ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

信念の強要 

 

「音大生からの手紙」という文章の反響が凄いです。沢山のメールを頂いております。今まで返信をメールを頂いた方にしていましたが、やはり追いつかないので、ここでまとめたいと思います。

まず、僕の先生を紹介して欲しいという方が多かったのですが、やはり実際にご存じない方に、先生の名前などの個人情報をお知らせするわけにはいかないのと、僕が全く知らないネット上だけの関わりの方を先生に紹介するのもどうかと思います。なので、紹介はできません。申し訳ありませんが・・・

メールを拝見して、とても自分の先生の指導について悩んでいる方が多いのだな・・・と感じました。どのように解決・納得するのかは、それぞれの個人的な事柄なので、僕ごときが何かを言えるような問題ではありませんね、やはり。

でも、なんだか気持ちは理解できます。先生の指導内容に「???」と感じてしまうことはあるのでしょうね。

「腕を動かしなさい」「腕は固定させて動かさないように」「身体は動かさないで」「脱力すれば身体は自然と動くはず」「指はねかせなさい」「指は立てなさい」

それぞれ悩んでいる方の先生は、とても熱心なのだと思います。自分なりの「こうあるべき」という弾き方に関しての信念を持っていらっしゃる。でも、生徒も人間なので、単純に「ああ、そうですね・・・」と先生の言葉に納得できないケースもでてくるでしょう。

「先生は、このように言ったけど、でも私の好きな~というピアニストは全く異なることをしている」とか「私はこう思うんだけどなぁ・・・」とか。

先生の信念以外のものを先生が排除してしまい、その他の可能性を全く認めないというのは、やはりどうなのかなと僕は思います。生徒は先生と比較すれば、もちろん音楽的な経験は少ないわけなのだけれど、でも「音楽を感じる才能」というものを持っている可能性もあるのではないかと思います。そこを「そんなものは邪道!認めません!」と突っぱねられてしまうと、生徒は悩んでしまいますね。生徒にも感性はあるのですから・・・

多くの生徒は、先生の言うことに、今一つ納得できなくても、あえて反論はしないのではないでしょうか?「???」と思っても、「自分ごときが、おこがましくも、~したい・・・などと思うのは間違えているのでは?」とまず思うでしょう。でも、悩み・・・というか疑問は消えないですよね?

なので、悩んでいる生徒が多いのではないかと僕は思うのです。少なくとも、メールを読んだ感想からは、そのような印象を持ちました。

僕は、スティーヴン・ハフのように、「先生のエゴ」というようには言えません。思ってはいますが。(言っている?)

でも、お辞儀の仕方まで全生徒に統一させたり、表現まで統一させてしまう、奏法まで全生徒に強要させて固めてしまうのは、やはり先生の「エゴ」なのかもしれません。

急に旅館の話になりますが、一度だけ「こだわりの旅館」に宿泊したことがあります。その旅館は、特に食事に力を入れているようで、従業員も、そのことに対して誇りを持っているような旅館でした。有機の野菜にこだわり、自分の敷地内で栽培したりとか、食材にもこだわりがある。

おいしかったです!

でも、その「こだわり」が強すぎるというか、料理の説明が、やたら丁寧というか、長くてうんざりしてしまいました。宿の主人と料理長まで部屋に訪れてきて、延々と「自分たちの信念」を話し始めた時、僕は何か違うのではと感じてしまいました。彼らの「情熱物語」を拝聴するために宿を訪れたわけではないのです。ゆっくりとくつろぎたくて訪れたのです。

お客のために宿が存在しているのではなく、宿の信念・情熱の実現のために客が存在している・・・

「何か違うよね?」と思ってしまいました。

あまりにも自分の考えや奏法、嗜好を押し付け、それ以外は全く認めないという先生と、どこか似ているのではないかと思いました。

そのような先生は、少数なのだと思いたいです。でも、メールを読むと、そうでもないのかなぁ・・・などと感じてしまうのです。

kaz


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自分の演奏を聴いて、ひっくり返る・・・ 

 

先日のサークルの練習会、演奏を録画してくださった方がいました。

「録画しましたけど、どうします?」

僕は、自分の演奏というものを後から録画などで確認したことは今までありませんでした。サークルの演奏会などでは、メンバーの演奏は録画するので、ダウンロードして自分の演奏を確認することは可能でしたが、僕は(聴いた)観たことはありませんでした。

どうも、僕は「済んでしまったこと」に対して、興味を持てない性格のようで、カメラで写真を撮るという習慣もありません。国内だけではなく、海外旅行においてでさえ、カメラを持って行かないほどです。

自分の写真もありません・・・

ピアノに関しては、ハンディカムなどを購入して、自分の演奏を客観的に分析・反省する必要もあるかと思い、購入を考えていますが、でも、もともと興味のないことですし、「まっ、そのうち・・・」と思い、いつ購入するのやら・・・という感じでした。

初めて、自分の演奏を聴いてみて、それこそ「ひっくり返る」ほど驚きました。

ミスタッチなどは、意外と気にならないですね。実際に弾いている時には、この部分が最も気になりますが、あまり気にならない。これは人の演奏を聴いていても、以前から感じていました。

もちろん、僕は超絶技巧の持ち主ではありませんが、技巧的な難所も、「悲観するほどではない」という感じで以外でした。さらなる練習の必要性は、もちろん感じましたが・・・

自分で最もショックだったのは、リズム、拍子のカウントが硬直していることでした。自分で気分よく(?)弾いているつもりでも、リズムの刻み方が、なんというか、田舎の(?)ごく一般的な公立中学校における音楽の授業での合奏・・・という感じで、正確にリズムを刻み過ぎているというか、それが、強拍や弱拍なども一切感じらない「ブンチャッチャ」方式で、これがショックでした。

いわば、土台が強直しているので、メロディーも硬直している感じです・・・

一応、僕には「夢」がありました。ブログに自分の演奏をアップしたいという夢が。カテゴリーそのものは作っています。「恥さらし」というカテゴリーに自分の演奏をアップするつもりでしたが、ここまで自分の演奏が酷いとなると、ブログにアップすること自体が「罪悪」「公害」のような気もしてきます。

もう一つの「夢」は、モリッツ・ローゼンタールなどの演奏において顕著なリズムやメロディーの微妙な「揺れ」というものを自分なりに、いつの日か、再現してみたいということでした。でも、自分の刻みは「公立中学校の合奏」のそれなので、自分がそのような願望・野望を持ったことに、それこそローゼンタールにひれ伏して謝りたい感じです。

でも、いつか自分の演奏をアップできる日、そして自分の演奏を直視(聴?)できる日が来るのを夢見て、今日はひれ伏したいローゼンタールの演奏を貼り付けておきます・・・

kaz




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category: ピアノ雑感

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音大生からの手紙「絶対に聴いてはいけないピアニスト」 

 

夜中にメールフォーム欄からのメールがありました。非常に有名な音大の学生からでした。しばらく前から、その方も1920年代から1930年代のピアニストたちの演奏に惹かれるようになったそうです。現代のスター・ピアニストたちからは決して得られないような、それこそ衝撃的な感動を体感されたそうです。

僕の嗜好も往年のピアニスト寄りのところがあって、ブログにも往年のピアニストのことを多く書いているので、その方も読んでくださっていたそうです。

スティーヴン・ハフの言葉、「個性や主張が感じられないのは、そのピアニストの先生のエゴに責任がある」という言葉に、自分自身の先生のことを思ってしまったそうです。

その先生は、どうも往年のピアニストの演奏が、お好きではないらしいのです。でも、そのようなこともあるだろう・・・と僕は思います。好きな演奏のタイプというものは、人それぞれでいいと思います。でも、その先生は、「そんな演奏は絶対に聴いてはいけない!」「聴くだけ無駄!悪影響を及ぼす!」「いい演奏というものの対極にある危険な演奏・・・」「その時代のピアニストよりも自分の演奏の方が素晴らしい!自分は、その時代のピアニストなんかよりも、いい演奏ができる!」と、その方に言ったそうです。

