものではなく、もっと原始的というか、人間内部の鼓動をそのまま表現した、当時としては「異端」ともいえるものだった。この兄妹が世界選手権に初めて出場した時には大騒ぎになったものだ。観客は魅了され、大騒ぎ・・・

でも、点数が割れたのだ。得点に対する観客のブーイングの嵐・・・このような風景がこの組には当たり前のものとなった。

むろん、競技会だし、アイスダンスもスポーツなのであるから、デュシュネー兄妹も「勝つ」ということ、「得点を得やすい演技」というものを考えたに違いない。でもこの人たちは自分たちのスケート、自分たちの表現を最期まで売り渡さなかった。最後まで「自分たちの表現」を貫いた。

数年かかった。ジャッジも少しずつ得点を出すようになっていった。

そしてデュシュネー兄妹は世界選手権で優勝した。自分たちの演技で・・・

kaz



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category: The Skaters

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専門耳 

 

現在のように、専門に学んだ人とアマチュアというものを割と区別してしまうと弊害もあるのではないかと感じるときがある。

演奏から受ける印象というものは、もうこれは人によるし、主観的なものだけれど、このようなことはないだろうか?おそらく大人になってピアノを始めた人で、はっきり言って「トツトツ」と弾いているところがある。4分の曲を4分半かかってしまうような演奏。でも、聴いている人は、どこか惹きつけられてしまう・・・

これは、その「一生懸命さ」に惹かれるのだろうか?そうでもあるまい。演奏者が曲に感じている共感が聴き手に伝わる瞬間があるから聴き手は聴いてしまうのであろうと思う。

技術的な達成度、完成度と聴き手の感動というものは、どのようになっているのだろう・・・

コンクールで優勝した新進ピアニスト・・・たしかに上手いのかもしれないけれど、ただそれだけで、聴き手の心を奪うことがない。そのような演奏が実は多い。基準は超えているけれど、別に聴き手は基準値越えのようなものに感動するわけでもないから、ある種の共感のようなものがないと、聴き手は感動しない。

でも・・・

変な意味での「専門耳」があると、別の観点で、その新進ピアニストの演奏を評価してしまう可能性もあると思う。たとえば、音大で修業中でそのピアニストが達者に弾いている曲を苦心している音大生とか・・・

「わぁ・・・なんであんなにあの部分が高速で弾けるの?」とか「なんでミスなく弾けるの?」のような感じ方。このような感じ方を基本的には一般聴衆はしない。いわゆる「感心」のような感じ方というか、専門に学んでいるから、だからこその「甘さ」のようなものがそこにはないだろうか?

音楽や演奏から、そのようなものを期待しない、ただ「いい演奏が聴きたい」と思う聴衆というもの、つまり素人さん、アマチュア、このような人が要求する演奏というもの、これは実に高度なものなのではないかとも思う。

「クラシックって敷居が高くてつまらない・・・」

これは、もしかしたら「専門耳」だけしか感動(感心)させられることのできない演奏が多いということなのではないだろうか?

なんとなく、クラシック音楽ビジネスが衰退してしまうのは、「専門耳御用達」のような演奏が多いからなのかもしれない。

サロン全盛時代、ロマンティックな時代、クラシック音楽や、その演奏というものが現在よりも娯楽性を持って聴かれていたのではないかと感じることがある。編曲作品を弾いてみたり、往年のピアニストの演奏を聴いたりしているとそのように感じる。今は、原典主義と言うのでしょうか、とてもザッハリヒな感じがする。

サロンの聴衆、別にサロンではなくてもホールでの聴衆もそうだったと思うけれど、聴衆が求めていたもの、それは娯楽性と共に心からの共感だったとしたら・・・そこには「専門耳」などの概念もなく・・・

そのような聴衆を相手に往年のピアニストは鍛えられたのではないか・・・

ふと昨今の流行る演奏家を聴いたりすると思ったりもするのだ。

現代のピアニストでも「専門耳」以外の人を魅了できる演奏家はいる。少なくない数で存在している。でも脚光は浴びない。まだ・・・

たとえば、このマインダースのようなピアニスト。あたかも昔のサロンを再現したような演奏体験・・・

このような演奏に光のあたる時代が来るのかもしれない。現在のクラシック音楽ビジネスの衰退は、何かを物語っているようだ。

kaz



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category: 好きな曲・好きな演奏

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Kという人物 

 

