ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

103歳のワルツ 

 

意外かもしれないが、僕はお菓子作りをしたりする。自分で「意外かもしれないが」と書くところに、僕自身が「~と思われるのでは?」ということを意識してしまっているということなのだろう。「男、それも中年の男がお菓子?気持ち悪い」と思われたくないために、予防線として「意外かもしれないが」などと書いてしまうんだね。正直なところ、お菓子作りに男も女もないと思っている。

お菓子・・・といっても、たかが焼き菓子だ。凝ったものは作らない。練って焼くだけのパウンドケーキとかスコーンとか。夜中に焼いたりしていると、オーブンの前で無我の境地に近いものを感じたりする。ストレス発散かな。

お菓子は料理と異なり、一種の化学反応なのだという。大雑把、適当に・・・というわけにはいかない。なのでレシピ本は必要になる。でも思うのだ。まだまだお菓子作りとなると女性のもの、世間ではそのような認識なのだろうと。どうも、お菓子レシピ本は料理のそれと比較し、「花柄」「パステルカラー」満載なのだ。ピンクのハートのイラストが眩しい?

「ブルーベリーを練りこむことで、あなたも可愛い奥様から、できる奥様へ・・・」みたいな文章が普通に書いてあったりする。ヒラヒラのフリルのエプロン姿を想定している?

これって男女差別では?そこまで厳しく思わないにしても、可愛い奥様なんて書かなくてもいいと思う。女性=可愛いスイーツ、男性=豪快な野外料理・・・みたいな分け方は少し強引かも・・・とは思う。

78歳の女性がピアノを習いたいと言ってきたらどうするだろう?さすがに「ピアノは子どものころから訓練しないと弾けるようにはならないですよ?」と、つまりその年齢ではピアノは無理ですよと言う教師はいないだろうと思うが、でも教材とか選曲、つまりどのようなスタンスでということになると、色々とでてくるのではなかろうか?むろん、ピアノ経験が過去にあるか、完全に初心者なのかでも異なるだろうが、もし本人の希望が「多少大変なのは覚悟しています。でもピアノを素敵に奏でられるようになりたいんです」という希望を持っていたら(そう思っていても正直には言わない可能性もあるが)どうするだろう?

「そうねぇ・・・唱歌とかお弾きになれればいいのでは?」そう言ってしまったら、それは年齢差別になるだろうか?「楽しく弾ければいいのでは?」そう言ってしまったら?

「差別である!」と、これもそこまで厳しく思わないまでも、78歳からでも上達できる、人の心を奪ってしまうような演奏をすることはできる・・・そのような可能性は奪ってしまうことにはなるのでは?

「幼いころ少しだけ弾いていました。でもブランクが60年あるんです。それでもショパンを素敵に弾けるようになりたいんです」できるだろうか?できないだろうか?

決めるのは教師ではなく、この場合生徒なのでは?

女性にできて男性にはできない、あるいは難しい、若者にできて年配者には難しい、そのようなことって意外と少ないのでは?なんとなく多くの人がそう思っているだけで・・・

この女性は、103歳なのだそうだ。78歳だったら、あと25年もあるね。

kaz




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司祭の歌声 

 

友人から教えてもらったのだが、フランスを中心に、あるグループ・・・ではないな、男性3人組のユニット(?)が人気を博しているのだそうだ。もう何年も前からだそうだが、極東日本では、まだそれほど知られていないのではないかと思う。僕だけが知らなかったという可能性もあるが・・・

CDを発売している。ということは、そこで売る=購買するという経済活動が成り立っているわけだから、彼らはプロということになる。でも、売り上げ・・・というか音楽活動で得た収益は3人の懐に入っているわけではないようだ。

彼らのユニット名は「プレートル」という。たしか昔、そのような名前の指揮者がいたなぁ・・・などと思ったが、プレートル・・・ということは、彼らは司祭。本業はキリスト教の司祭なのだ。教会の設立(建設?)のための資金調達のために組んで歌うことを始めたらしい。彼らの歌声は人気を博しているらしいが、売り上げは建設資金に回されるらしい。

本業は司祭なのだから、彼らはアマチュア?でもCDを発売しているし、コンサートもしている。ファンも多いだろう。でも生活の糧は司祭という職業から得ている。どちらなんだろう?どちらでもいいか。

彼らが流行っている理由としては、世の中が世知辛いということがあると思う。心痛む事件も多い。皆が哀しい。彼らの歌声と司祭ということとが、微妙なブレンドとなって聴く人を魅了するのでは?あとは、伸びやかだ。歌声というか・・・

冷静に聴けば、彼らよりも上手い歌手はいくらでもいる感じだ。でも人々は「いいところ」を聴こうとするし、「いいところ」を感じたいのだ。

音楽の世界まで世知辛くなってどうする?

