ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

ああ、愛する人の 

 

1970年代、ピアノ殺人事件があったと記憶している。「ピアノの音がうるさい」と殺してしまったんだね。防音対策とか、ピアノを弾く側はそんなこと考える時代ではなかった。デジタルピアノなんて選択肢にはなかった時代。たしか、その事件の舞台って団地だったと思う。小さなウサギ小屋でもピアノ、誰でもピアノ、盛況なるピアノ教室・・・そう、昭和のピアノ。どこか懐かしいような、痛いような感覚を「昭和のピアノ」という言葉からは受ける。

昭和55年をピークに、ピアノの生産台数は見事なまでに落ち込む。盛大な滑り台のように。誰でもピアノ・・・という時代にピアノを習っていた世代、今は40代、50代、いわゆるアラフォーとかアラフィフとかいう世代。僕なども、まさにそうだ。その世代が再びピアノを弾いている。華やかなるピアノ再開組。ピアノサークルって多い。そのピアノサークルを支えているのが、アラフォー、アラフィフ世代でもある。コテコテの昭和ピアノを、どこかひきずっている世代なのかもしれない。

セピア色だけれど、忘れられない風景は誰にでもあるのではないだろうか?「ピアノ、嫌い」「チェルニー、退屈」「バッハは感情を込めないでペダルを使わないで弾きましょう」「指ははっきりと高く上げてハキハキ(?)弾きましょう」「ベートーヴェンは歌っちゃいけないのよ」

ああ、昭和ピアノ・・・とも思うが、その昭和ピアノ時代があったからこそ、今のピアノ仲間がいるのだ。大人のピアノ、ピアノは本来は大人のものだと思うけれど、50歳の人がピアノを習っていることが奇異な時代ではない。「今から保育士になるの?」なんてあまり言われないのではないだろうか?堂々と隠れる必要もなくピアノを弾ける。

そうではない時代もあったのだ。別に戦時中とか、そのようなことではなくてもね。僕の両親が若かった頃、幼かった頃、ピアノというものは身近ではなかったはずだ。貧困ではなくても、ごく平均的な家庭でもピアノを習うということが普通の時代ではなかった。お金がない、ある関係なく、ピアノなんて選択肢になかった時代もあるのだ。

僕の祖母はお嬢様だったらしい。蝶よ花よ・・・みたいな?祖父に愛され子どもたちに愛された幸せな人生だったと思うが、自分の子どもたち(全員女!)には「手に職を」・・・という育て方をした。なので母を含め、全員職業婦人(!)となった。これって結構時代を考えると珍しいのではないかな?母は看護師だったから、僕の発表会などに聴きに来たことは一切ない。「練習しなさい」とも言わなかった。ピアノには無関心だった。少なくとも僕は子ども時代、そう思っていた。「他の家のお母さんとは違うんだ」と。いつも働いていたしね。ピアノを習わせていたぐらいだから、特に貧乏な家庭ではなかったように記憶している。でも両親とも働いていた記憶しかない。

母は西洋文化への憧れのようなものは持っていたと思う。ロシア文学が好きで、特にドストエフスキーが好きだった。「私もピアノ習いたかったのよ」なんて言葉は聞いたことはない。でも昭和27年に公開された「カーネギーホール」という映画のことは熱烈に僕に語ったりしていた。「ハイフェッツさんて凄いのよ・・・」

ある日、母がレコードに合わせ、歌を口ずさんでいるのを聴いた。それは「ねぇ、何してるの?」なんて言えないような、そんなことを言って中断させてはいけないような、どこか静謐な雰囲気があった。レナード・ウォーレンのレコードだったと記憶している。母は彼の歌うドナウディの歌曲「ああ、愛する人の」をイタリア語で口ずさんでいた。イタリア語を習っていたとは思えない。覚えてしまうまで、それぐらい何回も何回も聴いたのだろう。

母と音楽、そのような記憶はその時だけだ。別に母は貧しい家庭に育ったわけではなかった。仕事をしながら子育てをしていたので、専業主婦よりは忙しかったのかもしれないが、ピアノ・・・とか、そのようなこととは無縁だった。

そのような時代だったのだ。「ああ、ピアノが弾けたなら」みたいなことが生活に入ってくるような、そんな時代ではなかった。「ああ、ピアノ・・・」みたいなことが普通の一般人(?)にも入ってくる、それは昭和のピアノ時代以後なのではないか?それ以前は、ピアノを弾かない、楽器を演奏しない、それが普通だったのだ。そのような時代だったのだ。

