ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

イタリアへの祈り 

 

「世の中には、こんな世界もあったのね・・・」

初めて外国の街、ローマの街を観た時のAさんの奥さんの言葉。むろん、Aさんも外国なんて初めてだったから、目に入るもの、すべてが珍しかった。今のように、個人旅行・・・などというものは一般的ではなく、ツアーに参加して、ビルラのコンサートの晩だけツアーの予定をキャンセルした。搭乗員が心配して、会場まで辿り着くように、「このメモを見せればイタリア人たちは教えてくれるでしょう」とイタリア語と日本語のメモをAさん夫妻に渡してくれた。

無事に会場に辿り着き、そしてビルラを聴いた。

「何故か、彼の歌を聴いているうち、私の最も苦しかった頃のことが脳裏に浮かんできました。借金取りたちの恐ろしい顔、声、東尋坊での日本海・・・」

「コンサートが終わり、今度こそビルラにお礼を直接言わなければと思いました。でも、日本公演の時以上に楽屋には大勢の人が詰めかけていて、ビルラの姿が見えないほどでした。イタリア語もできませんし、気後れしてしまいました」

「帰ろうか?と妻に言いましたが。妻は絶対に会わなきゃ、言わなきゃと厳しい顔で私に言いました。そのうちに、楽屋にいた人たちが、前を空けてくれたのです。おそらく、妻が和服を着ていて目立っていたということもあったのでしょうが、はるばる東洋から聴きに来て楽屋まで来ていると分かってくれたようで、私たちは気がつくとビルラの前にいました。恥ずかしながら、この時、私は泣くばかりで、とてもイタリア語、それはアルファベットとカタカナの両方が書かれた文章でしたが、ビルラの前で朗読する勇気が出ませんでした。すると、妻が日本語で私を叱りつけたのですね」

「ここで言わないでいつ言うの?あなたの命を助けた人なのよ?」と。私は、おそらく棒読みだったと思いますが、ビルラにお礼を言いました。作文してもらったイタリア語を朗読しました。

「私は、これまでの人生で最も辛かった時、何度も死のうと思いました。今度こそ死のうと思った時、テレビであなたの歌を聴きました。あなたの歌が私を再度生かしてくれました。私はお金がありませんでしたが、あなたのレコードを聴くために、買うために働きました。そしてここまで来ることができました。私が結婚もして、今は幸せに暮らしているのは、あなたがいたからです。ありがとうございました・・・」

「私の拙いイタリア語をビルラは理解してくれたようです。真剣に聞いてくれました。そして私たち夫婦を強く抱きしめてくれました。イタリア語で何か言ってくれましたが、もちろん理解できませんでした。でも気にしませんでした。ビルラに私の気持ちが伝わったのですから・・・」

Aさんは、ビルラが小柄なことに驚いたのだそうだ。舞台では、とても大きく感じるのに・・・と。

「日本人である私よりも小柄でした・・・」

「今では遠い想い出です。カンツォーネ・ブームが日本で過去のものになっても、私はビルラの歌を聴き続けました。彼の歌は、私の人生そのものだったような気がします。ビルラが心臓発作で亡くなったということを知った時、私はイタリアに向かって祈り続けました。それしかできませんでした・・・音楽がここまで人間を変える、影響を与えるということを伝えたくてメールしました。私もkazさんが書いているように、音楽は人を、そしてその人の人生さえ変えてしまう力を持っていると思っております」



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東尋坊とビルラ、そして新婚旅行・・・ 

 

基本的に、このブログのメールフォームからのメールには返信しない(数が多かったりするので)のだが、内容によっては返信したりする。イタリア旅行中に、ある男性からメールがあった。クラウディオ・ビルラの記事に対する感想と、ビルラという歌手のことを再び懐かしむことができたという感謝のメールだった。僕は返信を書いた。そして今日、再びブログにビルラのことを書いたら、その男性から、またメールがあった。とても重い内容のメールだったけれど、僕は簡単にでも、その男性のメールの内容を紹介したいと思った。その男性の了解を得たので、少し書いてみたいと思う。その男性は、福井県在住で、年齢は書いていなかったけれど、僕の父ぐらいの年齢だと思う。以後、その男性をAさんとしたい。

Aさんは、事業に失敗し多額の借金を抱えてしまった。時代は、60年代だと思う。カンツォーネ・ブームの頃だったと書かれていたので、そのように推測できる。Aさんは、東尋坊という福井県でも有名な場所を訪れた。そこは、なんでも自殺で有名な(?)場所らしい。断崖絶壁で、そこから飛び降りる人がいると・・・

「ここから飛び降りれば死ねるんだ。苦しみは終わるんだ・・・」Aさんは、渦巻くような日本海の荒波を見下ろしながらそう思った。でも飛び降りる勇気が、どうしても出なかった。「俺は・・・俺は自分で死ぬ勇気もないのか・・・」

真っ暗な気持ちで東尋坊から自宅に向かった。途中、「ここで飛び出せば車に轢かれて死ぬことができる」「今、この踏切を超えれば電車の下敷きになって死ねる」などと、Aさんは死への衝動を何度も感じた。「せめて楽に死ねる方法を考えよう」とも思ったそうだ。そのような気持ちの中、ふとある喫茶店に入った。「こんな時にも腹は減るんだ・・・」

