ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

世界の音楽仲間 2 

 

音の長短、高低、それだけで心を動かす。不思議だなと思う。同じ音の長短、高低、心が動かない演奏もある。これもまた不思議だなと思う。

世間一般では愛情とカテゴライズされるもの、恋愛感情とか夫婦愛とか。愛情とはもっと広範囲なものだと思う。

「ありがとう・・・君に逢えて良かった」そう言い残して逝った人、同じ音楽を聴いて「ああ、いいよね?」と共に感じた仲間、同じものが横たわっているような気がする。それは愛情というもの。

時に人は「勝ち組人生」を望む。でもそうはいかない。何かしら抱えて生きていくことになる。傍目には羨ましく思える人生を歩んでいるようでも、何かしらを抱える。成城の邸宅、御主人が官僚、子どもは一流大学、マダム・・・高級品の世界。雑誌に登場するような素敵ライフ。でも何かしら抱えているはずだ。

この人のギターが好きだ。抱えているものを感じるから。聴いている僕は「ああ、そうだよね」と。ただ「そうだよね」と・・・

音楽は言葉で表現できない感情を表現してくれる・・・

kaz




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ピアノがなくても生きてはいける 

 

いつでも、いつまでもピアノが弾けるとは限らない。僕もピアノを弾いていない期間の方が今までの人生の中で長いのだ。自分なりに納得させていたね。住む国を変えるのだとか、仕事はしなければならないとか。弾いていない時期、もちろん音楽は聴いていた。まれに涙が止まらなくなることもあった。家で一人の時は感情をそのままに放っておくこともできたが、演奏会場の時に慟哭・・・みたいなことになったときは困った。一人何キロも歩いたりした。電車に乗れないから。

自身が重篤な病を患うこともあろう。介護をしなければならない時もあろう。ピアノどころではない日々、来ないさ・・・と思うよりは、確実にやってくると考えた方が現実的だろうと思う。

そうさ、ピアノがなくても生きてはいける。

ピアノを再開した時思った。そして今も思う。これからの人生に、この人のようなピアノとの関わり合いがあったらいいなと。離したくないと思う。

kaz




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世界の音楽仲間 1 

 

僕がよく聴く音楽、声楽、ヴァイオリンとチェロ、次いでクラシック以外の音楽、そしてピアノ・・・という感じになるだろうか?ピアノを弾いているにも関わらず、あまりピアノばかりを聴くということはない。往年の巨匠の演奏が好きかな、声楽でもピアノでも。

このような巨匠の演奏(CDになっているような演奏)の他に、趣味人というか、ユーチューブの演奏も聴いたりする。頻度は少なくなるけれど、この場合、声楽やヴァイオリンを聴くことはあまりない、ピアノが多いだろうか、あとはギター。順序が変わるということが我ながら興味深いところだ。

「わぁ、なんて見事なんだろう」という普通の(?)聴き方の他に、ユーチューブ演奏の場合、もう一つの感じ方を自分としては重視しているようだ。「ああ、あなたもその部分に何かを感じているのですね?そこ、素敵ですよね?」みたいな。感性が同じというか、仲間なのですね・・・みたいな。そんな感じで聴いていたりする。

人の感性なんてそれぞれなのだろう。僕は全く興味ないけれど、たとえば「ワオ!シフラ編曲のこの超絶曲をシフラ本人よりも〇秒も高速で弾いている」みたいなことには興味はない。でもそのようなところで興奮する感性の人もいるのだ。それはそれでいいのではないかと思うし、色々な価値観、感性があるからこそ、ある種の演奏に共感するということ、そのものが愛おしくなったりするのだ。「ああ、あなたも同じ方向を追っている仲間・・・ですね?」みたいな?その人と話したり、コメントを送ったりすることはなくても、なにか勝手に「仲間ですね」などと感じる。

そう考えれば、自分の演奏に対しての評価も色々・・・で普通なのかもしれない。「素晴らしかった」と言ってくれる人もいれば「あなたの弾き方では人の心を動かすことなんてできません。褒めてくれたとしても、それは社交辞令です」などと書いてくる人もいるのだ。

子どもの頃、どこまで進んだか、あるいは何歳でピアノを始めたか、再開したか、弾き続けている年数、そのようなものは人それぞれだ。なので進度のようなものはそれぞれなのだ。でも「何を弾いているのか」は様々でも、共通した何かを感じる場合、その人とは仲間なのだとも思う。

