ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

純・・・朴・・・ 

 

村下孝蔵は熊本県の水俣の出身。水俣には「初恋」の歌碑があり、商店街は「初恋通り」と呼ばれているのだそうだ。

コンサートでのトークでは、少し九州のなまりが残っていて、そこが魅力でもあった。まさしく「純朴」という印象を感じたものだ。その熊本なまりで語るトークでは、初恋がヒットした後、自分のレコードジャケットが写真から切り絵に変わっていて、その写真は自分でも男前に撮れていると思っていたので、少し残念に思ったことなどを語っていた。なんだか懐かしい想い出だ。

印象に残っているトークは、アマチュアとプロとの違いに関してのトーク。プロとしてデビューしてからは、最初は、商店街の催し物や、お祭りのイベントなどで歌うことがほとんどで、もちろん、誰も歌なんかに注目していないし、そのような喧噪の中で、粗末な台に乗ってギターを弾きながら、そして歌いながら、ヒシヒシとプロの世界というものを感じたのだそうだ。

「アマチュアだったら絶対に歌わないような劣悪で粗末な環境、舞台で歌う、そしてそれでも聴き手とのつながりを信じて、そして結果を残さなければならない。売れなければならない、それがプロなんだな・・・」

村下孝蔵が突然にこの世から去って15年。僕はその頃日本にいなかったので、訃報を知ったのは、それよりも後だった。かなりショックだった。脳内出血・・・46歳・・・早過ぎる・・・そう思った・・・

村下孝蔵のデビューは1980年。「月明かり」という曲でデビューしている。27歳の時だ。公式には、この曲がデビュー曲なのだけれど、それより8年ほど前に、自主製作でレコードを出している。ちょうど、氏がデザイナー専門学校を卒業し、広島のヤマハに就職する頃、二十歳の頃であろうか・・・

広島の平和公園で、心の片隅でプロの歌手になることを夢みながらギターを弾き、そして歌っていた頃・・・

孝蔵ファンにとっては、この曲がデビュー曲になるのではないだろうか・・・

「うーん、フォークだな・・・」「うーん、声が若いな・・・」

氏の作品の中で、最も「憧れ」というものを感じさせる曲なのではないだろうか・・・


「時代は追いかけるものじゃないんだ。巡りくるもの。向こうからやってくるのよ・・・」村下孝蔵



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category: 昭和歌謡「公園の手品師」の日記

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ソネット 

 

僕は村下孝蔵の熱心なファンではありますが、「ファンの集い」のようなものに参加したことはありません。村下孝蔵のファンは、男女とも切ない歌詞、メロディー、そして歌声に魅せられているのだと思うのですが、男女で魅力の感じ方に少しだけ違いがあるような気がしています。あくまでも「なんとなく、そのような傾向があるかもしれない」と僕が感じているだけですが。

男性の場合は、村下孝蔵を「孝蔵兄」とか「孝蔵兄さん」と呼んで、そして氏のギターテクニックに驚嘆し、魅せられている人が多いのではないかと・・・

女性は、歌詞に魅力を感じ、かつ自らの実体験で、歌詞と似たような経験をしていて、そこから村下孝蔵に共感している人が多いように感じます。

ある女性からメールがありました。何故か、昭和的に「お便りをいただきました」と書きたい感じですが、その女性も村下孝蔵の熱心なファンであるのだそうです。

その方は、配偶者(夫)を癌で亡くし、一時は生きる気力すら失ってしまったのだそうです。表面的には社会生活を営むことはできるようになっても、心の哀しみは癒えることがなかった・・・

周囲は「あなたもまだ若いのだから・・・」などと言う・・・

自分でも「もっと明るくならなくちゃ・・・あの人のことは忘れなくちゃ・・・」と思うのだそうですが、どうしても自分は一人ぼっちなのだという哀しみから抜け出すことができない。

そんな哀しい時期に、その方は村下孝蔵の「ソネット」と言う歌を何度も何度も聴いたのだそうです。

「哀しい内容の歌なんです。でも、この歌に自分は助けられたような気がしています。何故だか自分は一人ではないんだと感じられるようになっていました。心の中では私たちはいつも二人なんだと・・・」

「ソネット・・・村下孝蔵」

葡萄色の街並み 寂しさがつもり 家路を急ぐ広い道に ひとりきりがひしめく

いちばん好きな人 あなたのために

生まれて死ねるなら 何もいらない


冷たいドア開けたら 鏡の自分が 孤独並べて知った答えは ひとりきりはつらい

いちばん好きな人 あなたのために

生まれて死ねるなら それだけでいい




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弾き語り的練習法 

 

GUITAR KOZOGUITAR KOZO
(2009/07/01)
村下孝蔵

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ライブではギターの弾き語りをしていた村下孝蔵ですが、CDでは残念ながら氏のギターの音色を堪能することはできません。歌詞とメロディー、そして歌が素晴らしいので、それでもいいのですが・・・

このCDは、たしか村下孝蔵の命日(ファンの間では五月雨忌と呼ばれています。「初恋」の歌詞からきていますね)に発売されるCDの中の一つではなかったかと。貴重なライブ音源で、このCDでは村下孝蔵のギター弾き語りの魅力を満喫できます。

僕が初めて音楽を聴いたのは、テルおじさんの弾き語りであったわけで、その弾き語りをベビーカーに乗っている頃から聴いて育ったわけです。この時に、無意識ながらも、ハーモニーの上にメロディーが乗って、移ろっていくというような魅力を感じていたのかもしれません。

サークルなどでピアノ仲間の練習方法を聞いていて、驚くことがあります。それは、新しい曲を譜読みする時に、ほとんどの人(今までのところ全員)が、レンガを積み上げていくように、一つ一つ音符を読んで、その音を鍵盤上に移していくという方法をとっていることです。まぁ、これが普通の譜読みのやり方なのでしょう。僕は、ワーッと普通の速さで弾いてしまいます。もちろん、細かなパッセージなどは楽譜通りではありませんが、全体から細部に移っていく練習方法です。その曲を譜読みする前から音楽、サウンドとしては頭の中で出来上がっていて、そこに近づいていくという感覚です。

部分練習は、おそらく人よりも丹念に行っているのではないかと思いますが、でも最初にサウンドとして全体をワーッとつかんでしまいます。この方法は、幼児の時に聴いた、「ギターと歌」のハーモニーとメロディーの感覚をピアノで求めているからかもしれません。

もしかしたら、僕の場合、練習方法もシンガーソングライター的なのかもしれません。

kaz



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YAMAH○の回し者ではありません。 

 

村下孝蔵のコンサートでの歌の合間のトーク、印象深かったトークがあります。彼はデビュー前に某楽器店、つまりYAMAH○の社員だったことがあるんですね。伏字の意味はありませんね。動画に社名が入っていますから。というよりも、動画は楽器の宣伝映像ですから。ヤマハです。広島のヤマハで彼は営業の仕事をしていました。主にピアノを売る仕事です。

ものすごく親近感が・・・

なぜなら、僕も同じ仕事をしていたことがあるからです。

村下孝蔵は、「いつまでもこのままではなぁ・・・」と、なんとなく感じていたのだそうです。そして、自分のその時の状況から、このように思ったのだそうです。

「技術を身につけなければ・・・生活していくために・・・」

彼が考えたのは、ピアノの調律師になること。でも、そのためには学校に行かなければなりません。

「調律師?金がかかるだろう?」と楽器店の社長(だったと思う)は、あまりいい顔をしなかった。

「そうですよね・・・」

でも、太っ腹の社長は、学校の費用を出す交換条件を出します。「二か月でピアノを30台売れば、費用を出そう!」

僕の経験では、二か月でピアノ30台は厳しいノルマです。というか、ほぼ不可能。二日に一台ペースですからね。でも、彼は結果的には43台のピアノを売ったそうです。そして調律師になった。