その音大生の方は「先生のエゴ?」・・・と思ってしまったらしいのです。

ピアノの先生は、自分の嗜好というものだけで生徒を導いてはいけないものだと僕は思っていましたし、実際にそのような先生が存在しているということに、大きな驚きを感じました。それも有名音大の偉い教授・・・

なんだか哀しくなりました。自分のことではないのに・・・

その音大生は、フリードマンの演奏が好きなのだそうです。先生は聴いてはいけないと言ったのですが、でも聴いているそうです。聴かずにはいられないそうです。

でも、自分のレッスンでは、フリードマンの演奏のことを頭から締め出して、あえて「先生が期待する演奏」というものを再現できるように練習しているそうです。それが、とても苦しいのだそうです。

とても哀しいこと・・・僕は正直、そう感じてしまいました。

自身の音楽的な感動、その感動と日々の練習というものが一致しないということは、とても哀しい・・・

kaz

絶対に聴いてはいけないフリードマンのショパン・・・




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category: ピアノ雑感

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スタイルは競えるものなのか? その3 

 

僕がアイスダンスの演技のスタイルで最も好きなスタイルが、フロアダンスを、そのまま氷上に移したかのような古典的なダンスです。そのような古典的なプログラムで演技をしたのが、85年のワールドで2位になった、ソビエトのマリナ・クリモワ&セルゲイ・ポノマレンコのカップルです。前年のサラエボ・オリンピックで銅メダルだったカップルで、世界選手権では初めてのメダルとなりました。

僕が、このような古典的なアイスダンスを好きなのは、ピアニストでも古い時代のピアニストを好むのと似ているのかもしれません。とにかく、そのような「スタイル」が好きなんですね。これは、完全に僕の「嗜好」なのでしょう。

スケーティングの技術に関して、それも細かなエッジさばきのような地味な、しかし重要な技術は、このカップルが上位3組の中では群を抜いているような気がします。エッジを的確に、そして正確にリズムに乗ってステップを踏むという技術は、派手なリフトなどよりも難しいのではないかと僕は感じます。

それにしても上位3組は、それぞれ異なった個性的な演技、プログラムだと思います。

この年の順位は、1位がベステミアノワ&ブーキン、2位が、このクリモワ&ポノマレンコで3位がブランバーグ&シーバートでした。僕は妥当な順位だと思います。

完全に僕の好みという観点からの順位だと、1位がクリモワ&ポノマレンコ、2位がベステミアノワ&ブーキン、3位がブランバーグ&シーバートでしょうか・・・

でも、個性の違いが感じられることそのものが素晴らしいのではないかと思うのです。皆が同じような演技だったら観ていて面白くない・・・

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category: The Skaters

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スタイルは競えるものなのか? その2 

 

85年のワールドで3位になったのが、アメリカのカップルでした。ジュディ・ブランバーグ&マイケル・シーバートのカップルです。

このカップルは、いつも3位という位置にいる印象がありましたが、サラエボのオリンピックではメダルを逃しています。彼らにとっては相当ショックだったのではないでしょうか?

個人的には好きなカップルでした。ただ、それまではトーヴィル&ディーン組やベステミアノワ&ブーキン組を意識したプログラム作りをしていたように僕は感じていました。重厚で劇的なスタイルではなく、もっと彼らに合ったスタイルがあるのではないかと数年間の彼らの演技を観て感じていました。

85年は、このカップルにとって現役選手として最後のワールドになりました。現役最後の大舞台で、彼らは、「自分たちにしかできない演技」というものを実現したように思います。

素晴らしいけれど、他のカップルでも表現可能かもしれない演技・・・ではなく、彼らだけのもの・・・

上位3組の演技の中で、観戦していて最も僕が感動したのが、このアメリカのカップルの演技でした。

若かった僕は、「とうとうやってくれましたね!」と感激してしまったのを覚えています。

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category: The Skaters

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スタイルは競えるものなのか? その1 

 

技術そのものは競えるものなのかもしれないけれど、個性や表現のスタイルというものは優劣をつけられるものなのだろうか?

1985年のフィギュアスケート世界選手権を思い出しました。この年のワールドは東京での開催で、若かりし頃の僕も会場で観戦しました。この頃は世界と日本のレベルの差が大きく、世界のトップレベルのスケート選手の演技は輝いているように思えたものです。

個人的には、アイスダンスに感激しました。そもそも80年代はダンス全盛時代だったわけで、観ていて非常に興奮したのを覚えています。

84年にトーヴィル&ディーン組が引退して、85年は、それまでずっと2位だったソビエトのカップルが優勝するだろうと言われていました。そして実際にベステミアノワ&ブーキン組が初優勝したわけですが、この年は特にアイスダンスの上位3組の演技のスタイル、個性というものが、はっきりしていたように個人的には感じました。そして、その個性を最大限に発揮するようなプログラムで各カップルが演技をした。正直、僕は観ていて、「優劣はつけられないだろう?」・・・と思いました。

そもそも、比べること自体が不可能な「個性」「スタイル」を比較し、順位をつけるということに矛盾さえ感じてしまったのを覚えています。シングルなら、ジャンプの出来・不出来で妥当な順位がつけられるのかもしれませんが、ダンスはジャンプなどの技がないので、各カップルのスケーティングの個性やら演技スタイルというもので優劣をつける不合理さが出てきてしまいます。

音楽でもコンクールなどでは、このような問題はあるような気がします。

「優劣と、好き嫌いというものは別・・・」ここが難しいところなのではないでしょうか?

1位となったソビエトのナタリア・ベステミアノワ&アンドレイ・ブーキン組の演技です。非常に濃厚な演技だと僕は思いました。ストーリー性を全面に出したプログラムで、ダンス力というよりは、表現力の勝利という感じでした。

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category: The Skaters

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スティーヴン・ハフの言葉 

 

「多くの音楽学校は学生がコンクールで賞を獲って有名になることを期待しています。はっきり言わせてもらえば、それは大きな間違いです。学生が学校に入るのは教育を受けるためでコンクールに参加するためではありません。よい音楽教育を受けずにコンクールに入賞して何の意味があるのでしょう?」

「多くの完璧な演奏からは、演奏者の個性や、その人が何を考えて音楽をつくっているのかが、見えてきません。彼らの音楽は、すべて先生に習ったものだけなのです。常に生徒自身に考えさせる教育をしていないと、自身の音楽的な主張を発展させることのできないピアニストになってしまいます。最近のピアニストの音色には個性が感じられず、音楽表現にも主張がありません。それは、彼らの先生のエゴに責任があるように思います」

「私は昔のベヒシュタインやスタインウェイを懐かしく思います。現代のピアノには、はっきり言って、物凄く失望しています」

「私は1920年代から1930年代のピアニストの演奏を聴くのが好きです。あの時代の演奏スタイルに惹かれるのです。彼らの音楽の語法を追及したいと思います」




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category: Stephen Hough

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10本の指による歌曲 

 

ホルヘ・ボレットのピアノを聴いた。最近はボレットの演奏を聴いていなかった。

リストの作品を中心に聴いたのだけれど、僕はボレットの演奏では、シューベルトの歌曲をリストが編曲したトランスクリプションが好き。あとはゴドフスキー編のショパンの作品とか・・・

シューベルト~リスト作品はキーシンとかペライアも録音していて、それぞれ立派な演奏なのだと思うけれど、どうもボレットの演奏と比較すると、事務的に処理・・・とまでは言わないけれど、僕には「サクサク」と演奏しているように聴こえてしまい物足りない。

ショパン~ゴドフスキーは、アムランとかベレゾフスキーの演奏が有名だけれど、僕の感想は同じで、やはりボレットの演奏に漂う「香り」のようなものに欠ける。

おそらく、僕はボレットの演奏スタイルが好きなのだろうと思う。正確には、ボレットの演奏のようなスタイルに惹かれる・・・

20世紀初めから中ごろに活躍したピアニスト、特に1920年代や1930年代の録音、古い古い録音に惹かれるのだと思う。

ボレットは、20年代や30年代に活躍したピアニストではないけれど、でも「スタイル」を継承しているように感じる。

ボレットはゴドフスキーとローゼンタールに師事したピアニストだ。

スタイルの好みなので、僕とは正反対に、ボレットではなく、キーシンやアムランの演奏に惹かれる人もいるのだと思う。

自分の好きな演奏スタイルが、現代の主流ではないのかと思うと、どこか寂しさも感じる。

同時に、自分が、その演奏スタイルというものが好きでよかったとも思う。

現代の輝くスター・ピアニストにはない何か・・・その「何か」が好き・・・

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category: 好きな曲・好きな演奏

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大人のピアノ? 

