ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

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長所を伸ばす、そのためには自分の長所を認める 

 

日本の10代の少女たち、自分の容姿に自信のある人は、全体の7パーセントなのだそうだ。容姿に自信がある、言葉を変えれば、自分の容姿が好きな人ということになるだろうか?この7パーセントという数値は、世界の中で最も低いのだそうだ。

自分の容姿が好き、これには自己肯定感が必要なのだろうと思う。「私の長所はここだから・・・」と自分を認められる人。たった7パーセントという数値、なんだか他人事ながら、泣きたくなってしまう気分だ。

一応、自分を低く評価しておく、これは日本社会を生きていくための術なのかもしれない。「まっ、あれで・・・」とか思われたくない。言われたくない。「私って美しくないから」「私なんて・・・」こう言っておけば安心なのかもしれない。

ピアノも同じかなと思った。「まだまだ弾けてないので」「まだ初心者なので」「私の拙い演奏は置いておいて・・・」等々。自分の演奏を下げておかないと何を言われるか分からない?

できないところ、至らないところ、欠点を直していく。自分に厳しく。それが上達への道。ピアノだけではなく、このような方向性は日本の教育の特徴なのかもしれない。逆発想してみたらどうだろう?「私の長所って?」

欠点を修正していくことも大切なのかもしれないが、ダメダメダメな自分をいつも見つめているだけよりは、素晴らしい自分を肯定して、その長所を伸ばし、増やしていくという考えはどうだろう?心ない人から「まっ、生意気」とか「何様のつもりなのかしらね」などと言われたり、書かれたりするかもしれないが、それがどうだと言うのだろう。そのような人たちは、あなたの人生に責任があるわけではない。自分の人生に責任があるのは自分だけ。自分のことを好きになれると楽しいような気はする。

いきなり自分のリサイタルのことになるけれど、今月30日のリサイタル、残席は、あと9席。つまり、申し込み者数は、すでに51名。もう充分な人数かなとも思う。でも、できるだけ多くの人に聴いてもらいたいという気持ちが正直ある。こう書くと、自分で自分のことを褒めているようだとも感じる。「ただ弾いているとか、そのような演奏ではなく、人の心を動かす何らかの長所が自分の演奏にはある」この自画自賛のような考えを表明してしまうというのは、少なくとも日本ではタブーとされてきたように思う。

他人が言ってくれた、伝えてくれた僕の演奏への褒め言葉、これを自分の宝物にしている。「歌そのもののようなピアノ」「内側から訴えてくるような」「Kazさんて何者ですか?」「泣きながら聴いていました」これは自分の長所なのだろう。むろん、自分の短所も自覚せねばならないが、長所も自覚していいような気がしている。

kaz




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category: リサイタル 2018

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席数変更 

 

本日、雑司ヶ谷音楽堂でのリハーサルでした。見学に来てくれた人も1名いました。ありがとうございます。達磨を頂きました。今日、片目を入れて、本番で両目になるように頑張りたいと思います。

最終的な席数ですが、やはり60席まで増やしたいと思います。残席は、あと10席となります。

無料の演奏会ですが、申し込みが必要となります。このブログのメールフォームからお申込み頂ければと思います。当日は受付でお名前を仰って頂き、プログラムを受け取ってください。席は60、全自由席です。

「kaz リサイタル」  6月30日(土) 開場13:30 開演14:00 雑司ヶ谷音楽堂

グラナドス  ゴイェスカスより 「愛と死」
バッハ~コルトー 「アリオーソ」
ボルトキエヴィチ エチュードOp.15-8
ラフマニノフ~ジロティ 「ロマンス」Op.8-2
ラフマニノフ~ワイルド 「ヴォカリーズ」Op.34-14
トレネ~ワイセンベルク 「4月にパリで」
チャイコフスキー~パヴスト~ハフ 「眠れる森の美女」によるパラフレーズ

ショパン 華麗なる円舞曲 Op.34-1 
      バラード 第1番 Op,23
パデレフスキ ノクターンOp,16-4
ショパン アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ Op.22


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生演奏の魅力 

 

出不精になったなと思う。昔は演奏会にも出かけたものだ。就職してしまうと、仕事の後に演奏を聴きに行くというのが、億劫になってしまう。「これから赤坂か。面倒だな。家で寝るか・・・」みたいな?