感じたものを具現化する、今度は自分でサウンド化する、この部分が非常に大変なのがピアノだけれど、まずは「ああ、素敵だ」とか感じたということは、素敵な演奏をしていた人と仲間である・・・ということのような気がする。第一歩は踏み出している。

海の向こう、日本の裏側、世界の様々な場所に仲間はいる、そんな仲間・・・と僕が勝手に思っている人の演奏を紹介したい。今までにも紹介した演奏ばかり・・・ということにもなろう。このブログを長く読んでいる人(いればだが)は「またこの人が登場している」みたいに思うかもしれない。

今、どのくらいの難易度の曲か、つまり昭和風に表現すれば何色の帯の楽譜を弾いているか、Aの曲かDの曲か・・・なんてことではなく、つまり進度ではなく、「ああ素敵ですね」と感じる仲間たちの演奏・・・

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初心者にラ・カンパネラは弾けるのだろうか? 

 

男性だから、女性だからと、あまりにも分けて考えてしまうのは、もうこれは時代遅れだろうと思う。CDや演奏会の批評で、こんな表現は今でも存在するのだろうか?「細やかな女性らしい配慮のある演奏だった」とか・・・

たしかドナルド・キーンの著作だったと思うが、性別と演奏との関係について綴った文章があった。氏はラジオでシベリウスのヴァイオリン協奏曲を偶然に聴く。「これは私が聴いたことのない演奏だ」その演奏は、美音であり、圧倒的な上手さと共に、どこか女性らしい細やかさもあった。「誰だろう?女性の演奏だと思うが・・・」演奏者は、ピンカス・ズーカーマンだった。アルゲリッチとフランソワのショパンのソナタ2番を例にし、どちらが男性的とか女性的など演奏から性別を認識するなど不可能ではないかとも書いている。

僕もそう思う。演奏から性別を判断するなんて不可能だし、男性的とか、女性らしい表現なんて、そもそもあるのか?何かを感じるとしたら、それは性別の差ではなく、個人の差なのでは?

東京には「ディスクユニオン」という中古CDの店がある。別に安くCDを買いたいから通うわけではない。いわゆる「掘り出し物」と遭遇したいから時間のある時に寄ったりするのだ。でもここで女性の姿を見かけたことはない。たまたまなのかもしれないが。売り場には男性、しかも中高年の男性が圧倒的に多い。ここは男の世界なのか?

逆に女の園・・・のような店もある。例えば、ヤマハ銀座店の楽譜売り場とか。もうここは圧倒的に女性の世界だ。中高年の男性など、「この人何?」的な視線を感じてしまうのではないだろうか?なんというかフリルの世界?子ども用のピアノ教材とか、月謝袋とか、ピアノ関係グッズとか、「ワッ!」「キャッ!」の世界だ。男子禁制フロア?たしかに中年男性が「ミッキーと一緒にバイエル」なんて楽譜を小脇に抱えていたら怪しいのかもしれない。

「ショパン」のようなピアノ雑誌も、なんとなくターゲットとしては女性なのではないかとも感じる。イラストとかレイアウトとか。

ピアノ教室とか、ピアノサークルとか、男性の姿も昔よりは増えたのだと思うが、やはり圧倒的に女性が多い世界なのでは?ピアノを再開する頃、ピアノ教育というものに興味があり、結構セミナーなるものに参加したことがある。ここも女性の園だったねぇ。「ねぇ、その楽譜ってここで購入できないの?」とか「次回のセミナーなんだけど・・・」とか、いきなり質問されることも多かった。楽器店の人と思われたのだと思う。それほど男性ピアノ教師のセミナー参加は少ないのだろう。ヤマハなどの楽譜売り場でも店員に間違えられることがあった。「ねぇ、○○という教則本ってどこにあるの?」みたいな?ピアノ教師って楽器店の人には敬語を使わない人が多いような印象さえ持ってしまう。

実際に存在するのかは分からないが、「ブルックナー愛好会」なるものがあったとして、そこはなんとなく男性が多いような気がする。「アルカン全曲制覇サークル」なんてあったら、やはり男性が多いような気もする。

男ってディープなのだろうか?違う言葉だと「オタク」っぽい?本来、女性も男性も同じで差はないのかもしれないが、「表し方」というか「取り組み方」のようなもので、性別というものも存在してくるのだろうか?