 

ふと思った。

ピアノ教室の大多数の生徒は子供。大人は少数。

ピアノは子供の時から始めるのが普通だから、なんとなく子供専用アイテムのような気がしてしまう。

大人がピアノを弾く時、習う時には、わざわざ「大人のピアノ」とか「大人の生徒」などという言葉が使われる。「大人の~」と、子供のピアノとは区別される感じ?

でも、名曲とされているピアノの曲のほとんどは、子供を想定して書かれていない。ピアノという楽器も子供を想定して発達してきた楽器ではない。

ピアノは、本来は「大人のもの」なのです。ショパンなど、作曲家の残した憧れの曲は、本来は「大人専用アイテム」なのだ。ピアノという楽器そのものも、大人のものなのだ。

ピアノは大人のためにある。

本当は「子供のピアノ」と、子供が区別されるべきでは?

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category: 未分類

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やっぱり歌が好き 

 

練習会から帰ってきて、ひたすらCDを聴いています。本当だったら必死に練習すべきところなのでしょうが、でもいいの!久しぶりの至福の時ですから。

いろいろとCDを聴いていて、僕はやっぱり歌が好きなんだなぁ・・・と再確認しました。

同時に、往年の古いピアニストの演奏が好きなのも再確認しました。まずは、その音というか、軽いタッチ感に魅了されます。現代のピアニスト、ベレゾフスキーとかトリフォノフとか(名指し?)、上手いのですが「鉄の音」というか「鋼鉄の演奏」のように、どうしても僕には思えてきてしまうのです。

今日はフリードマンのCDを聴いて、本当に久しぶりにCDを聴いて涙が出ました。

やはり・・・「歌」なんですよねぇ・・・

なんともいえない軽い音色(ベタッと重くない音色)と、歌心・・・

このフリードマンもそうですが、ローゼンタールやホフマン、レヴィーン・・・やはりこのあたりの往年のピアニストが僕は好きですねぇ・・・

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category: ピアニスト

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音のカオスとは無縁になりたい・・・ 

 

今日の練習会で自分で理解できたことがあります。ピアニストのスティーブン・ハフが僕は好きで、だからこそ彼の曲を弾いているのだけれど、何故自分がハフの事を好きなのかが今一つ自分で理解できていませんでした。

もちろん、他にも好きなピアニストは大勢いるのだけれど、好きな理由は自分自身で納得できるところがありました。でもハフに関しては理解できていなかったのですね。

自分のピアノの音を聴きながら「僕のピアノは音のカオスだな!」と思いました。整然としていないんですね。だからハフの演奏や曲に憧れるのですね。

ハフの演奏は、カオスというものとは無縁。どこか知的で整然としている。自分にないものばかりを持っている。なので憧れる・・・

ラフマニノフの3番などの曲は、音や響きのカオス度(?)が高くなりがちで、聴衆もカオス度満点の熱演、汗演(?)に熱狂しがち。でもハフはこの曲でもカオスとは無縁・・・

ここに憧れる。

何故かN響との共演。

「ハフ・・・若い!」

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category: Stephen Hough

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サークルの練習会で何故かイヴ・モンタンを連想した・・・ 

 

今日はサークルの練習会でした。来月の演奏会と同じ会場での練習会。

とても素敵な空間でスタインウェイも弾きやすい。一人の持ち時間は20分。通常の練習会とは異なり、普通に曲を弾くだけではなく、ピアノの状態を確認したり、会場の響きを聴きながら弾いたりと、練習がメインのような会。

来月に弾くピアノで練習できたし、課題も確認できたので良かったと思います。自分の演奏中や他のメンバーのピアノの音を聴きながら、ふと「最近音楽を聴いていないなぁ・・・」と思いました。

忙しいし、ピアノの練習時間を工面するだけで精一杯なところもあるので、仕方がないのかな?

でも、確実に自分は枯れているな・・・とも思いました。音楽から受ける感動なしにピアノを弾いているというか・・・

ピアノは、メロディーと和声とリズムを一人でこなすので、どうしてもリズムが機械的な刻みになってしまう。技巧的に複雑な箇所だと、特にその傾向がありますね。そして左手の刻みにメロディーを合わせてしまう。その方が弾きやすいから・・・

自分もそうなのだと思うけれど、人の演奏を聴いていて、「ブンチャッチャッ・・・」の刻みと、メロディーの抑揚・・・このあたりはピアノは難しいなと思いました。そして、何故か、今日の練習会ではイヴ・モンタンのことを連想しながらピアノを聴いていました。

「何故シャンソン?」「何故イヴ・モンタン?」

よくは分りませんが、イヴ・モンタンの歌は、ピアノを一生懸命弾きこなすとか、ミスなく弾かなくてはとか、そのような事の正反対のところに位置している音楽なのだからかもしれません。

帰宅してCDの棚から彼のCDを取り出し聴いています。

「最近は、歌を聴いていないな・・・」と思いましたね。クラシックの声楽の曲も含め、ほとんど歌を聴いていなかった。だから枯れた演奏しかできないのかなとも思いました。やはり感動なしにピアノは弾けない。弾けるけど、いや、それでも弾けるからこそピアノは難しい・・・

音楽を聴いて泣いたのは、どれくらい昔の事になってしまったのだろう・・・

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category: サークル

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毎週異なるソナタを暗譜で弾いた男 

 

ピアニスト、ジョン・ブラウニングのインタビュー記事を読んでいて、興味深かったこと。ジョン・ブラウニングは暗譜の方法としては、とてもシンプルで、繰り返し繰り返し覚えるまで弾くだけなのだそうだ。ミッシャ・ディヒターと同じく、ブラウニングはロジーナ・レヴィーンに師事しているわけだけれど、暗譜の方法は両者で随分と異なる。

ブラウニングはマダム・レヴィーンの他に、リー・パティソンにも師事しているのだけれど、この二人の教師に共通していたのが、課題が多いということ。毎週、異なるソナタ(もちろん全楽章)を暗譜で弾かなければならなかった。一年で50曲以上の主要なレパートリーを、暗譜して弾かされて(?)いたのだそうだ。このことは、二人の教師が、ブラウニングが将来、コンサーティストとなることを想定したレッスンを行っていたということなのだと思う。

それにしても・・・

ブラウニングは特別な例なのかもしれないけれど、一般的にアメリカに限らず、外国(ヨーロッパ諸国)の音大では、日本とは比較にならないくらいの課題を要求する。

アメリカの音楽院の入試では、4期の曲を用意するのは普通だし、試験もリサイタル形式が普通。日本の音大では、そのようにはなっていないようだ。日本ではソナタの、ある楽章だけを演奏会や試験で弾くことも多いけれど、アメリカの音楽院では、「ソナタを演奏」というのは、普通は全楽章を弾くということになるのだそうだ。

やはりピアニストがリサイタルで「ベートーヴェンのテンペストの終楽章だけを弾きます」というのは、やはり奇異な感じを受ける。音大の一般的なピアノ科というものが、ピアニスト養成ということを目的としているのだとすれば(実際にはコンサーティストにはならなくても)、養成機関である音大の試験で、ソナタの、ある楽章だけを弾けばいい・・・というのは、やはり少し変な気はしてしまう。

たとえば、試験やレッスンで多くの曲を弾かなくてもいいのだとすると、同じ曲を長期間、試験だけのために弾いていくことになる。試験では上手く弾かなければならないし、点数もつくのだから、そうなるのが普通だと素人は考えてしまう。

でも、そうなると、曲を細部まで磨き上げることになるのかもしれないけれど、曲を「音楽」として捉えるというよりは「課題」として捉え、細部をどのように弾くかということに専念しがちにならないだろうか?