その頃も曲は書いていたそうです。歌手になる夢は捨てなかった。そしてオーディションに受かり、デビューすることになった。でも、もうすでに30歳近くになっていました。

「調律師をしながら歌手としての活動をしていくというのはどうだろう?小椋佳も銀行に勤めながら歌っていたじゃないか・・・」

「いや、どちらかに絞りなさい・・・決断しなさい・・・」

そして、シンガーソングライター「村下孝蔵」が誕生したわけです。

彼がヤマハのギターの宣伝映像に出演してギターを弾いていると、なんだか、ずっとヤマハの社員だったようにも思えてきます。

村下孝蔵のギターの技術を堪能できる映像だと思います。楽器の性能の紹介の部分は退屈ですが、でも最後に「踊り子」をワンコーラスですが、ギター弾き語りで歌ってくれます。

「本当に音楽が好きな人なんだなぁ・・・」

kaz



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憧れのないピアノなんて・・・ 

 

バランスが悪いと思う。

コンクールなどで達者な子供の演奏を聴いたりすると、「この年齢でここまで?」的な驚きはあるけれど、本当に心から音楽やピアノに、苦しいまでに魅せられているという感じのしない演奏が多いような気がする。

反対に、僕が楽器店に勤務していた頃に出逢った子供たち。もう、気の毒なほどピアノが弾けない。それではピアノも嫌いになるだろう。

バランスが悪い。共通しているのは、ピアノに対する「憧れ」というものが感じられないこと。

「憧れ」だけではピアノは弾けない。でも「憧れ」がないとピアノは弾けない。

ピアノ教師の役割は、意図的に、そして計画的に子供の音楽への憧れの灯を消すことなく、同時に培われてきた伝統というものを、きっちりと伝授すること・・・なのだと思う。楽しさだけ、弾くことだけ、どちらに偏ってもいけない。バランスよく導くこと。

このようなことを思ってしまうので、どうしてもピアノの先生たちに厳しい目を持ってしまう。

いやいやピアノを習い始める子供もいるのかもしれないけれど、大概は、憧れが途中で消えてしまうのではないだろうか?「消しちゃいけないだろう?」と思う。

村下孝蔵は、少年時代、ものすごくベンチャーズに憧れたのだそうだ。「格好いい!」・・・

そして、実家が映画館を経営していたので、その映画館で観た映画「エレキの若大将」に憧れた。加山雄三のエレキを弾く姿に、そして歌う姿に憧れた。「格好いい!」・・・

「僕も作曲するんだ。歌うんだ。そしてエレキ・ギターを弾くんだ!」

孝蔵少年の憧れに火がついた。憧れの灯がついた。

でも、両親は孝蔵少年にギターを買い与えなかった。「ダメだ!そんなものは不良になる!弾けもしないうちにそんなものを買ってどうするんだ・・・」

まぁ、楽器がなければ弾けるようにはならないと思うが・・・

でも孝蔵少年の憧れの灯は消えることがなかった。ますます大きくなっていったのだ。

「ギターを弾きたい!!!!」

孝蔵少年は、ラワン材でギターを作った。映画で観た若大将が弾いていたエレキ・ギターを参考に。釣り糸で弦を張り、それでは音が鳴らないので、工夫を重ねていった。完成したギターは、もちろん本物のエレキ・ギターとは比較にならないほど貧弱なものだったけれど、自宅の三面鏡の前で、自作のギターを鳴らし、ベンチャーズや若大将になりきる・・・

孝蔵少年は、憧れを持ち続けた・・・

kaz



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五月雨は緑色・・・夕映えはあんず色 

 

幼稚園に通っていた頃、ピアノを習ってもいないのに、即興で曲を弾いてしまったりした。これは、テルおじさんのギターと歌を聴いて育ったからなのだと思う。調性や、曲の起承転結のような感覚が耳から入った。

普通は、幼児がいきなりピアノで曲を弾いたら「もしかしたら・・・この子は・・・」などとなるのかもしれないが、僕の場合はそうはならず近所のピアノ教室へ通うことになった。

でも、そこでのピアノ体験は、僕の期待したもの、想像したものと違っていたのだと思う。幼いながらにも、自分の心の内側にある「モヤモヤ」や「高まり」のような動きを音楽で表現することが「ピアノを習う」ということだと感じていた。なのでピアノ教室で指導された、印刷された楽譜から、無の物から、音を読んで創りあげていくという作業には馴染まなかった。「これがドです。これが二分休符です・・・」どうしてもそのような手順で音楽を創るということに馴染めなかった。だから、即興をして一人でピアノで遊んだ。バイエルはちっとも進まなかった・・・

小学3年生の時に、偉大な音楽や演奏を知った。多くのピアノ曲も知った。でも「この曲が弾きたい」という感覚よりも、聴いた時に受けた心の高まりをピアノで奏でたいという欲求が強かった。これは今でも変わらない。

楽譜を読んで、一から積み上げるというか、音を読んで無のものから音楽を再現していくという感覚を持つことが今でも苦手だ。心の内側の何かをサウンドにするための「仲介役」としてしか楽譜を捉えられない。これは僕の弱点でもあると思う。楽譜の読みや、作曲家への尊敬の気持ちなどがおろそかになる危険性がある。強みもある。それは「楽譜を音にしてみました・・・」的な演奏にはなりにくいということ・・・だと思う。

僕には「憧れの曲」という概念が薄い。この曲が弾きたい・・・という感覚ではないのだ。心の内側のモヤモヤと共通した世界や色を放出したいと思う時、共通した世界の曲を弾きたくなる、その世界や色の中に存在したくなる、触れたくなる・・・なので、その曲を弾くのだ。

僕の場合、おそらくシンガーソングライター的なピアノなのだ。曲を生み出したいという欲求はないので、作曲したいとは思わないけれど、心の中の色を再現したくなる。音、そして音楽として・・・なので既存の曲を演奏する。

シンガーソングライター的・・・まずいのかな?まずいのかもしれないな・・・

初恋~浅き夢みし初恋~浅き夢みし
(2013/04/10)
村下孝蔵

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「五月雨は緑色」「夕映えはあんず色」この感覚・・・僕は村下孝蔵のファンである。CDも全部持っているし、コンサートにも何度も聴きに行った。この人の詞の世界、曲、声・・・すべてが自分の心の内側と共通していると感じる。彼は、曲を書き、詞を書き、そしてギターを弾きながら歌ったけれど、僕はクラシックの曲を弾く・・・

あえて表出しないだけで、すべての人が感じているような心の色を、この人は曲にしている・・・

「初恋」は村下孝蔵の最も売れた曲なのだと思う。この曲は村下孝蔵自身の実際の初恋体験がもとになっている。初恋体験の際の淡い心の風景、色を歌として再現している。

村下孝蔵の初恋は中学生の時。もちろん、「好きです」なんて告白する勇気はない。サッカーボールを初恋の相手のいるテニスコートに蹴りいれる・・・それが彼のできる精一杯のことだった。

初恋の人が転校することになった。クラスが違うので駅に見送りに行くこともできない。孝蔵少年は、自転車で彼女の乗った電車を追いかける・・・必死になって追いかける・・・

電車を追い越し、最初の踏切で電車を待つ。そして電車に向かって思い切り大きく手を振る。手を振り続ける・・・それが孝蔵少年にできた告白だった。そして孝蔵少年の初恋が終わった時でもあった・・・

「好きだよと言えずに 初恋は ふりこ細工の心」「浅い夢だから 胸をはなれない」



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「歴史」としてのフィギュア観戦 

 

今は日本のフィギュアスケート、特にシングルでの活躍は目覚ましく、というよりもメダル獲得は当たり前で、金メダルでなければ残念という雰囲気すらあります。レベル向上という意味で、とても素晴らしいことなのではないでしょうか?

