ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

70歳の夢 

 

僕は70歳代のニール・セダカが最も素敵だと思う。この歌は年齢を重ねなければ、マチュアな魅力が内在していなければ歌えない曲なんじゃないかな?この人は年齢を重ねるごとに愛に溢れるというか、愛に包まれているように見える。

70歳、何をしていたいですか?

シューベルトを自分のために弾きながら誕生日を祝いたい。

20㎝ぐらいのホイップクリームが乗ったパンケーキを食べたい。

kaz




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雨に微笑みを 

 

1960年代に入ると、ニール・セダカの人気はかげりを見せるようになっていった。正確には、ニール・セダカ自身の人気が落ちたというよりは、時代が変わってしまったのだ。明るいオールディーズのような音楽は流行らなくなったのだ。おそらく、この時代苦渋を味わったのは彼だけではないのだろう。多くのオールディーズ時代の人気歌手がそうだったのだろう。

時代の反映というのだろうか、辛口でメッセージ性のある音楽が求められたのが60年代だったのかもしれない。もう「イケイケGOGO」の時代ではなくなったのだ。

「あの人は今?」という感じだったのかもしれない。むろん、昔のオールディーズを懐かしむファンは存在していただろうが、チャートを賑わすとか、そのようなことはなくなった。ある意味、音楽シーンの第一線から退く形となってしまった。

長い低迷の時、それはおそらく10年以上も続いたはずだ。1970年代の中頃、突然懐かしきニール・セダカが全米チャートの1位に返り咲いた。「雨に微笑みを」という曲だ。ニール・セダカ本人も、周囲もこの大ヒットに驚いたかもしれない。

長かった不遇の時代、売れなくなった時代、その時の自分をありのままに歌った・・・それが「雨に微笑みを」という曲なのだそうだ。

辛かった時代の自分自身を歌っても「恨み節」になっていないのが凄い。だからこそニール・セダカなのだろうが。「こんな俺に誰がした?こんな世の中に誰がした?」という歌ではないのね。

美しく年齢を重ねていると思う。

kaz




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恋の片道切符 

 

ニール・セダカが初来日したのは1950年代だろうか?その時の映像に、ニール・セダカとフランク永井が、パン食い競争をしている場面があった。ニール・セダカとフランク永井、オールディーズの人気者とムード歌謡の第一人者、接点がないようだが、フランク永井は、もともとは洋楽の人だった。デビュー曲は「恋人よ!我に帰れ」なので完全に洋楽だ。もともと進駐軍で運転手をしていた。洋楽とは馴染みがあったのだろう。米軍の兵隊たちは彼のことを「フランク」と呼んでいた。それが芸名となった。洋楽から転身してムード歌謡を歌い、ヒットしたわけだから、それは良かったのだろうが、ニール・セダカとパン食い競争しているフランク永井を見ると、やはり彼は洋楽が好きだったのかな・・・などと思ったりする。まぁ、コンサートなどでは洋楽をずっと歌い続けていたみたいだが。

ニール・セダカのヒット曲は数多いと思うが、やはり50年代から60年代の初めの頃に集中しているように思う。時代は「オールディーズの時代」ではあった。日本でも人気があったようだ。彼の当時の歌声は、日本人にとって「良き時代のアメリカ」とか「アメリカンドリーム」のような、憧れを感じさせたのだろうと思う。

おそらく本国アメリカよりも、日本でヒットした感のある曲が「恋の片道切符」だと思う。僕などは生まれてもいなかった頃の歌だが、何故か知っている。いかにもオールディーズ・・・という曲。

ニール・セダカの全盛期というと、やはりこの時期ということになるのであろう。古き良き時代の懐かしい歌手。でも、彼は、その後の時代も生き抜いた歌手であり、それぞれの時代の良さがある。現在、ニール・セダカは78歳なのだそうだ。78歳のニール・セダカは、若い頃の「恋の片道切符」のような「元気なお兄ちゃん」というか「イケイケGOGO(?)」のような溌溂さ、若さはないのだろうが、若い頃には醸し出せなかったものを表現できているように思う。なんとなく当たり前のように思ったりしてしまうが、これって凄いことではないだろうか?

普通、年齢を重ね、加齢していくと、盛は過ぎたというか、第一線ではないというか、そのような風潮が、特に日本においては残念ながらあるようにも思うが、若さより素敵なこともあるのではないか、ニール・セダカを聴くと、そう感じたりもするのだ。

年齢を重ねるって素敵なことなんだな・・・とニール・セダカを聴くと思うのだ。美しく加齢している・・・みたいな?

これは「イケイケGOGO」の若い頃のニール・セダカ。これから美しく加齢しているニール・セダカを追っていきたい。

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色艶 3 

 

トニー・ベネット 89歳、ウィリー・ネルソン 83歳、この二人に比べればニール・セダカは現在77歳(!)なので「若いじゃな~い」と感じたりもするが、77歳かぁ・・・

この人も昔より今の方が素敵だなと思う。少年のような曲を書くし、少年のような歌声だ。

たしか、ニール・セダカはジュリアード音楽院のピアノ科出身ではなかったか?

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ニール・セダカに憧れて 

 

約6年間アメリカに滞在していた。自分自身はピアノは弾いていなかったけれど、音楽愛好家ではあったので、音楽は聴いていた。アメリカでしか購入できないような、ローカルな演奏家のCDなども集めたりしたし、プロの演奏会だけではなく、子どものピアノ発表会や、アマチュアの演奏会なども結構聴いたりした。

現在は日本でもピアノサークルに所属しているし、ピアノ再開時は全体傾向を知る目的で、日本のピアノ教室の発表会や子どものコンクールなども随分と聴いたものだ。上手く言葉で説明はできないのだが、アメリカと日本とでは、微妙に何かが違うのを感じた。国が異なることよりも、個人差というものを考えるべきかもしれないが、そのような個人差ということ以前に「ピアノ教育のありかた」みたいな根本的な違いのようなものも感じたりした。国民性の違いというものもあるのだろうか?それはあるのかもしれないが、それぞれが積み上げてきたもの、そして演奏、音楽そのものへの感じ方の違いみたいなものを、より強く感じた。「教育」だろうか?

大変大雑把、かつ乱暴な分類ではあるが、なんとなく思ったものだ。

日本ピアノ・・・指がしっかりしている。表現意欲が隠れている。(ただ音符を音にしてしまう)

アメリカピアノ・・・表現意欲がある。拙さもあるが、楽しそうに弾く。指がフニャフニャ・・・

日本のピアノ教室の発表会は、どこか「子ども中心」という感じがするが、アメリカのそれは、年代層の広さが日本よりはあるような気がした。男性比率も日本よりも多い。でも70歳ぐらいの男性がマイクを自らセッティングし、「弾き語りをします」と舞台で言った時にはアメリカでの光景としても珍しいな・・・と思った。

「1年前からピアノを始めました。それまではピアノなど自分の生活には関係のないものと思っていましたし、実際に関係のない人生を歩んでいました。実はピアノを習おうと思ったのは、妻が亡くなったからです。彼女はニール・セダカが好きでした。彼女が亡くなって穴が空いたような気持ちになり、自分もニール・セダカの曲をピアノを弾きながら歌いたいと思いました。できれば妻に聴かせたかったですが、でも今日は彼女も聴いてくれるでしょう。私の残りの人生を彼女は心配していましたから、今日ニール・セダカを歌うことで彼女に僕は大丈夫だから・・・ということを伝えられるのではないかと思います」

なんとなく感じる日米のピアノの違いのようなものを、これまた、なんとなく綴っていけたらいいと思う。

kaz




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