いわば、「自己の表現」というよりは「課題をどのようにこなすか」に集中しがちになる危険性もあるのではないだろうか?気を見ずして葉をみてしまうというか・・・

話をブラウニングに戻すけれど、日本での知名度は高くはないみたいなのだけれど、ブラウニングは作曲家のバーバーと親交の深かったピアニストで、バーバーのピアノ協奏曲は、「ピアニスト:ジョン・ブラウニング」を想定して書かれ、バーバーはブラウニングにこの曲を献呈している。初演もブラウニングが行っている。アメリカでは非常に有名なピアニストだと思う。

ブラウニングはインタビュー記事で面白い事を言っている。

「私はメソードなるものからは離れているよう努めています。子供の頃からメソードを避けていました。それは、いつか良いピアニストになれるものなら、そこへ到達する道は、自分自身で見つけ出すのだという事を感じていたからです・・・」

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自分だってできていると思うこと・・・ 

 

暗譜そのものは大変だとは感じないにしても、人前で演奏する時には、この暗譜というものが鬼門になる。緊張の度合いが楽譜を見て弾く時とは全く異なるから・・・

暗譜をしなくてもいいのかもしれないし、しなくてもいい理由は、いくつもあるのだと思うけれど、でも人前で弾く時には暗譜で演奏したい。

何故だろう?

人前で暗譜で弾いた曲は、自分の中での「残り具合」が、そうではない曲とは違うような気がする。もちろん、暗譜で弾いた曲だって忘れて弾けなくなるけれど、でも再度その曲を弾く時の戻り具合が違う。やはり暗譜で弾いた曲は自分の中に残っていると感じる。

自分の中での、その曲に対する本気度のようなものが、暗譜をした曲では強い。本気度が強いから暗譜で弾きたいというか・・・

暗譜をしないと、ただ曲を「弾き散らかす」という感じになってしまいそうで、それが怖い。アマチュアの場合は特に・・・

家で練習している時には、そこそこ弾けていても、人前で緊張した状態で弾くと、「そこそこ弾ける」が「全然弾けない」になる。それが本来の実力なのかもしれないし、落ち込むけれど、でも人前で暗譜で弾くことは重要な気がする。

「これが僕?」・・・のように本番では練習の時のようには弾けなくなる。自分が自分ではないような感じさえする。

それなりに、いや、相当頑張って練習した時の方が、本番では上手く弾けなかったりする。これは落ち込む。

でも、人前で弾くこと、人前でミスをすることは大切なような気がする。

何故だろう?

「経験」ではないだろうか?人前での演奏・・・これは経験。どんなに家で弾けていても、本番では悪い魔法がかかる。これに対処できるようになるには、人前で多く弾く機会を持つこと。どんなに落ち込んでも・・・

緊張して人前で弾く頻度が一年に一回では少ないと思う。だからサークルに参加しているのだ。二か月に一回は緊張した状態で弾く機会を自分で作っている。落ち込む頻度も多くなるが・・・

「練習できない!」「弾けない!」・・・自分はできないことだらけのような気もしてくるけれど、でも「人前で暗譜で、そして緊張した状態で定期的に弾く」ということは、やっている。

「暗譜」と「人前での演奏」・・・やってるじゃない?

その部分だけは自分は、頑張っていると思う。

kaz


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暗譜必勝法! 

 

ミッシャ・ディヒターは、ソロの場合よりも室内楽の方が本番前に、ずっと落ち着いた気分でいられることに気づいたそうです。緊張する原因が、暗譜にあるのであれば、その暗譜に関して考えてみる必要性を感じたそうです。

彼自身が「システム」と呼んでいる方法です。まずは曲を構成に沿った大き目の部分に分解します。そして、その曲の共通する音程的なまとまり、和声的なまとまりを記憶するのだそうです。ある曲が6度音程を基礎としているのであれば、その音程は、その曲全体に行き渡り、和声的単位を形作っているはずだと・・・

和声的なまとまり、その核となるポイントと、それを取り囲む副次的な部分のまとまりを、すべて記憶する。意味のない音として「手癖」で覚えるということのないように・・・

「4,5時間集中して勉強すれば、初めての曲であっても、その日に勉強した部分は暗譜できるはずです。猛烈な頭痛は伴いますが。また、暗譜されていないとしたら、本当に勉強したのではないと自分でもわかります」とディヒターは言っています。

「演奏家が充分に準備をして、和声的なつながりも完璧に理解し、気分もそれなりにリラックスをしていて、それでも何かを忘れる・・・いいじゃありませんか!人間なんですから!」

ディヒター自身は「自分は全然弾けない!全くだめだ!」と感じられて、みじめな気分になる時が多かったといいます。そのような場合の解決方法は、物凄く遅く弾いて、たとえば一秒に音符ひとつぐらいのテンポで弾いて、手が勝手に動いて音楽から逃げ出していないと自分で納得できるようにする。

「問題は何かと言うと、頭が、筋肉を充分に支配できるほどの速さでハーモニーやメロディーの動きについて考えて弾いていなかったということなのです」

ディヒターが自ら「自分はコンサート・ピアニストになるのだ」と決心したのは15歳の時だそうです。それまでは、両親の希望もあり、医師になりたいと思っていたそうです。

「決心してからは、エチュードの代わりに基礎的な指の訓練に励みました。一日に12時間くらいは練習していましたかね。もちろん、現在では、そんなに練習しませんよ。演奏旅行中は、一日に4時間くらいでしょうか?自宅で新しいレパートリーを勉強する時には一日に6時間くらいでしょうか?」

頭と筋肉を分裂させない・・・手癖で弾かない・・・

このあたりが重要なのかもしれません・・・

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category: ピアノ雑感

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明るいカリフォルニアのプロコフィエフ? 

 

今まで書いてきたアメリカのピアニスト、ゲイリー・グラフマン、バイロン・ジャニスなどのピアニスト、もちろん日本でも無名な存在ではないと思うけれど、彼らの実力、そして日本以外での評価というものを考えると、日本でも、もう少し知名度があってもいいのかなぁ・・・などと思います。

同じように感じるピアニストに、ジョン・ブラウニングやミッシャ・ディヒター、ギャリック・オールソンなどがいます。

「アメリカ」という国のイメージが、クラシック音楽のそれと結びつかないところがあるのでしょうか?「カリフォルニアの明るい太陽」とか「ジャズの国」とか・・・

明るく、そして人々も陽気で、豊かな国・・・

でも、ヨーロッパ諸国と比べて決定的な違いがある・・・「伝統」がない・・・

とても達者に弾くけれど、伝統的な演奏(?)ではなく、どこか底が浅いという偏見・・・

アメリカのピアニスト=ガーシュウィンは上手い・・・のような???

