ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

年齢制限 

 

ピアノって割と幼い頃から一生懸命練習しないと上手くなれないというイメージがある。そうなのかもしれないが、それは年齢を重ねた人は弾けるようにならない・・・ということでもないと思う。

「無理なのね」と思ってしまったら人間そこで止まってしまうので、あまり周囲でピアノ=幼い頃からの訓練・・・みたいな雰囲気を作らないで欲しいと思う。ブランクが○○年とか、大人から始めたとか、「だから弾けない」と自分で思ってしまうと本当に弾けない。

発想の転換というか、発想を正しい方向に向けるというか、もともとピアノのための数ある名曲って誰が弾くために残されたのだろう?子ども?英才教育を受けた天才児?いや、違うだろう、大人だろう。ピアノ、メインは大人なのだ。巷では「大人のピアノコース」なんてあったりするが、本来はピアノは大人のもの。「子どものピアノコース」と本来はすべきなのでは?「まぁ、まだ子どもなのにピアノ?」みたいな?

ピアノ教室の主要な顧客、失礼、生徒は子ども・・・という教室が圧倒的に多いのだろうが、ピアノって子どもの頃に終わってしまうものでもなく、子どもメインの楽器でもなく、子どもピアノは、将来大人になってどうなるか・・・、どのようにピアノを弾いていけるか、生活の中でピアノを楽しむかという「メイン」のための準備期間なのだ。

大人になってピアノをどう弾くか、そのためにも子どもの頃からの訓練が大切・・・それはそうであるが、「大人から始めたから指が動かない」とか「ブランクがあるからなのね」とか、あまりにも寂しい。

大人の場合、子どもの教則本進度的な発想を捨てるといいのでは?初級とか上級とか、特に曲の難易度とかに拘ってしまうと、どこか難しい。○○を弾けるようになるという憧れはいいが、○○を弾けるということよりも、各々の曲に存在している魅力に触れるという側面にスポット当ててみる。○○を弾く・・・ではなく、○○に秘められた何かに触れたい・・・だから弾く。

ピアノの醍醐味は大人のためにある。ピアノに年齢制限は存在しない。

kaz




ピアノ ブログランキングへ


にほんブログ村

スポンサーサイト

category: 拍手のない名演

tb: --   cm: 0

△top

3%が本番を支配する 

 

本番では誰でも失敗はしたくはないよね。でも本番でガチガチになって、ひたすらミスなく・・・という演奏は非常に残念。

ある曲を譜読みして人前で弾けるまでにする。そこまでには長い、そして辛い(?)練習がある。本番は、いわば曲を演奏するという意味において、メインイベントであるわけだが、練習を97%とすると、せいぜい本番は3%ぐらいの割合であるのかもしれない。

演奏している本人だけが一生懸命で、聴いている人は置いていかれる・・・これは避けたいところだ。「そうよ、楽しめばいいのよ。アマチュアなんだから」でもこのスタンスを本番での3%にではなく、練習過程での97%で発揮してしまうと、どこか「だらけた」演奏になってしまうような気もする。かといって「練習の時と同じように弾けますように」と固くなってしまうのも、置いてけぼり演奏まっしぐらになってしまう可能性が・・・

バランスが難しいよね・・・と思う。

ある曲を長いスパンで捉え、その間に何回か人前で弾いてみる、これはとてもいいことだと思う。むろん、最初に披露する演奏そのものは未熟なものであるのかもしれないが、本人なりの完成形というか、目標は先にあるのだから、これはいいと思う。でも、明らかに譜読み途中というか、「まだ片手だけなんですぅ・・・」とか「途中までですいませ~ん」という演奏を気軽に人前で披露してしまうのは、あるいはそのような演奏を聴くのはあまり好きではない。なんというか、だらけた感じがして。まぁ、このあたりは人それぞれだろうが、個人的には「時間がもったいない」と思う。誰でも未来の時間が保障されていれば、それもいいけれど、来年の同じ時期には入院しているかも?自分の、あるいは配偶者の会社が倒産しているかも?あるいは介護でピアノどころではないかもしれない。

「まだ練習中で~す」というスタンスにしろ、逆に「ミスなく練習の成果を出さなければっ!」というスタンスにしろ、本番でそれ、つまり97%の部分を惜しげもなく他人に披露してしまうのは、アマチュアの特権かもしれない。または弱点?本番では97%ではなく、3%の部分が聴き手の印象、あるいは演奏の出来映えを左右するかもしれない。

練習の時とは異なる心理、気持ちで演奏するのがいいのではないだろうか?むろん、この部分は本人の選択余地のある部分だと思う。「私はアマチュア、私は私だから」というスタンスを貫くことができればいい。でも多くの人は心の中で「もっと上手くなりたい」とか「表現豊かに演奏できるようになりたい」と思っているものではないだろうか?「別に~」という感じならいいけれど、多くの人は自分の演奏、そして他人の演奏からの印象に揺れるものでは?少なくとも僕自身はそうだと思う。

3%に本番当日は賭ける。なんだか大変そうな表現だが、「弾けてないんですぅ~」でもなく「できなかったらどうしましょう?」でもなく、その曲との初恋の瞬間を想い出し、そこに賭けてみる。

「ああ・・・この曲・・・なぜこの曲に惹かれたんだろう?」そもそもの自分の動機を振り返ってみる。そしてその自分の感性を賛美する。「ああ・・・いいな」と感じたその感性。それを3%の部分で思い切り心の飛翔をしてみる。つまり練習からフリーになってみる・・・

