ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

演奏する理由なんて・・・ 

 

今の体力だと20分続けて歩けない。どこかベンチで休みながらでないと・・・

ピアノを弾くのもしんどい。人の演奏を長時間聴くのもしんどい。

入院して仕事を休んでいたから、仕事にも追われている。明日人前で弾くのに、今日も徹夜かなぁ・・・などと思う。

そのような状況が、さらに体力を奪う。

「休めば?」

それも一案だと思う。でも弾くんだよね。想定していたことだけれど、自分の生活にピアノを組み込んでいくことは相当辛い。

「休めば?」

でも、休んだら、その状態から一生脱せなくなりそうだ。なので弾く・・・というか・・・

このような状況で、スタン・ゲッツを聴く。

聴きながら、ただただ「そうだよね・・・」としか思えない。ただただ「演奏するしかないよね、どうなっても・・・」としか思えない。

スタン・ゲッツは、麻薬中毒に苦しんだ。ヘロインがらみで逮捕され、鉄格子の中でも暮らした。

「弱い人間なのね!自業自得ね!」

そうなのかもしれん・・・自業自得・・・

彼は癌に侵され、そして非常に苦しんだ。壮絶な人生だった。

それでも演奏した。だからこそ・・・と言うべきか・・・

彼は楽器で演奏していたというよりは、楽器が声になっていた・・・そう思う。

音楽が声になっていた・・・というか・・・

「そこまでして弾く?」

理由はないのだ。説明もできない。だからスタン・ゲッツを聴く・・・

kaz



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category: 秘曲

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あの日の音楽 

 

幼児期にテルおじさんに預けられ、そこで多くの音楽を聴いた。でも、あまりに僕は幼かったし、具体的な記憶はほとんどない。洋楽や歌謡曲を聴いていたのだけれど、記憶に鮮明に残ってはいなくても、その時に聴いた音楽の鼓動は覚えていて、今日の僕に影響を与えていると思う。

初めて音楽からの感動というものを自覚したのは、小学3年生の時。母の知り合いの医大生に、やはり預けられる形となり、そこで膨大な量の演奏を聴いた時だ。

「僕、音楽の話しかしないと思うんだ」・・・とHさん(その医大生)は初めに僕に言った。

「ピアノ習っているんだ。今何弾いているの?」「えーっと、バイエルの中ごろで、まだ弾けなくて・・・」「そうなんだ・・・ピアノは好き?」「うーん、よくわからない・・・」「どんな曲が好き?」「うーん、よくわからない・・・」

その日に聴いた演奏が僕にとっては決定的だったのだ。ピアノも聴いたけれど、ヴァイオリンや声楽曲を聴いた時の感動は今でも忘れられない。

ずっと音楽を聴いていた。

「音楽・・・好きなんだね?」「うん・・・」「素晴らしいよね?」「うん・・・」

夕刻に母が迎えにきたけれど、Hさんは「ねっ、まだ聴いていくよね、家で夕飯も食べていきなよ、kazくんは僕が送っていきます」と母に言った。「ご迷惑では?」「この子、本当に音楽が好きみたいですよ・・・」

そして、また音楽を聴いた。そして日付が変わる頃、「明日、学校でしょ?そろそろ送っていくよ・・・」

帰り道、僕はHさんに訊ねた。「なんでHさんは声楽家にならなかったの?」

Hさんの両親は医師で、家業を継がなければならなかったのだ。両親も無理強いはしなかったらしいけれど、でもそのような希望は持っていて、Hさんが医学の道に進むものだと思っていた。

「本当はね、歌・・・好きなんだ。でも医者になる運命なんだ。両親に条件を出したんだよ。医学部に合格したら音楽道楽するとね。聴いて聴いて聴きまくるとね。僕はそれでいいんだ・・・」

その日、ニコライ・ゲッダの歌を僕に聴かせながらHさんは泣いていた。ゲッダの声を聴きながらHさんの目に涙があふれていた。

「でも僕は本当は声楽家になりたかったな・・・でも、音楽があるということだけでいいんだ。それだけでね・・・」

その日に聴いたゲッダ・・・

この曲を聴くと、Hさんと初めての音楽との出逢いというものを想い出すのだ。

現在、Hさんは医師として活躍しております。

kaz



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category: 履歴書

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後光にではなく自分に問う 

 

久しぶりに「ピアノ教師」話題を書いたら、やはり反響(?)が凄い。メールの数が半端ではないです。

非常に考え込んでしまうのは、圧倒的にピアノのレッスンの目的を情操教育と捉えている先生が多いということ。メールから判断すると9割の先生がそのように思っている。

「ピアニストになるわけではないんです。音楽の楽しさを感じてもらう・・・それが何故いけないのですか?」「バリバリ弾けることよりも、子供なりの感性を育むことが導入期では大切なことです」「生徒のやる気を出そうと努力、工夫することがそんなにいけないことなんですか?」「ピアノという狭い範囲ではなく、もっと深い心の教育というものを私は目指しています」

個人的には、ピアノのレッスンで「子供のやる気」とか「生き生きと楽しそうに・・・」とか「心を育てる」などということを全面に出すということは、かなりユニークな指導方法だと思う。僕自身は、音楽というもの、そのものに子供の心を引っ張っていく力があると思っているし、楽しかろうが退屈だろうが、過去の遺産、伝統というものと子供の心の橋渡しをするのがピアノ教師の役目だと思ってしまうので。

大多数の先生が「瞳キラキラ」「やる気をださせる」「楽しいレッスン」というものになびくのは、ピアノのレッスンの目的を情操教育と考えているからなのかもしれない。

でも、さらに理由はありそうだ。「生き生きと・・・」「瞳を輝かせて・・・」というセミナーにワッと先生方が走るのは、そうではない現実が厳しく横たわっているからなのでは?「生き生きとしていない・・・」「瞳が輝いていない・・・」生徒が実は多いのでは?なのでそのようなセミナーに走り、なんとかしようとする・・・

「自分の指導方法がまずいのかしら?」「なんで練習しないのかしら?」「えっ、生徒が辞めない?えっ、すべての生徒が生き生きと楽しそうに?えっ?」みたいな感じなのでは?

ピアノのレッスンで、力点が「情操教育」に偏ると、「生き生き・・・」とか「笑顔のあるレッスン」というものが目的というか、使命となりがちなのではないだろうか?

本当に大切なのは、「音楽」なのでは?音楽や偉大な演奏にこそ、そしてそれを感じさせるように導くことが本当の「情操教育」なのでは?何故音楽そのものの力を信じないのだろう???

カリスマ教師の光は強いものかもしれないけれど、大切なのは、その光になびくことではなく、本当は自分は何をしたいのだろう・・・ということを見つめ考えることなのでは?

外に向かって情報やノウハウを得ようと焦るのではなく、今一度自分の内面に問いただしてみる・・・

「本当は自分は何がしたいの?」「生徒にどうなって欲しいの?」「自分にとってピアノとは?生徒にとっては?」

外ではなく自分に向かう・・・

たとえば「発表会成功秘術」・・・

本当に、あなたは生徒に合奏をさせたいの?劇をさせたいの?みんなで創りあげる共同体を目指したいの?生徒に裏方をさせてもいいの?本当は演奏に集中させたいのではないの?本当のあなたは演奏の厳しさをも生徒に伝えたいのではないの?