戦後、コンクールの時代の到来。各コンクールの受賞者、たとえばチャイコフスキー国際コンクールのピアノ部門の受賞者の国籍を見てみると、「ソ連」と「アメリカ」のコンテスタントたちの壮絶な戦いという印象さえ感じます。1960年代、1970年代あたりに、特にそのような傾向があったように思えます。

「ソ連」対「アメリカ」・・・という図式なわけですが、ちょっと考えてみれば、正確には「ソ連」対「ロシア」の戦いでもあったのではないでしょうか?60年代、そして70年代は、ロシアから亡命した偉大なピアニストたち、ラフマニノフやホロヴィッツ、レヴィーン夫妻、ゴロドニツキーといったロシアのピアニストの教えが、アメリカのピアニストに伝承され、花開いた時期でもあった・・・

上に挙げたアメリカのピアニストたちは、ロシアから亡命した偉大なピアニストに師事しています。ロシアの伝統というもの、純正なピアニズムというものがあるとすれば、そのような何かを受け継いだと考えられるのでは?

なので、「ソ連」対「ロシア」・・・

この時代、伝統というものを感じさせるのは、国の国家的威信の成果として教育されたソ連のピアニストよりも、むしろロシアン・スクールの大ピアニストたちから直接教えを受けたアメリカのピアニストなのかもしれません。

第3回のチャイコフスキー・コンクールで優勝したのがグリゴリー・ソコロフで2位だったのがミッシャ・ディヒターです。4位くらいまで「ソ連」と「アメリカ」で占めていて、とても興味深いです。

ミッシャ・ディヒターはジュリアード音楽院でロジーナ・レヴィーンに師事した人です。

日本でも、もう少し知名度があってもいいのでは?

「アメリカ」=「クラシック音楽新興国」という先入観を捨てれば、アメリカのピアニストから異なる印象を受けるのかもしれません。

kaz




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ピアノの上手いピアノの先生 

 

もっぱら「教師」「先生」として有名なピアニスト・・・サッシャ・ゴロドニツキー・・・

ジュリアード音楽院の名教授として有名だった人ですね。日本人も含め、多くの弟子を育て上げました。最も有名な弟子は、ギャリック・オールソンでしょうか?

ゴロドニツキー自身は、ジョゼフ・レヴィーンに師事しました。そして、ラフマニノフにも師事しています。ロシアン・スクールというものを、アメリカに伝承した功績、そしてジュリアード音楽院の黄金時代を築き上げた功績は大きいのではないでしょうか?

・・・とゴロドニツキーの功績は、やはり先生としての功績に光が当たります。

以外とゴロドニツキーの演奏を聴いたことのない人は多かったりするのかもしれません。

やはりピアノの先生は「弾ける先生」がいいですねぇ・・・

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摩天楼のロシア 

 

Byron Janis Complete Album CollectionByron Janis Complete Album Collection
(2013/02/19)
Byron Janis

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ゲイリー・グラフマンと共に、ホロヴィッツの弟子となる幸運を掴んだピアニストがバイロン・ジャニスです。

僕は、なぜかラフマニノフやプロコフィエフのようなロシアのピアノ曲を聴くと、雪原の広大なロシア・・・ではなく、摩天楼のニューヨークを連想します。おそらく、亡命したロシア人ピアニストの教えが、アメリカ人に伝承され、若き才能溢れる、そして驚くような演奏をアメリカ人が繰り広げるようになっていったからだと思います。

クライバーンのようなピアニストの出現・・・

偉大なロシア人亡命ピアニストの教えがアメリカで実を結んだ瞬間・・・

クライバーンは、ロジーナ・レヴィーンに師事しましたが、バイロン・ジャニスもジョゼフ&ロジーナ・レヴィーンの教えを受けました。ジャニスが16歳でラフマニノフの協奏曲を、これまた15歳だったマゼールの指揮により演奏した時、その演奏を聴いていたのがホロヴィッツでした。

「ジャニス君・・・君の演奏には閃きがある!ニューヨークに戻ってきたら電話をくれないか?レッスンしたい・・・」

ジャニス少年は、この時舞い上がるほど嬉しかったのではないでしょうか?

ソビエトの威信というものを誇るためのコンクールでテキサス生まれのクライバーンが優勝し、その数年後、レヴィーン夫妻とホロヴィッツの教えを受けたジャニスが、モスクワでコンチェルトを連続で演奏してセンセーションを巻き起こす・・・

バイロン・ジャニスは、昔の事故により1本の指の感覚が無いんですね。それで、どうしてあのような演奏ができたのだろう?さらに、ジャニスは重度の関節炎を患います。

バイロン・ジャニスの知名度が今一つ高くないのは、関節炎のため、ステージから遠ざかっていた期間があるからだと僕は思います。手術後、復帰しましたが、最も聴きたかった時期のジャニスの演奏が聴けなかったのは残念なような気はします。

ジャニスがモスクワで録音したラフマニノフを聴くと、ホロヴィッツの言った「閃き」というものを感じさせずにはいられない感じです。

ロシアの伝統が、ニューヨークで伝承され、モスクワで咲き誇る・・・まさにそのような印象を僕は持ちます。

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ラン・ランとユジャ・ワンの先生って、どんな人? 

 

奇跡のピアニスト郎朗(ラン・ラン)自伝―一歩ずつ進めば夢はかなう奇跡のピアニスト郎朗(ラン・ラン)自伝―一歩ずつ進めば夢はかなう
(2008/07/23)
ラン・ラン、デイヴィッド・リッツ 他

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ラン・ランの自伝を読んで、興味を持ったのが、ラン・ラン自身のことよりも、師、ゲイリー・グラフマンのこと。ラン・ランのような才能溢れた若者、異様に(?)弾けてしまう若者にとって、コンクールで自分を試してみたいという欲求は、かなり強いものだったと思います。でも、グラフマンはフィラデルフィアのカーティス音楽院時代、ラン・ランにコンクールを受けさせなかった・・・

昔、グラフマンの公開レッスンを聴いたことがあります。なんというか、楽譜の読み込みというものに厳しいという印象を受けました。「そこは、ただの和音ではありませんね?」とか「ここの隠れた声部の動きを意識できていますか?」のように・・・

楽譜に忠実な演奏と、演奏者の感じたパッションを感じる演奏、どこか分けて捉えてしまいがちで、演奏のタイプとしても分けて考えてしまいがちですが、本来は、楽譜を読むことにより、個性が育まれる、その人らしい表現が生まれるのではないか・・・グラフマンのレッスンで感じたことです。

ラン・ランは自由奔放に弾いているような印象を受けますが、楽譜を見ながら彼の演奏を聴くと、読みの深さと、その再現能力に凄いものがあるのが理解できます。

グラフマンのもう一人の有名な生徒、ユジャ・ワン・・・この人も楽譜の読み込みが凄いですねぇ・・・

考えてみると、ラン・ランとユジャ・ワン・・・この二人を育てたというだけでも、グラフマンというピアニストに興味が出てきます。

グラフマンはカーティス音楽院で教えているわけですが、グラフマン自身も7歳の時からカーティス音楽院でヨゼフ・ホフマンの指導を受けました。後にゼルキンとホロヴィッツにも師事しています。数少ないホロヴィッツの弟子だったわけです。

グラフマンは70年代、右手を痛めて、その後は教師として有名になっていった感があります。左手のピアニストとしても活動していたと記憶しています。

右手の故障の前、若い頃のグラフマンの演奏、その演奏を聴くと、やはり楽譜の読みの深さを感じます。

コンクール優勝者や新人、そして「旬」の人を追いかけて聴く楽しみもありますが、このような隠された名演を聴く楽しみも、また格別のように僕は感じます。グラフマンのCDは現在でも容易に手に入ります。聴いてみませんか?

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category: ピアニスト

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サークルの理想の会場とは? 