その喫茶店のテレビでは、当時流行っていたカンツォーネを日本人歌手が歌っていた。日本語でカバーされたもので、Aさんは、興味もなく聴いていたのだが、映像が外国に変わり、外国人の男性がカンツォーネを歌った。その歌声は、とても印象的で、希望溢れるようなものだった。Aさんは、自分の境遇も忘れ、その歌声を聴いた。何曲か、その男性歌手は歌ったのだが、聴いているうち、Aさんは「いいじゃないか・・・死んだつもりになればいいじゃないか・・・俺には失うものなんて何もないんだから・・・死んだつもりになって、もう一度生きてみればいいじゃないか・・・」と思えてきたのだそうだ。その男性歌手はイタリア人で、クラウディオ・ビルラ・・・と紹介されていた。

「クラウディオ・ビルラという人なのか・・・・」

「彼の歌声が、私の中のまだ残っていた希望というものを、未来というものを再び思い出させてくれたのだと思います。でもそれからの生活も大変でした。借金取りって凄いんですよ。職場まで押しかけてきて嫌がらせをするんです。何度も職を変えました。ずっと貧乏で、どん底の生活でしたが、借金はなんとか返済することができました。何年もかかりましたが・・・」

しかし、借金取りの取りたてに怯えなくてもいい生活はなんて素晴らしいのだろう、もう部屋の雨戸を閉めてロウソクの灯で隠れるように暮らさなくてもいいんだ・・・

Aさんが借金返済後、初めて生活必需品ではない、自分の楽しみのために買ったのが、クラウディオ・ビルラのレコードだった。ドーナツ盤と呼ばれていたレコードだ。でもAさんはレコード・プレーヤーなど持っていなかった。「今度の給料でレコード・プレーヤーを買おう」

何度も何度もたった一枚だけ持っていたビルラのレコードを聴いた。ドーナツ盤なので、2曲しか聴けない。でも何度も聴いた。

そしてAさんは、ビルラのLPレコードを買った。これで、もっと彼の歌が聴ける・・・

でも、Aさんの持っていたプレーヤーではLPレコードを聴くことができなかった。

「今度の給料で、ステレオを買おう。節約すればなんとかなるだろう・・・」

Aさんはビルラのレコードを、それこそ擦り切れるくらい聴いたのだそうだ。そして、ビルラが日本で公演をすることを知った。「彼を生で聴けるのか?」

「今は新幹線も開通して北陸と東京は近くなりましたが、当時は汽車を何度も乗り換えて、それはそれは遠かったんです。それに私は、それまで東京などという大都会を訪れたことなどありませんでしたので、とても不安でした。でも、どうしてもビルラの声、ビルラの歌を彼と同じ空間で聴いてみたかったんです。彼は私の命の恩人でもあるわけですから」

「ビルラの公演は素晴らしいものでした。でも、あまりにも夢のようで、フワフワと私が感じていたものですから、本当にアッという間に終わってしまって・・・」

Aさんは、ビルラに、借金返済後、自分が初めて買ったドーナツ盤のレコードにサインをしてもらった。そして握手をしてもらった。

「その時もボーッとしていまして、なんだか記憶は鮮明ではないんですね。でも、本当は握手をしてもらった時、彼にお礼を言いたい気持ちが溢れてきたんです。何度も死のうと思ったこともありましたが、あなたの歌を聴いて、希望というものを信じてみようと思えた、あなたは命の恩人なのです・・・そう言いたくなったんです。でもビルラは日本語は知らないだろうし、私も外国語なんてできませんから・・・」

Aさんは、その後結婚した。その頃も貧しい生活だったらしい。「妻には苦労をさせたと思います。お金がありませんでしたから。結婚式も、指輪も、新婚旅行もありませんでした。でも彼女は、それでもいいと言ってくれたんです」

やがて、子どもも生まれ、ささやかながら幸せな生活を続けた。

でも、Aさんは、どうしても叶えたかったことがあった。それは、その時のAさんからすると、とても贅沢なことのように思えた。「もう一度ビルラに会って、そしてその時は、お礼を言いたいと願っていました。そしてその願いは、徐々に強くなっていきました」

「イタリアに行かないか?」

「えっ、なんですって?」

「新婚旅行・・・行ってないだろ?イタリアに行かないか?」

その時、Aさんは奥さんに自分は昔、借金があったこと、何度も自殺を考えたこと、そしてビルラの歌を聴いて思い止まったこと、ビルラを聴きに東京まで行ったこと、そして彼にお礼を言いたいこと・・・すべてを話した。

「その頃は今と違って海外旅行なんて庶民には高嶺の花でした。でもどうしても行きたかったし、妻にもビルラを聴いて聴いて欲しかったし、新婚旅行だって指輪だって彼女に送りたかったんです」