個人的には往年の巨匠たちの演奏、多くの人(専門家?)が前時代的、オールドファッションと呼ぶような演奏が好き。どうしてもフレッシュな外来若手よりは、家でCDに浸っている方を選んでしまうということもある。そのほうが幸せなんだもの・・・

そのような僕でも、子どもの頃、若い頃に聴いた演奏会の鮮烈なる記憶というものはある。やはり声楽の演奏会が多いと思う。ピアノはあまり・・・

最初のモノクロの動画、僕がまだ生まれていない頃の、若きオブラスツォワ。むろん実際にはこの歌唱は生まれていないので聴いてはいない。でも理想とするリサイタルというか、演奏会という気がする。演奏者が1人で何やら難し気なことをしていて、客席はどうしていいのか、何を感じていいのか分からない・・・というよくある(?)クラシックの演奏会とは違うように思う。

客席が静かに燃えている。聴き手の瞳が燃えている・・・

想像してみる。旧ソビエト時代、ここは炭鉱の街。娯楽といえば、場末の映画館ぐらい。人口のほとんどがディープな労働者。日頃はクラシック音楽なんて聴いたりはしない。ある日、突然中央モスクワから、若く才能ある、しかも美貌のメゾ・ソプラノがやってきた。エレーナ・オブラスツォワ嬢。「なんでこんな田舎町に?」誰もがそう思ったが、滅多に聴くことのできないクラシックの生演奏の機会、場末の映画館には多くの炭鉱夫が集まった。客席で煙草を吸っている人などもいて、通常の演奏会とは異なる雰囲気ではある。ピアノもアップライトだし。でも彼らの瞳は静かに燃えている。「これが歌曲というもの?これがクラシック音楽というものなのか?」すべての瞬間を吸い尽くそうとするように、逃さないように静かに聴いている。

このような舞台と客席が一体となった演奏会、それが保障されるのだったら、今でも演奏会には聴きに行きたい。ミスがあってもいいからさ。何かこちらの心を動かして欲しい。ツラツラとお上手ね・・・ということを確認しに行きたいわけではないのだ。

時は移り、1980年、東京文化会館。当時はサントリーホールなどは存在していなかった。大物外来演奏家は、ほぼ東京文化会館の大ホールで演奏していたような気がする。ロシア(当時はソビエト)からエレーナ・オブラスツォワがやってきた。たしか、この時には彼女も西側で活躍するようになっていたと思う。

当時、僕は中学生だったんだねぇ。そのような時代もあったのだ。こんな広いホール、声は後ろまで聴こえるのだろうか?それは杞憂だった。巨大な空間も、オーケストラの音量もなんのその、オブラスツォワは偉大な声を聴かせてくれた。声が天井に共鳴している?声って凄いんだ・・・

このような感動はCDだと無理だよなぁ・・・

kaz






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事務的なお知らせ 

 

初めは、どこかのスタジオのグランドピアノの設置してある練習室で、3人ほどの方を招いて、小さな演奏会をしてみたいと思っていた。この欲求は、ずっと抱えていたと思う。練習会などで一曲だけ演奏するというのとは、また異なる楽しさがあるのではないかと。全部が自分の世界であり、選曲なども自分なりに凝って、一つの世界を作る、そこに参加してくれる人がいる。プログラムも自分で作ったりなんかして・・・

出逢いの妙とでもいうのだろうか、小さな演奏会場を提供してくれる人をピアノ仲間が紹介してくれて、練習室で3~5人・・・ではなく、そこで、もう少し本格的な演奏会をやってみることになった。20人程の人が集まっただろうか?聴きに来てくれた人は、むろん以前から僕の演奏を知っていた人もいたけれど、ブログを読んでとか、リアルでは会ったことのない人たちも聴きに来てくれた。

これが、まぁ、自分としては最高に楽しかったわけです。初対面の人から「素晴らしかったです」とか「涙が出そうになってしまった」とか言われると、単純な僕は嬉しいわけです。

この時、たしか昨年の2月ぐらいだったと思うけれど、最後の曲を弾き終えた時、「またやりたいな」と正直感じたのだ。今度は広い空間で弾いてみたいという欲求が沸き起こった。広いと言っても、大ホールということではなく、教会のような天井の高い空間で弾いてみたいと。色々な会場を検索したけれど、やはり最後に行き着くのが雑司ヶ谷音楽堂だった。こじんまりしたホールで、定員は、せいぜい50~60席ほどだが、天井までの高さが5.5メートルもある。非常に贅沢な音空間になるだろう。雑司ヶ谷音楽堂は、ピアチェーレの会場でもあるので、実はここでは何回も演奏したことはある。実にリッチ(音が)な会場だなと思っていた。自分一人でここで・・・

