ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

ユートピア 

 

マリオ・フラングーリスという歌手そのものを僕は今まで知らなかったので、彼がクラシックの楽壇からどのような評価をされているのかも知らない。そもそも評価をされる対象でさえあるのか疑問ですらある。

クロスオーバー的な活躍をしている人は、彼の他にもいるけれど、概してクラシック界からは冷たい視線というか、無視すらされていることもあるのではないだろうかと思う。そのような意味の文章も沢山存在しているみたいだ。

「クラシックがまともに歌えないから他のジャンルの曲も歌うのだ」
「本格的なクラシックの歌手とは、むろん比較はできないが・・・」
「器用なのは認めるが・・・」

まぁ、そのような歌手や演奏家も存在しているのだろうが、どうも、そのような評価は固まった思考という気もする。クラシックの演奏家が、たまにポップスやジャズを「お遊び」で演奏するのなら許せるが・・・みたいな固まった考え。そこにはクラシック音楽だけが崇高で、他の大衆音楽は無価値なものであるというニュアンスさえ感じられたりもする。こうなると、もはやそれは正当な評価ではなく偏見でさえあるとも言えるのでは?

マリオ・フラングーリスは子ども時代にはヴァイオリンを習っていたらしい。だが歌に目覚める。彼の歌手としての最初のキャリアはミュージカルだったようだ。そして彼の才能を認めたマリリン・ホーンの紹介により、アルフレード・クラウスに師事することになる。マリリン・ホーンを動かしたというところが凄いと僕などは思うが、クラウスの教えを授かったというのも、これまた凄いよな。ニューヨークのジュリアード音楽院にその後留学をしている。基本的にはクラシック路線の修業をしてきた人ではある。

クロスオーバー的な活動をするようになったのには、彼のルックスも影響しているのかもしれないが、彼自身が音楽をカテゴライズしなかったということもあるのではないかと思う。クラシック=崇高、大衆音楽=軽薄、邪道・・・とは捉えなかった。音楽は音楽だろう?音楽には二種類しかない。いい音楽と悪い音楽、演奏も同じだ。いい演奏と、そうではない演奏に区別される。ただそれだけで、ジャンルによる区別、差別は彼の中には存在しなかったのではないだろうか?

マリオ・フラングーリスがクルト・ヴァイルの「ユーカリ」を歌っている。クルト・ヴァイルの曲そのものが、特にアメリカに渡った後のものは、どこかクロスオーバー的な感触があるのではないかと思う。そもそもクルト・ヴァイルの歌曲なんて、あまり歌われないのでは?特殊な趣味の人が興味を示す特殊な歌みたいな?声楽専攻の音大生でさえ、あまり(滅多に)歌わないような気がする。

クルト・ヴァイルは多くの曲を残しているので、なんとなく長生きしているような気もするのだが、彼は50歳で亡くなっている。ドイツの作曲家であり、ドイツ時代の作品は、どこか「ブゾーニのお弟子さんですね?」的な難渋さも感じられるが、アメリカ時代のものは、どこかキャッチ―さが加わっている。キャッチ―とは言っても、世紀末的な退廃ムードが漂っているところが魅力だ。

クルト・ヴァイルはユダヤ人であったから、ドイツ時代はナチスの迫害、演奏会への妨害などもあった。結局はドイツを捨てなければならなかった人だ。でもユダヤ人としての誇りは捨てなかったのではないかな?そのあたりもアメリカ時代の作品には色濃く反映されているような気がして僕は惹かれる。

「ユーカリ」というのは人類にとってのユートピアのような架空の孤島の名前だ。その島には人間の持つ差別や迫害などというものは一切ない理想の島。夢のような島。でもこの歌の最後は、「そんな島があるわけないじゃないか・・・」という言葉で終わる。胸の痛くなるような歌ではある。タンゴのリズム・・・というところも非常に哀しいね。

クロスオーバー的なクルト・ヴァイルの「ユーカリ」をクロス・オーバー的な活動をするギリシャ人が歌う・・・なんとも素敵なことだと僕は思う。

演奏には二種類のカテゴライズしかない。いい演奏と悪い演奏・・・

ピアノブログを徘徊する人にとってはクルト・ヴァイルは馴染みのある作曲家であるとは言えないだろうと思う。紹介できるのが、なんとなく嬉しい・・・

kaz



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地中海の男 

 

車の中の静謐で繊細な歌声が僕の心を捉えた。それは音楽や演奏に魅せられる時の常で、一瞬の出来事であり、そして理屈で解釈できるものではなかった。

「これ・・・誰が歌っているの?」
「マリオ・・・マリオ・フラングーリスだ。まさか、知らないとでも?」

僕は知らなかった。ギリシャ出身の歌手のようだ。基本はポップス系のような感じもするが、いわゆるクロスオーバー的な存在の歌手らしい。外見は熱き地中海男そのものだが、歌は繊細だねぇ・・・

彼の歌い方は、クラシック音楽を勉強、変な言い方だな、ピアノを習っている人にも大いに参考になるのではないかと思う。発声そのものというよりは、発音(言葉のディクションという意味ではなく、ピアノでの打鍵のような意味の)が常にコントロールされているところが参考になる。声を出すまえに準備があるんだよね。そして狙って、コントロールして発音・・・

これはピアノの打鍵において、鍵盤の上での一瞬の指の用意が、その人なりの音、そして表現を作り上げていくのと非常に似ているように思う。豊かな表現というものは、技術的なスキルと一対になっているものなのだ。「技術」と「表現力」というものは別個に存在しているものではない。この熱き地中海男の歌い方は非常に参考になるような気がする。

kaz



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