学習指導要領もなく、その先生のやり方を100パーセント反映させられるはずの個人のピアノ教室が、何故わざわざ学習指導要領を作成しようとするのか理解に苦しむ。

「素人の分際で何が分かるの?」・・・というメールも頂いています。たしかにレッスン内容のノウハウについては何も分かりません。でも音楽は感じられる・・・素人でも。

kaz



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category: ピアノ雑感

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45年ぶりの子守歌 

 

別のピアノの先生からのメールです。

「芸術音楽の素晴らしさというものですが、これは本来は大人になってから、あるいは成長してから感じられるものではないでしょうか?幼い子供は、幼い子供なりに美しさを感じる心はありますが、でもそれは大人が聴いて感動する感性とは異なるものです。まず生徒に音楽の楽しさを味わってもらう意味はそこにあるわけです。そのような楽しさの経験を積んで、成長して初めてクラシック音楽の素晴らしさに出逢うのではないでしょうか?子供には子供の感受性があり、それは大人のものとは違います。kazさんの考えは、大人の考えを子供にも押し付けているものだと思います。ピアノ教師が、まずは楽しさというものを生徒に感じさせる指導法で大切なのは、子供なりの感受性を尊重するということです。子供は音楽を聴いて感動するということよりも、身体を使って、リズムを感じたり・・・」

・・・と続いていくのですが、後半はリトミックについての重要性を解いた内容でした。

「リトミック」などと言われても、僕はそのような勉強をしたこともなく知識も皆無なので、「そうなんだぁ・・・」としか思えません。

僕はこの先生のメールを読んで、「2歳児や3歳児には大人のように、音楽を聴いて感動するということはできないのだ」という意味に解釈してしまいました。そうなんでしょうか?もちろん、3歳児がスクリャービンの和声進行を理解し分析し、「この曲の素晴らしいところは・・・」などと感じることはないのだと思います。

でも、3歳児が音楽(子供向けのアニメソングなどではなく)を感じている、その感情を表現することはなくても、心で音楽を感じ感動しているということもあるのではないでしょうか?

なんとなくメールの先生の考え方は、「子供=純真」「子供=無邪気」という大人が考える「子供というもののイメージ」を押し付けているのではないかと、逆にそのようにも思ってしまったり・・・

僕の両親はフルタイムで激しく働いていましたので、2歳頃から小学生になる頃まで頻繁にテルおじさんに預けられました。その時に多くの音楽を聴いています。実際におじさんがギターと共に歌ってくれたり、レコードを聴かせてくれたり。その時の具体的な記憶はありませんが、おじさんの遺品である「公園の手品師日記」を読むと、僕が幼い頃にどのような音楽を聴いていたのかが分かり興味深いです。

いわゆる「子供向け音楽」というものは一切聴いていません。おじさんは、僕に聴かせる・・・というよりも自分が聴きたかった曲を聴いていただけなのかもしれません。でも、僕が預けられた日に、おじさんが決まってかけるレコードがあったりして、やはりおじさんは意図的に僕に聴かせるという気持ちはあったのだと思います。その曲を聴かせると、僕が泣き止んでおとなしくなった・・・のかもしれませんが。

2~4歳の頃に聴いていた(おじさんが僕に聴かせていた)レコードがティノ・ロッシの歌うシャンソンのレコードです。どう考えてもティノ・ロッシが子供向けだとは思えませんが、でも今ティノ・ロッシの歌声を聴くと、なんというか懐かしさを感じます。メロディーや彼の声を覚えているわけではないのです。でも懐かしいと感じます。ティノ・ロッシの鼓動、曲の鼓動、そのようなものがとても懐かしい。そして、現在の僕がピアノを弾く時にも、ティノ・ロッシの鼓動というものが大きく影響しているような気もしています。

約45年前、僕はこの曲を聴いて育ったのだ・・・という確信さえ感じるほどです。それほど僕にとって「近さ」を感じるのです。

ティノ・ロッシの歌うルイジ・デンツァの曲。デンツァというと「フニクリ・フニクラ」くらいしか知らなかったので、このような曲も書いているのだと思うと嬉しくなります。

ティノ・ロッシの歌う歌は45年ぶりに聴く僕の子守歌なのです。たしかに、この感触、鼓動は覚えている。そして現在につながっている・・・そう思えます。

2歳児だって感動できるのでは?

kaz



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category: 昭和歌謡「公園の手品師」の日記

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永遠の25歳 

 

先日の記事に対して、あるピアノの先生からメールを頂きました。

「私は街のピアノ教師です。私自身、ピアノは嫌いではありませんでしたが、心を揺さぶられるようなとか、そのような経験を音楽で感じたことはありません。気づけばピアノを練習していて、そのまま音大を卒業したという感じです。学生時代は、ピアノ曲=試験曲でしたから、それは弾きこなすものであり、やはり感動するものという認識はありませんでした。卒業後、子供を教え始めて、もう20年近くになります。その20年の間も、指導法に関しては試行錯誤は繰り返してきましたが、やはり音楽や人の演奏から感動を貰ったという認識はなく今まできました。それでもいいのではないでしょうか?ピアノ教師の役目は、何も大袈裟に音楽の伝統とか大きく構えなくても、その生徒さんが、興味を持ってピアノに接してくれたりとか、いい曲だな・・・とか感じてくれたりとか、それだけでも素晴らしいことだと私は思うのです。生徒さんたちの笑顔を引き出すということもピアノ教師の仕事だと思います。楽しさを伝えるという役目もピアノ教師にはあるのですから・・・」

正直、このように思っている先生が多いのだとしたら、かなり寂しいと感じました。僕は、ピアノを教える立場の人が音楽というものに焦がれていて、その素晴らしさを伝えたいと思うからこそ、ピアノ教師という職業を営んでいると思っていましたから・・・

なにも日頃のレッスンで音楽や偉大な演奏の素晴らしさを熱っぽく語れとか、レッスン室でバッハやショパンの、コルトーやホロヴィッツの偉大さが飛び交う必要があるとか、そのようなことではないですね。

でも先生の心の中には、そのようなものに対する熱い想いがあって、「伝えたい」とか「将来は感じとってもらいたい」という意識があるのが普通なのでは?具体的にそのようなものを導入指導で盛り込むとか、そのようなことではないです。でも、ピアノの先生というものは、音楽に惹かれていて、それを伝えたいとか、自身が触れずにはいられないとか、そのように思っていると僕は思いたいです。理屈ではなく、そのようにしか思えないというか・・・

音楽を教える人が、音楽に焦がれていないなんて・・・離れられない、悔しさや苦しさと共存してまでも離れられないという強い憧れがないなんて・・・

音楽や演奏って、「楽しい」とか「笑顔」とか・・・それだけではないよね、という部分は音楽を習ったりしていない普通の人さえ認識していることではないでしょうか?

・・・と書いているうち、頭の中をシャルル・トレネの歌声が響きました。シャンソン歌手です。この人は、一度引退するんですね。「僕は40年もシャンソンにすべてを捧げてきたんだ。ほかにもしたいことが山ほどあるんだよ。例えば、本を読んだりとか旅行したりとか、あるいは何もしないとか・・・」

70年代でしたでしょうか?でもトレネは1987年に舞台に復帰します。

「歌手がステージを降りるのは聴いている人に見放されたとき・・・」そう言って復帰します。74歳の時です。

映像はトレネが80歳頃のものでしょうか?

やはり僕は、音楽というものに焦がれているから自らが演奏し、音楽に触れのだ、そしてそこまでさせるもの(音楽の伝統)を次の世代に伝承することがピアノ教師の役目だと思ってしまいます。

「僕はね、永遠に25歳なんだ・・・」  シャルル・トレネ



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category: ピアノ雑感

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伝統の伝承人 

 

ピアノの先生の役割って何だろう?

「音楽好きな子供に育てること」「目を輝かせ興味を持ってピアノに取り組める生徒を育てること」

大事なことだと思う。ピアノが、そして音楽が嫌い・・・となってしまったらピアノなんて辞めてしまうだろうから。

でも、これらのことが本当にピアノの先生の本当の役割なのだろうか、目的であり目標なのだろうか?

最近の(昔からか?)ピアノ教育で、とても不思議に思い、かつ違和感を感じてしまうのが、何故に導入期の教材研究、生徒の興味の持続ということばかり賑やかなのだろうということ。

「こんな教材があります!」「こんな指導法があります!」「こうすれば生徒は辞めません!」

これをマスターすることがピアノの先生の目的?外部から見ていると、そのように感じているピアノの先生は相当数存在しているように思えてくる。相当数・・・というより圧倒的多数???

生徒の興味を持続させるとか、ピアノの好きな子とか・・・ここが目標や到達点ではないはずだ。たんなる経過点であるにすぎないのではないだろうか?