そのリサイタルも、来月の30日になった。もうすぐのような、まだまだ先のような・・・

「そろそろなんだから、少しはリサイタルのことも書かないと・・・」とアドバイスをしてくれる人もいて、こうして書いている。今月に同会場でリハーサルをするので、その時に最終決定をするけれど、席はおそらく50席にすると思う。ネットで雑司ヶ谷音楽堂での「沢山の人が、60人もの人が集まってくれました」という演奏会の画像を見ると、どうも「人がピアノを取り囲んでいる!」という状態になるようだ。これはちょっと困るかもしれないと思った。「ほら、客席もぎゅうぎゅう!」みたいな?なので50席にしようかと。まだ最終決定ではないけれど。50席だと、残席はあと7席ということになります。申し込みは、直接僕と会う人は言ってくれればいいのだけれど、そうでない場合は、このブログのメールフォームからお願いします。僕のメールアドレスを知っていれば、そこからでもいいですが。受付でお名前(ハンドルネーム)を仰って頂き、プログラムを受け取るという形です。もちろん全席自由で入場無料です。でも、フラッといきなり会場に来られても、入れないです。事前に申し込みして頂かないと・・・

本名でお申込み頂いている方、今のところ「鈴木さん」「田中さん」「佐藤さん」のような、よくあるお名前の方の重複はありませんので、苗字のみを受付で告げて下さって大丈夫です。ハンドルネームでお申込みの方は、そのハンドルネームを仰ってください。場所や時によってハンドルネームを変えている方もいると思いますが、あくまでも申し込み時のハンドルネームを受付で告げて下さい。

「ハンドルネーム、私、ショパンラヴ・・・なんだけど、人が多くいる受付でショパンラヴで~す・・・なんて言いにくいわ」という方は、別の言いにくくない(?)ハンドルネームか、実名(仮名でもいいと思うけれど)を僕に教えてください。来場者リストを書き直しますので。

今月、5月23日(水)の14;00~16:00に雑司ヶ谷音楽堂にてリハーサルを行います。リハーサルというよりは、その時はピアノ試弾という感じですが、フラッと立ち寄って頂いても僕としては構いません。逆に全くお構いもできないとは思いますが。会場の見学とか試弾って予約すれば可能だけれど、自分で弾いてしまうと「客席でどう響くのだろう?」ということは分かりにくいものです。そのような意味で、雑司ヶ谷音楽堂に興味のある方は、どうぞ。僕のピアノにも興味があるという方もどうぞ。いればですが。本当にお構いできないと思いますが・・・

「以前申し込んだんだけれど、だいぶ前のことだし、私の名前、もれていないかしら?」的な確認メールも歓迎しています。自分としてはもれていないとは思っていますが。何回かそのようなメールを頂いたりしたので。

以上、事務的内容ブログでした。

kaz


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category: リサイタル 2018

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プログラムの曲目解説 

 

リサイタル、プログラムは作成するのだが、今は曲目解説に取り組んでいる。やはり曲の解説はあった方がいいと思う。聴きに来てくれる人の、ほとんどがピアノ関係者だとは思うけれど、それでも曲の解説は必要だと思う。

そう、何を書くか、ここが難しいところだ。一般的なこと?例えば曲の形式がどうとか、テーマが何調で再現されてとか、何年に作曲されてとか、「バラード」とはこのような意味で・・・とか?むろん、このようなことは、ある意味必要な情報なのかもしれないが、今回は演奏者として聴き手と共有したいことを書き込もうと考えている。難しそうだけど。

曲の解説というよりは、曲と自分との関わり・・・のような?「ゴイェスカス」だったら、グラナドスについての一般的情報とか、「ゴイェスカス」って何・・・みたいな情報よりは、この曲が人生における究極の目的、「無償の愛を知る」というテーマで、成り立っているのではという主観的な想い。無償の愛という意味では、グラナドス自身がそのことを実践し命を落としたという事実。このようなことを書き込んでみたいなどと思う。

ツラツラ考えてみると、このような「想い」を他人と共有したいという欲求が僕には強くあるのだと思う。ピアノを弾く理由は、ピアノが好きだから・・・ではあるが、上達したいとか、曲を弾きこなしたいという欲求よりは、自分の感じた想いのようなものを共有してみたいという欲求の方が強いように思う。

「ねぇ、聴いて聴いて!こんなに素敵な曲があるんだよ」みたいな?

これって子どもが「ねぇ、見て見て!自転車に乗れるようになったんだよ」とか「ママ、見て、逆上がりができるようになったんだよ」・・・みたいな感覚と近いように感じる。僕の欲求って幼児並みということか?

弾きこなすことも大切だと思う。停滞ばかりしていたり、崩れてばかりいたら、想いがあっても人には伝わらないと思うし。でも弾きこなせても、目的「ねぇ、聴いてよ」の中身というのだろうか、そのような想いが存在していなかったら、やはり人には何も伝わらないのではないかと思う。弾きこなすとか、そのようなことって目的ではなく手段なのではないだろうか?

僕の場合、目的は、幼児のような「ねぇ、聴いて聴いて・・・」という想いを他人と分かち合うことなのだと思う。

自分がどこまで・・・というよりは、「一緒にどう?」みたいな?

kaz




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