昭和時代の申し子たち、つまり我々のことになるが、ピアノを弾くことが普通の時代になったからこそ弾いているのだが、そこにも悩みはある。上達しないとか、忙しいとか、難しいとか、ピアノ仲間と色々とあったとか、誰かからこう言われたとか、まぁ、色々とある。でもそれは「弾くのが普通の時代」だからこその悩みかもしれない。

弾かないことが普通、別段そのことで「自分は不幸」とか、そんなことも思わないような時代があったのだ。悩める幸せ・・・それは昭和ピアノという時代を経たから。

レナード・ウォーレンのドナウディを聴くと、そんなことを想ったりする。憧れや切なさ、そのようなものをピアノに託せるというのは、普通の、当たり前のことでもないんだな・・・と。

kaz




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時代の流れ その2 

 

八代亜紀のファンというわけではない。演歌は聴かないので、この曲も好きな曲というわけではない。ただ、1977年の紅白での歌唱は以前から興味深く感じていた。おそらく、「本番で緊張を隠すコツ、聴き手に感じさせないコツ」みたいなものに関連付けていたのだろう。少なくとも、緊張しているようには見えない。オーラさえ感じる貫禄だ。でも紅白の舞台なので、緊張はしていたと思うんだよね。

八代亜紀って1950年生まれなのだそうだ。そうすると、この紅白の舞台、27歳ぐらい、つまり二十歳代・・・ということになる。当時、八代亜紀は特別大人っぽいということで有名だったという記憶はない。むろん、幼さを売りにしていたということはないけれど、八代亜紀は八代亜紀・・・みたいな?

でも二十歳代と考えると、この貫禄、オーラは何なのだろう?やはり今の二十歳代の人には、あまりないものなのではないだろうか?なんだか女王の貫録というか?時代の流れというものを感じたりしてしまう。

この人は非常に苦労の多かった人みたいだ。当時の歌手はそのような人も多かったのではないかと思う。最初、八代亜紀ってバスガイドだったそうだが、クラブで歌い始めた。あまり裕福ではなかったみたいで、父親を楽させてあげたいみたいなことでクラブで歌ったみたいだ。でも父親からは「不良になってしまった」みたいに思われて・・・

クラブ歌手だったので、当時の水商売、ホステスさんたちだろうか、そのような人たちの話も聞くことが多かったらしい。「ブランドものの服が欲しいの~」という理由で働いていた人は当時はいなかったそうだ。何かしらの訳ありがあった。父親が借金をして、その返済をするためにとか・・・

人生の裏街道・・・

八代亜紀のエピソードで印象に残った話がある。重いトランクを自分で持ちながら、色々な場所で歌っていた。手が豆だらけになっていたそうだ。「握手をしてください」これが嫌だったらしい。豆だらけなんだもの・・・こんな手を差し出すなんて・・・

ある時、一人のオジサンが「握手をしてください」と。しないわけにはいかない。握手のあと、そのオジサンはこう言ったのだそうだ。「このお絞りで手を拭きなよ」と。人の優しさというものを感じた時だったと彼女は言う。

時代の流れなんだよね。今時このようなことは流行らないのかもしれないね。

でも変わらないものもあると思うんだな。人の優しさとか、人が抱え込んでしまうこととか。変わらないものもある。

二十歳そこそことは思えない、この貫禄の影には一枚のお絞りがあったのかもしれない。

kaz




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時代の流れ その1 

 

もう本当にどうでもいいことなのだが、メモ代わりとして記しておきたい。実はストコフスキーが好きだ。特に彼がバッハ作品を自ら編曲したものが好き。でも時代の流れというものからすると、ストコフスキーのバッハは、現代の原典主義からすると、異様にゴテゴテと飾り立てた時代遅れのものと指摘する人が多いようで、なんとなくそう言われてしまう理由は僕としても分からないでもなく、でも好きなんだというところもあり、複雑な気持ちではあった。

正しいのだ、間違えているのだ・・・これで分類しようとしていたので複雑な気持ちだったのではないかと、ふと今日感じたのだ。時代の流れ・・・なのではないかと。いい、悪い、正しい、誤り・・・のように分けず、ただ時代の流れなのだと。

手紙は手書きだよね?心がこもっている。なんでもパソコンで済ませてしまうのはどんなものだろう?そうなのかもしれないが、時代の流れ・・・なんだよなと。いいとか悪いではなく。

昭和のピアノ・・・と書くと、どこか過去否定のようなニュアンスが漂うが、昭和歌謡となると、どこか「かつての栄華」のようなニュアンスが漂う。昔はよかった・・・みたいな?僕ぐらいの世代の人は分って頂けるのではないだろうか?