そもそもが不思議なのだ。クラシック音楽というもの、偉大な演奏というものは、流行というものに左右されないものだ。動かず静かに横たわり、自分の真価を感じてくれるまで待っているというか・・・

なのに、導入の教材研究など、新しいものがいいものなのだ・・・とばかりに「これがいい」「これもある」と賑やかだ。セミナーも大盛況だしね。

これは、ピアノの先生が自分の役割を「音楽好きな子供を育てる」とか「ピアノで感性を育てる」などと思っているからなのだと思う。

ピアノの先生に問いたい。何故あなたはピアノの先生になったのですか・・・と。

目がハートになりピアノを愛し続けたから?弾いていて楽しいと思っていたから?

違うのではないだろうか?何故ピアノを弾き続け、練習を重ね、そして職業にまでしたのか?それは音楽から離れられなくなったからではないだろうか?音楽を聴き、心が動き、そして胸が苦しくなり、自分でも、その一部に触れたくなったから・・・だからピアノを弾き続け、それを職業にした・・・

その思いはアマチュアだって同じだ。音楽に触れていなければ(聴くだけではもうダメなのね)生きていけないのだ。でも僕のようなアマチュアが絶対にできないことがある。ピアノの先生にしかできないことがある。

それは「自分が魅了された偉大な伝統というものを伝承する」ということ・・・

自分自身が胸が苦しくなるほどに感じた音楽、演奏、それに触れたくて、その成り立ちを追いたくてピアノ教師にまでなった。そこまでに人を魅了してしまう伝統というものを、次の世代に伝えていくことが本来のピアノの先生の役割なのではないだろうか?

ピアノ教師と名乗り、一円でも金銭を生徒から受け取った、その時から、ピアノの先生は、次の世代に伝統というものを伝承していく義務が生ずる・・・

kaz



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category: ピアノ雑感

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感動をありがとう!!!!!! 

 

オリンピックが終わった。世間では、この言葉があふれている。

「感動をありがとう!」

僕は、この「感動をありがとう!」が苦手だ。何故なのだろう?なんだか背中が痒くなってくる。

「感動をありがとう!」が好きな人がいてもいいし、それが当然でもあるけれど、でもあまりに多くの人が「感動をありがとう!」と眼を輝かせながら言っているのはどうも・・・

ある競技で、日本人選手が銀メダルと銅メダルを獲得した。そのパフォーマンスが映像に流れ、選手の喜びのインタビューが画面に踊る。そして「感動をありがとう!」

でも、僕は思ったのだ。何故ニュースで金メダルを獲得した外国人選手のパフォーマンスを紹介しないのだろうと。

なぜ「感動をありがとう!」ではなく「なんで1位の選手が無視されるのぉ?」という声が世間ではあふれないのだろうかと。

僕は非国民なのか?石を投げられるのか?

あまりに多くの人が無批判、そして無邪気に同じことを感じたりしているのだと思うと、なんだか背中が痒くなるのだ。

「生徒の瞳をキラキラさせて・・・」「やる気のでるレッスン・・・」

なんだか「感動をありがとう!」と似ている。そう思う人がいてもいいのだ。でも、そう思う人ばかり・・・というのが困るのだ。

そう思わないと、「なにか自分は人と違うのかしら・・・」とでも思うのだろうか?人と違うことは素晴らしいことなのに・・・

僕は、「キラキラ」や「やる気」のレッスンよりも、上達させてくれるレッスンがいいな・・・

石を投げられるのだろうか???

kaz

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category: 未分類

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いいものを「いい」と言う勇気 

 

カーメン・ドラゴンとよく共演していたピアニストがレナード・ぺナリオ。もう所有していないのだけれど、子供の頃、ぺナリオとドラゴン共演のレコードは僕の愛聴盤だった。

カーメン・ドラゴンという、間口の広い偏見のない音楽家と共演するぐらいだから、ぺナリオ自身も間口の広いピアニストだったのであろう。僕がぺナリオに惚れる理由もそこにある。(それだけではないが・・・)

その愛聴盤だが、クラシックとポピュラーとの境目のような作品を演奏していたと記憶している。アディンセルの「ワルソー・コンチェルト」のような作品や、発表会用作品というか、通俗名曲というか、そのような作品は、僕の中では誰もぺナリオを超える演奏をしてはいない。

いくらぺナリオでも、例えば、悲愴ソナタの2楽章や月光ソナタの1楽章をオーケストラと共に編曲作品として演奏し、録音するのには勇気を必要としたのではないだろうか?基本的にはぺナリオはクラシックのピアニストだから・・・

でもやった。ぺナリオは、やった。

「いいじゃありませんか?やりましょうよ・・・」と実際にぺナリオが言ったかどうかはわからないけれど、でも勇気は必要だったと思う。「ムード音楽の演奏家」というレッテルが貼られる可能性もあるからだ。ポリーニやツィメルマンのようなタイプのピアニストだったら絶対に演奏しなかったと思う。シフとかも・・・

個人的には、アメリカのピアニストはもっと評価されてもいいと思う。それでもウィリー・カぺルのようなピアニストはそれなりに日本でも評価されていると思うけれど、本国との評価と比較して、レナード・ぺナリオというピアニストに対しての日本での冷淡な評価はどうだろう・・・というより、誰も知らないのではないだろうか?

間口が広かった・・・ここが理由の一つなのかもしれない。自身でも映画音楽を作曲したり、軽音楽とカテゴライズされる曲を演奏したりしていたから・・・

ぺナリオの編曲も、どこか間口の広さを感じる。超絶技巧なのだけれど、「凄いだろう?」という編曲というよりは、「素敵じゃない?」とでも言うような編曲に聴こえる。実際には、そのように聴こえるということで、弾くのは大変なんだけれど。

彼の演奏、「いいものはいいじゃありませんか?」と言っているようにも感じる。

kaz




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category: Leonard Pennario

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アメリカへ・・・アメリカで・・・ 

 

かつては(今でも?)日本の音楽教育はドイツの影響が強いと言われていました。それはそうなのでしょうが、たとえば「バイエル」という教則本は、たしかにドイツ生まれの教則本ですが、その歴史を調べてみると、ボストンという街の存在が大きく関わってくることに気がつきます。

伊沢修二とかルーサー・ホワイティング・メーソン、音楽取調掛・・・とその歴史を解いていくと、バイエル教則本は、ドイツからの直輸入ではなく、ボストン経由であったということが解ってきます。当時、ボストンのニューイングランド音楽院の教育課程でバイエル教則本がカリキュラムに組まれていなかったら、音楽院に楽譜の在庫がなければ、バイエルが日本に伝わっていなかった可能性が高いのです。

そのあたりの詳細は各自調べて頂くとして(いいのか?)、東海岸のボストンから西のカリフォルニアに飛びたいと思います。

アメリカの音楽界は、非常にロシアの影響が強いと言われています。それは二度の世界大戦というものが大きく影響しています。多くの音楽家がヨーロッパからアメリカに逃れたからです。その多くが、ユダヤ系のロシア人たちだった・・・ということが非常に大きい。もし、彼らがアメリカではなく日本に移住していたら、日本の音楽教育、音楽界、そして今日の日本人演奏家の演奏も大きく異なっていたのかもしれません。

ラフマニノフ、ホロヴィッツ、ロッテ・レーマン、ヤッシャ・ハイフェッツ・・・偉大な演奏家がアメリカに移住したという事実は大きいのですが、彼らのように有名な演奏家だけがアメリカに移住したわけではありませんでした。彼らのように有名ではなくても、非常に優秀な演奏家が活動の場を求めてアメリカに渡りました。有名・無名の移住組がアメリカのクラシック音楽の基盤を作り、そして支えたわけです。

カリフォルニアはハリウッド映画の中心地。その映画産業に関わっていた音楽家、移住組の音楽家がいました。彼らはスタジオミュージシャンとして、活動していました。

その優秀な演奏家をスカウトし、西海岸でオーケストラを作り、そして活動していた人がいます。カーメン・ドラゴンという指揮者、編・作曲家です。カーメン・ドラゴンがスカウトした演奏家たちは非常に高い演奏の能力を持ち、初見で演奏できてしまう人たちばかりだったといいます。