 

今月の27日はサークルの練習会です。平日です。そのサークルでは毎年6月に演奏会を行うのですが、一か月前に、演奏会と同じ会場で練習会を行います。僕は、この予行練習的な練習会は初めての参加になります。

「このサークル・・・気合い入ってますよね!」

自分の演奏の出来は、この際どうでもよく(?)会場とピアノを確認できるのが楽しみで仕方がない感じです。

僕のこれまでの数少ない体験からすると、ピアノのブランド(?)に拘り、やれスタインウェイがいいとか、ベーゼンドルファーがいいとかよりも、大切なのは会場の広さと天井の高さ。つまり会場という器そのものの響きですね。こちらの方が重要なような気がします。天井が高く、自分の音が反響しているのを聴きながら弾くのは、ある意味恍惚感を感じそうです。

楽器の状態も大切ですよね。いくら世界の名器でも管理が今一つの会場もあったりします。モコモコで、タッチも不揃いな楽器で弾くのは、ちょっと辛いです。その楽器が世界の名器であれば、なおさら哀しくなります。けっこう、東京では、このパターンが多いような気がしますね。

たとえば、ファツィオリのショールームとか、ベヒシュタインの代理店(?)のホールのような所は、さすがに楽器の管理が素晴らしいです。ファツィオリがいいとか、ベヒシュタインがいいとか、ブランドのことよりも、やはり楽器は管理状態がしっかりしている方が僕はいいです。でもショールームのような場所は、天井が低かったりして、会場としては響きが今一つな場合がありますね。仕方ないですが。

会場と楽器、もう一つ大切なのが、会場の運営者の人柄というか個性というか・・・

個人でサロンやホールを運営して管理している方は、音楽が好きで、上流(?)の方が多いみたいです。僕は、サークルの管理人ではないので、直接運営者の方とお話ししたことはないのですが、どうも個性的な方が多いらしい。

個性的でもいいのですが、商売ですので、やはりサークルのメンバーの演奏について批評したりするのは、控えて頂きたい感じです。実際、僕も言われたことがあります。「あなた・・・あそこの弾き方だけれど・・・」みたいに。サークルのメンバーが言うのだったら、いいのですが、運営者が言うのは、やはりマズイのではないかと思います。アマチュアでも料金を支払っているので、こちらはお客様ではないかと・・・

会場としての器、楽器の管理状態、そして会場主さん・・・

この3つが、すべて揃った素晴らしい会場・・・これがいい会場なのでは?

でも、この3つが揃うことは難しいですよね。

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category: サークル

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「逆の法則」 

 

誰が言っていたのか記憶が曖昧なのですが、あるピアニストの公開レッスンで印象に残っている言葉。

誰だったかなぁ・・・アメリカ系の人だったと記憶していますが・・・アックスとかペライアとか、あのあたり(?)の人だったかと・・・

自分が弾けないと思って、何回も反復して練習している弾きにくいパッセージ。何回も練習して、それでも弾けない場合、「自分が弾けないと思っているパッセージ」ではなく、そのパッセージの直前、あるいは、そのパッセージが右手だったら、その部分の左手の部分に問題があることの方が多いのだそうです。

つまり、練習者(?)が難しいと思い込んでいる箇所の逆の部分に注目してみる。左手だったら右手、右手だったら左手と。

「逆の法則」ですね。たとえば、和音の連続のような箇所、このような箇所は、どうしても「和音・・・和音・・・」と意識してしまい、「音をつかまなければ!」と無意識に思ってしまう危険性があるそうで、和音の連続している時は、逆に「旋律!」と意識して、横の流れを意識するといいそうです。

ショパンのノクターンの右手は「旋律・・・旋律・・・」と思い過ぎてしまうと、マズイのだそうで、この場合は「和音!」と意識して、和声を感じるといいそうです。

これも「逆の法則」ですね。

左手がリズムを刻んで、右手が困難なパッセージを弾く場合、左手に跳躍があったりすると、人間は自然に「左手に右手を合わせる」という感覚になるそうです。この場合も逆に「右手に左手の刻んでいるリズムを合わせる」といいそうで・・・

ショパンのプレリュードの16番。この曲は、左手に右手を合わせるという意識で弾くと、失敗(自滅?)することが多いそうです。右手のパッセージに左手の刻みを合わせる感覚で弾くといいそうです。

それにしても、誰の公開レッスンだったかなぁ・・・

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category: ピアノ雑感

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Left Hand ~ そしてTwo Handsへの飛翔 

 

退院後、最も僕のピアノ・ライフに影響を及ぼしたのは、体力。そして痛み。体力は復調するまで待つしかないと思えたけれど、痛みは辛かった。痛いことが辛いのではなく、手術をしたのでピアノを弾くと痛い。なので、以前と同じように弾けない。これが辛かった。

弾き方を変えるしかなく、その弾き方だと、以前のようには弾けないし、それでも痛みはある。特にアール・ワイルドの「ヴォカリーズ」とかハフの曲のような、技巧的な曲は演奏不可能な身体になってしまったのかと思うと、恥ずかしい話だが、涙が出た。この2カ月間は、ピアノを弾くと涙が止まらなかった。

僕は、ワイルドやハフのようにピアノを弾けたことがないので、彼らのように弾けなくても悲観はしない。でも、去年の自分より確実に劣っている自分と対面するのは正直辛い。

このまま、弾きたい曲は自由に選曲できなくなっていくのか?このまま痛みを感じつつ、癒し系のスローな曲を弾いていくしかないのか?

「アマチュアなんだし」「身の丈を考えて、それもいいのだと思えば?」そう感じようとした。何度も。ピアノを弾かなければ感じない辛さなのだったら、ピアノなんか弾かなければいい・・・

では、なぜピアノを弾くと辛いのか?何故涙が止まらなくなるのか?

今日、やっとこの状態から抜け出せそうな予感がした。なんとか身体と痛みと弾き方の折り合いがつきそうな予感がした。まだまだだけれど、少しだけ今日は希望が持てた。痛いけどねぇ・・・

この底状態の期間、僕が考えていたピアニストがレオン・フライシャーのこと。もちろん、彼のジストニアの方が深刻だし、僕なんかと比べてもいないけれど、それでも彼の存在そのものが勇気をもたらしてくれる。

フライシャーが局所性ジストニアを患って、右手が演奏不可能な状態になってしまったのは、彼が37歳の時。この時の彼の心中は想像もできないけれど、彼は両手のピアニストの引退後は指揮者、指導者、そして左手のピアニストとして活躍した。

「私の人生で最も大事なことは、両手で演奏することではない」彼はこう語った。

でも、彼は両手で弾くということを諦めなかった。治療法を探し、治療を続け、90年代の後半に徐々に両手でも弾くようになっていった。彼は67歳になっていた。

その後、40年ぶりに、両手で弾いたCDを録音した。「Two Hands」・・・

ジストニアを患う前のフライシャーのCD、若きフライシャーとジョージ・セル、そしてクリーヴランド管弦楽団とのブラームスのコンチェルトは僕の愛聴盤だった。

両手のピアニストとして復帰後すぐに、フライシャーは再度ブラームスのコンチェルトを弾いた。凄まじいまでの演奏だ。ここまで音楽というものは、そして人間というものは強いものなのか・・・

演奏している彼の右手を見ると、ジストニアで苦しんだ壮絶な彼の年月というものが見えてくるようで、辛いというか、感動を覚えるというか、よくわからないけれど、でもこのブラームスは人間の奇跡なのではとも思えてくる。

人間には才能の違いというものがあるのかもしれない。凡庸な人間は身の丈を考え、自分のできることをしたほうがいいのかもしれない。でも、人間には誰にでも可能性はある。そこは誰でも同じだと思いたい。身の丈を考え、その範囲で行動すれば、自分は傷つかないけれど、でもそれは怠慢だとも思う。できるかもしれないじゃないか、やってみて傷ついたほうがマシじゃないか・・・

自分に少しだけ光が見えると、このように感じる。諦めは美徳ではないと・・・

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category: ピアニスト

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音楽家として惹かれあう時 ・ 人として惹かれあう時 

 

原智恵子さんが、チェロの巨匠ガスパール・カサドと結婚したのは1959年、昭和34年のこと。二人の出逢いは、パリ音楽院の卒業審査試験。両者とも審査員としてパリに滞在していた時・・・

