ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

色艶 3 

 

トニー・ベネット 89歳、ウィリー・ネルソン 83歳、この二人に比べればニール・セダカは現在77歳(!)なので「若いじゃな~い」と感じたりもするが、77歳かぁ・・・

この人も昔より今の方が素敵だなと思う。少年のような曲を書くし、少年のような歌声だ。

たしか、ニール・セダカはジュリアード音楽院のピアノ科出身ではなかったか?

kaz




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ニール・セダカに憧れて 

 

約6年間アメリカに滞在していた。自分自身はピアノは弾いていなかったけれど、音楽愛好家ではあったので、音楽は聴いていた。アメリカでしか購入できないような、ローカルな演奏家のCDなども集めたりしたし、プロの演奏会だけではなく、子どものピアノ発表会や、アマチュアの演奏会なども結構聴いたりした。

現在は日本でもピアノサークルに所属しているし、ピアノ再開時は全体傾向を知る目的で、日本のピアノ教室の発表会や子どものコンクールなども随分と聴いたものだ。上手く言葉で説明はできないのだが、アメリカと日本とでは、微妙に何かが違うのを感じた。国が異なることよりも、個人差というものを考えるべきかもしれないが、そのような個人差ということ以前に「ピアノ教育のありかた」みたいな根本的な違いのようなものも感じたりした。国民性の違いというものもあるのだろうか?それはあるのかもしれないが、それぞれが積み上げてきたもの、そして演奏、音楽そのものへの感じ方の違いみたいなものを、より強く感じた。「教育」だろうか?

大変大雑把、かつ乱暴な分類ではあるが、なんとなく思ったものだ。

日本ピアノ・・・指がしっかりしている。表現意欲が隠れている。(ただ音符を音にしてしまう)

アメリカピアノ・・・表現意欲がある。拙さもあるが、楽しそうに弾く。指がフニャフニャ・・・

日本のピアノ教室の発表会は、どこか「子ども中心」という感じがするが、アメリカのそれは、年代層の広さが日本よりはあるような気がした。男性比率も日本よりも多い。でも70歳ぐらいの男性がマイクを自らセッティングし、「弾き語りをします」と舞台で言った時にはアメリカでの光景としても珍しいな・・・と思った。

「1年前からピアノを始めました。それまではピアノなど自分の生活には関係のないものと思っていましたし、実際に関係のない人生を歩んでいました。実はピアノを習おうと思ったのは、妻が亡くなったからです。彼女はニール・セダカが好きでした。彼女が亡くなって穴が空いたような気持ちになり、自分もニール・セダカの曲をピアノを弾きながら歌いたいと思いました。できれば妻に聴かせたかったですが、でも今日は彼女も聴いてくれるでしょう。私の残りの人生を彼女は心配していましたから、今日ニール・セダカを歌うことで彼女に僕は大丈夫だから・・・ということを伝えられるのではないかと思います」

なんとなく感じる日米のピアノの違いのようなものを、これまた、なんとなく綴っていけたらいいと思う。

kaz




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おかえりなさい・・・ 

 

ニール・セダカは1962年に「悲しき慕情」という曲を発表している。この曲はチャートの1位に輝いた。以後は徐々にニール・セダカは第一線からは退く形となっていく。これはニール・セダカだけのことではなく、オールディーズ全盛期に活躍した多くの歌手がそうだったのだと思う。

奇跡的なニール・セダカの復活は、1974年に発表した「雨に微笑みを」という曲が、これまた久しぶりにチャートの1位を獲得してからになる。

この間に、10年以上の歳月があったわけだが、前にも書いたように、この期間は前座をつとめたり、ドサ廻りをしていて苦しい期間だった。

オールディーズ時代のニール・セダカと、復活後のニール・セダカ、変わっているようで変わっていないようで、その判断が難しい。むろん、「いかにも良き時代のサウンド」的なものは復活後は消え去っているように感じられるが、変わらない部分も多いのではないかと思うがどうなのだろう?

この曲は、1974年に復活後に発表した曲。恥ずかしいことに、この曲をニール・セダカの曲と今まで認識していなかった。これはニール・セダカが書き、ヒットさせた曲で、その後、本当に多くの歌手がカバーした。中でもカーペンターズのカバーが最大のヒットで、僕などは、この曲はカーペンターズの曲だと思っていたほどだ。

苦しかった10年以上の年月、ニール・セダカは変わっていなかったのだと思う。浮かんでくるメロディーを書きとめ、そして歌った。でも見向きもされなかったのだ。

大衆はそれまでとは異なるような音楽を求め、そして旅していたのだ。

ニール・セダカが奇跡の復活を遂げた時、人々はこう思った。

「おかえりなさい・・・ニール!」

でも、本当は逆なんじゃないかな?ニールがこう思ったんじゃないかな?