カーメン・ドラゴンが作ったオーケストラは「グレンデイル交響楽団」と言いますが、録音するレコード会社などにより、名前が変わりました。「ハリウッド・ボウル交響楽団」であったり「キャピトル交響楽団」であったりしました。また、ブルーノ・ワルターが指揮してクラシック作品を録音する時には、「コロムビア交響楽団」と名前を変えたりしました。非常に分かりづらいのですが、基本的にはカーメン・ドラゴンがスカウトしたスタジオミュージシャンたちで編成されたオーケストラです。

1950年代、東海岸ではルロイ・アンダーソンをボストン・ポップスが演奏していました。同じ頃、西海岸ではカーメン・ドラゴンが、自らスカウトした演奏家で編成したオーケストラを指揮し、自ら編曲した作品を演奏・録音し、その演奏は全米、そして世界に広まりました。

その作品は、ポップスあり、民謡あり、クラシックあり・・・と多彩でした。無理やりジャンル分けすれば「軽音楽」ということになるのかもしれません。でも、演奏していたのは移住したヨーロッパ人だったわけです。

アメリカの、間口が広い、無理にジャンル分けしないという空気は、その頃にはもうあったのかもしれません。

kaz



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ボストン音楽散歩 

 

ボストンは僕が留学していた街なので、とても懐かしいです。ボストンと音楽ですが、やはりボストン交響楽団が有名なのではないかと思います。留学当時、僕の下宿は、ボストン交響楽団の本拠地であるシンフォニー・ホールの裏にあり、近所にはバークリー音楽大学やニューイングランド音楽院などもありました。もちろん、留学中はピアノも再開していませんでしたし、多くのCDも日本に置いてきていたので、音楽を聴く時間、音楽を楽しむ時間は今よりも圧倒的に少なかったような気がします。でも、音楽院の学生の演奏や、ボストン交響楽団、ボストン・ポップスの演奏は日常的に聴いていました。

ボストンは大学の街。美術館も学生証を提示すればタダで入れる学生に優しい街でもありました。

シンフォニー・ホールですが、箱型の、とても素敵なホールです。音響の素晴らしさで知られていますが、雰囲気も素晴らしいです。サントリー・ホールの100倍は素敵なのでは・・・と個人的には感じます。

そのシンフォニー・ホールでチャイコフスキーのピアノ協奏曲が世界初演されたわけです。やはり歴史を感じさせます。

ボストン交響楽団とボストン・ポップスは、別のオーケストラだと思っている人も(日本人には)多いようなのですが、同じメンバーです。オフシーズンなど、軽音楽を演奏する時に、名前を変えるのです。僕も最初は知らずに聴いていましたが・・・

「やはりボストン交響楽団の方が技術は上だよね」などという人がいて(日本人です)、「そうなんだ・・・」と思っていたわけです。

ボストン・ポップスの昔の常任指揮者に、アーサー・フィードラーという人がいました。この人は、作曲家のルロイ・アンダーソンを見出した人でもあります。

ルロイ・アンダーソンは、ボストンの川向うの街、ケンブリッジで生まれ育った作曲家です。ケンブリッジはマサチューセッツ工科大学やハーバード大学のある、やはり学生の街で、ボストンからは地下鉄やバスですぐです。頑張れば歩いても行けますが・・・

ルロイ・アンダーソンは、教会のオルガニストだった母親から影響を受けたようです。父親は郵便局に勤めていた人で、音楽の専門家ではありませんでしたが、音楽好きな人で、家庭にはいつも音楽が溢れていたようです。

ハーバード大学とニューイングランド音楽院で音楽を学びますが、すぐに音楽家になったわけではありません。ハーバードの研究員として、言語学を研究していました。博士号も取得しています。およそ10か国の言語を研究していたそうなので語学の天才でもあったわけです。

母校ハーバード大学の学生歌を編曲した楽譜が、アーサー・フィードラーの目に留まります。「これはいい編曲ではないか!誰の編曲なのかね?」

アーサー・フィードラーは、無名だったルロイ・アンダーソンに「君は作曲もするのかね?どんどん曲を書きたまえ!才能がありそうだ!」

ボストン・ポップスの常任指揮者であるアーサー・フィードラーとの出会いが、作曲家ルロイ・アンダーソンを生みました。ルロイ・アンダーソンの曲は、親しみやすく、美しいメロディーに溢れていました。ボストン・ポップスのレパートリーとしても定着し、全米の規模で、そして世界的な規模でルロイ・アンダーソンの曲は広まっていきました。

ボストンのシンフォニー・ホール、チャイコフスキーが初演され、そしてルロイ・アンダーソンの作品が演奏された・・・

ボストンに住んでいた時に感じたのは、音楽好きな人の間口が広いというか、クラシックとかポピュラーといったジャンル分けをしない空気があることです。そこがとても羨ましいと思いました。

「いいものはいいのではないですか?なぜ分ける必要があるのですか?」

・・・という空気でしょうか?これは一般の音楽好きの聴衆もそうなのですが、演奏する側からも感じます。ボストン交響楽団とボストン・ポップス、アーサー・フィードラーやルロイ・アンダーソン・・・

アーサー・フィードラーの後任でボストン・ポップスの常任指揮者になったのがジョン・ウィリアムスです。彼は映画音楽の巨匠としても知られていますが、彼がボストン・ポップスを指揮してルロイ・アンダーソンを演奏する・・・歴史を感じるといいますか、垣根のなさを感じるといいますか、とても羨ましいといいますか・・・

直行便もできたようですし、「ボストン」を訪れてみては?

kaz



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自分 

 

レッスンに通う、そして先生からの注意点に留意して一生懸命に弾く・・・

セミナーに通う、そして与えられたノウハウをレッスンに生かす・・・

両者に共通して無いもの・・・それは「自分」というもの。「自分はどう弾きたいのか?」「自分は何を伝えたいのか?」という強い想い・・・それが無い。

「自分」の考えを強く持つと、時には思い違いもあろう、見当違いのこともあろう、遠回りすることもあろう、でもそれでいいではないか。

今回のオリンピックでのフィギュアスケート、僕が最も嬉しかったのは、女子シングルでコストナー選手がメダルを獲得したこと。この選手は、非常に長いトンネルの中を彷徨い、耐え、そして抜け出した選手だと思う。オリンピックに出場した選手は、皆そのような道を辿ってきていると思うが、彼女は「自分のスケート」「自分の表現したいもの」というものを守ってきた選手のように感じるのだ。

カロリーナ・コストナー選手が注目されたのは、2005年の世界選手権で3位になった時。スムーズで流れと高さのあるジャンプ、スピード感あふれる演技に驚いたものだ。

「母国でのオリンピックでは金メダルへのプレッシャーに負け、バンクーバーでも惨敗。だから今回のオリンピックでは自分自身が喜びを感じながら滑ること、そして母国のみんなを笑顔にすること、幸せな気持ちで家に帰るということ・・・そのことを大事にしたいです」

2005年のワールドで銅メダル、期待されたトリノでは9位・・・

2010年のバンクーバーでは16位・・・

「カロリーナのスケーティングは美しく、そして素晴らしい。でも試合で脆さが出る」

そう言われ続けてきた。メディアも、彼女の精神力の弱さを指摘し、そして攻撃する。

バンクーバーの後で、「やる気があるのか?」とか「アスリートとしての闘争心が欠如しているのでは?」など、彼女に対しての厳しい、そして無責任な記事が多く出たと記憶している。

「まぁ、カロリーナは、いつものように自爆するだろうけど・・・」という表現も目立った・・・

彼女が変化したのは、バンクーバー後のこと。翌年の世界選手権で、再度3位になった。以後、今回のオリンピックを含め、世界選手権では毎回表彰台に乗っている。2012年には金メダルを獲得し、イタリア人選手初の世界チャンピオンにもなっている。

「ダンサーが舞台でしていることが好き。メダルのために戦っているのではなく、ダンスをするのは、それが好きだからで、それで何かを伝えたいから・・・」

何が彼女を安定させたのか?なぜ精神力が強化されたのか?なぜジャンプで自爆しなくなったのか?