「今思い返すと、自分の行動力に驚きますし、同時に、とてもノンビリしていた時代だったのだと思いますね」

Aさんは、ビルラの東京公演の招聘した事務所に手紙を書き、自分の希望を伝えた。「ビルラをイタリアで聴きたい。彼のイタリアでの公演予定を知りたい」と。

何か月かして、返事も諦めたころ、イタリア語の手紙がポストにあった。それはビルラのエージェントからの手紙で、ビルラのイタリア、その他の国での公演予定が記されたあった。イタリア語を理解できる人を探し出し、確認さえしてもらった。

「イタリアへ行こう・・・新婚旅行だ・・・そしてビルラにもう一度会う・・・」

長くなったので続く・・・(kaz)

追記:ビルラが60年代に日本で行った公演の時の録音。この歌声をAさんは聴いたのだなと思う。



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ビルラと日本人 

 

僕が生まれた頃、日本ではカンツォーネ・ブームだったのだそうだ。日本人歌手がカンツォーネの曲をカバーし、日本語で歌った。そして、それらの曲はヒットした。おそらく、当時はカンツォーネだけではなく、洋楽というものへの、そして西洋というものへの憧れがあったのかもしれない。日本も戦後の復興を遂げ、オリンピック、そして大阪万博と勢いがあったし、それまでは、遠い存在、想像だけの世界であった西洋というものへ、少し近づいた時代・・・そんな背景もあったのかもしれない。

今回、多くのカンツォーネ歌手の歌を(CDで)イタリアで聴き、以外に感じたことがある。これはクラウディオ・ビルラの歌唱だけに限ったことではないけれど、「カンツォーネって濃いんだ!」と感じたのだ。今までは、カンツォーネ=イタリア=明るい・陽気=屈託なく朗々と歌い上げる・・・というイメージが僕にはあったのだ。むろん、そのような面もある。でも感じたのだ。「演歌みたい・・・」と。カンツォーネは、オペラに近いというよりは、日本の演歌に近いように感じたのだ。

日本の60年代、カンツォーネ・ブームに乗って、本場からカンツォーネ歌手も来日し、日本で公演を行った。クラウディオ・ビルラも毎年のように日本で歌った。そして、日本で発売された彼のレコードは、とても売れたらしい。今でも、ビルラのファンは日本にも沢山いるらしい。その人たちは、60年代、胸をときめかせ、そして驚愕と共にビルラの公演を実際に聴いた、僕よりも上の世代の方々が中心なのだそうだ。

当時のブームに便乗されたから、だからビルラも日本で売れたのだろうか?それもあるだろうが、日本人にとってビルラの歌い方は、非常に親近感を持てるものだったのではないかと僕は想像する。どこか、日本の演歌、情念の歌い方に通じるものがある。

僕は、ビルラの歌い方は、パヴァロッティよりも、若い頃の北島三郎との類似点を感じたりしている。

kaz



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ビルラとイタリア人 

 

いつもそうだけれど、時差ボケが酷い。でもここで寝てしまうとサイクルが狂ってしまうので、もう少し我慢して起きていようかと思う。東京は桜が満開だ。もう散り始めていたりする。ギリギリでも今年も桜を鑑賞することができて良かった。毎年思うのだ。「来年は桜・・・見られるかな・・・」と。

今回のイタリア旅行の収穫はクラウディオ・ビルラというカンツォーネ歌手を知ることができたことだ。もうとっくに亡くなっている人だけれど、彼はイタリアでは「カンツォーネの王様」とか「カンツォーネの帝王」などと呼ばれているらしい。ルカの父親もビルラの大ファンで、崇拝すらしているらしい。

「ビルラを崇拝しているイタリア人は父だけじゃないよ。皆そうだよ・・・」

ビルラのCDを沢山イタリアで購入してきた。考えてみれば、日本でだって手に入るのだ。アマゾンで購入できるだろうしね。でも、CDショップで外国人である僕がビルラのCDを手にすると、店員が「そう・・・その人のカンツォーネはいい」と言いたげに、満足げにうなずいたりするのだ。

ルカは「そうだねぇ・・・ビルラはオペラ界だったらパヴァロッティのような位置づけになるんじゃないかな・・・」と言う。

「彼の魅力は、囁くような歌い方から、高らかに歌う歌まで、表現の幅が大きいことなんじゃないかな。でも、何と言っても声そのものの魅力、威力が他の歌手と違うんじゃないかと思う。イタリア人は、まずビルラの声に圧倒されるんだ。イタリア人は声が好きだからね」

なるほど・・・

たしかに、このような曲だと、ビルラの魅力は「声の威力」という捉え方もできるだろうなと思う。

kaz



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表現の幅 

 

血管が切れてしまうのではないかと思えるほど情熱的なクラウディオ・ビルラの歌。

でも、なんとなく、この人は表現の幅が大きい人のような気がした。それは最初に聴いた時にそのように感じた。

ビルラとシューベルト・・・

これは最大のミスマッチか・・・と思いきや、これが素晴らしい。むろん、正統的なクラシックでございます・・・という歌唱ではないけれど、「帰れソレントへ」「フニクリ・フニクラ」を歌っていた人と同一人物とは思えないほどの繊細さだ。

kaz



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