ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

鉄のカーテン 3 

 

ヴォロドスがCDで弾いていたもう1曲のフェインベルク編曲作品がチャイコフスキーの「悲愴」をピアノ用にしたもの。魂のバッハ・・・というイメージからは一変し、こちらはヴィルトゥオジティ満載というか、その限界にまで達したような曲。こんな曲、誰が演奏可能なんだろう?ヴォロドスだから弾けたのだろうが・・・

この演奏至難曲、極限にまで演奏不可能に近い曲を、若きベルマンが録音している。やはりヴォロドスの演奏よりもいい。ヴォロドスもいいピアニストなんだけどねぇ・・・

フェインベルクとベルマンは同じゴリデンヴェイゼル門下となる。でも年齢は親子ほど離れている。フェインベルクは1890年生まれ、ベルマンは1930年生まれ。同じ門下というよりは、音楽家としての尊敬がこの演奏を生みだしたようにも思える。

鉄のカーテン、そのカーテンの神秘性というものを最も西側の聴衆に感じさせたのがベルマンだったのではないだろうか?

この演奏、ベルマンが20歳の時の録音。大学2年生なんだねぇ・・・

kaz




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静かな巨人へ・・・ 

 

僕が、あなたとお会いした頃は、僕の国では男がピアノを弾いたり、習ったりするのは勇気のいることでした。僕は、ピアノを習っていたけど、あなたと違い、練習なんか全然しないで、友達と遊んでばかりいました。だからピアノを習っているということで、イジメられたりすることはなかったけれど、でも心の中では、いつもイジメが怖かった・・・

今では、僕の国でも男がピアノを弾くのは、昔よりは一般的にはなってきたけれど、でもピアノを専門に学ぶ学校では、まだまだ女性ばかりで、とてもあなたの育った国のようではありません。

イジメられることはなかったけれど、でもピアノを習っていること、ピアノが好きなことは、あまり友達には言いませんでした。そして自分でも、男がピアノを習うなんて、ちょっと恥ずかしいという気持ちもありました。

そんな僕にとって、あなたはヒーローでした。あなたのリストのレコードは、とても男性的な演奏で、ピアノは本来は男のもの・・・ということを感じさせてくれました。何回も何回も、あなたのレコードを聴きました。

そのレコードを持って、あなたの演奏会に行きました。終演後、あなたは微笑みながら、レコードにサインをしてくれましたね。

でも僕は、実際にあなたの演奏を聴いて、正直驚きました。レコードからの勝手な印象から、もっと豪快な、嵐のような演奏をする人だと思っていましたから。

一番驚いたのが、あなたの演奏する姿でした。舞台から突風が吹いてくるような、そんな演奏姿なのかと想像していたのです。動きも大きく、手を振り上げたりするような、そんなピアニストだと勝手に僕は、あなたのことを思っていました。でも、全く違っていましたね。あなたは、まったく「汗」というものを感じさせない弾き姿でした。

表情もあまり変えることなく、身体も動かすことなく、本当に静かな姿でした。

でも、僕は、あなたの演奏に圧倒されました。何もしていないかのような、ただ座っているだけのようにも見える弾き姿ですが、音楽は凄かった・・・

あなたの演奏で、僕はピアノの美しさを知ることができました。

今でも、あなたは僕のヒーローです。淡々と弾く姿から、僕は多くのことを学びました。

長い中断がありましたが、今でも僕はピアノを弾いています。子供の時と違って、ピアノを弾いていることは、僕の誇りでもあると感じられるようになりました。このように今、感じられるのは、あなたを知ったから、あなたの演奏を聴いたから、静かな演奏姿を、この目で見たからだと思っています。

kaz




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ベルマンの祈り 

 

大学生の頃であっただろうか、大学は卒業していた時期かは記憶が定かではないのだが、ある日ラジオから美しいピアノの演奏が流れてきた。偶然に聴いた演奏で、しかも演奏の途中から聴いたのであるが、僕は、その演奏に聴き惚れてしまった。そして涙が止まらなくなってしまった。

