ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

初心者にラ・カンパネラは弾けるのだろうか? 

 

男性だから、女性だからと、あまりにも分けて考えてしまうのは、もうこれは時代遅れだろうと思う。CDや演奏会の批評で、こんな表現は今でも存在するのだろうか?「細やかな女性らしい配慮のある演奏だった」とか・・・

たしかドナルド・キーンの著作だったと思うが、性別と演奏との関係について綴った文章があった。氏はラジオでシベリウスのヴァイオリン協奏曲を偶然に聴く。「これは私が聴いたことのない演奏だ」その演奏は、美音であり、圧倒的な上手さと共に、どこか女性らしい細やかさもあった。「誰だろう?女性の演奏だと思うが・・・」演奏者は、ピンカス・ズーカーマンだった。アルゲリッチとフランソワのショパンのソナタ2番を例にし、どちらが男性的とか女性的など演奏から性別を認識するなど不可能ではないかとも書いている。

僕もそう思う。演奏から性別を判断するなんて不可能だし、男性的とか、女性らしい表現なんて、そもそもあるのか?何かを感じるとしたら、それは性別の差ではなく、個人の差なのでは?

東京には「ディスクユニオン」という中古CDの店がある。別に安くCDを買いたいから通うわけではない。いわゆる「掘り出し物」と遭遇したいから時間のある時に寄ったりするのだ。でもここで女性の姿を見かけたことはない。たまたまなのかもしれないが。売り場には男性、しかも中高年の男性が圧倒的に多い。ここは男の世界なのか?

逆に女の園・・・のような店もある。例えば、ヤマハ銀座店の楽譜売り場とか。もうここは圧倒的に女性の世界だ。中高年の男性など、「この人何?」的な視線を感じてしまうのではないだろうか?なんというかフリルの世界?子ども用のピアノ教材とか、月謝袋とか、ピアノ関係グッズとか、「ワッ!」「キャッ!」の世界だ。男子禁制フロア?たしかに中年男性が「ミッキーと一緒にバイエル」なんて楽譜を小脇に抱えていたら怪しいのかもしれない。

「ショパン」のようなピアノ雑誌も、なんとなくターゲットとしては女性なのではないかとも感じる。イラストとかレイアウトとか。

ピアノ教室とか、ピアノサークルとか、男性の姿も昔よりは増えたのだと思うが、やはり圧倒的に女性が多い世界なのでは?ピアノを再開する頃、ピアノ教育というものに興味があり、結構セミナーなるものに参加したことがある。ここも女性の園だったねぇ。「ねぇ、その楽譜ってここで購入できないの?」とか「次回のセミナーなんだけど・・・」とか、いきなり質問されることも多かった。楽器店の人と思われたのだと思う。それほど男性ピアノ教師のセミナー参加は少ないのだろう。ヤマハなどの楽譜売り場でも店員に間違えられることがあった。「ねぇ、○○という教則本ってどこにあるの?」みたいな?ピアノ教師って楽器店の人には敬語を使わない人が多いような印象さえ持ってしまう。

実際に存在するのかは分からないが、「ブルックナー愛好会」なるものがあったとして、そこはなんとなく男性が多いような気がする。「アルカン全曲制覇サークル」なんてあったら、やはり男性が多いような気もする。

男ってディープなのだろうか?違う言葉だと「オタク」っぽい?本来、女性も男性も同じで差はないのかもしれないが、「表し方」というか「取り組み方」のようなもので、性別というものも存在してくるのだろうか?

あるピアノ曲に惚れてしまった。猛烈に弾きたくなる。「ピアノ弾こう・・・」となるわけだが、女性は段階という手順を外さない人が多いのかもしれない。「とても弾いてみたいけど、基礎も大事。まずは初級からスタートよね。教本をこなして、それからだわ。焦っても弾けるわけではなし・・・あの曲が弾けるんならチェルニーだってハノンだって頑張るわ」

ここで猪突猛進というか、ピアノ未経験でも、いきなり「その曲」に取り組んでしまう、もうこれは男性の方が多いのでは?目的は「その曲」で、とにかく弾いてみたい。回り道など考えない。効率的な練習方法とかあまり考えず、とにかく愚直なまでの練習を繰り返す。「あっ、つっかえちゃった、また最初から・・・」みたいなことを延々を繰り返す・・・