各選手の努力の開花という視点で競技を観戦すると同時に、「歴史」という視点で競技を観戦する楽しさのようなものもあります。

1968年の冬季オリンピック、グルノーブル大会ですが、この時には小塚宗彦選手のお父さんも男子シングルに出場しています。あとは、解説で有名な樋口(豊)選手も。

女子シングルでは、いしだあゆみのお姉さんも出場していますが、注目したいのは、大川久美子選手が総合8位になっていることです。これは大健闘・・・というか、日本のフィギュア史にとっても大きな出来事だったように僕には思えます。現在では8位という成績は目立たない成績に感じるかもしれませんが、これは当時としては画期的なことだったのではないでしょうか?しかも大川選手は、フリーだけでは5位という成績。当時は東洋人の選手が上位の成績に審判から評価されるということだけでも大変なことだったのではないでしょうか?オリンピック後の世界選手権では、総合5位になっています。

「大川久美子???知らないわ・・・」

大川久美子選手は、後に佐藤信夫選手と結婚し、佐藤久美子さんとなり、現在では夫とともにコーチをしています。

小塚宗彦選手や浅田真央選手のコーチでもあります。

佐藤(夫妻)コーチの娘が佐藤由香選手です。両親がスケート選手・・・それもオリンピックに出場したような。「スケートのサラブレット」だったわけですが、由香選手は、スケートは滑っていたものの、信夫コーチからは一日5分くらいしか教えてもらえなかったそうです。コーチとして、とても忙しく、自分の娘を指導する時間がとれなかった・・・

「私にも、きちんと教えて・・・」

由香選手が、10歳くらいになり、佐藤夫妻は娘に本格的な指導を開始しました。由香選手も、オリンピックに2度出場するような素晴らしいスケーターになりました。1994年の世界選手権では、伊藤みどり選手に次いで二人目の世界チャンピオンにもなっています。

現在、佐藤由香選手は、コーチとしてアメリカで指導しています。彼女が指導しているジェレミー・アボット選手は、全米選手権で優勝し、ソチにもやってきます。

なんだか「歴史の積み重ね」というものを感じる・・・

1968年世界選手権・・・大川久美子第5位

1979年世界選手権・・・渡部絵美第3位 日本人女子初のメダル

1989年世界選手権・・・伊藤みどり第1位 日本人初の金メダル

1994年世界選手権・・・佐藤由香第1位

個人としての競技としてだけではなく、今回のオリンピックのフィギュア、「歴史」という視点で観戦しても楽しいのではないでしょうか?

kaz



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白い恋人たち 

 

フィギュアスケート世界選手権、その長い歴史の中で、中断してしまった時期があります。世界大戦の時期ですね。第一次世界大戦の時には1915年から1921年まで、そして第二次世界大戦で1940年から1946年までの中断があります。これは世情を考えれば当然というか、仕方のないことでした。

これは、あまり知られていないことなのかもしれませんが、世界選手権が開催されなかった年が、あと一回あります。1961年です。チェコでの開催予定で、各国の代表選手団も現地入りをはじめて、そしてチケットも当然売り出されていました。

この1961年の世界選手権は急遽中止されることになったのです。

アメリカのフィギュアスケートの代表団を乗せたサベナ航空548便が墜落し、選手、コーチ、審判、そして選手の家族も含め、乗客・乗員が全員死亡したからです。

アメリカのスケート界にとって、この事故は大きな打撃でした。もちろん、その他の国の選手、スケート界にとってもです。スケート王国であるアメリカのトップ選手達が亡くなってしまったのですから・・・

追悼の意味で、この年の世界選手権は開催されませんでした。

その後、当然のことながら、アメリカのフィギュアスケートは、低迷を続けます。世界選手権でも全種目メダルなし・・・という年が続きます。

1968年、フランスのグルノーブルで冬季オリンピックが開催されました。フィギュアスケートの女子シングルで、アメリカのペギー・フレミングが金メダル、男子シングルではティモシー・ウッドが銀メダルを獲得しました。

この冬季オリンピックで、アメリカのフィギュアスケートは、長い低迷から抜け出し、そして完全復活を果たしたのです。悲しい歴史から抜け出すことのできたオリンピックでもありました。

クロード・ルルーシュが撮った、この冬季オリンピックの記録映画にフランシス・レイは、なんとも素敵な音楽を書きました。これがオリンピック映画の音楽・・・フランスだなぁ・・・などと感じてしまいます。

kaz



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ピアノを習わせている保護者の不満 

 

一時よりは減りましたが、ポツポツとメールは頂いています。ピアノの先生からのメールもありますが、ピアノを自分の子供に習わせている保護者からのメールも多いです。計100人以上の保護者からのメールになるでしょうか?

ほとんどが、「ピアノの先生ってどうなの?」「おかしいと思いませんか?」という先生方に対する批判のメールです。もちろん、素晴らしいレッスンをする先生も多いはずですが、そのような教室の保護者は、そもそも先生に満足しているのだから、僕などにメールは書かないのだと思います。

今は、生徒を「生徒さん」と表現する先生がほとんどです。「生徒」でも「生徒さん」でも、どちらでもいいのだと思いますが、もう巷では「生徒さん」が普通になっていますね。これはピアノの先生と生徒との関係、そして教室の在り方が、昔とは変わってきたということだと思います。基本的に、「同門」とか「師弟関係」という感覚を持っていれば、「生徒」という表現になると思いますし、教室が一種のサービス業という考え方で、生徒がお客様という感覚が先生にあれば、「生徒さん」という表現になるのでしょうか?英会話教室とかも「生徒さん」ですよね?カルチャーセンターとかも・・・

どちらの方向性も正しいと思います。間違えということではない・・・

でも、サービス業と考えている(らしい)先生ばかり、その数が圧倒的で、師弟関係という、ある意味「厳しさ」をも併せ持ち、そして上達させてくれる先生が少ないという不満を保護者は持っているようです。

これは、メールの内容から判断すると、「何年も習っているのに、ちっとも上達しない」という不満を持っている方が実に多い。そして、他の先生のホームページを検索しても、「楽しく生徒さんたちとピアノを・・・」的な、サービス業的な内容(だと判断してしまうような)の教室が圧倒的・・・

この「圧倒的に多数」というのが不満の原因のようです。数は多いが、選択肢が限りなく少ない。僕も、そこがおかしいと感じます。たとえば、「生徒」でも「生徒さん」でも、どちらでもいいのですが、圧倒的に「生徒さん」ということが、なんだかおかしいように僕には思えます。

教室の在り方、方向性も、「これが正しい」というものはないのだと思いますが、これも圧倒的に「楽しく、笑顔の溢れる」的な、少なくても、そこをアピールしている教室が圧倒的・・・

発表会などでも、連弾コーナーがあったり、合奏や劇があったり・・・生徒が裏方をも担い、皆で創りあげる感動の発表会・・・これもいいでしょう。でも、ただ演奏を聴きたい・・・そのような発表会がいい・・・という生徒や保護者も多いです。でも、世間の流行は、そのような方向性ではなく、セミナーなども「催しノウハウ」のセミナーが繁栄していてる。それはいいのだけれど、そちらばかりに興味があるという先生が圧倒的(のように部外者からは判断できてしまう)というような選択肢の少なさを感じさせてしまう・・・

