ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

ソロは大変だから連弾でも・・・ 

 

世界中で痛ましい出来事が起こっていて、それは人類の歴史そのものであるのかもしれないけれど、でも、そのような痛ましい歴史と共に、人類には愛の歴史というものもあるのではないか・・・と、どこか希望を感じたりもする。

音楽なんて、人類の愛の歴史そのものなのでは?暴力は人の愛には決して勝てない・・・なんてね。

「そんなぁ・・・プロじゃないんだしぃ、アマチュアなんだしぃ」という謙虚な気持ちって、どこか麗しいのかもしれないし、そのようなスタンスを表に出すのが普通・・・みたいなところ、常識みたいなところもあるけれど、もしかしたら、それって傲慢なのかも?愛の歴史に対しても曲に対しても、音楽に対しても・・・

なによりも、「あっ、素敵だな」と感じた自分に失礼かも?人間の一生なんて、それほど長くはないのだから、その貴重な一瞬を「どうせ・・・」とか「身の丈を考えて・・・」ということだけで過ぎ去ってしまうのを自分に許してしまうのも残念だなと思う。「素敵・・・」と感じた自分はどこへ?その気持ちはどこへ?

演奏レベルのようなもの?そのようなものに関係なく、プロとか有名とか無名とか、アマチュアとか、なんたらこうたらとか、そのようなことに関係なく、今、「いいな・・・」と感じる演奏を思いつくままに紹介していけたらと・・・

連弾・・・

どこか親密さを感じるかもしれない。でもお手軽さを感じる連弾は嫌いだ。「ソロ・・・っていうのもねぇ・・・そうだわ、連弾という手があったわ」では曲が可哀そう。この人たちの演奏は、ある意味で連弾の概念を変えるものと思う。「私はセコンド、あなたがプリモね」そんな概念を覆す連弾。

この動画は「超絶技巧って素敵」とも感じさせるが、映像もいい。演奏者も楽しそうだし、ストーリーも「愛」を感じさせるような気がする。人類って殺し合いもしてきたけれど、このような瞬間の歴史も織ってきたんだな・・・と。

超絶技巧って曲のために存在しているんだなとも思う。超絶技巧のために曲があるという演奏は多いような気もするが。

kaz




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街中ライブ 

 

本番が近づく。「きちんと弾けるかしら?」「舞台で真っ白になったらどうしよう?」

そうならないためにも練習しているわけだ。どんな人でも練習の成果は出て欲しいだろうし、失敗は望まないものだ。

「演奏っていうものはね、自分がどう弾けたかなんて関係ないの。聴いていた人がどう感じたかが大切なの。覚えておきなさいね」ピアニスト、原 智恵子の言葉。僕が直接言われたわけではないけれど・・・

聴いていた人?そんなぁ・・・プロじゃないんだしぃ・・・

むろん、「弾く」それも「人前」で弾くということだけにも意義はあるのかもしれないが、プロだろうとアマチュアだろうと「趣味なんで~す」だろうと、本番では聴き手がいる。聴き手はどう感じるだろうか?この部分は、なんとなく弾きこなせて、そのうえでの「余裕」で考える・・・みたいな?それでいいのだろうか?

「自分の出来栄え」だけを考えてしまいがちだけれど、聴き手は実際に存在するのだ。おそらく、アマチュアの演奏会だろうと何だろうと、無料の演奏会だろうと発表会だろうと、聴き手は確実に半日を潰すのだ。わざわざ電車に乗って会場まできているのだ。

「弾けますように~」だけで演奏者はいいのだろうか?

本番近くなった時に、こう想像してみてはどうだろう?街中でピアノを弾く、路上ライブ?歩行者は、自分の演奏を聴いて立ち止まって聴いてくれるだろうか?何人かでも興味を示してくれるだろうか?最後まで聴いて拍手をしてくれるだろうか?演奏会場の聴き手と違って、「つまらん」と思えば、去ってしまうだろうし、そもそも立ち止まらないだろう。何の義理もない関係のない人が、演奏を聴くために立ち止まってくれるか・・・

「そんなぁ・・・無理だわぁ・・・」

だとしたら、演奏会場の聴き手も同じだろう。礼儀正しく座って聴いてくれるだろうし、拍手もしてくれるだろうが・・・

「この演奏じゃ誰も聴きたい、聴いてよかったなんて思わないだろうなぁ・・・」そうだとしたら、なぜ人前で弾くのだろう?聴き手は我慢するもの?街中ライブだと許されない演奏だけど、内輪の会(?)なら許される?聴き手は同じように存在しているのだとしたら?

「弾けるかしら?」「失敗しないかしら?」「練習の成果が出ますように・・・」

そういった自分のことだけではなく、ちょっとだけ聴き手の存在を意識してみる。趣味だろうと何だろうと・・・

銀座の街で弾くと仮定してみる。誰か一人でも立ち止まって聴いてくれるだろうか?拍手をしてくれるだろうか?最後まで聴いてくれるだろうか?

kaz




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楽しく弾く?弾けるから楽しい? 