「あっ、この人の演奏・・・いいな」と思える演奏、どの部分に惹かれる?表面的な超絶技巧?そうではないよね?その人がなぜにその曲を弾いているのかが聴き手に伝わる演奏・・・なのでは?曲に、あるいはある種の演奏スタイルのようなものに恋焦がれたという、そもそもの演奏者の動機が聴き手に伝わっている演奏。

「ああ、この人、本当にこの曲、この楽器が好きなんだな」ということが聴き手に伝わる演奏・・・

クルト・ヴァイルの「あんたなんか愛してない」をギターで弾いている。この人の演奏、いいな・・・と思う。

kaz




にほんブログ村


ピアノ ブログランキングへ

category: 拍手のない名演

tb: --   cm: 0

△top

電子ピアニスト 5 

 

電子ピアニストの最終回。これは偶然なのだが、動画は全員男性。気づいたのだが、たしかに電子ピアノで動画をアップしている人は、なんとなく女性よりは男性の方が多いような気はする。グランドピアノの演奏による動画となると、ぐんと女性の比率も上がるが。

「男性は転勤があるからでは?」と、この傾向について知人は言ったが、そうなのだろうか?たしかに転勤がある場合、アコースティックのピアノよりは電子ピアノの方が楽だとは思う。でも理由としては違うような気がするなぁ・・・

特にグランドピアノでの動画で思ったのが、クラシックの曲を弾いている人が多いということ。電子ピアノの人の動画は、ジャンルがぐっと幅広くなる。そのためか、楽譜を一生懸命に弾いてみましたという演奏よりは、耳コピだったり、自作の曲を披露し、一生懸命に音にしているというよりは、楽しんで弾いている人が多い印象を持つ。

演奏者と、聴き手との望むものには、まれに(よく?)食い違いのようなものが生じる。聴き手としては、その演奏者がどれくらい弾けるかとか、レベルとか、そんなことは関係なく聴くような気がする。演奏している本人にとっては、非常に気にするようなことも、聴き手は弾いている本人ではないので、ミスがどうたらとか、その日の完成度がどうたらなんて、あまり関係ないものだ。

一体感・・・かな?演奏者の動機、そこには弾いてみたいと思わせた何かしらの魅力が曲に存在したから弾いているわけで、演奏者の感じた「何かしら」みたいなものが聴き手に伝わった時、一体感を感じた時に「素敵だな」と感じる。ミスの頻発度はとうかしら?どのくらいのレベルで弾きこなすのかしら・・・なんて人の演奏を聴くものかしら?

人を外見で判断してはいけないが、この動画の人は、いかにもピアノを弾く人という風貌ではなさそうな?ジムに通うような感じ?でも演奏は繊細だなと思う。楽しさが伝わってくるし、この人が曲を好きなことが伝わってきて、その感じを聴き手と一体化できている。

ウィーンのワルツやオペレッタが大好きな人のようだ。拍子の感覚が絶妙だ。演奏しているのは、パウル・リンケのオペレッタの曲。パウル・リンケ・・・この人はウィーンではなく、ベルリンで活躍した人で「ベルリン・オペレッタの父」と言われていた人だ。

この人はシュトラウス一家のワルツであれ、レハールのオペレッタであれ、非常にその曲たちを愛しているのを感じる。それが伝わる。伝わるためには、何らかのノウハウが必要だけれど、ノウハウを聴きたいわけでもないからね。そのあたりは「弾き手目線」になると難しくなるところではないだろうか?

「このように弾きましょう」・・・レッスンにしろ、楽譜からの情報にしろ、それだけだと「弾いてみました」になりがちなのでは?「そのように弾いてみたいのだったら、こうしてみたら?」だったらいいのかもしれないが。弾く立場としても「こう言われたから」でいいものだろうか?「どうしてそのように弾いたの?」「だってそう言われたから」では寂しい。「どのように弾きたいの?」「さぁ?楽譜に書いてあるように?」もかなり寂しい。

その曲を選曲し、練習し、演奏する・・・動機は?

kaz




にほんブログ村


ピアノ ブログランキングへ

category: 拍手のない名演

tb: --   cm: 4

△top

電子ピアニスト 4 

 

介護の真っ只中にいる人が、まず願うことは、「喫茶店でひとりコーヒーを飲むこと」なのだそうだ。なんでもないようなことが、願望にすらなっている。そんなものなのだろう。なんでもないようなことを尊く思う・・・

この反対もあるね。尊いことを、なんでもないことのように流してしまう。

多くの人は、自分の生命が終わるより前にピアノが弾けなくなる。弾きたくても弾けない・・・という時間が必ず訪れるのではないかと思う。その時に過去を振り切れればいいのだが・・・

もし、そのような時に、自分が過ごしてきたピアノライフが「人との比較」だけであったと気づいたら、あるいは「過去の自分との比較」だけであったなら、それは苦しいものだろうと想像する。

振り返った時には、幸せな時間が見えるといいと思う。

kaz




にほんブログ村


ピアノ ブログランキングへ

category: 拍手のない名演

tb: --   cm: 0

△top

電子ピアニスト 3 

 

電子ピアノでも(???)弾いている人の個性は出せるんだなぁ・・・

kaz




にほんブログ村


ピアノ ブログランキングへ

category: 拍手のない名演

tb: --   cm: 0

△top