ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

夢を夢見る 

 

日本の音大を優秀な成績で卒業して、あるいは学生の時にコンペティションで優勝して、そして外国の音楽院に留学。あちらでも○○コンクールなどに入賞し、そして帰国。

一般的なピアニストの経歴だと思う。このような人たちの演奏は、とても上手で達者だ。でも常に心を動かされるかと言えば、そんなわけでもなかったりする。同じように、若手に多いが、このことは外来ピアニストにもあてはまる。とても上手。とても達者。表面的にバリバリと・・・だけの演奏なんて、今の時代は注目もされないから、ピアニストたちは、かなり感情移入する。とても入魂して歌い込むというか・・・

でも心を動かされることは非常に少ない。なので演奏会に出掛けることも少なくなってしまう。気に入った演奏家のCDを自宅で聴いている方が幸せだし、聴いている側の心も感情も動かしてくれる。

前から思っていたことだが、上手だからといって聴き手は感動するものでもないのだ。演奏者の達者加減に心が動くことはない。これは多くの人が感じていることだと思う。どんなに達者に演奏されても、そして歌い込まれても、聴き手の心まで動かせない演奏って、どこか演奏者だけの「どう弾くべきか」というあたりの世界で完結してしまっているような気がする。決定的に足りないものもそこには存在しているような気がする。何なのだろう?

では何に心が動くのだろう?

まれに、大人・・・というかアマチュアの、表面的にはトツトツと弾いていて、とてもコンペティションなどでは受からないような演奏に心を奪われてしまうことがある。これは何なのだろう?その演奏者の「必死さ」「一生懸命さ」に心が動かされるのだろうか?そうではないような気がする。

とても達者な演奏に無感動で、未熟でさえあるアマチュアのトツトツとした演奏に心を奪われてしまう・・・

聴く方(僕)の感性、耳がおかしいのだろうか?

プロでもアマチュアでも、僕が感動する演奏に共通している要素があるような気がしている。それは「焦がれる」とか「追い求める」とか「演奏に夢を託す」というか、そのようなものが演奏から感じられると、心が動く。

演奏する際には、どこかハングリー精神のようなものが必要なのではないだろうか?この世の人生において、満たされない心の渇きのようなものを、演奏に託し、夢見る・・・のような。常に焦がれるというか・・・

演奏者のその想いと、聴き手自身の焦がれている、現世では満たされない心の渇きのようなもの、これが一致した時に、聴き手の心は動くのでは?

現代のピアニストは、そのような「憧れ」というか「何かに焦がれ追う」みたいな要素が少なくなってしまったようにも個人的には感じる。聴き手も、どこか演奏の表面的な素敵さで満足してしまうことに慣れてしまっているような気もする。「きゃっ、素敵♥」・・・

もっと魂を揺れ動かしてくれるような体験をしたい・・・そのように思う。

現代のピアニストでは、ネルソン・フレイレの演奏に「憧れ」のような要素を僕は感じたりする。むろん、プロなので達者な演奏だけれど、その部分ではなく、フレイレ自身が焦がれている何かに聴き手も共感できるというか・・・

彼は、何かに焦がれ、追い求め、演奏に夢を託しているような気がしてくる。このような演奏に心を奪われる。

kaz



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孤高のブラジル人 

 

BrasilieroBrasiliero
(2012/08/02)
Nelson Freire

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ネルソン・フレイレは、もはや「ブラジルの・・・」という枠組みでは捉えられないピアニストではあるけれど、このブラジルのピアノ作品を集めたCDを聴くと、やはり「ブラジル人だなぁ・・・」などと感じてしまう。

作品への「愛」を感じる演奏って、なかなか出逢うことができないような気がする。このような演奏を聴くと、自分もピアノを弾いていて本当に良かったなと正直思う。音楽を聴くだけの、愛好家だけの時代に、この演奏を聴いたら、自分はとても辛かっただろうな・・・そのように心の底から感じる。

フレイレのドキュメンタリーが存在する。3年ほどの歳月をかけて、ピアニスト、ネルソン・フレイレを追ったドキュメンタリー・フィルム。僕のようなファンにとっては、まことに、たまらないドキュメンタリー。

現在、このDVDは、入手が困難。もしくは、恐ろしいほどの高値で売り出されていたりする。

でも、ユーチューブで観る(聴く)ことは可能。字幕がないので、言葉は理解できないけれど、それでも充分に楽しめる。

彼は「孤高の人」なんだ・・・そのように思う。決して群れない孤独で孤高なピアニスト・・・

この動画は、しばらくすると削除されてしまうのではないだろうか?

kaz



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僕の禁煙を阻む危険な男 

 

煙草が値上がりしたのは、いつでしたか・・・

値上がりする前にカートン買いした煙草、まだあります。喫煙者とはいえ、いかに吸う本数が少なかったのかということを物語っているのではないでしょうか?