僕よりも、メールを送ってきた保護者たちは、厳しく先生方を見ているようです。自分の子供の先生だけではなく、実にピアノ教室ブログ、ピアノ教師ブログを丹念に読んでいる。そして、皆が同じ方向を向いていて、選択肢がないように思えると判断してるようです。

「あるセミナーに行って、どんな実践を自分の生徒にするのか、その結果や過程などをブログで読みたいと思っていても、なにも書かれないんですね。そして別のセミナーに行って、行ってきましたぁ、刺激になりましたぁ・・これではまずいですよね?先生のブログって、個人的なブログではない場合が多いですよね?営業のツールの一種ですよね?だとしたら実践報告を書くのが普通ですよね?」

「生徒さん・・・と書かれる先生ばかりで。そうでない先生は有名音大の先生とかピアニストになってしまう感じです。街の教室で、ある程度厳しくというか、きちんと教えてくれる先生はどのように探せばいいのか・・・実際にはブログとかホームページで判断するしかないので、そこが本当に困ります」

「うちの子は、どちらかというと、集団行動が苦手で、学校もあまり好きではないみたいなんです。ピアノは好きなのですが、その教室でも合奏や合唱のようなことをしなければいけないみたいで、そこが嫌みたいです。先生は好きみたいなんですが・・・そもそもピアノを習いたいという子は、一人で何かをすることが好きな子という場合も多いのではないでしょうか?」

メールの内容の抜粋です。厳しいな・・・と思います。先生方からすれば、もちろん反論はあるでしょうね。

僕は、子供もいないし、ピアノ教室運営とか、そのようなこととは無関係ですし、ピアノ教師とかセミナーなども、今は無関係です。「楽しさ重視」か「上達・厳しさ重視」か・・・という問題ではないですね。選択肢が少ないということが問題ですね。皆が同じ方向を向いているように部外者からは感じられてしまう・・・

そこが問題・・・

kaz

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category: 元社員の呟き

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再びディープなラテン魂 

 

先程のレコードの中で、唯一僕が「名前を聴いたことはあるかも?」という人がメルセデス・ソーサ。

やはり、名曲「アルフォンシーナと海」の絶唱は素晴らしい。

kaz



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ディープなラテン魂 

 

3月の初めにラテンの曲を弾く機会がある。曲はグラナドスにしたのだけれど、一応以前に弾いたことがある曲にもかかわらず、すべて忘れている。これは本腰を入れて練習しなければと思った。

2月の終わりにもサークルの練習会があって、こちらで弾く曲は未定だったのだけれど、もうこれは当然、ここでもグラナドスを弾くしかないだろうと思う。

ピアノを弾くと、痛みはあるけれど、来月になれば、少しは改善されるであろう。そう願う・・・

でも、「焦る」という感覚そのものも久しぶりのものだ。これは、とても贅沢な感覚だと今は感じることができる。「自分は弾くのだな」と。「弾けるのだな」と・・・

とはいえ、「これはなんとかしなければ」モードが強くなっていて、ラテンを弾くという純粋な喜びが、やや希薄のような?

テルおじさんの残した遺品、古い古いレコード、その中の一枚に、摩訶不思議な感じのレコードがある。アンデス風(?)の民族衣装を着た人たちの写真がジャケットに使用されている。歌詞カードや解説はない。どうも、輸入盤のようで、スペイン語らしき題名や歌手名が書いてある。

「こ、これはディープなレコードかもしれない・・・」

今まで、このレコードは聴いていなかったのだけれど、聴いてみた。

なんとも、深い、哀愁漂う音楽がスピーカーから流れてきた。

Atahualp Yupanqui

知らない人だ。調べてみると、アタウアルパ・ユパンキという人の「Guitarra dimelo tu」という曲だった。

ユパンキは、アルゼンチンのフォルクローレ奏者なのだそうだ。ギターを弾き、そして歌う。

彼の歌声とギターを聴くと「なんとかしなければ」モードが「ラテン」モードに変わるような?

Guitarra dimelo tu  「ギターよ、教えておくれ」という意味のようだ・・・

作詞、作曲もユパンキ自身。深い人だ・・・

kaz



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デカセクシス 

 

「表現をつけて弾きましょう」「もっと感情を込めて弾きましょう」

悲しい、嬉しい、切ない・・・このような現生の人間の感情、その感情を込める、表情豊かに・・・

音楽は、このような現生の感情というよりは、キューブラ―=ロスの死へのプロセスへの有名な5段階に当てはまるような気がしている。

① 否認 「自分が死ぬわけがない。なにかの間違いだ。ありえない」
② 怒り 「何故自分が?」
③ 取引 「もし死なないのだったら、自分はなんでもします。せめて、あと5年は生きさせて欲しい」
④ 抑うつ 「何も考えられない。何もしたくない」取引に失敗したという感情に支配される・・・
⑤ 受容 何もかも受け入れた段階。希望というのとは異なる。希望はないが、非常に静かな状態。

⑤の状態を「デカセクシス」と呼ぶが、この時期に、人間は最期の言葉を人に伝えたり、それまでの人生を走馬灯のように振り返ったりする。人によっては、ここで、自分に正直に生きてこなかった人生を後悔することもある。

「楽しい感じ」とか「悲しい感じ」というよりは、音楽は、上の五段階のどこかの状態、感情の動きに例えられることのほうが、僕には自然な感じに思える。

このポール・ジェイコブスの演奏するバッハ~ブゾーニ・・・

僕だったら、「受容」の演奏のように感じる。人によって感じ方は異なるだろう。「抑うつ」や「取引」の状態の音楽と感じる人もいると思う。

でも、「悲しい音楽」ではない。「切ない演奏」でもない。

ポール・ジェイコブスは、この演奏を録音した数年後に亡くなっている。AIDSだったという・・・

kaz



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category: 好きな曲・好きな演奏

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現代曲は好きですか? 

 

ボルコムの「優雅な幽霊のラグ」を演奏していたピアニスト、ポール・ジェイコブス、日本での一般的な認知度って、どれくらいなんだろう?僕が勝手に「あまり知られていないのでは?」と思っているだけで、実は有名なピアニストだったりする?

このピアニストには、絶対に「熱心なファン」がいると思うけれど、例えば、キーシンやらアルゲリッチやらポリーニのような「一般受け(?)」とは異なる人気があるのではないだろうか?

ポール・ジェイコブスは、1983年に亡くなっているので、いわばレコード時代のピアニスト。その後、メジャーなピアニストの録音は、どんどんCD化されていったけれど、ジェイコブスのCDは長い間見なかったような気がする。

この人は、いわゆる「現代曲」というものを得意としていたピアニスト。バロックも弾いているようだ。でも、「レパートリーの王道」「ピアノの華」であるところのロマン派、ショパンやらリストを弾いていないので(弾いていたのかもしれないが・・・)その点で、他の「華ピアニスト」とは異なるピアニスト・・・という感じがするのかもしれない。

僕自身も「ジェイコブス・レパートリー」であるところの、メシアンやらシェーンベルクは苦手で、彼のレパートリーではメジャーどころであるドビュッシーも苦手・・・

でもシェーンベルクに関しては、ポリーニの演奏を聴くと、なんだか殺伐とした気持ちになるけれど、ポール・ジェイコブスの演奏だと、とても面白く聴けたりする。

ポール・ジェイコブスからの委嘱で作曲されたのが、フレデリック・ジェフスキーの「ノース・アメリカン・バラード」で、この中の「ウィンスボロ棉工場のブルース」という曲、そしてジェイコブスの演奏が、とても面白い。

前半だけだが・・・

kaz



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category: ピアニスト

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「長調」=「明るい」=「元気」?????? 