50歳を超えた男性がこう言ったらどうだろう?「ピアノは弾いたことがないです。経験ないです。でもリストのラ・カンパネラという曲を聴いて感激しました。いつか僕にも弾けるでしょうか?こんな僕でも練習すれば弾けるでしょうか?どうしても弾いてみたいんです」

この問いへの最も適切な答えは「ラ・カンパネラ?いい曲よね。憧れるわよね。でもとても難しい曲でもあるの。いきなり・・・はどうかしら?まずは基礎を身につけて、より簡単な曲から弾いていくのがいいんじゃない?50歳からでも遅くはないと思う。ピアノって子どもだけのものではないしね。でもハノンとかチェルニーとか、やった方がいいと思う。あなたの場合、全くの未経験なわけだから、バイエルから始めたらどうかしら?」だと思う。バイエルでなくてもいいだろうし、チェルニーでなくてもいいのかもしれないが、段階とか手順というものを優先する。

でも、その人のラ・カンパネラへの灯は何年続くだろう?あまりにも遠い道のりに圧倒されてしまうこともあるのでは?「ああ、やはり無理なんですね」となってしまうこともあるのではないか?これって子どもがピアノに挫折する理由の一つなのでは?今やっていることが自分の将来図に結びつかない、結びつけても、それが自分にとって魅力あるものに感じない。

このままピアノを続けていいことでもあるのだろうか?嫌い・・・ではないけれど。辞めようか・・・

この動画の男性、52歳からピアノを弾き始めた。「どうしてもラ・カンパネラが弾きたい!!!」全くの未経験者。約3年間、憧れの曲だけを練習し続けた。「弾いてみたい」という気持ちがそうさせた。

クリティカルに聴けば「ああ、あそこはこうした方が」とか「そこはこう弾けば楽なのに」とか、いろいろとあるのだろう。でも未経験者、それも50歳を過ぎてからでも「弾ける」という事実は確かに存在している。

この場合、この男性が、さらに違う曲に憧れた場合、たとえばショパンのバラードとか?その可能性も充分にあるだろう。その時、また一から愚直なまでの練習をして弾けるようにするのだろうか?それも大変だろう。なので基礎力はあった方がいい。効率的にピアノの世界に入っていけるだろうから。

でも「素晴らしいことじゃない?」と、このラ・カンパネラを聴いて感じるのも事実だ。僕が男性だからだろうか?オタクっぽいからだろうか?

kaz




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水分補給 

 

飲み物を飲む、コーヒーを飲むとか、お茶を飲む、介護の業界用語では、これを「水分補給」と言う。略して「水補(スイホ)」かな。これって「ベトソナ」とか「ベーゼン」みたいなピアノ用語(?)と感覚的には似ている。ちょっと専門的な匂いがするのかも。「あら、私ったら、こんな言葉使っちゃって~」みたいな?

10時は水補の時間。でも高齢者って、あまり水分を補給したがらないんだよね。「10時の水補だから飲ませなきゃ」・・・「飲んでください」・・・「うるさいわねぇ・・・」・・・「飲んで頂かないと困るんです」・・・「関係ないでしょ?」

厨房からのポットのお茶を飲んでみる。「あまり美味しくない」

ふと介護職員は思う。「私、10時だから何か飲まなきゃと思って生活しているかしら?」こうも思う。「私、アップルティーが好き。いつもそればかり飲んでいる、この人たちは自分の好きな飲み物を選べない?何かおかしくない?なんで全員同じ飲み物を飲まなきゃいけないの?飲んでくださいなんて言う自分もおかしくない?自分は好きな時間に好きな飲み物しか飲まないのに・・・」

普通の生活、普通の感覚・・・普通にすればいいのかも?

普通の生活の中の、普通の演奏。普段着の演奏、いつも「しなきゃ、しなきゃ、なきゃなきゃなきゃ」と思っていたけど、ピアノってそういうものだと思っていたけど、普段着の演奏もいいものかもしれない。

kaz




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括らないピアノライフ 

 

ピアノを習う、あるいはピアノ教室という言葉から連想するのは、やはり大人ではなく子ども。主に小学生かな?でも、ピアノは小学生のものなのだろうか?本来は大人のためのものでは?小学生時代のピアノは、本番のための準備期間なのかも?