モーツァルトを「造った」男─ケッヘルと同時代のウィーン (講談社現代新書)モーツァルトを「造った」男─ケッヘルと同時代のウィーン (講談社現代新書)
(2011/03/18)
小宮 正安

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アマチュアというのは、つまり趣味でピアノを弾いている人なのだろう。志望として、「できれば音大に進学したいんです」とか「ジュリアード音楽院に留学してみたいんです」などという場合は、趣味で弾いていくということにはならないのであろう。つまり、「専門的に習う」とか「専門に進む」のように本人も周囲も自覚が必要となってくる。そもそも「将来はアマチュアでピアノを弾いていきたいんです」ということは、どこか「趣味で習うのね」みたいなニュアンスで受けとられることも多々あるのではないかと思う。

僕はピアノにおいて「専門的に」とか「趣味で・・・」と分けて考えるということが、どうしても苦手だ。一つには、真のプロとして演奏というものを生業にしている人の割合が少ないと思うからだ。さらに演奏というものは、やはり「弾けてなんぼ」のような厳しさを伴うようなものだと思うし、だからこそ楽しいのだとも思うけれど、音大卒の人とアマチュアの人で、明確なレベルの差というものがあるようで、ないような、なんとも曖昧なものがあるのが現実だとも思う。どこかグレーゾーンがあるのだ。例えば、音大卒でピアノ教師をしていて、年に一度、自分の発表会での講師演奏しかしない・・・という人を「演奏のプロ」として捉えていいものかどうか?ここが曖昧なところだ。音大卒であれば、やはり「アマチュア」ではないと思うし。

「アマチュア」=「楽しみのため」=「自己の癒しのため」のような図式があるけれど、アマチュアを「ディレッタント」という意味合いで捉えてみたら、ますます「専門」と「趣味」というカテゴライズがしにくくなってくる。この場合のディレッタントは、高級な趣味人という意味合いだろうか・・・

モーツァルトの作品を整理して作品目録を作った人・・・

ピアノに関わりのある人だったら、ケッヘルという人(人物名だと知らなかった人もいたが・・・)の名前は知っていると思う。でも、彼は、それこそ高級な趣味人であったのだ。つまり、アマチュアだったのだ。

ルードヴィヒ・フォン・ケッヘル・・・厳密に「専門」と「趣味」ということを考えたら、彼の生業は家庭教師だったのだ。といっても、ハプスブルグ家の皇帝、フランツ一世の弟、カール公一家の家庭教師だった。むろん、博識で教養も深かったと思う。でも、「音楽学者」としては、厳密には「アマチュア」だったのだ。

ケッヘルは、生業としては「家庭教師」だったけれど、音楽学者として、そして植物学者として、そして鉱物学者としても知られている。もちろん、ハプスブルグ家の家庭教師で、その功績によって、自らも貴族の称号を貰ったし、家庭教師を引退する時も莫大な退職金を手にできた。だからこそ、ディレッタントとして、多くの顔を持つことができたのだ。でも、あくまでも現代的なカテゴライズで考えたら、ケッヘルという人はアマチュアだった・・・

モーツァルトを弾く時に、一瞬でもケッヘルの情熱を感じとれば、少しはマシに弾けるのだろうか?

kaz

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category: ピアノ以外の本

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耳生意気 

 

全音ピアノピース(1)全音ピアノピース(1)
(1992/04/21)
ピアノピース

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懐かしき昭和の時代、「全音ピアノピース」の表紙は現在のようなデザインではなく唐草模様の表紙だったと記憶している。その全音ピースの模範演奏のレコードというものは当時でも発売されていた。神西敦子というピアニストが弾いていた。その演奏は、折り目正しく、丁寧で好感の持てるものだった。

当時は、もちろんCDではなくレコードだったのだが、そのレコードジャケットも唐草模様で、神西さんの演奏する「全音ピアノピース」シリーズのレコードには、縮小版の楽譜もついていた。1~2曲だけではなく、収録曲のすべての楽譜がレコードについていた。

僕が、バイエルではなく曲を弾いてみようかな・・・と思い立ったのは、その付録の縮小版の楽譜を見ながらレコードを聴いていたからだと思う。何の曲から弾いてみたのかは、実はあまり記憶にはない。いわゆる「おさらい会」(懐かしい響きだ!)用の曲だったと思う。「アルプスの夕映え」とかランゲの「花の歌」とか・・・