もしかしたら、コストナー選手は、闘争心あふれるアスリートというよりは、ダンサーだったのかもしれない・・・決して、自分にとっての大事なスケート、表現したいというスケートというものを捨てなかった・・・なんて思ってみたりもする。

彼女の演技は美しい。ジャンプで失敗した時でも、無難に滑った時でも、共通して感じる美しさがある。それは「自分がスケートで表現したいもの」という彼女なりの想いなのではないか、それが美しさとなって表現される。ぶれない自分の想いというもの・・・それを彼女の演技から感じる。

自分というものを捨て、無色透明にし、ただ吸収するだけ・・・ここから何が生まれるというのだろう?

「氷上で数学をして点数を数えたいのか、それよりもなにか、より大きなことをしたいのかは、もう私たちスケーターにかかっているのではないかしら?」  カロリーナ・コストナー

彼女が世界選手権で金メダルを獲得した時の演技・・・

やはり「こうしたい・・・」「こう滑りたい・・・」「こう表現したい・・・」という「自分」を感じる。



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category: The Skaters

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人前での演奏をどう捉えるか 

 

複数のピアノサークルに所属していたりすると、結構人前での演奏機会というものは多かったりする。多分、一般的にはアマチュアの人の方が、ピアノの先生たちよりは、演奏の機会、ある程度(物凄く?)緊張してピアノを演奏するという場は多いのかもしれない。

そのような演奏の場、それをどう捉えるかは、もうその人次第だと思うけれど、月に4回も5回も人前での演奏機会がある・・・という人は別として、2か月に一回とか、3か月に一回という頻度でサークルで演奏する場合は、人前での演奏というものは、その都度貴重な体験なのではないかと思う。

ここで考えてしまうのが、バランス感覚。

「日頃の練習の成果がどれだけ出せるか・・・」「自分の精神力を試そう!」「真剣勝負だわ!」

サークルでの演奏の場というものを、ある程度(かなり?)真剣に捉える・・・

でも、あまりに自分に厳しすぎても、「ピアノを楽しむ」という感覚からは遠くなっていってしまう。真剣勝負で挑んで、自分なりに納得できればいいけれど、そうはならないことが多い。緊張しますからねぇ・・・

「自分はまだまだなんだわ・・・」「他のメンバーは、あんなに弾けるのに・・・なんで自分は失敗ばかりなんだろう?」

「辛いわ・・・もうサークルなんて辞めようかしら?ピアノなんて辞めようかしら?」

こうなってしまうと、非常に勿体ない。

でも、反対に、あまりにリラックスしすぎというか、「譜読み中なんですけど・・・」「てへっ・・・たくさんミスっちゃったぁ・・・」という演奏を繰り返し、「ピアノは楽しむものだから・・・」と開き直ってしまうというのも残念なような気はする。

「あなたは本当に自分で表現したいという世界はないのですか?」

ピアノを弾きたい、人前で演奏したい・・・という動機のある人は、自分なりの「理想の演奏」「表現したい演奏像」というものを持っているものではないだろうか?

そのような意味で、人前での演奏というものは貴重なものだとも思う。

「緊張する」「緊張して失敗する」ということを、あまりに怖がる、そしてその結果「楽しみを阻害するもの」と捉え、必要以上に「普段着演奏」に価値を見出す・・・

勿体ない・・・

要は、バランス感覚を自分なりに上手く保つことが重要なのではないかと。楽しみつつも、やはり自分なりの課題の克服、能力の向上というものは意識していく・・・

「真剣に!」と「楽しむ!」ということのバランスを上手くコントロールしていく・・・

まぁ、そこが難しいのですが・・・

ところで、海外では日本のようなサークルというものはあるのだろうか?

多分あるのだと思うけれど、真剣に調べない限りは、その情報は入ってこないし、あまり調べたいという欲求もないので調べてはいないのだけれど、とても「いい感じ」の演奏集団(?)の映像を発見した。アメリカ西海岸、カリフォルニアのサンノゼに集まった、アコーディオン愛好家のサークル・・・

もしかしたら、この人たちはプロの集団なのかもしれない。でも、あえて詳細は調べずに、この人たちの演奏を「理想のサークルでの演奏」という感じで自分で捉えてしまいたいとも思う。

自分の人生に、この人たちのような形で演奏(あえて音楽とは言わない)をとり入れていけたら、本当にいいな・・・

そう思った・・・

kaz



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category: サークル

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アンテナ 

 

常に自分の中にアンテナを張り巡らし、そしてより良いものを吸収できるように、最新の情報や指導法を得られるようにしておきたい。

僕だったら、こんな先生はイヤですね。

アンテナ・・・必要ではない・・・なんて思わないけれど・・・

僕は、アンテナを張り巡らせている先生よりは、自分の心の声に忠実な先生がいい。自分に自信を持っている先生がいい。ぶれない先生。

お金を頂いているということの自覚が少ない先生はイヤだ。勉強熱心ということと、自分に自信を持つということは両立できるはずだ。

kaz

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category: ピアノ雑感

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「ミスター・ロンリー」 

 

こちらが、オリジナル「ミスター・ロンリー」、ボビー・ヴィントンのバージョンです。

レターメンのハモリもいいですが、このボビーのソロもいいですねぇ・・・

もちろん、当時(僕が生まれる前だったかと)は大ヒットしたらしいです。

それにしても、ボビー・ヴィントンを知っていて、そして懐かしく感じる人って多いのだろうか?あまり知られていないのかなぁ?

歌い方・・・好きだなぁ・・・

kaz



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category: The Singers

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長調は明るい?哀しい長調もあるのよ・・・ 

 

レターメンでは、「ミスター・ロンリー」という曲も好きです。この曲は、長調ですね?一般的に、長調は明るい・・・などと書かれたり、言われたりしていますが、そのまま「長調」=「明るい感じ」とか「短調=暗い、哀しい感じ」なんて教えている先生もいたりするのでしょうか?まさかいないとは思いますが・・・

もっとも、小学生の時に、バイエルも弾けないのに、「サザエさん」の主題歌を短調にして弾いたりして遊んでいた記憶はありますが・・・

「ミスター・ロンリー」は長調なので、曲だけ聴くと、やはり「明るい曲」なんですかね?歌詞は哀しいです。なぜここまで哀しいのだろう・・・と思わせるほど哀しい歌詞です。歌詞の内容を知るから、長調の曲なのに哀しく感じるのでしょうか?

やはり「長調」=「明るい感じ」なんでしょうか???

「ミスター・ロンリー」・・・このレターメンのバージョンは、実はカバーです。オリジナルは、ボビー・ヴィントンです。ボビー・ヴィントンの「ミスター・ロンリー」も素敵なんですよね。でも、今回は歌詞が掲載されているので、レターメンのバージョンで・・・

kaz



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category: 秘曲

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憧れの灯 

 

僕が洋楽にハマったのもテルおじさんの影響だと思います。小学2年生の頃でしたか、その頃はテルおじさんとは、正月とか夏休みぐらいしか会うことはなくなっていましたが、たまに会った時には、やはりギターを弾きながら歌ってくれました。ほとんどが、テルおじさんの敬愛していたフランク永井の歌だったのですが、たまに洋楽を英語で歌ってくれました。

おじさんが、レターメンの「ビコーズ」という曲を歌ってくれた時に、僕の中に「微風」が吹いたのを今でも覚えています。それほどに鮮烈な印象でした。たまに歌ってくれる洋楽も、しっとり系のクルーナー・スタイルの曲が多かったので、この「ビコーズ」は、爽やかな感じがしたのだと思います。