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「えっ?これがチェルニー?」 

 

先程の電子ピアノの人の演奏で驚嘆したのが、チェルニーの曲の演奏。しかも「チェルニー100番」・・・

さすがに100番練習曲の中の一曲なので、1分かからないような曲だが、まるでジャズみたいだ!!!

イメージとして「このようなものを表出したい」というものが無ければ、こうは弾けないよね・・・と思う。

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伝承 

 

「お前の父さんは役立たずなんだってな」Aさんはよくそう言われた。今でいうイジメに近かったという。時は太平洋戦争中。Aさんの父親は事故により足を負傷していて、徴収されなかったのだ。国のために戦う・・・これは当時としては当然の感覚だったのかもしれない。

「非国民!」とも言われた。足の不自由だったAさんの父親は、趣味でフルートを吹いた。当時としては贅沢品だった蓄音機も所有していた。仕事が終わるとフルートを練習し、練習が終わると蓄音機でフルートの音楽を聴いた。

Aさんの家族、特に母親はそんな父親をどこか疎ましく感じていたらしい。「こんなご時世なんだから少しは遠慮してくれればいいのに」当然Aさんもそう思っていた。「父さんがフルートなんて吹かなければ僕はみんなからいじめられないのに」

「西洋かぶれ」「非国民」「役立たず」・・・自宅に石を投げ入れられることもあった。「やめろ、非国民」という張り紙が玄関に貼ってあることもあった。

でもAさんは、どこか厳粛な顔つきでフルートを吹き、目を閉じて蓄音機から流れるフルートの音色を聴いている父親に、「父さんがフルートをなんか吹かなければ僕はいじめられないんだ」とは言えなかった。言えない雰囲気を感じた。

鬼畜米英・・・贅沢はやめましょう・・・そんな時代であるからこそ聴いている、吹いている、そんな強いような頑なな雰囲気を父親は発していたという。「同じ人間どうしなのになんで殺し合わなければいけないんだ?」そうも言った。Aさんはどう答えていいのか分からなかった。

父親がいつも聴くフルート奏者は決まっていた。Aさんもそのフルート奏者の顔は覚えてしまった。「なんていう人なの?」

「マルセル・モイーズ先生・・・」父親が「先生」と言ったのが印象に残った。「ああ、モイーズ先生のようにこの曲が吹けたらなぁ・・・」そう言いながら父親はその音楽を聴いていた。目に涙を湛えながら・・・

「なんていう曲なの?」「ハンガリー田園幻想曲という曲だよ。ドップラーという人が作曲したんだ。いい曲だろ?」「うん・・・そうだね・・・いい曲だね・・・」でもAさんには遠い世界の曲のようにも思えた。

Aさん一家は深川に住んでいた。空襲で深川地区は全焼してしまったらしい。「家族がみんな無事だったんだ。感謝しなければいけないな」そう言いながら父親は丸焼けになった家の片づけを始めた。「みんな焼けてしまったな・・・」そう言いながらAさんの父親は肩を落とした。

戦後、世の中が復興し始めても父親はフルートを吹こうとはしなかった。音楽も聴こうとはしなかった。Aさん自身も就職し、自分の家族を持ち、いつのまにかそんなことも忘れていった。

Aさん自身が父親が亡くなった年齢を超えた頃、ふと記憶にある顔が飛び込んできた。「この人???」

父親の声がAさんの中で呼びかけてくるようだった。「マルセル・モイーズ先生・・・」

「ああ、この人だったな・・・」それはかつてAさん、そして父親が聴いていたSP盤ではなくLPレコードだったが、そのレコードにはドップラーの「ハンガリー田園幻想曲」も収録されていた。「ああ、こんなメロディーだった。そう、こんな曲だった・・・」

Aさんの子どもも独立し、そして「おじいちゃん・・・」などと孫たちから呼ばれるようになって、突然Aさんはフルートを習い始めた。「あなた、クラシックなんてあまり聴いたことなかったじゃない?なんでまた今さらフルートなんて?」と妻も驚いた。誰よりもAさんが自分の行動、欲求に驚いた。