あるピアノ曲に惚れてしまった。猛烈に弾きたくなる。「ピアノ弾こう・・・」となるわけだが、女性は段階という手順を外さない人が多いのかもしれない。「とても弾いてみたいけど、基礎も大事。まずは初級からスタートよね。教本をこなして、それからだわ。焦っても弾けるわけではなし・・・あの曲が弾けるんならチェルニーだってハノンだって頑張るわ」

ここで猪突猛進というか、ピアノ未経験でも、いきなり「その曲」に取り組んでしまう、もうこれは男性の方が多いのでは?目的は「その曲」で、とにかく弾いてみたい。回り道など考えない。効率的な練習方法とかあまり考えず、とにかく愚直なまでの練習を繰り返す。「あっ、つっかえちゃった、また最初から・・・」みたいなことを延々を繰り返す・・・

50歳を超えた男性がこう言ったらどうだろう?「ピアノは弾いたことがないです。経験ないです。でもリストのラ・カンパネラという曲を聴いて感激しました。いつか僕にも弾けるでしょうか?こんな僕でも練習すれば弾けるでしょうか?どうしても弾いてみたいんです」

この問いへの最も適切な答えは「ラ・カンパネラ?いい曲よね。憧れるわよね。でもとても難しい曲でもあるの。いきなり・・・はどうかしら?まずは基礎を身につけて、より簡単な曲から弾いていくのがいいんじゃない?50歳からでも遅くはないと思う。ピアノって子どもだけのものではないしね。でもハノンとかチェルニーとか、やった方がいいと思う。あなたの場合、全くの未経験なわけだから、バイエルから始めたらどうかしら?」だと思う。バイエルでなくてもいいだろうし、チェルニーでなくてもいいのかもしれないが、段階とか手順というものを優先する。

でも、その人のラ・カンパネラへの灯は何年続くだろう?あまりにも遠い道のりに圧倒されてしまうこともあるのでは?「ああ、やはり無理なんですね」となってしまうこともあるのではないか?これって子どもがピアノに挫折する理由の一つなのでは?今やっていることが自分の将来図に結びつかない、結びつけても、それが自分にとって魅力あるものに感じない。

このままピアノを続けていいことでもあるのだろうか?嫌い・・・ではないけれど。辞めようか・・・

この動画の男性、52歳からピアノを弾き始めた。「どうしてもラ・カンパネラが弾きたい!!!」全くの未経験者。約3年間、憧れの曲だけを練習し続けた。「弾いてみたい」という気持ちがそうさせた。

クリティカルに聴けば「ああ、あそこはこうした方が」とか「そこはこう弾けば楽なのに」とか、いろいろとあるのだろう。でも未経験者、それも50歳を過ぎてからでも「弾ける」という事実は確かに存在している。

この場合、この男性が、さらに違う曲に憧れた場合、たとえばショパンのバラードとか?その可能性も充分にあるだろう。その時、また一から愚直なまでの練習をして弾けるようにするのだろうか?それも大変だろう。なので基礎力はあった方がいい。効率的にピアノの世界に入っていけるだろうから。

でも「素晴らしいことじゃない?」と、このラ・カンパネラを聴いて感じるのも事実だ。僕が男性だからだろうか?オタクっぽいからだろうか?

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水分補給 

 

飲み物を飲む、コーヒーを飲むとか、お茶を飲む、介護の業界用語では、これを「水分補給」と言う。略して「水補(スイホ)」かな。これって「ベトソナ」とか「ベーゼン」みたいなピアノ用語(?)と感覚的には似ている。ちょっと専門的な匂いがするのかも。「あら、私ったら、こんな言葉使っちゃって~」みたいな?

10時は水補の時間。でも高齢者って、あまり水分を補給したがらないんだよね。「10時の水補だから飲ませなきゃ」・・・「飲んでください」・・・「うるさいわねぇ・・・」・・・「飲んで頂かないと困るんです」・・・「関係ないでしょ?」

厨房からのポットのお茶を飲んでみる。「あまり美味しくない」

ふと介護職員は思う。「私、10時だから何か飲まなきゃと思って生活しているかしら?」こうも思う。「私、アップルティーが好き。いつもそればかり飲んでいる、この人たちは自分の好きな飲み物を選べない?何かおかしくない?なんで全員同じ飲み物を飲まなきゃいけないの?飲んでくださいなんて言う自分もおかしくない?自分は好きな時間に好きな飲み物しか飲まないのに・・・」

普通の生活、普通の感覚・・・普通にすればいいのかも?

普通の生活の中の、普通の演奏。普段着の演奏、いつも「しなきゃ、しなきゃ、なきゃなきゃなきゃ」と思っていたけど、ピアノってそういうものだと思っていたけど、普段着の演奏もいいものかもしれない。

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