僕の「アメリカへの憧れ」「異国への憧れ」・・・その灯が灯った瞬間が、テルおじさんの「ビコーズ」を聴いた時なのかもしれません。

「レターメンという3人組だな!ビコーズだな!」と、駅前のレコード店に行きましたが、大型の店舗ではなかったためか、レターメンの「ビコーズ」はありませんでした。もう少し大きなレコード店で、やっとレターメンの「涙のくちづけ」という曲のドーナツ盤を見つけて購入しました。この曲も好きでした。でも、「ビコーズ」がやはり好きだったんですねぇ。LPで、やっと「ビコーズ」を聴けたのは、高校生の時でした。テルおじさんは、もう亡くなっていましたが、自分で購入したレターメンのLPを聴きながら、おじさんを想い出して泣いてしまったことを覚えています。

「ビコーズ」・・・明るい、爽やかな曲ですが、僕にとっては、少しだけ哀しく懐かしい曲でもあります。そして、アメリカへの憧れを最初に感じた曲でもあります。

kaz



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category: 昭和歌謡「公園の手品師」の日記

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ルーツ 

 

今日は、病院の検査後に、有楽町にある「有楽町で逢いましょう」の歌碑を見に行きました。思えば、まだ入院中の時に外出許可をもらって、この歌碑を見に行ったのでした。その時は、わずかな距離を歩いただけで具合が悪くなってしまいましたが、電車で往復し、仕事もしてくる体力にまで回復はしたんだなと、なんだか嬉しくなりました。

ピアノライフは、まだ回復・・・とまではいかないですかねぇ。22日のプログラムも、通しては弾けないです。弾いていると、動悸がしてきて、しばらくソファーで横にならないといけない。横になって、空を見上げながら、「本番では通せるかな?一発勝負だな」などと思ったりしています。

でも自分の気持ちを落としてもいけないので、やはり回復はしているのだと思いましょう。

入院中、そして退院後は、テルおじさんの「公園の手品師日記」と、そこに記載されている歌謡曲や、洋楽に助けられた感じがしています。思えば、僕は、そのような音楽を聴いて成長したんだな・・・と、新たに自分の音楽のルーツについても考えたりしています。

小学3年生の時に、ある医大生と知り合い、多くのクラシック音楽を紹介されました。往年の演奏家による古い録音のものがほとんどでした。この影響は、今でもあると思っています。「コンクールで優勝!」とか「話題の若手!」などの演奏家には、全く興味がないのも、この時に聴いた演奏家の影響が大きいのではないかと思います。当時聴いた演奏は圧倒的な演奏に思えましたし、今でもそう思っています。

それとは別に、基本的、根本的な僕の音楽的なルーツは、それよりも以前の幼少期、つまりテルおじさんと過ごし、そして聴いた音楽なのではないかと感じるようになりました。クラシックではなく、歌謡曲とか古い洋楽とか・・・

特に、クルーナー唱法の歌手の影響を感じたりします。聴いていた時期が、あまりにも幼い頃だったので、具体的な演奏や歌唱の記憶はないですが、それでも、今の自分のピアノと、当時聴いていたクルーナー唱法の歌手の歌い方に、なにかしらの共通点があるような気はします。少なくても、自分は、そのようなものに憧れは持っている・・・

ビリー・エクスタインの歌唱も、具体的な記憶はありません。でも、小学校の中学年になった時に、テルおじさんが、ビリー・エクスタインについて熱く語ってくれたのは覚えています。

「この人は、大変苦労した人なんだよ。昔のアメリカでは黒人は差別されていたんだ。この人は、とても素晴らしくラブソングを歌う人なんだけれど、黒人だったんだ。その甘い声に、白人女性が惹かれてしまう、つまり黒人の歌うラブソングに白人が惹かれてしまうということがいけないことだったんだ。なので、この人にとってレコードを出したり、人前で歌うことは大変なことだったと思う。道化のようなユーモラスな歌だったらよかったんだと思うけど。あるクラブで歌う時に、その店の人から、黒人は裏口から入れと怒鳴られたことがあった。この人は正面から入ってしまったんだね。で、この人は、その白人の店の人を殴ってしまい、そのクラブはクビになってしまった。でも、この人は、理不尽な事があると、相手が白人でも黙ってはいられない人だったんだよね・・・」

テルおじさんから聞かされたこのエピソードは、よく覚えています。でも「この人」が誰かということは、忘れてしまっていました。その腕っぷしの強い、そして誇り高い「この人」がビリー・エクスタインだということを知ったのは、最近のことです。

テルおじさん所有だった、古い古いビリー・エクスタインのレコードを聴きながら、「誇り」とか「自分の音楽のルーツ」とか・・・考えています。

kaz



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category: 昭和歌謡「公園の手品師」の日記

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小さな愛の瞬間 

 

アルフォンシーナ・ストルニのように、命を自ら断ってしまうというのは、なんとなく理解はできる。

精神的に、走り続けることに疲れてしまうんですよねぇ・・・

「何か成し遂げなければ・・・」「有限性のある残りの人生を有意義に生きなければ・・・」「生きることの価値って?」とか・・・疲れてしまう。

でも、心を楽にしてしまうと、自分の中で癌細胞が増殖している・・・という事実、あるいはイメージに圧倒されてしまう。その事実と対面しなければならなくなる。自分にはその強さがない・・・

でも、ふとした瞬間の人間同士の愛・・・のようなもの、そのへんの生活や人生の片隅に転がっているような、小さな「愛の瞬間」のようなもの、これがあるから人生を生きていられる・・・

そんなことを想ってしまうようなビデオ・クリップがある。

スペインのポップスって日本では、ほとんど聴かれないと思うのだけれど、僕の好きなスペインのシンガーソングライターに、アレックス・ウバゴという人がいる。僕のCDには訳がないし、僕はもちろんスペイン語は全く理解できないので、歌詞の内容は理解せずに聴いたり、そしてビデオ・クリップを観たりしているのだけれど、この映像には、「小さな、でも大切な愛の瞬間」というものが表現されていると思う。

このような瞬間があるから生きていられる・・・そう思う。

人生の中の、ほんの一瞬、この一瞬があるから生きていられる・・・

kaz



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category: The Singers

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甘い囁き 

 

子供の頃聴いていたダリダのレコードでは、やはり「ふたりの天使」が一番好きでした。

今の若い世代の人は、もしかしたら知らないのかもしれませんが、昔、レコードというものには「帯」というものがあり、その帯に、そのレコードの「売り」が書いてあったりしました。

ダリダのレコードの帯、遠い記憶ですが、「甘い囁き~ダリダ 愛を歌う」だったような気がしています。

当時は、やはり「ふたりの天使」が好きで、「甘い囁き」を聴いていた記憶はあまりないのですが、今聴いてみると、この「甘い囁き」もいいですねぇ・・・

アラン・ドロンとのデュエット・・・という売りだったように記憶していますが、正確にはデュエットとは違うのではないかと思ったりもします。アラン・ドロンは、曲の中では囁いているだけですから・・・

僕よりも、上の世代の方は、この「甘い囁き」は、とても懐かしいのではないでしょうか?そして思うのです。「昔はいい曲がたくさんあった・・・」と。

僕も「そうだよね・・・」と思います。

kaz



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category: 秘曲

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美しくも哀しい人 

 

「ふたりの天使」は、やはりダリダの歌唱がいいです。懐かしいといいますか・・・

やはり子供の頃聴いていたからだと思います。小学生ながら、このダリダという人は、大変に美しい人だと思っていました。

華やかな美人・・・という印象でしたかねぇ・・・

ダリダは、その美貌を生かし、女優としても活躍した人です。でも、あくまでも本人は歌手として生きていたようです。その美しい美貌にもかかわらず、というか美しい美貌のため・・・というか、華やかなスターとしての外面とは異なり、私生活では哀しい人生を送っていた・・・

たしか、ダリダは睡眠薬を多量に服薬して自殺してしまったのではないかと記憶しています。

kaz



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category: The Singers

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CDを参考にしますか? 

 

自分が演奏する曲、CDの演奏を参考にすることはよくあります。でも、たとえばグラナドスの曲を弾くのだったら、原曲のピアノの演奏を聴くということは、ほとんどないです。「ゴイェスカス」を弾くのだったら、普通はデ・ラローチャなどのピアニストのCDを聴いたりする人が多いのではないでしょうか?