 

ある有名なピアノ教師の子供向けの公開レッスンで、「ここは長調になりますね?だからもう少し明るい元気な感じで弾いてみましょう」という指摘があり、びっくり仰天したことがある。

「長調」=「明るい」=「元気」とは?

そのように、単純に感じられないもの、それが音楽なのではないか?

子供向けの教則本や曲集、最近は、イラストが満載。これはイメージを膨らませる助けになるのだろうか?練習の際のアドバイスとして、「~な感じを表せるように弾きましょう」などと解説されている楽譜もある。

もしかしたら、これは、かなり「おせっかい」な大人感覚なのかもしれない。

安易なイラストや、「~な感じ・・・」とか・・・そのようなもので説明できないものを表現するのが音楽、ピアノを弾く・・・ということだとしたら?

ウィリアム・ボルコムの「優雅な幽霊のラグ」という曲。「ラグ?明るいのね?」「幽霊が踊っているように弾きましょう・・・」

うーん、違うのでは?

もし、この曲を生徒に与えるとしたら「明るい感じで弾きましょう」「悲しい感じで弾きましょう」・・・

何て言いますか?

kaz



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category: ピアノ雑感

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通俗有名曲でのリスト 

 

「リスト=派手=超絶=体育会系(?)」というイメージがあるとしたら、それは現代の演奏においてのリスト演奏に、そのような匂いがあるからなのかもしれません。

フレデリック・ラモンドもリストの弟子でしたが、この人の演奏は昔から聴いていました。特に、ベートーヴェンの演奏が好きで、よく聴いていました。でも、ラモンドのベートーヴェンは、現代のコンクールだったら一発で落選してしまうような演奏・・・なのかもしれません。

小心者の僕は、あえてラモンドのベートーヴェンは紹介しませんでした。一部の人から「この演奏は正しくない!」などとコメントが来そうな気がしたからです。

ベートーヴェンのソナタの他には、先生であるリストの作品も素晴らしいと思います。なんというか、「歌」をラモンドのリストからは(ベートーヴェンでも!!)感じます。

といっても、ラモンドの「愛の夢」を聴いたのは最近です。この種の曲、いわゆる有名曲(通俗名曲?)とカテゴライズされるものは、僕はCDに収録されていても聴くことはあまりなかったのです。通俗名曲・・・そうですね、ドビュッシーの「月の光」とかショパンだったら「幻想即興曲」とかですね。曲そのものは「いい曲だな・・・」と思うのですが。

ラモンドの「愛の夢」を聴いて、今までこの演奏を聴かなかったことを、とても後悔しました。「歌」を感じる演奏だったからです。

もしかしたら、リストの作品、そしてリストの演奏は、一部現代の有名ピアニストの「マッチョ系」の演奏というよりは、デ・グリーフの雰囲気・誠実さ、ローゼンタールの軽さ、そしてラモンドの歌の要素を足し合わせた演奏だったのかもしれない・・・

少なくても、そのようなリストの演奏を想像するのは、とても楽しく、夢のあることのような気はしてきます。

kaz



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途中狙いの軽いタッチ 

 

リストの弟子たちの中で、最も僕が好きなのがモリッツ・ローゼンタール。やはり、ローゼンタールはショパンの演奏が有名なので、どうしてもショパンの弟子であったミクリ門下という側面が強調されますが、ローゼンタールはリストの直弟子でもありました。

ローゼンタールの演奏には現在の演奏が失ってしまった「軽さ」があるような気がします。この軽さは、現代のグランドピアノでは再現できないのかもしれない・・・などと思ったりもします。

幸運にも1900年代初めから1930年代あたりの、古いスタインウェイのピアノを弾く機会が過去にありました。演奏そのものは幸運ではありませんでしたが、そのタッチの感覚は忘れることができません。

「ものすごく弾きにくい!」という印象だったように記憶しています。よく、「鍵盤の底までしっかり弾いて・・・」などと言いますが、これらのアンティーク系のピアノでは別の感覚が必要なのではないかと感じました。それは、「底までしっかり・・・」ではなく「鍵盤の底までの間にあるコントロール・ポイントを狙う」というような奏法、感覚が必要なのではないかと・・・

ホロヴィッツのようなピアニストの演奏でも感じますが、ローゼンタールの「軽さ」は、楽器の特質からくる、現代では(もしかしたら)消滅してしまった、ある種の奏法によるものなのかもしれません。「途中狙いのタッチ」というか・・・

現代のピアニストの音は、「すべてが均一で整っている」ので、そこが物足りないです。そして、そのような均一さというものが、現代の演奏の理想とされてしまっているような気すらしてきます。

kaz



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教師としてのリスト 

 

一般的に、リストよりはショパンの方が人気が高いのでしょうか?

解せません・・・という感じです。よく、リストは派手とか言われますし・・・

「たとえ、リストの超絶技巧の曲を弾けなくても、ピアノを楽しむことができる」みたいな表現も僕は好きではありません。リスト=超絶=表面的・・・のような、どこか、それが暗黙の了解のような?

僕はリストの曲を弾けた方が、ピアノを楽しめると思います。

リストの弟子たちに昔から興味がありました。リスト本人の演奏は残っていないと思いますが、弟子たちの演奏は現在でも聴くことができます。もちろん、デジタル録音で、クリアな音質で臨場感を楽しむ・・・というわけにはいかないですが。

弟子たちの演奏は、それぞれが個性的というか、「その人たちの演奏」という感じがします。先生の影響力というものは、もちろんあったのだと思いますが、リストが「ここは~のように歌ってぇぇぇ」などと教えていないということは、弟子たちの演奏を聴けば明白です。でも、なんというか、リストから伝承されたと思われる「伝統」のようなものは、共通して感じることはできるような気がします。

現代のコンクールでの演奏は、共通の目指すべき演奏(お手本・基準的演奏)というものに皆が群がる・・・という印象を僕は持ってしまったりしますが、リストの弟子たちの演奏には、それを感じません。でも共通認識である「伝統」のようなものは感じることができます。

リストの弟子たちの演奏を聴いて、個人的に僕が共通して感じるのは、「軽さ」「歌」「雰囲気」でしょうかねぇ・・・

もしかしたら、リストって、凄いピアノ教師だったのかもしれません。

リストの弟子たちの演奏を紹介したいと思います。アルトゥール・デ・グリーフ・・・

この人のグリーグは素晴らしいと思います。

kaz



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独学でも・・・ 

 

ステファン・グラッペリと共に、独学でプロになった演奏家がマリオ・パロディという人。覚えやすい名前だな・・・と思う。両親はイタリア人だけれど、この人はトルコで育った。初めは、ピアノを習っていたのだが、ある時、アルゼンチンの楽団を聴き、その楽団にいたギター奏者の演奏に感銘を受けた。

「僕の楽器はピアノではない!ギターだ!」

しかしながら、当時のトルコではギターの先生がみつからず、「だったら自分で勉強すればいいのでは?」と独学でギターを学び始めた。

マリオ・パロディは、多くのギターのための編曲作品を残している。このパロディ編「愛の夢」など、とても素晴らしい演奏に感じるのだが、どうだろう?