「みんな・・・おかえりなさい・・・僕は待っていたよ・・・」と。

kaz



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時を超える 

 

アメリカのポップス界は、60年代半ば頃から、メッセージ色の強い歌やロック色の濃い曲へと流行が移っていった。これはビートルズの影響も強かったと言われているが、そうなると、ニール・セダカのような、「良き時代」というものを象徴していたような歌手にとっては、この時代は難しい時代だったとも言えるだろう。

かつてのヒット曲が「良き時代」という、鮮やかな印象が強いだけに、それらの曲は、過去の時代の曲という扱われ方もしていくようになる。ニール・セダカは「懐メロ歌手」のような捉われ方をされていくようになる。ある年代以上の人々にとっては、懐かしい曲ではあるが、革新的な時代、刺激的なものを求める世代にとっては、どこか古臭いものとして・・・

60年代半ばから、70年代の半ばまでの約10年間はニール・セダカにとって厳しい時代だった。過去にいくらヒット曲があっても、アメリカのショービジネス界は冷淡というか、過酷なところがあるらしく、ニール・セダカは、いわゆるドサ廻りをしたり、自分よりも才能としては、はるかに格下である歌手たちの前座をこの時代はしたりしていた。

「ニールさん、あんたのかつてのヒット曲で会場を盛り上げておいてくださいよ・・・」

このようなことは、ニール・セダカに限ったことではなかっただろうと思う。過去に栄光を浴びた歌手たちが、時代の移り変わりとともに、人々の前から消え去り、そして記憶からも消え去っていったのだ。

「あっ、この曲・・・懐かしい。歌っていたの誰だった?」

ニール・セダカが再び脚光を浴びるようになったのは、彼自身が曲を書いていたからではないだろうかとも思う。提供された曲を、ただ歌うだけではなく、自分で創造していたから・・・

ニール・セダカ・・・

彼は、「古き良き時代」の懐かしい歌手ではない。驚くべきことに、現在もコンサート活動をし、新譜を発表している歌手であり、現在進行形の歌手なのだ。もう80歳に近い年齢なのではないだろうか?

これは最近のニール・セダカの歌。なんとも聴いている人を包み込んでしまうようなメロディーの曲だ。この曲を歌うニール・セダカを聴くと、彼が、時代の流れ、時の流れというものを生き残った理由が理解できるような気がしてくる。

kaz



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セピア色のアメリカ 

 

おそらく「オールディーズ」というところにカテゴライズされるであろう曲たち、基本的に僕はあまり知らない。それらの曲は、1950年代、60年代初めに主にアメリカで流行し、日本でも多くの歌がカバーされて、日本語で歌われたりした。そしてそれらの曲はヒットした。

むろん、僕が生まれていない頃の歌が多いので、リアルには聴いてはいないのだが、でもメロディーは知っていたりする。

「ダイアナ」ってポール・アンカだったっけ?ニール・セダカじゃなかった?

こんな問いは、「愛の夢」ってショパンじゃなかった?

・・・のように頓珍漢なことを言っているのだと思うが、僕のオールディーズの知識なんて、そんなものだ。

オールディーズ・・・それは「夢多き、そして良き時代であったアメリカ」という香りがする。キャデラックを乗り回し、ジュークボックスから流れるオールディーズで歌い踊る・・・なんていうアメリカの若者に、当時の日本の若者は相当憧れたんじゃないかな・・・なんて思う。

どの歌手も、どの曲も、「良き時代」というものを反映していて、聴いていて楽しい。その中でも、僕はニール・セダカという歌手、作曲家、つまりシンガーソングライターに興味を持った。

ニール・セダカの、かつてのヒット曲、それはもう50年以上昔の曲だったりもするわけだが、なぜか僕の心を奪うものがあり、他のオールディーズの歌手たちとは、何かが異なるような気もしている。まぁ、それはたんに彼の声や曲を僕が気に入ったということなのかもしれないが・・・

ニール・セダカのヒット曲を挙げよ・・・なんて言われても一曲も答えられなかったと思う僕だが、どの曲も聴いたことはある・・・というのがこの時代のヒット曲の不思議さだ。

この「恋の片道切符」という曲は1959年のニール・セダカのヒット曲で、珍しくニール・セダカ本人の作曲ではないのだが、なぜか惹かれる。この曲は、アメリカではヒットせずに、なぜか日本で大ヒットした曲でもある。

セピア色の中で威勢よく歌うお兄ちゃん・・・という歌いっぷりのニール・セダカだが、彼は幼少の頃よりピアノを習っていて、ジュリアード音楽院で学んでいるんだねぇ・・・

kaz



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