「ピアノ教室を辞める」=「ピアノを辞める」ということではない。霞を食べて生きていけるお坊ちゃま、お譲ちゃまという特殊の人たち以外は、生きていくために働かなければならないので、ピアノそのものは中断するのが普通だろうと思うが、でも「辞める」ではない。音大を卒業した人だって、人前で弾き続けている人は、そうでない人よりも少ないそうなのだから、進学のためにピアノを一時中断することは普通のことなのだ。

メインは小学生、あるいは中学生のピアノではなく、再開した後、つまり「大人のピアノ」がメインなのでは?多くのピアノ曲が子どもを想定した作曲されたとは思えないし。

難しいのは、再開後も、かつての準備期間ピアノであるところの「子どもピアノ」そのままの感覚で再開してしまうこと。難しい曲に向かって練習し、指訓練も頑張り・・・みたいな?それがいけないということではなく、そういうものと思い込んで「括ってしまう」と辛くなる。生物学的は成長曲線は下降気味になっているはずだ。お肌の水分量とか、骨密度が下降するように。

でも、大人ピアノの強い味方は、「成熟ピアノ」であるということ。その根源は、やはりアネーロ、憧れではないだろうかと。息苦しくなるほどの、痛くなるほどの熱望、憧れ・・・切望・・・

大人ピアノは、そこが強みなのだ。括らないようにしたらどうだろう?「お仕事をしながらのピアノ?まぁ、大変でしょうに。楽しく弾ければ・・・」そう思う人はそれでいいが、そうであるのが普通と括らない。50歳でも60歳でも進歩できる、成長できる。

「大変な中で人前で弾いているのね。サークルに参加するだけでも凄いことだわ」そうなのだが、でも「だからそれでいい」と括る必要もない。その人は、さらに成長できるし、まだその時点では具現化できていないアネーロを秘めているかもしれない。なので、「今も素晴らしいけれど、もっと素晴らしい演奏になるよね?」的なもの追っていく権利は誰にでもあるのではないかと・・・

この男性の奏でるショパンに惹かれる。動画がアップされたのが9年前だから、この人は、今50代後半ということになる。なんとなく、今も弾き続けているような気がする。「楽しく弾けたから、今はピアノではなくフラワーアレンジメントに夢中です」とはなっていないような気がする。

アネーロは死ぬまで持ち続けられるものだから。括らなければね・・・

kaz




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ノクターンに憧れて 

 

大人になってからピアノを習い始めて、十か月でこのノクターンを弾くというのは、結構大変なのではないだろうか?

「ああ、弾いてみたい、この曲を弾いてみたい・・・」

憧れが弾かせてしまう・・・ということもあるのでは?でもそれって、ピアノを弾く動機としては、とても純粋であるように思うが・・・

通俗曲、耳だこの曲、この種の曲を弾くと初心者と思われる・・・

これって何か違うのではないかと思う。

kaz




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父娘連弾 

 

もともと、この人の娘がピアノを習っていた。娘のピアノの音色を聴きながら、練習している様子を毎日家で聴いているうちに、自分も弾きたくなった。

自分がこの歳でピアノを習い始めるなんて思ってもみなかった。ピアノなんて子どもの頃から訓練を受けないと弾けるようにはならないと言われているではないか?弾けるのか?でも弾いてみたいという気持ちが勝ったのだ。

ピアノを習い始めて十か月。ピアノの発表会があった。

「お父さんと連弾してくれないかな?」娘は意外にも承諾してくれた。嬉しかったし、ちょっと恥ずかしさもあった。そして「娘が連弾なんてしてくれるのも、今のうちかもしれないな。もうちょっと成長したら、父親なんか見向きもしなくなるのかもしれないな」などとも思った。

ピアノを習い始めた頃から、娘と連弾するのが夢だったのだ。

ピアノっていいな・・・

ちょっとだけ勇気を出して、自分の気持ちに正直になってみた。

kaz




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