独学でも弾ける人は弾けるのね・・・

kaz



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路上のヴァイオリニスト 

 

ステファン・グラッペリは、ジャズをほとんど聴かない僕でも知っているジャズ・ヴァイオリニスト。

4歳の時に、母親と死別し、父親は戦争に赴いてしまったので、グラッペリは幼少期を孤児院で過ごしている。終戦になり、父親と再開し、共に暮らし始めるが、大変に貧しい暮らしだったそうだ。父親から中古のヴァイオリンを買ってもらったのが、ヴァイオリンとの出逢いとなる。

ステファンは、基本的には、独学でプロの演奏家になった人だ。一時期、パリ音楽院で学んだりもしたそうだが、彼とは合わなかったそうだ。

サイレント映画の音楽を映画館で演奏したり、路上でヴァイオリンを弾きながら収入を得て、そしてプロになった人なのだ。少年の頃から路上でヴァイオリンを弾いていたという。

独学・・・

高名な先生に師事したわけではなかった。でも、ステファンをプロに導いたのは、名もない素人の聴き手だったのかもしれない・・・僕はそのようにも思ったりする。

「アパルトマンの下に立って、恋の歌を弾くんだ。小銭が窓から降ってくることもあるし、バケツの水を浴びることだってあった。自然とヴァイオリンだって上手くなるだろう?」  ステファン・グラッペリ



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category: Violinists

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距離なのか深さなのか・・・ 

 

やはり、憧れの曲が弾ければ嬉しい。それが到達できないほど高度な曲であっても、「いつかは・・・」という想いを持ちつつ練習するのは楽しい。

でも、それが完全なる最終目標なのだろうか?その曲を弾くことが目標なのだろうか?

いつのまにか、人は「難曲を弾きこなす上級者」とか「私はまだまだ中級者」とか、垣根を作ってしまう。何を弾いていようと、進度がどうであろうと、大事なのは「何に触れるか?」「触れるべきものに気づくか?」ではないだろうか?

「今いる位置」、つまり「距離」というよりは「深さ」のほうがより大事というか・・・

そのような「触れたいような美」というものは、エリート音大生やプロだけが考えればいいこと、考えるべきことなのだろうか?それ以前の人たち(?)は、まず「きちんと弾けること」が大事なのだろうか?

なんのためにピアノを弾くのだろう?

「弾けるようになってから美について考える」ではなく「美を感じるから弾けるようになる」ではないのか?

ピアノをやめてしまったら、弾かなくなってしまったら、このコレッリの歌唱を聴くと溢れる涙も違った意味での涙になるだろうと思う。

僕は「鑑賞者」としての自分と「ピアノを弾く人」としての自分を分離することはできない・・・

kaz



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自分目線 

 

本番で演奏が崩壊してしまったら、それは悔しい。二度とそうならないように練習すると思う。でも、その繰り返しだけ(!)で自分はいいのか?

青い顔をして本番で演奏して、その出来具合に一喜一憂して、その繰り返しのピアノライフ・・・

「楽しみたい」と思う。でも、それは楽譜を音にしたという楽しみだけではない。笑顔が溢れるとか、目が輝くとか、そのような楽しみではない。かといって、プロのように演奏したいわけでもない。「上手くなりたいか?」と問われれば、なりたいと答えるだろうが、コレッリのような芸術を自分でも・・・と思っているわけではない。

「楽しみたい」というよりも「触れたい」のかもしれない。

自分がどう弾けたか?自分が・・・自分が・・・

この自分目線のピアノライフは、もういらないと思う。

kaz



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回帰 

 

毎日一定時間の練習時間を確保して、本番までに間に合うように計画して・・・

このようなピアノライフは、正直辛いなと思う。少なくても当分は辛いだろう。

「ピアノを弾くのをやめてしまおうか?」そう思う。

でも、僕にはピアノを弾いていた時間よりも、はるかに多くの「鑑賞者としての時間」がある。音楽を聴かない生活というのは考えられないと思う。では、音楽を聴いた時に、ピアノを弾いていなかったら、それこそ自分は寂しくないだろうか?無意識に自分を守り、寂しくはないと思ってしまうのだろうか?

僕が初めて演奏会を生で聴いたのは、今から41年前の1973年。僕は小学3年生だった。母の知り合いの医大生から、多くのレコードを聴かせてもらい、「クラシック開眼」したばかりだった。その医大生に連れて行ってもらったのが、フランコ・コレッリの演奏会。二度目の来日時の演奏会で、完成したばかりのNHKホールを満員にしての演奏会だった。

僕にとって初めての演奏会が、このコレッリの演奏会だったことに、とても感謝している。医大生の迷惑にならないように、演奏中は静かにしているように、そして休憩中に必ずトイレを済ますことなどの注意を母から受け、NHKホールに行ったのだった。渋谷で医大生とグラタンを食べたのも覚えている。緊張していましたねぇ・・・大人の世界を覗くような気がして・・・

僕は静かに聴いていた。でも、周囲の大人がうるさかった・・・のではなく、熱狂していた・・・

ピアノをやめたとしたら、僕は、このコレッリの歌声を聴くことが辛くなるだろうと思う。今、41年ぶりに聴いても、胸が高鳴る。そして、この想いを放出したいと思う。

それができないとしたら・・・

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無題 

 

ピアノを再開して約5年になる。

「もう、そんなに弾いているのか・・・」と思う。

考えてみれば、初めて自分の病気を告知されたのも5年前だった。病気が発見されたからピアノを再開したのだ。

この5年間ずっとピアノを弾いてきたわけではない。入院も手術も多かったし・・・

もちろん、入院中はピアノは弾けないけれど、退院してからも、なかなかピアノを弾くことのできない日々があったりした。やはり仕事復帰を優先させるから・・・

今も、仕事には復帰している。でもピアノは弾けていない。

体力的なキャパシティが以前よりも少なくなっている。しかしながら体力的な疲労度は増している。

正直、もうピアノはいいかな・・・とも思ったりしている。

こんなことではいかん・・・とも思うが・・・

でも、ピアノがなければ、とても楽になる。そう思う。

kaz

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日本の燃える聴衆 その2 

 

1971年、初来日の時のコレッリ・・・

トスティをアンコールで歌っていますね。おそらく、試験やコンクールで、このコレッリのような歌唱はマズイのかもしれませんね。なんとなく声楽の先生が「そんなふうに歌ってはいけませんっ!」と言うような歌唱に思えます。なんとなく・・・ですが。

それにしても、なんというトスティなのだろう!!!

僕は、「家賃か?」・・・と思うような現在の海外の歌劇場引っ越し公演を聴くよりも、この時のコレッリを聴きたいと思う。1973年のコレッリを、また聴きたいと思う。

kaz



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category: あっぱれ麗し舞台

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日本の燃えた聴衆 

 

フランコ・コレッリが初来日したのは、1971年。今から40年以上も昔のことになります。僕がコレッリを生で聴いたのは、二回目の来日の時で、たしか1973年だったと記憶しています。もう、この時の感激は生涯忘れることができないでしょう。

演奏も、もちろん素晴らしかったのですが、より印象深かったのが、聴衆の反応でした。僕は当時、小学生だったのですが、音楽というものが、そして演奏というものが、ここまで人の感情というものを揺り動かすということに驚いたのです。

泣いてしまう人、熱狂して声を出す人・・・

時代というものもあったのかもしれません。当時は、今のように外国から次々と(出稼ぎのように?)演奏家が日本にやってくるという時代でもなかったでしょうから・・・

コレッリの演奏会で、今の日本の聴衆では考えられないような聴衆の熱狂があったのには、コレッリの演奏会のスタイルというものが独特ということもあったのかもしれません。初来日の時も、そして僕が聴いた二度目の来日の時も、基本的にはオーケストラをバックにオペラのアリアを歌うという演奏会でしたが、すべての曲を歌い終えると、コレッリは次から次へとアンコールを歌ってくれたのです。アンコール自体は,当時でも珍しいものではありませんでしたが、コレッリはピアノの伴奏で、ナポリターナやトスティの歌曲などを歌ってくれたのです。特に1971年の初来日の時は、このようなコレッリのスタイルを知らなかった聴衆も多かったのでしょう、それはそれは物凄い熱狂ぶりになったのだそうです。これは、コレッリのファン・サービスだったのかもしれませんが、でも聴衆が熱狂したのは、やはりコレッリの歌が聴いている人の感情を、魂を揺り動かしたからなのだと僕は思います。