僕の場合は、ラテンの曲を弾く時には、その他のジャンルのCDを聴いたりすることが多いです。フォルクローレ系の歌手のCDを聴いたりとか・・・

今は、タニア・リベルターのCDを聴いたりしています。

日本ではフォルクローレ系の歌手の知名度が高くないので、そこが残念です。

タニア・リベルターの歌声を聴いていると、何故かクラシックのピアニスト、スティーヴン・ハフの言葉が思い浮かんできます。

「絶えず音楽に感情をかきたてられないような人が演奏をしているのだったら、その人は完全に職業を間違えている」 スティーヴン・ハフ

リベルターが歌っているのは「ふたりの天使」という曲ですね。この曲は、子供の頃、ダリダのレコードが家にあり、そのレコードをよく聴いていた記憶があります。

kaz



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category: 好きな曲・好きな演奏

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お笑いピアニスト 

 

舞台とは、本番とは真剣勝負で挑むもの・・・

・・・なんだろうが、楽しんでもいいよね。音楽は楽しんでもいいと思う。聴いている人が楽しむような舞台、意外とないのでは?

海外では、割と「お笑い系」の演奏家というものがいたりする。日本人の演奏家でも、ユーモアあふれるステージを作る人は(非常に少ないが)いるけれど、それを本職としているような演奏家はいるのだろうか?

ヴィクター・ボーグというピアニスト、この人は、アメリカでは非常に有名な「お笑い系」のピアニストだ。祖国(デンマーク)がナチスに占領されて、アメリカへ逃れたピアニスト。移住した時には、彼は全く英語を話すことができなかったそうだ。所持金の20ドルだけを持って、デンマークからアメリカに渡った。まさしくゼロから出発した人だ。

このような人を本当の「プロ」というのではないだろうか?

kaz



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category: ピアニスト

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ピアノで哀しい一生を表現できるか? 

 

ピアチェーレの演奏会で、僕としては「冒険だな・・・」と感じている曲が、アリエル・ラミレスの「アルフォンシーナと海」だと思う。冒険というよりは、無謀とか野望、そして願望という言葉が近いかもしれない。

昔から大好きな曲で、メルセデス・ソーサの圧倒的な歌唱が、やはり最高なのかと思うけれど、ギターの編曲も素晴らしいものがある。今までこの曲をピアノで弾いてみたいと思ったことはなかった。そのような発想そのものがなかった。「アルフォンシーナと海」は、聴く曲として僕の中には存在していたのだ。でも、編曲された楽譜が存在し、そして演奏することのできるギタリストを羨ましく思ってはいた。

ピアノの楽譜は、あるのかもしれないけれど、僕は知らない。このような場合、編曲の才能があれば、自分でピアノ用に編曲して演奏できるのだと思うけれど、僕にはそのような才能はない。なので、この曲をピアノで弾くという発想にはならなかったのだ。これは、普通の感覚なのではないかと思う。

あまりクラシック畑の人には馴染みがない人なのかもしれないが、フォルクローレを歌う、タニア・リベルターというペルーの歌手がいる。この人の「アルフォンシーナと海」は、まさに女性、それも哀しい女性の人生を表現しているように思える。この人の歌を聴いて、無性に「弾きたい!」と思ったのだ。

正確には「ピアノで哀しい人生、哀しい一生を表現したい!」と感じたのだ。

ピアノの楽譜は所有していないので、ギター譜からピアノ用に自分なりに変えて弾いてみようかと・・・

「編曲」なんて言葉は使えないと思う。ギター譜にはメロディーもハーモニーも(基本的には?)記載されているので。でも、ギター譜そのままではピアノで演奏するのは難しいので、ある意味では編曲ということになるのかもしれない。ギター譜を参考に、適当にピアノでつまびく・・・という感じだろうか?

でも、僕にとって、ギター譜で演奏するということは初体験であるし、無謀な挑戦、野望、そして願望ということになると思う。

アルフォンシーナとは、詩人アルフォンシーナ・ストルニのこと。この詩人は、癌を患い、そして心を患い、「自分は孤独、自分は乳癌、自分は化け物・・・そして自殺」という内容の最後の詩を残して、実際に入水自殺をしてしまう。

「哀しみと沈黙の孤独な道を通り、彼女は広い海の底に旅立った。声のない哀しみの孤独な道は泡の中に消えた。どんな痛みが、あなたの声を黙らせたのか・・・あなたは身を横たえる。暗い海の底に。巻き貝の歌う歌・・・」

歌詞の大意。なんとも哀しい詞であり、哀しい曲。

タニア・リベルター・・・この人の歌を聴いて、「この曲」というよりは、「哀しい人生」というものをピアノで表現できたら・・・などと思ってしまったわけです。

kaz



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category: The Singers

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「クラシック鎧」 

 

ある日本人のピアニストが、アンコールでトークを交えたら、専門家筋から大目玉だったそうだ。もう昔の話なので、現在では異なっているのかもしれない。状況は変化しているのかもしれない。でも、「クラシック音楽は、余計な情報など言葉にせず、音楽だけで語るものだ」という考えは今でも根強いのではないだろうか?

曲にもよると思う。リストのソナタやベートーヴェンの後期のソナタを弾く前に、ベラベラとトークを交えて、空気を緩ませてしまうのもどうかと思う。でも、そのような空気が必要な曲はクラシック音楽にだって存在するのでは?そのような曲にまで「クラシックの鎧」をつける必要もないだろうと思う。

「いかに観客(聴衆)に楽しんでもらうか?」という観点は、クラシック以外の音楽のコンサートでは、ごく普通だと思うのだけれど、クラシック音楽の演奏会の場合、そうである必要のない曲までにも「厳粛さ」「高尚さ」のような鎧が見えてしまうことがあるので、少し残念な気もしてくる。

残念ながら、クラシックの演奏家、特に日本人の演奏家に「クラシックの鎧」を感じることが多い。ピアニストは、「クラシックの鎧」の他にも「不必要な入魂」も感じる時がある。コンクールなど、入魂しないと入選しない・・・みたいな雰囲気を感じてしまう。

楽しんで、楽しませていい曲・・・というものもあると思うんだけどなぁ・・・

kaz



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category: 未分類

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本番でやりたいことって? 

 

昨年のピアチェーレの演奏会、自分なりに頑張った。「良かった!」と言って下さった方もいて、とても嬉しい。と同時に、昨年の演奏会が終了してから、正確には、自分が弾き終わった直後に、「来年はこうしてみたい」という漠としたものが浮かんだ。それは、頭の中でさえ明確になっていなかったのだけれど、やっと最近になって、形として浮かんでくるようになった。

クラシックの演奏会、特にアマチュアの演奏会では多いのかもしれないけれど、演奏者が練習を積み重ね、その成果、そしてベストを本番で出そうとするあまりに、ややもすると、演奏者だけの自己完結に終わってしまうような演奏。聴いている人、会場との一体感に欠けるような演奏、それが完成度を伴ったものであったとしても、「それは嫌だな・・・」と。

「自分がどう弾けたか?」よりも「聴いている人がどう感じたか?」

そのようなことは、プロが考えればいいことなのかもしれないが・・・

でも、緊張した面持ちでピアノの前でお辞儀をし、とにかく懸命に弾き、演奏が終わると、ダダダ・・・と舞台袖に引っ込むというだけという印象のステージにはしたくないなと。

「上手かったね・・・」ではなく「良かったよ・・・」という感じ?それも演奏が良かったではなく、いい曲だったと感じてもらいたいというか・・・

自分が曲を選曲する理由は、その曲に惹かれているからだ。その「惹かれている要素」を聴いている人と共有したいというか、「ねっ、ねっ、この曲いいでしょう?」という部分を分かち合いたいというか・・・

今年のピアチェーレの演奏会では、トークを交えて演奏してみようかと・・・

絶対に「ひたすら演奏に集中したほうが弾きやすい」とは思う。僕はトークが苦手だし。まだピアノのほうが緊張しないと思う。でも、登場して、なにやら弾いて、そのまま退場・・・というだけのステージにはしたくないんだな。