結婚当時、原さんは44歳、カサドは61歳。カサドは初婚であるが、原さんは再婚である。二人がイタリアに渡り婚約を発表した時には、原さんは最初の夫との離婚が成立していなかったので、当時は、このことが大スキャンダルとなった。

「子供を捨てた鬼のような母親!」「ふしだらな女!」などと週刊誌は書き立てたらしい。

お互いに、異性として、そして人間として惹かれあったからこそ結婚したのだとは思うけれど、音楽家としても二人は惹かれあったのではないか・・・なんとなくそのように僕は感じる。

さすがに原さんでさえ、カサドという巨匠の音楽についていくのは最初は大変だったらしい。「デュオ・カサド」として完全に完成するまでは、結婚して3年かかったと原さんは回想している。カサドの要求は厳しく、練習を終えて夕食になるのが23時過ぎという生活だったらしい。

二人は練習に、音楽に没頭した。フィレンツェの大洪水の時のエピソードがある。濁流が二人の住まいに迫りつつも、練習に没頭していて気づかない。いよいよ危険という時に原さんは、事の重大さに気づくが、カサドは濁流を見ても「わぁ・・・ヴェネツィアみたいだねぇ・・・」などと言って深刻さを解っていない。カサドの弟子がボートで二人を救出に来て、なんとか命が助かったという。

カサド夫人となった原さんに対して、日本の楽壇は手の平を返したような扱いをする。カサドという大物に楯突くことは決してできなかったのだろう。原さんが単独で演奏会を行っても、以前とは比較にならないほどのギャラが支払われるようになった。

僕は、この時に原さんは心の底で日本の楽壇という存在を捨ててしまったのではないかと想像したりする。カサドが亡くなると、また手の平を返すように自分への扱いが変化するのを原さんは知っていたのではないか・・・そして実際にそうなった。

カサド亡き後、ヨーロッパでの「マダム・カサド」としての原さんの活躍を日本の楽壇は無視したようなところがある。カサド国際チェロ・コンクール、原さんが主宰したこのコンクール、日本人チェリストが優勝しているにも関わらず、日本側の報道は熱心だったとは言えない。

日本では、原智恵子というピアニストの名前を知る人が少なくなっていった。

かつてカサドがそうしたように、原さんも「マダム・カサド」として若い演奏家の発掘・支援を行った。チェリスト、ミッシャ・マイスキーもそのうちの一人。マイスキーが日本をよく訪れるのは、原さんの影響もあるのではないかと僕は思ったりもする。

カサドの演奏を聴く。何故原さんがガスパール・カサドという音楽家に惹かれたのか、なんとなく理解できるような気がする。そして原さんと日本の楽壇との関係が上手くいかなかったのも、なんとなく理解できるような気がする。

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category: 好きな曲・好きな演奏

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春風のようなピアニスト 

 

原智恵子というピアニストの名前は以前から知っていたけれど、彼女に関する本を読んだり、数少ない音源を聴いたりするようになったのは、実は最近のこと。

仕事柄、高齢者の方々と接する機会が多いのだが、驚くほど高齢者の方々の間での原智恵子というピアニストの認知度が高く、そこで彼女に対する興味が生まれたのだ。

昔、ピアノを弾いていたという方は、もちろんのこと、そうではない一般の方々も、原智恵子というピアニストの名前を知っていることが多い。クラシック音楽というものに無縁の方は、ご存じないのだけれど、それでも「ピアノ界」という狭い領域を超えた認知度であるように感じた。

戦前、戦後と厳しい時代に少女時代、学生時代を生きた高齢者の方々にとって、西洋音楽というものへの憧れは、物凄く高い。西洋文化そのものへの憧れ・・・その憧れの対象となったのが、原智恵子という一人のピアニスト。

「綺麗な方でしたよ・・・」「憧れたねぇ・・・ドレスもシックで、何よりも美人だったしね・・・」「華奢で、御美しい方でしたね。日本人じゃないみたいでした。お人形のようで。でもピアノは凄かったですよ」「原さん?知っていますよ。素敵なピアニストでしたね。凄く活躍されていて、憧れていた人も多かったですね」

当時の人々にとって、原智恵子というピアニストは、西洋そのものとして映ったのかもしれない。幼少の頃からフランスに住んで、教育もフランス仕込み・・・演奏そのものも素晴らしかったと思うけれど、まずはその舞台姿、立ち振る舞いというものが、人々の心に入り込んだ・・・

その日本人離れした存在感、魅力が、閉鎖的な当時の音楽界、男社会であったピアノ界に、すんなりとは受け入れられなかった。そこが惜しい。当時の凄まじいまでの「原智恵子叩き」の動きが音楽界であったらしいことは、聴衆の圧倒的な人気とは裏腹に、原さんの「日本脱出」という行動につながっていく・・・

教育を受け、長く住んだパリ、夫カサドと共に住んだフィレンツェ・・・カサド亡き後は、カサド国際チェロ・コンクール主催者としてカサドの芸術を伝承、「マダム・カサド」「マダム・チエコ・ハラ」としてヨーロッパ社交界の華という存在・・・

日本の多くの大衆、聴衆は原さんのことを認めていた。でも原さんは、日本ではなくヨーロッパに自らの人生の舞台を移してしまった。

「春風のような方でしたね。舞台に出てきただけで、パーッと春風が吹いたような・・・そんな感じでした」ある高齢者の方は、原さんのことを、こう語った・・・

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category: ピアニスト

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妄想エチュード 

 

ピアニストや音大生、音大出身者などは別として、アマチュアが演奏会でエチュードを弾くとなると、どこか独特な雰囲気が漂うのではないか?

あえて困難な道を選ぶ人・・・というような・・・

会場も「では、聴かせて頂きましょう!」という、どこか好奇の目(耳?)が光ったりして。

大体アマチュアでショパン等のエチュードを弾こうとする人は、自信家か、もしくは楽観者と思われる可能性を覚悟しておく必要がありそう?

基本的に、選曲というものは、聴いている人に「何故演奏者がその曲を選んだのか?」という意図を伝達できなければならない。「この曲が好きなんだなぁ」とか・・・

エチュードを、あえて選曲した場合は、「いかにも大変そう!」とか「苦しそう!」などとは思われてはいけない。まぁ、どんな曲でもそうだけれど・・・

アール・ワイルドのエチュード、このような曲を弾く場合は、「いかにも難しい曲を四苦八苦して弾いています!」的になっては、ちょっと困る。颯爽と楽しく(楽しげに)弾く必要がある。

そこが難しそうなんだよなぁ・・・

来年あたり・・・とか妄想は膨らむけれど・・・

でも、このように弾けたらいいだろうなぁ・・・

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アール・ワイルドが弾く「妄想エチュード」・・・7つのヴィルトゥオーソ・エチュードより 「アイ・ガット・リズム」




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category: Earl Wild

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エチュード・コンプレックス 

 

僕は偉そうに難しい曲を弾いたりしているけれど、ショパンやらリストを弾いても、基礎的な積み上げの経験というものがないので、どこか素人くさい。

専門的に幼い頃から訓練を重ねてきた音大生は、エチュードというものを弾いてきたという実績があり、ここが僕と違うところだと思う。(心構えも違うか?)なので、僕には「エチュード・コンプレックス」がある。

コンプレックスを解消するためには、エチュードを弾けばいいのだと思うけれど、チェルニーのエチュードを自主的に練習するという元気はない。時間もない。

エチュ―ドではない普通(?)の曲にも技巧的に困難な箇所があり、そこを練習すればいいのではという考えもあるけれど、やはりエチュードは、同じパターンの音型などを、執拗に(?)繰り返すという特殊な曲。この「繰り返して・・・」というところが上達の鍵なのでは?