よく、日本の聴衆は「おとなしい」などと言われますが、僕は、そのようには思いません。聴衆の質の問題ではなく、やはり演奏というものが昔に比べて変化してきているのが原因なのだと思います。優秀で文句のつけようもない演奏は多くなりましたが、その人ならではの、それこそ聴いている人の何かを揺り動かすような演奏、演奏家が少なくなったという気が僕はします。

今、コレッリのような歌手はいません・・・優秀な素晴らしい歌手は多いのですが・・・

1971年・・・当時よりは今の日本の方が、ずっと豊かになったと言えるでしょう。でも、今の方が幸せなのかな?今の聴衆の方が幸せなのかな?そこは疑問です。

kaz



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category: あっぱれ麗し舞台

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あっぱれ麗し舞台 

 

ピアノを再開する前のことだと記憶している。エリート・アマチュア、つまりコンクールで賞を獲得したような人ばかりが演奏する会を聴いたことがある。とても上手で、そして見事に達者だったけれど、でもとても退屈だった。

将来のピアニストを目指す人たちが参加するコンクールも、大人のもの、子供のもの、いろいろと聴いた。エリート音大の卒業演奏会も聴いた。でも、皆達者だけれども、なんだか退屈してしまった。

何と言うか、「自分たちの達成感を披露しあう内輪受けの演奏会」と感じてしまったのだ。これは、とても意地悪な感じ方なのだと我ながら思う。でも「上手いな・・・でも早く終わらないかな・・・」と感じている自分がいたのは事実。

基本的に、アマチュアの演奏というものは、その目標点が、すべて「自分視点」になりがちなのだと思う。「自分がいかに弾けたか・・・」「崩壊しないで演奏できるには?」「緊張しないでミスも少なく演奏できるためには?」・・・と、すべて自分視点、自分目線なのだ。「いかに・・・自分が・・・できたら・・・」の思考というか。

聴いている人にとって今の演奏はどうなの?という聴き手目線を考えるということは、アマチュアにとって不必要なのだろうか?不必要どころか、そんなことを考えることそのものが傲慢?思いあがっている?

そうなのかもしれないな・・・とも思う。一生懸命に取り組んでいれば、楽譜を丹念に追い、そして真摯に演奏すれば、聴いている人は共感してくれる、それがクラシック音楽なのだ・・・と。

「黄金律のないということが黄金律なのだ」とは、たしかバーナード・ショーの言葉だったと思うけれど、この問題は、Aが正しくZは誤り、いやZが正しくAは違う・・・などと簡単に考えることのできない問題なのだと思う。

聴き手のことを考える=受ければいい?

自分の達成感=聴き手のことなんか考えられない?

答えはないのだとも思う。

個人的には、弾き手が聴き手の演奏会、聴いている人が演奏者でもある演奏会、まぁ、発表会のような演奏の場では、自分の達成感、出来映えのようなものを、それだけを考えていてもいいのかもしれないけれど、でもアマチュアの無料の演奏会でも、弾き手=聴き手ではない演奏会、その演奏を「聴きに来ている」という人たちが聴き手の演奏会の場合は、やはり「達成感の披露会」ではマズイのかな・・・と思っている。そのような演奏は、自分が聴き手だったら完全に退屈すると思うから・・・

そのような意味で、自分にとっての理想の演奏、理想の演奏会って、どのような演奏会なのだろう?今まで考えたことはなかった。考える必要もなかった。

そもそも、聴き手がどう感じたか?なんて考える必要なんて、プロのような極めた人たちが考えればいいのでは?

でも、聴いている人を誘ってしまうような演奏ができるか否かなんて、そこまで到達してから考える・・・ということではなく、そのような視点を持っているか否かという、割と最初の考え方、感じ方で決まってしまうようなことでもあると思うのだ。

「目を輝かせながら」とは、よくピアノの先生が生徒の、そしてレッスンの理想として使うフレーズだけれども、むしろこれは、演奏を聴いている人について使われるべきフレーズなのではあるまいか?

演奏に退屈している人は、よくプログラムを演奏中に読んだりしている。眠りこけたら目立つし、演奏者に失礼だからね。でも、僕は、聴衆のこの行為は、実は「あんたの演奏、退屈だね・・・」の意思表示だと思っている。そして実際に、プログラムを演奏中に開く人は結構多い・・・

理想の演奏、理想の演奏会・・・僕なりに追い求めてみようか?答えなんて出せないけれど・・・

そのような、個人的に「いいな・・・こんな演奏会いいな・・・」という動画を紹介するカテゴリーを作ってみた。

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category: あっぱれ麗し舞台

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「歌手!」 

 

テルおじさんとオペラとのつながりを日記から辿ってみる。すべて当時のNHKが招聘したイタリア歌劇団の公演を聴いていて、最初の記述は1959年の「カルメン」。会場が東京宝塚劇場とあるのが、時代を感じさせるところだ。

次が1961年の「道化師」「カヴァレリア・ルスティカーナ」で、会場は東京文化会館になっている。そして1963年の「イル・トロヴァトーレ」で、ここで初めておじさんはバスティアニーニを聴いている。

最後のイタリア歌劇鑑賞が、1971年の「リゴレット」・・・

おじさんは、かなりオペラを聴いているのではないだろうか?実際の舞台を聴く前に、おじさんはレコードを購入して、そのオペラの予習をしていたものと思われる。

演目と、主だったキャストが日記には記されていて、舞台の感想などは一切書かれていないけれど、歌手名の後に「歌手!」という記述がある歌手に感銘を受けたと僕は解釈している。

「歌手!」と記されている歌手は、1959年と1961年のマリオ・デル・モナコ、1963年のエットレ・バスティアニーニ、そして1971年のパヴァロッティ・・・

僕の好みと完全に一致しているので、そこが面白いと思う。と同時に、やはり「血」というものを感じてしまう。

バスティアニーニの演奏会には1965年の単独でのリサイタルにもおじさんは聴きに出かけている。そして、やはり感想は書かれていないけれど、「歌手!」という記述がある。

でも、エットレ・ファンの僕としては、1965年の東京公演の時のバスティアニーニの声は、残念ながら全盛期の声ではないと感じる。でも、それも仕方のないことなのだ。この時期には、エットレの咽頭癌は、かなり進行していて、転移も認められていたのだから・・・

治療中、闘病中であったのだ。バスティアニーニの伝記を読むと、この日本公演は、医師団からのドクター・ストップを、あえて無視して行っている。「歌いたいんだ・・・」と。

かなり、痛みもあったのではないだろうか?