「いろおんぷ」から「バイエル」に移行し、読譜のできなかった僕のピアノレッスンというものは、低迷していたと思うけれど、耳で馴染んでいた曲を実際に自分で音にできるという喜びを知った時の感動は大きかった。夢中で弾いていたのだと思う。あれほど読めなかった、暗号のような楽譜が、なんとなく読めるようになってきたのだ。

ここで正規の(?)ピアノレッスンと、自宅で遊んで弾いていた「全音ピアノピース」との連携が当時あれば、僕もピアノを途中挫折することもなかったのかもしれない。ここで「レッスンピアノ」のバイエルと、「お遊びピアノ」の全音ピースとが分離してしまったのがよくなかったのだと思う。

「それはドでしょ?何度教えたら分かるのよ~」と叱られるばかりで、バイエルはなかなか進まなかったけれど、遊び弾きは楽しかったので、ピアノを弾いている時間は結構多かったように思う。レッスンでは「できない子」「弾けない子」ではあったけど。

そのような時に、ある医大生と知り合って、音楽のシャワーを浴びたのだった。むろん、神西さんの演奏も当時は好きで、今だって好ましく思うけれど、その医大生が初めて僕に聴かせてくれたブライロフスキーのショパンのワルツが僕に与えた衝撃はとても大きかったのだ。「この世には、このような演奏、このような世界があったのか・・・」と。小学3年生の時だった。

僕が自分の小遣いで初めて買った楽譜は全音版のショパンのワルツだった。ブライロフスキーのワルツで衝撃を受けたのは、実は2番と14番のワルツだったのだけれど、3年生であった僕でも、これらの曲から挑戦していくことは無謀であることの認識はもっていた。僕が初めて「弾いてみたい」「音にしてみたい」と心の底から思い、実際に音にしていったのは、10番のワルツだった。これなら、自分でもなんとか弾けるかもと思ったのだ。

我ながら、この10番のワルツが「初ショパン」であったことは、正しい判断であったと思う。この曲が弾けたことで、自分の中での「新しいピアノ」というものが誕生したのだと思う。「これも弾いてみたい」「あれも弾いてみたい」と。そして実際に、往年のピアニストの演奏に感動し、実際に自分で弾いてみるという図式ができあがっていったのだ。

現在のピアノライフも、この3年生の時のものの延長にすぎない。現在は独学ではないけれど(当時もだが)、演奏に感動し、そして弾きたいと思う・・・その部分は当時と同じだ。

思うに、やはり、せっかくピアノを習っていたわけだから、その「遊びショパン」をピアノのレッスンに移行できればよかったのだと思う。正直、僕のピアノの基礎は全くの独学であったという意識が強い。自分のすべては「遊びショパン」から始まって、現在に至るという感覚があるからだ。

僕は、視覚的に楽譜を理解するということが苦手だったのだ。曲として認識できていない楽譜を音にしていく作業がとても苦手だった。それは今でもそうだと思う。楽譜にドと書いてあるからドを弾くというのではなく、弾く一瞬前に頭の中で「理想のド」という音が鳴らないと、視覚的なドに結びつかなかったのだと思う。ようするに、あまり賢い子どもではなかったわけだ。

トンプソン 現代ピアノ教本(1)トンプソン 現代ピアノ教本(1)
(2005/03/24)
大島 正泰、ジョン・トンプソン 他

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4年生の時だったかな、あまりに僕がバイエルを弾けないので、この教本に代わった時期があった。1巻のはじめからやり直しをさせられたのだ。これなら弾けるだろうと先生は思ったのかもしれない。でも、僕は弾けなかったですねぇ・・・

「弾いてみたい」という欲求がない曲、というより、聴いたことのない曲は、音が鳴らないのだ。だから弾けない。やはり、あまり頭がよくなかったんだな・・・と思う。でも、ショパンは弾けたんだよねぇ・・・音が鳴るから・・・

耳から入った典型的な悪例なのかもしれない。

でも、感動をして「音にしてみたい」「自分でも弾いてみたい」と思う根源のところは、現在の僕そのものだとも思う。僕はそれがないとピアノが弾けない。

kaz



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category: 履歴書

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