偏見はいけない、今のJポップにも名曲がある・・・そうは思うのだが、どうしてもダメ。幼い地声を張った歌い方がどうしても苦手だ。でも時代の流れ・・・なんだよね。そういうものなのだ。

日本は若者優先文化と言われる。今のJポップを聴いてもそう感じる。でも昭和時代の歌謡界、そうだっただろうか?皆さん、若くても大人の魅力を漂わせていたような?成熟とか妖艶(?)みたいな要素が否定されていなかったような?

今の二十歳そこそこの歌手よりも非常に大人っぽい。そんな時代だった・・・ということなのだろう。園まり・・・この時まだ二十歳そこそこ・・・だったわけだ。そのような時代だったわけだ。

いい、悪いではないんだ、というところが今日の発見。でも今の二十歳、幼くないですか?

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日立の樹 

 

もしかしたら昭和の歌ではないのかもしれない。それにしても今日は凄い更新回数だ。止まらないんだよねぇ、楽しくて。

我ながら「何を自分はしているんだろう?」などと思いつつ、怒涛の小林亜星シリーズを終了したいと思う。

この曲が個人的には最も「小林亜星らしい」曲だと思う。どこがと問われても困るが・・・

この樹には名前がある。モンキーポッドという樹で、実際にハワイにあるのだそうだ。樹齢130年、高さ25メートル、幅40メートル、胴回り(?)7メートルの樹なのだそうだ。

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アンコーラ 恨み 

 

ルカによれば「イタリア人気質」というものはないのだそうだ。北部と南部では人種が異なるかのように気質や性格、感情表現が異なるのだそうで。南部人でも「シチリア人とは違う」のような思いはあって、結構複雑みたいだ。でもそれぞれの地域のイタリア人はそれぞれの誇りを持っている。ルカはソレント出身なので、典型的な南部の人ということになる。北を代表するミラノに今は住んでいるので、生粋のミラノ人と時には喧嘩をすることもあるらしい。殴り合いのようなことも、たまにあるようで、なんとも子どもっぽいというか血気盛んすぎるというか。「南部の奴らをイタリア人とは思わないでくれ」みたいな北部特有の空気を感じると我慢できないそうで・・・

情熱的というか、血が濃いというか、感情表現に対して強いというか・・・

そのルカが「ソレント人やナポリ人よりも濃く、そして強い人たちがいる。それは君たちサムライ日本人だ」などと言う。日本人の印象って、控えめとか、そのようなものなのでは?

「君たちサムライ日本人は心の傷を笑い飛ばすような強さがある。隠すというか、達観して過去を捨てられるような強さかな・・・」などとも言う。どこか過大評価気味にも思うが、なんとなくそんなところもあるかもしれない。

小林亜星の曲、都はるみの「北の宿から」という曲。どうもこの曲は僕には「怨念」とか「情念」とか「恨み」のようなもの、つまりドロドロしたものを感じてしまう。ちょっとヘビーかなという気がしていた。阿久悠の歌詞がそんなことを感じさせるのかもしれない。「着てはもらえぬセーターを編む」とか「あなた、死んでもいいですか」とか、「寒さ堪えて編んでます」とか、重すぎる。「編まなくても、寒さ堪えなくてもいいです。ゆっくり温泉に浸かってのんびりしてください」などと言いたくなってしまう。

以前、この「北の宿から」を含めた情念系の日本の歌をルカに紹介したことがある。彼は日本語を解さないので、僕のなんちゃって英語で歌詞を説明したりして。

「君はこの北の宿にいる女性がアンコーラ(恨み)を感じていると思っていないかい?僕はそうは思わない。そのようなアンコーラという感情はもうとっくに通り越してしまっているんだ。自嘲気味に過去の自分を笑い飛ばすような強さがある。そこが日本人的なところなんじゃないかな?・・・ねぇ、あなた、私死んじゃってもいい?なんていうセリフ、そんな感情もかつては持っていたのねぇ。私ってバカだったわ。もうあなたになんかつまづかないけどね・・・みたいな強さを淡々と言うところにイタリア女性にはない強さがあるんじゃないかな?日本人は女性もサムライなんだね」

う~ん、美化しすぎかも?などと僕は思うが、作詞者の阿久悠もルカと同じようなようなことを言っているのだ。「この女性は自嘲気味に、死んでもいいですかなどと一人芝居をしている。失恋というものに自らけじめをつけている」と。

そうなんだぁ・・・

kaz




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