 

わずか6年・・・そうも言える。人生の中の6年は短い。でも、ある意味「感じる」には充分な年月であるとも言える。6年住んだ、それは就職し、アメリカ人と共に競ってという本当の生活ではない、どこか「お客様」という身分である留学生というものであっても、やはり6年という年月は長いとも言える。旅行では見えないことも、わずかだが感じることはできる。

孤独な留学生はお呼ばれが多い。感謝祭やらクリスマスには招待されたりする。伝統的な料理を食べ、外は雪景色。「本物のホワイトクリスマスだぁ・・・」ツリーの下にはプレゼントの山。ピアノ(大抵はボールドウィンのピアノ)があり、誰かがピアノを弾く。ピアノの周りに人が集まり、歌を歌ったり、ソロや連弾を楽しむ。時には他の楽器も加わったりしてアンサンブル・・・

「わぁ・・・これが西洋の文化なんだぁ・・・」

初めは僕もそう思った。でも長く住んでいると、なんとなく見えてくることもある。

「これって、文化というよりは、住宅の広さの違いなのでは?」と。たしかに、人が集うこと自体、日本では難しいこともあるだろう。3LDKの間取りのマンションで人が集い、アンサンブル・・・なんて基本的に難しいのでは?

アメリカ人は日本人と比較すると、手先は器用ではないように思う。それは長年住んでも変わらない印象ではある。でも僕はアメリカの医療を受けたことがあるのだが、ナースなどの手先は日本人のナースよりも器用であるように思う。どこか動きがプロフェッショナルというか?僕は親切な血管の持ち主なので、アメリカでも日本でもそのような経験は持たないのだが、やはり同じくアメリカで医療を受けた人によると、その方は非常に血管が細く、見えにくい(?)不親切な血管の持ち主だったようで、日本の病院では注射の際、必ずと言っていいほど、何回も刺されるのが常だったのだそうだ。でもアメリカの病院では必ず一発で入れてくれたのだそうだ。なんだかキャピキャピ(?)した感じの若いナースでも、もう一発で入れる。

ピアノも同じかな?「32分音符なんてとんでもございません」みたいな人もアメリカ人には多いのかもしれないが、弾ける人は、もうメチャメチャ弾ける。幅が極端に広いのかもしれない。日本だと「難曲を弾くことが生きがい」みたいな人もいたりするみたいだ。やたらアムランの特殊レパートリーを追従するような?アメリカにもそのような人はいるのかもしれないが、日本ほどではないような気がする。アメリカ~ン的な「弾ける」って?

「ああ、この人たちはアメリカの教育の、いい意味での産物だな」と思う。必死な感じがなく、自然で楽しそう。聴いている方も楽しい。そしてひっくり返るような超絶技巧。楽しい超絶?日本だと普通は結びつかないのでは?

楽しく弾く・・・美しい言葉だが、ピアノは弾けないと楽しくはない。ピアノは弾けるからこそ楽しいのかもしれない。この人たちの演奏を聴くと、そう思ったりする。

この演奏はアメリカ~ンな上手さだ。

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新しいトルコマーチ 

 

初めてアンダーソン&ロエの存在を僕が知ったのが、この演奏。とにかく斬新で驚いたものだ。

彼らの演奏で、もっと他の曲も聴きたいと素直に感じた。ユーチューブだと「もっと見たい、もっと聴きたい」となるが、演奏会だったら「また聴きに来たい」と、これまた素直に感じるだろうと思う。

表現としては適切ではないのかもしれないが、プロの演奏は商品なのではあるまいか?商品としてお金を聴き手は払い、満喫する。もっとシンプルに表現すると、「その演奏、お金を払っても聴く価値があなたにありますか?」ということになると思う。

特に連弾(1台4手)で思うことが多いのだが、残念なことに連弾は、演奏者だけが内輪で楽しんでない?という演奏が多いように感じる。実際に演奏する側は楽しいのだろうと思うが・・・

この演奏は聴き手も楽しい!

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新しい魔王 

 

以前にも僕の周囲にはクラシック嫌いの友人ばかりと書いたが、彼らのアンダーソン&ロエに対する感想はとてもいい。

「へぇぇぇぇぇぇぇぇ・・・クラシックなのこれ?」「斬新でクールだね」「昔、この曲、音楽の授業で聴かされた記憶がある。退屈だったけど、これはいいね?同じ曲?」等々・・・

このことは玄人筋(?)からは厳しい評価を受ける可能性を感じさせる。「音楽は音だけで表現するものだ。映像など邪道だ」みたいな?

自分がどう感じたか・・・この部分も大切なのだと仮定すると、僕はこのようなパフォーマンスは大好きだ。リスト編のソロバージョンよりも演奏効果が高いのではないだろうか?

彼らの連打も凄いと思う。やはりタッチ感が抜群だ。

ピアノ演奏=パフォーマンス=表現行為・・・と考えると、これはありだと僕は思う。

まぁ、賛否両論かもしれない。

kaz




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