演奏というものには、聴き手の嗜好というものがあると思うのだが、その各々の嗜好というものを超えてしまうような、そんな響きがその演奏には存在していた。

演奏が終わった・・・僕はその場で動けないほど感動し、固まっていた。演奏者はベルマンだった。後から思えば、その時演奏していたリスト編曲のシューベルトの「アヴェ・マリア」はベルマンの得意なレパートリーであったのだが、僕はベルマンには勝手に「凄腕ピアニスト」というイメージを抱いていたので、その演奏がベルマンだと知った時には意外な感じがした。

長い間ベルマンの演奏を忘れていた自分が、なんだか恥ずかしかった。そして一つのイメージ、それも自分で勝手に作り上げたイメージにベルマンを当てはめていた自分がなんだか恥ずかしかった。

ソビエト崩壊の流れで、ベルマンの運命も大きく変わった。彼は、安住の地をイタリアに求めた。イタリアのフィレンツェに住み、そこを拠点として活躍するようになった。

「轟音ピアニスト」「凄腕ピアニスト」というイメージとは別のベルマン・・・「アヴェ・マリア」を演奏するベルマン・・・

彼が何故イタリアに住んだのか・・・その理由が、「アヴェ・マリア」の演奏を聴いて理解できるような気がした。

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鉄のカーテンの向こうで 

 

アメリカで衝撃的なデビューを飾ったベルマンは、時代の寵児となった。「鉄のカーテン」の神秘性もベルマンの人気を高める効果があったのではないかと思う。当時はソビエトという国は謎に包まれていたし、西側諸国にとっては無名であった、しかも決して若くはない中年のベルマンの演奏は、「ソビエトという国には、あと何人のベルマンが存在するのであろう?」という思いを抱かせた。

複数のレコード会社から次々にベルマンの新譜が発売されるようになった。日本でも演奏してくれた。僕は、この時ベルマンのサインをもらった。彼のレコードを持参し、そのレコードにサインをしてもらった。ベルマンは熊のように大きく、手も大きかった。そして優しい笑顔と共に握手をしてくれた。その手は、とても美しく柔らかかった・・・

しかし、次第にベルマンの名前が聞かれることが少なくなっていった。人々はベルマンの存在を忘れていった。僕も、色々なピアニストのレコードを聴くようになり、いつしかベルマンのことは忘れていってしまった。

ベルマンは、不調になったわけではなかった。ソ連当局に危険分子とみなされていたベルマンは、演奏活動を制限されていたのだ。鉄のカーテンの向こうでは演奏を続けていたのだ。でも、西側で演奏する機会は一時に比べ、少なくなってしまった。ベルマンは質素なアパートに住みながら、自らの芸術を育んでいたのだ。




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ベルマンとの出会い 

 

僕とラザール・ベルマンというピアニストとの出会いは、少年時代の頃に遡る。小学生だった僕は、クラシックのレコードを小遣いの中から捻出し、少しずつ集め始めていた。駅前のレコード店で、偶然にベルマンのレコードを見つけた。当時は、ベルマンは「話題のピアニスト」「幻のピアニスト」として売り出されていて、店頭でも目立つように彼のレコードが置いてあったのだ。

2枚組のレコードで、小学生の僕には高価なレコードだった。この時、僕は生まれて初めて親におねだりをして、このレコードを買ってもらった。

リストの超絶技巧練習曲全曲・・・その音楽の内容は、小学生の僕に理解できるものではなかったけれど、でもベルマンの演奏は、僕を圧倒した。「感激」ではなく「圧倒」させられてしまった。子供ながら、生まれて初めて「演奏」というものから衝撃を受けた。

当時の僕は、ピアノを習うということが、どこか恥ずかしかった。多くの子供がピアノを習っていた時代であったが、今と違って、そのほとんどが女の子で、「ピアノのおけいこ」などという、どこか「お花」「ドレス」・・・みたいな女の子っぽいイメージの稽古事が、僕は恥ずかしかった。実際に友達から「男のくせにピアノ?」と言われることも多かった。

でも、ベルマンのリストの演奏は、そのすべてを一掃した。ベルマンのレコードは、ピアノに対しての、それまでの僕の概念を一掃した。僕は、ピアノを習うということを、心のどこかで誇りに思うようになった。

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