チェルニーではなく、ショパンのエチュードだったら、元気は出るけれど、時間はないかなぁ・・・

でも、このショパンのエチュード経験者と、未経験者とでは、明らかに、何か違いが出てくるのではないか?エチュード・コンプレックスを持つ僕はそう感じたりする。

一つの方法としては、人前で弾く曲、サークルの練習会などで弾く曲をショパンのエチュードにするという方法がある。この場合は、時間がない・・・などと言い訳が言えなくなるし、弾けばいいのかもしれないが、でも問題がある。

「弾けない・・・」「そんな度胸はない!」「苦しいことは嫌!」

でも、素敵な曲で、エチュードでもあり、訓練にもなる曲、そのような曲を人前で弾くという考えは、いい考えなのかもしれない。

アール・ワイルドのトランスクリプションにもエチュードがある。「7つのヴィルトゥオーソ・エチュード」・・・

これはガーシュウィンの歌曲をピアノ用に編曲したもので、とてもお洒落で素敵な曲ばかり。でも「ヴィルトゥオーソ・エチュード」なので、これらの曲はエチュードなのだ。

聴いた感じは、「御洒落で粋」なのだけれど、楽譜は完全にエチュード。

このエチュードだったら、「いかにも練習曲を弾いています!」という感じではなくエチュード体験ができそうだし、人前で弾く曲、つまりレパートリーとしても格好の曲のように思える。でも問題がある。

「弾けない・・・」「そんな度胸はない!」「苦しいことは嫌!」

当分コンプレックスは解消しそうにない。

でも、いい曲なんだよなぁ・・・

kaz

ガーシュウィン~アール・ワイルド:7つのヴィルトゥオーソ・エチュードより 「エンブレイサブル・ユー」

演奏はアール・ワイルド




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category: Earl Wild

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ロマン野郎 

 

しっかりと段階を踏んで、正しい手順で上達の道を歩む・・・

ピアニストの演奏に感激しても、それはそれ。決して「自分」というものと比較しない・・・

でも・・・これって自分の仕事ではいつも考えて行動しているようなこと。「正しき道」を進む、進まなければならない。時には、理不尽とも思える出来事に遭遇しても自分を出さず、頭を下げることもある。仕事だから。

自分の力量を冷静に見極める必要がある。仕事だから・・・それをしなければ失職する可能性だってある。仕事だから夢を追うことが難しい時だってある。

自分の仕事・・・自分のやりたいようには進めない時もある。それが仕事。

でも、ピアノは僕にとって仕事ではない。そのピアノでも自分の力量をわきまえ、背伸びせず、正しき上達への道を進むとなると、それは嫌だと思う。

「ピアノも仕事みたい・・・」と思うから。

「趣味」と「専門」・・・これをピアノライフに当てはめるのは困難。そんなに単純に分けられるものではない。

でも、ピアノライフでは、仕事では追い求められないような事が欲しい。「ロマン」のようなもの?

あまりに「正しき道」に捉われると、ロマンが薄くなる。とても日常的な感じ。ピアノには、非日常性も求めたい。仕事じゃないもん。

ピアニストの演奏に感激する。でも、身の丈を考え、自分には一生無理・・・と考えてしまうと、それは「正しい」のかもしれないが、ロマンに欠ける。

「正しき道」は仕事だけでいい。自分の専門だけでいい。ピアノには「ロマン」が欲しい。

僕はそう思う。

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category: ピアノ雑感

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「聴衆は僕を愛してくれた」 

 

「聴衆は僕を愛してくれたと思います」

ヴァン・クライバーン国際コンクールで優勝した時、アレクセイ・スルタノフは喜びに満ちた表情でこう語った。この時スルタノフは19歳。

身長160cmの、手も決して大きくはない小柄な彼の演奏は、凄まじいほどの個性を感じさせた。その個性は、彼の演奏を際立たせ、それが賛否両論を巻き起こした。

1995年、ショパン・コンクールで2位を分け合う形となった時、スルタノフ自身は落胆したのかもしれないが、「個性派スルタノフ」がコンサヴァティヴな場でもあるショパン・コンクールで最高位ということは、ある意味で彼の挑戦は無駄ではなかったとも考えられる。

しかし、その後もスルタノフはコンクールへの執拗なまでの挑戦を続ける。そして予選敗退という屈辱的な結果・・・

主流なるものへの、無意識の反発、挑戦だったのであろうか?

スルタノフの演奏は、聴くものを惹きこんでしまう「何か」があったように僕は思う。たしかに、彼の演奏の中には個性的すぎるような演奏もあるとは思うけれど、しかし聴いていて退屈な演奏というものも多くこの世には存在しているのも事実で、しかもそのような演奏が評価されたりもする。

スルタノフは評価されたかったのだろうか?愛されたかったのだろうか?

スルタノフは、聴衆からは愛されたと僕は思う。彼が亡くなって8年・・・

僕は、いまだに彼の演奏を懐かしく思う。そのように思うのは僕だけではないはずだ。

ウィリアム・カペルのように、スルタノフも、長く活動していたとしたら、現在のピアノ界の流れを変えたかもしれない可能性を持っていたピアニストだったと思う。

一晩で5回もの脳卒中・・・左半身麻痺・・・

動かない手で必死に「ハッピー・バースデイ」を弾こうと懸命になるスルタノフ・・・神というものが存在するのだとしたら、随分残酷なことをするものだ。

スルタノフは、復帰することはなかった。2005年に35歳の短い生涯を閉じた。

「聴衆は僕を愛してくれたと思います」

コンクール直後だけではなく、病に倒れるまで、そして現在でも聴衆はスルタノフを愛していると僕は思う。

この人の演奏は、何かを変える力を持っている。これからも・・・

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category: ピアニスト

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楽譜が届いたぞ! 

 

今月の15日に米国アマゾンで注文したグリャズノフの楽譜が今朝届いていた。

クリックしてから3日で到着。

米国アマゾンに注文したのだけれど、なぜか楽譜はフィンランドのヘルシンキからの発送。それにしても速いよねぇ・・・

日本のアマゾンでは、今まで中古の書籍やCDを注文したことがある。

米国のアマゾンも便利かもしれない。わざわざ洋書を購入しなくても、古本で購入できる。CDも日本のアマゾンにないものも注文できる。日本では有名ではないけれど、欧米では有名な素晴らしいピアニストのCDも購入できそうだ。

でも、発送料が高い。まぁ、それは仕方ないか・・・

楽譜到着記念に、グリャズノフの変わった演奏を。

ラフマニノフの6手のためのワルツ。3人で弾く曲ですが、グリャズノフが各パートをすべて弾いています。もちろん多重録音ですね。手は6本ないので・・・

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category: Vyacheslav Gryaznov

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厄介な大人の生徒 

 

時間に余裕があって、気力も充実し、ピアノモード満開の時は、「もっと頑張らねば・・・」と思う。そのような時は、自分のピアノライフも改善したいなぁ…などと思う。「エチュードも弾かないといけないよなぁ・・・」みたいに。

ピアノモードが満開の時は、そうあるわけではなく、「ピアノって何?」ぐらいにピアノが遠いというか、きちんと練習するということが遠く感じる日がほとんど。

夜、帰宅すると「今日はピアノは無理だな・・・」と玄関に入った時に思う。とにかくピアノの前に座れば・・・などとは思えない。

そのような時は、「大人の生徒にも指練習とかエチュードを課して、曲以外のメニューのあるレッスンをする先生だと僕は続かないなぁ・・・」などと思う。

気力、そして体力の状態により、意欲がコロコロ変化する。

「大切なので・・・」ということで過重メニューを課すような律儀な先生だと辛いなぁ・・・などと思う。僕は曲しか弾いていないけれど、ハノン・エチュード・曲というメニューで、定期的にレッスンに通い、きちんと課題をこなすことは、たぶん僕には無理。

大人の生徒には「余裕のあるレッスン」というものが必要?

でも、「お忙しいでしょうから・・・」「趣味の範囲でよろしいのね?」スタンス全開のレッスンでも、これまた大人の生徒は不満に感じるわけでして。

大人の生徒は難しい?

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