煙草が吸いたくなるのは、ピアノを人前で弾く時ですね。特に演奏後は、煙草の味も格別で、数倍美味しく感じられるものです。お酒を嗜む人は、演奏後のビール、美味しいでしょ?それと同じです。

禁煙を徹底するにあたり、僕にとっては、本番での演奏後が問題だと思われます。まぁ、そこは我慢するしかないでしょうか・・・

ネルソン・フレイレの映像ですが、本来であれば、観るべきところ、感じるべきところが他にあるのでしょうが、僕が注目してしまったのは、終演後の何とも言えないフレイレの安堵の表情です。これは、演奏が無事に終了したという喜び、解放感と共に、煙草を吸っていることも関係していると思います。

「ああ、いいなぁ・・・」

「ああ、羨ましいなぁ・・・」

「ああ、美味しそうだなぁ・・・」

kaz




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本場の音、本場の演奏 

 

モーツァルトの演奏は、やはりオーストリア人のピアニストが最高であるとか、ドビュッシーはフランス人のピアニストにしか本当の意味では演奏不可能であるなどと言う人はあまりいないのではないかと思います。

本場の音というものを、あまり信じていない?もし、本場の音、本場の演奏というものがあるとしたら、日本人は、とても困ることになるような気もします。

でも、ショパンの作品でも、マズルカあたりになると、本場の演奏はやはり素晴らしいと感じる人もいるのかもしれません。作品に、どこか民族的な色合いが含まれてくる時に、「本場」という概念が入り込んでくるようにも思えてきます。

スペインの作曲家であるとか、南米の作曲家の作品になると、「やはり血というものがあるのよねぇ!」みたいに演奏家をも評価してしまう・・・

ネルソン・フレイレはブラジル人なので、同郷の作曲家であるヴィラ=ロボスの作品を実に見事に演奏します。このような場合、「やはりブラジル人!」と感じるのか、純粋にピアニストとしての才能に対して素晴らしいと感じるのか、微妙な感じではあります。僕はフレイレのショパンやブラームスがヴィラ=ロボスの演奏よりも劣るとは到底感じることはできません。でも、もしかしたらフレイレがヴィラ=ロボスの作品に対しては、どこか特別な感情を抱いていて、その熱い思いが、演奏にも表れているという可能性はあるような気はします。

でも、これは「本場の演奏」ということとは、少し異なるような気がしますが、どうなんでしょう?

フレイレが演奏しているのは、ヴィラ=ロボスの「シクロ・ブラジレイロ」(ブラジル風連作)の中の「白いインディオの踊り」という曲です。やはり本場の音、本場の演奏というものは存在するんでしょうかねぇ?

kaz




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慟哭 

 

中学校に進学する時にピアノは辞めてしまった。理由はいくらでも考えられる。理由というよりは言い訳と言った方がいいのかもしれない。忙しくなった・・・音楽少年にとっては、日頃聴いている音楽と、ピアノのレッスンで習っているバイエルやブルグミュラーなどといった音楽との格差を感じてしまった・・・等々

ピアノを辞めた時に楽器も売ってしまった。それ以来30年以上ピアノには触ったこともなかった。音楽少年は、音楽愛好家の道を突き進んだ。「ピアノは聴くもの」という人生を歩んできた。不満は感じなかった。壁一面の1500枚以上のCDの存在が、愛好家としての僕の人生を物語っている。

実際に、人生を歩むことに忙しかった。家には寝に帰るという生活が続いた。ピアノは時間のできた時に聴くだけのもの・・・ピアノを弾く?・・・ありえない・・・

音楽はいい・・・ピアノはいい・・・疲れた心を癒してくれる。しかし、ピアノのCDを聴いている時に、感情がコントロールできずに一人泣き出してしまうようなことも、まれにあった。泣き出す・・・などという生易しいものではなく、それは「号泣」とか「慟哭」といったものだった。

年齢を重ねるにつれ、そのような「慟哭」を伴う激しい、そしてコントロール不能な感情に支配されてしまうことが多くなっていった。でも僕は、自分に正直になれなかった。その感情を、いつも封印してしまおうとした。30年以上僕は、封印し続けてきた。

あるとき、フレイレの演奏するグルック~スガンバーディの「精霊の踊り」(メロディ)を聴いた。また「慟哭」「号泣」を伴う激しい感情が僕を襲ってきた。僕は聴くのを止めようと思ったが、できなかった。また感情を封印しようとしたが、できなかった。

限界だった・・・封印し続ける事は限界だった・・・

僕はピアノを弾くことにした。正確には電子ピアノだけれど、それ以降は、ピアノを聴いても激しい感情に支配されることは無くなった。

仕事を終え帰宅してからピアノに向かうことは、正直辛い。人前で演奏する時、そして演奏する前は、緊張するし、落ち着かない。「なんでこんな辛いことをしているのだろう?」と思う。

僕は、もうあの感情を味わいたくない。だからピアノを弾いているのかもしれない・・・

kaz




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