僕の理想のステージ、いくつかあるけれど、このデニス・グレイヴスのサロン・コンサートもその一つ。彼女のようなオペラ界のスターが、このようなステージで歌っているということは驚きではある。歌いにくいステージだと思う。ホテルでのコンサートで、床には絨毯が敷きつめてあるし、ピアノもフルコンではない。でも、なんて素敵なステージなのだろうと思うのだ。

そして思う。「きっと聴いている人は微笑みながら聴いているんだろうな・・・」と。

「共有」というものがあるな・・・とも思うのだ。演奏者と曲との共有、演奏者と聴き手との共有、曲と聴き手との共有・・・

kaz



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category: あっぱれ麗し舞台

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真に充実したピアノライフ 

 

ピアノには名曲が沢山あるわけですから、その名曲を弾くことだけでもピアノライフを満喫することはできるのかもしれません。

でも、いつのまにか「弾けない!」「弾きこなさなくては・・・」「練習しなくては・・・」「ああ・・・失敗・・・ああ・・・崩壊・・・」というだけのピアノライフになっていってしまう。

本来感じていたはずの純粋な憧れのような気持ちをキープしたまま、その曲を練習していくのは、かなり難しいとこの頃は思います。

それがクラシックのピアノの宿命・・・なのか???

以前紹介した「ユーチューブの人」ですが、この人は、本当にピアノが好きなんだな・・・と聴いていて感じます。そして、驚くべきことに、この「ユーチューブの人」は、自分で編曲もしているんですね。

暗譜で弾いているので、凄いな・・・と思ってはいましたが・・・

真に充実したピアノライフなのではないかと想像します。

kaz



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category: ピアノ雑感

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編曲 

 

昔は、というより、割と最近までですが、僕は音大という専門機関で勉強した人は、全員が編曲や作曲ができるものだと誤解していました。もちろん、ピアノ科の人も・・・

演奏というものを考えた時にも、そこには個人の能力の差、演奏力の差というものがあるように、作曲や編曲の能力にも個人差はあるものの、基本的には、そのようなことは全員ができるものだと思っていました。

「教材や発表会の曲選びに苦労している・・・」

「教材を探しに行ってきました・・・でもいいのが見つからなくて・・・」

不思議だったんです・・・

「なんで先生方は自分で作曲したり編曲したりしないんだろう?」と。

僕は、そのような才能がないので、楽譜がなければ曲を弾けませんが、それは専門的に勉強していないアマチュアだからで、音大卒の人は、そうではないのだろうと・・・

ラテンの曲が好きだと、よくピアノ以外の曲を聴いて、「ああいい曲だ。弾いてみたい!」と思うことがあります。この場合、僕は楽譜を探すしか道はないわけです。もし、自分で編曲できたら、どんなに素晴らしいだろうと想像するわけです。ピアノ以外のラテンの曲とか、あるいはクラシックではないラテンの曲でも、ピアノ用の楽譜を見つけることはできたりしますが、その場合、その編曲を自分が気に入るとは限らない・・・という問題が残ります。

容易な編曲になっていたり、編曲そのものにセンスがなかったりとか・・・

自宅で、耳コピをしたり、あるいはギター譜などから、僕でも自分で弾いて楽しむことはできます。曲そのものは味わうことはできるわけですが、「編曲」の才能や知識はないので、自分の気に入るような「作品」として自分で弾いて楽しむことはできません。

「ああ、編曲ができたら・・・」といつも思います。

カルロス・ガルデルの「想いのとどく日」とか、自分で編曲して弾けたらいいのに・・・

レオポルド・ベタンコートという日本では全く知られていないベネズエラのピアニスト、この人は、多くのピアノ以外のラテンものを自ら編曲して弾く人です。

このような才能・・・本当に羨ましいと思います。

kaz



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category: ピアノ雑感

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理解不能な才能 

 

ソロで凄い曲を凄く弾く人を凄いとは思う。それは普通に思う。

でも、自分には絶対にできないと思うのがピアノの弾き語り。歌い、そして同時に弾く?

理解不能だ。たとえば、このような場合、歌に集中しているのだろうか、ピアノに集中しているのだろうか?それとも両方?だとしたら、どうして同時に二つのことができるのだろう?

kaz



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category: あっぱれ麗し舞台

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偉大なる渡り鳥 

 

ラテン音楽に惹かれれば、必ず行き当たるのがカルロス・ガルデル。彼はタンゴ歌手であり、作曲家であり、また映画俳優でもあった。タンゴを世界に知らしめた功績は非常に大きいと思う。アルゼンチンでは今でも国民的英雄扱いなのだという。

ガルデルの代表作は「想いのとどく日」そして「わが懐かしのブエノスアイレス」だと思うけれど、おそらく日本で最も知られているガルデル作品は「ポル・ウナ・カベサ」(首の差で)なのかもしれない。

ガルデルは競馬好きだったそうで、この歌も競馬に関連した歌詞がついている。作詞は、いつものようにアルフレード・レ・ペラ。

この部分の歌詞が好きなんですよね。

「命を千回なくしたって私はかまわない。それがなくて何の人生!」

ガルデルのあまりの活躍ぶり、多忙さにアルゼンチンの人々は、彼のことを「偉大なる渡り鳥」と呼んでいたそうだ。世界を舞台に活躍していたから。

しかし、彼は人気絶頂期に飛行機事故で亡くなってしまう。44歳だったそうだ。コンサートのギタリストとして参加していたアルフレード・レ・ペラも同じ飛行機に同乗していて、やはり亡くなってしまったのだそうだ。

kaz



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category: The Singers

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想いのとどく日 

 

雪になると想い出す、かつての恋愛・・・僕も若かったです。

今では、恋だの愛だのとは無縁の、枯れた生活をしていますが、一応、僕にも恋愛やら失恋はありました。

アメリカにいた頃に燃え盛った恋。でもお互いの国籍が異なる故の悲恋といいますか・・・

やはり「一生」とか「結婚」などという方向には進めませんでした。二人でいくら盛り上がっていても、いずれは別れの時はやってくる・・・

異国の地ということもあり、今だったら赤面してしまうような場面も多くありました。雨の中(雨というシチュエーションが大事!)相手のアパートの窓の下から電話をしたり・・・

「今どこなの?」

「外をみてごらん・・・」

若い時、といっても僕は30歳を超えていましたが、10代のようなトキメキを感じていました。

懐かしい・・・

当時、「二人の曲♥」として、お互いに大事にしていたのが、カルロス・ガルデルの「想いのとどく日」という曲。

初めての告白は、僕からしました。でも、さすがに英語で恋文を書くのは恥ずかしく、大好きだったガルデルの「想いのとどく日」のスペイン語の歌詞を、そのまま綴りました。100パーセント僕の気持ちを代弁していた歌詞でしたから。

懐かしい・・・そしてかなり恥ずかしい・・・

詞は、アルフレード・レ・ペラという人で、この人はガルデルと組んで、多くの曲を生み出しました。

「想いのとどく日」

あなたの吐息のやわらかいささやき 人生は笑っているようだ

あなたの軽やかな笑い声が私を包んでくれる 私の傷をいやしてくれる

すべて すべてを忘れられる!


あなたが私を愛してくれる日、バラの花は一番素敵な色の晴れ着を身につける

風に向かって鐘たちは、あなたがもう私のものだと告げる


あなたが私を愛してくれる夜 空の嫉妬深い星たちが私たちを見つめているだろう

神秘の光線は見つけるだろう・・・あなたが私の慰めだと



別れの日は雪が降っていました。空港での別れ。

「このまま欠航してしまえばいいのに・・・」

雪、そして「想いのとどく日」は、この時の別れの時を想い出させる・・・

この曲のベストは、やはりカルロス・ガルデルの歌唱なのだと思いますが、当時の心境により近いのは、ルイス・ミゲルのバージョン。「若さ」「一途さ」を感じさせるからでしょうか・・・

雪は人の心を乱すのでしょうか、恥ずかしい昔話を書いてしまいました。

kaz



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