「ハンガリー田園幻想曲を自分でどうしても吹きたくなったんです。まぁ、今からでは死ぬまでに吹けるようにはならんでしょう。でもいいんです。父の夢でもあったし、それが今では私の夢になっている。それでいいじゃないですか?」

「おじいちゃん・・・これ何ていう曲なの?」SP盤がLPになり、そしてCDに変わっても、ドップラーを演奏している人は変わっていなかった。Aさんは質問してきた孫に言った。

「ドップラーのハンガリー田園幻想曲というんだ。演奏しているのはマルセル・モイーズ先生だよ・・・」

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復活の季節 

 

僕が小学生の頃だっただろうか?内藤やす子という歌手がデビューした。当時は歌番組全盛時代だったから、それほど歌番組を積極的に観ようとしなくても、当時のヒット曲というものは、世代を超えて耳に入ってきた。そんな時代だった・・・

彼女の「弟よ」とか「想い出ボロボロ」というヒット曲は小学生の僕でも知っていたし、独特のハスキーな声が印象を強いものにしていた。人気絶頂期、たしか大麻所持で逮捕され、一時芸能界から消えていたと思う。内藤やす子だけではなかったように思う。多くの歌手が逮捕され、芸能界と麻薬というものの関係が問題となったのではなかったか?個人的には研ナオコの逮捕がショックだった記憶がある。

その後、芸能界に復帰し、「六本木ララバイ」などのヒット曲に恵まれた。何よりも、実力派の歌手という印象があり、平成になってからも、懐メロ番組などで、健在なる歌いっぷりを披露していたと思う。

「最近テレビに登場しないな・・・」でも、そのような実力派歌手は多い。地方などでも歌い、堅実に活躍しているのではないかと思っていた。なので内藤やす子が脳出血で倒れたということは今まで知らなかった。

福島でのショーの途中、脳出血で倒れる。一命は取り留めたものの、すべての記憶が消えていたという。自分が歌手だったことも。初めて記憶の一部が戻り、初めて発した言葉が「ハズバンド」だった。英語だったという。夫であるマイケル・クリスティンソンさんをまずは思い出した。懸命のリハビリに励み、なんとか歩けるようにはなった。でも記憶障害が残った。

それだけではなく、マイケルさんに連れられ街を歩いていて、突然カラスの鳴き声を真似たりとか、幼児化した言動、裸でコートをまとっただけで出歩いてしまうという異様な行動もあったりしたという。

夫のマイケルさんとは20歳以上も年の差のある夫婦だ。夫であるマイケルさんの一目惚れだったそうだ。人気絶頂だった歌手、内藤やす子は、それは眩しかったのではなかろうか?光り輝いていた彼女が幼児のようになっている・・・ショックだったのではなかろうか?

小学1年生用の算数ドリルなどを使い、懸命に妻の頭のリハビリに励む。マイケルさんの収入だけでは家賃を払えないので、内藤やす子の実家に移り、妻の闘病生活を支え続けた。経済的にかなり苦しかったようだ。どんなに頑張っても、内藤やす子は昨日の記憶すら覚えていない。

ある日、奇跡が起きる。夫婦で動物園に行った。数日後、妻が突然言ったのだ。「また・・・またペンギンを見てみたいな・・・」と。数日前の記憶を覚えているまで復活してきたのだ。

脳出血から10年間、内藤やす子は歌手としての活動をしてこなかった。できなかったのだ。でも、かつて所属していた音楽事務所は彼女の籍を抜いてはいなかった。

「内藤さん・・・大分お元気になられたようで。相談なんですが、また歌ってみませんか?」

「えっ?歌・・・ですか?」

その時、もしまた歌えるようになったら、今まで支えてくれた夫、マイケルに恩返しができる。夫に経済的に楽な生活をさせてあげることもできるかもしれない・・・と思ったのだそうだ。

「やってみます・・・」

マイケルさんは「あなたが幸せならそれでいい。恩返しとか、そんなことはいい」と言った。でも歌うことは生きること、内藤やす子は心の中で復帰を誓った。でも10年間のブランク、歌詞を覚えられない、音程が取れない、声が出ない、そしてなによりも「感情を歌に乗せる」ということを忘れてしまった。昔はどんな曲を貰っても、ただちに感情を乗せることができたのに・・・

「できない・・・できない・・・できない・・・」

これは内藤やす子が10年ぶりにテレビで歌うまでの記録だ。

春は復活の季節なのだ。

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