当然、テルおじさんは、そのことを知らなかったはずだ。バスティアニーニは、最後の最後まで自分の病気のことを公にはしなかったのだから・・・

今、その時の歌声を聴いていると、バスティアニーニの「歌への執念」というか「歌への愛」のようなものを感じることができる。そして素朴な疑問も。「なぜ歌えるのか?」という疑問・・・

おじさんの評価は正しかったのだ。

エットレ・バスティアニーニ・・・「歌手!」

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category: 昭和歌謡「公園の手品師」の日記

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テルおじさんとの想い出は、それほど多くはないと思っていた。僕の両親も音楽とは全く関係のない人たちだったし、僕が音楽に惹かれるのは、ある意味、突然変異(?)なのではないだろうかと・・・

小学生の時、ある医大生から多くの音楽を紹介してもらった。この時の影響は大きい。現在、僕が好んで聴く音楽や演奏は、この時の体験によるものが大きい。このことは以前から自覚していたけれど、幼少期の頃、それは記憶には鮮明には残っていないけれど、テルおじさんから授かった音楽というものも、たしかに僕に影響を与えたのだと今は思うことができる。

「昔、演歌の流しをしていた血縁者」という感覚しか今までは持っていなかったけれど、「公園の手品師の日記」を読んだり、おじさんの遺品のレコードを聴いたりしているうちに、確かに僕は、おじさんからの影響を受けているのだと確信できるようになった。

「一度でいいからアメリカを見たかった。本当は演歌ではなくジャズが好きだったんだよ」

このおじさんの病室での言葉を裏付けるように、おじさんの遺品も、そして日記の記述も洋楽が多い。

おじさんは、クラシック音楽には無縁であると思っていたけれど、イタリア歌劇団の公演も聴いたという記述があったのには驚いた。僕が声楽が好きなのも、もしかしたらおじさんの影響なのかもしれない。

いや、影響はたしかにあるだろうと思う。何度かイタリア歌劇団の舞台を聴いたこと、そして1965年にバスティアニーニの演奏会を聴いたとの記述もあった。

エットレ・バスティアニーニ・・・

おじさんは聴いていたのか・・・生で聴いていたのか・・・

驚くと同時に、おじさんと僕がつながった瞬間のような気もした。そして、「血」というものも感じたような気もした。

おじさんの残したレコードを聴いている・・・

僕の知らなかった演奏家や作曲者のレコードも多い。ミシェル・コロンビエという人のレコードも、そのようなレコードの中の一枚だ。

ミシェル・コロンビエは、ジャンルで括れない人のような気がする。とても心に突き刺さるような曲がある。「エマニュエル」という曲だ。ミシェル・コロンビエの息子が5歳で病死した時に作曲した曲だ。エマニュエルは、その病死した息子の名前・・・

なんだか胸にズシンとくる曲だ。そして、おじさんとのつながりを感じられる曲だ。

kaz



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category: 昭和歌謡「公園の手品師」の日記

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退屈されたら「豚に真珠」と割り切れば・・・ 

 

めでたく退院して、充実したピアノライフの再開・・・となりたかったのですが、まだ弾くと痛いのでピアノは弾いていません。僕は軟弱なので、痛みを我慢するのは大嫌いなのだ。

本来ならば、ここで非常に落ち込むはずだし、そして焦りも感じていなければならないはずだと思う。でも、以外と冷静なのですね。

昨年まで、なんとなく心の中に引っかかっていたような事を考えてみるチャンスなのかもしれないなどと感じています。

具体的には、昨年、リシャ-ル・ガリアーノを生で聴いた頃から、頭の隅で燻っていたような事柄・・・

「自分の達成感のために弾くのか?」「聴いている人がどう感じるのか?」・・・の問題。

自分でも結論は出せないだろうし、出すことでもないのかもしれない。でも、正直、クラシック、特にピアノの演奏会は、悪いけれど、非常に退屈だと長年感じていたのだ。CDで往年のピアニストの演奏を聴くのは大好きなのだが・・・

ピアノの演奏会よりは、ピアノ以外、特に声楽の演奏会のほうが、ずっと楽しめる。そして、声楽も含めて、クラシックの演奏会よりも、その他のジャンルの演奏会(コンサート)の方が、自分はずっと楽しめるのを以前から感じていた。

クラシックの演奏会は、演奏者が緊張した面持ちで登場して、何やら(?)演奏して、そして黙って退場する。その繰り返し。ある意味、当たり前の情景だけれど、あまりにもファンサービスに欠けるような気はしていたのだ。

むろん、ベートーヴェンの後期のソナタとか、リストのソナタなどを演奏する際に、何も聴き手に向かってベラベラ話せとは思わないけれど、でも、あまりに聴き手との対話というか、空気の共有というものを、演奏者側から発信する努力が足りないような?

「クラシックって、高尚で分からない・・・」

こんな感想は、クラシックだけかもしれない。もしかしたら、その演奏が冗長で退屈なのかもしれないが、あえて聴き手が譲歩してしまう。「分からないのは自分の感性、教養が足りないのね」と。

フランク永井のリサイタルのライブ、このレコードを聴いていて、歌謡曲の歌手は、ここまで「お客さんに満足してもらおう」「楽しんで頂こう」と苦心しなければならないのか・・・と驚いたりしている。「いいですから・・・そこまでしなくていいですから。ただただヒット曲を歌ってくれればいいですから」などと思ってしまうほどだ。フランク永井は、三笑亭可楽のファンだったというし(だとすれば渋いと思うが)、実際に入船亭扇橋に弟子入りしていたくらいなので、話術は巧みだ。それもあろう。でも、そのようなことよりも「聴いている人が退屈しないだろうか?」という根本的な姿勢を感じる。ものすごく感じる。

クラシック音楽は、演奏する側が真摯に取り組み、そして練習をすれば、あえて演奏する側がサービス(?)しなくても、聴き手(観客)は満足するものだ・・・

そうなのであろう。自分が、その曲を好きで、真摯に取り組んでいれば、それは伝わるのだ。あえて、聴いている側(観客)のことなど考えなくても・・・そうかな?

達成感のために練習するのか?自分=作曲者=曲という図式だけでいいのか?もし、それで退屈している聴き手がいれば、感性の違いと捉えればいいのだろうか?それとも「豚に真珠よ」と?

考えてみると、なかなか興味深い問題ではないだろうか?

kaz

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category: ピアノ雑感

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続 還暦 

 

バーナード・ショー名作集バーナード・ショー名作集
(2012/05/18)
バーナード ショー

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小学生の時、夏休みの宿題だったと記憶しているけれど、読書感想文でバーナード・ショーの「ピグマリオン」を読んで感想文を書いたのだった。むろん、当時の僕にはショーは難解で(今も?)理解できなかった。たしか、「ピグマリオン」は「マイ・フェア・レディ」の原作で、小学生の僕は、それもあってショーを読んだのだと思う。

バーナード・ショーは、人生の指針となるべき名言を沢山残していて、幼かった僕は、そのいくつかを実践してしまったことで、ある意味自らの人生を踏み外したのではないかとも感じている。

「学問をした人間は、勉強によって時間を費やす怠け者である」

そうなんだぁ・・・ショーさんは、いいこと言うなぁ・・・と。

「結婚を、しばしば宝くじに例えるけれど、それは誤りだ。宝くじなら当たることもあるのだから」

そうなんだぁ・・・

僕が現在、ダラダラと気ままな一人の人生を歩んでいるのは、バーナード・ショーの影響なのね?

バーナード・ショーの言葉は、現在の僕の心にも響く言葉が多い。

「成功の秘訣は、多数に逆らうこと」

「自分で読まないような書物を子供に与えないこと。それがルールだ」

「真の自由とは、自分の好きなことが出来るということであって、何もしないということではない」

「失敗ばかりの人生は、何もしなかった人生よりも、あっぱれであるだけではなく役に立つ」

「惨めな気持ちになる秘訣は、自分が幸福であるか否かについて考える暇を持つことだ」

「年を取ったから遊ばなくなるのではなく、遊ばなくなるから年を取るのだ」

またまた突然と話題が変わりますが・・・

この人も、還暦を過ぎているんですねぇ・・・


「青春?若い連中には、もったいないよ!」 George Bernard Shaw




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