ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

本番と選曲 

 

アメリカのクリスマス、日本人の美しい連想としては、暖炉、ツリー、そしてツリーの下には沢山のプレゼントの山、手作りのクリスマスの料理、窓の外は雪・・・ホワイトクリスマス・・・

今、そのすべてを満喫している。昨年のクリスマスは病室で過ごしていたので、幸福感はなおさらだ。

基本的に、イブはともかく、クリスマスの日は家族で過ごす日なので、留学中は別として、この時期にアメリカを訪れることは今までなかったのだけれど、友人Cが誘ってくれていたので、C宅に滞在している。Cの友人で家族ぐるみのつきあいだというAの家族も一緒だ。CもAもプロのピアニストで、Aとは今回初めて会った。

日本にいる時には、いつも孤独にピアノを弾いているし(誰でもそうか?)、サークルなどではピアノの話をする機会もあるけれど、個人的に親しい友人とピアノや音楽の話をしたり、ピアノを弾いたり聴いたりすることは日本ではないので、このような時間はとても楽しい。CもAも「自分たちはプロ、あなたはアマチュア!」という態度で僕と接しないので、とても嬉しい。彼らのほうが圧倒的にピアノは弾けるし、知識も豊富だが、だからこそ楽しいのだ。

僕のピアノを聴いて、僕の幼児の時の体験の影響を指摘したのがAだった。なのでテルおじさんのことなどを想い出したりしたのだと思う。「流し」という日本語をどう訳したらそのニュアンスが彼らに伝わるか苦労したけれど・・・

来年もピアチェーレの演奏会を企画し(僕は何も働かないが)、30分程度の演奏をするということを話すと、彼らは曲目に興味を持った。当然、一年前なので、すでに弾けているものだと彼らは思ったらしい。

「いや、すべて新曲なので、これから譜読みをするんだ」

「えっ???」

弾けるか、弾けないかは別として、未来の演奏会(本番)にむけて、ひたすら(?)ある曲を仕上げていくという行為そのものは、僕にとっては普通のことだった。多くの人がそうなのではないかと思う。発表会などもそうでしょ?普通は本番というゴールに向けて、曲を決め頑張る。

「来年の発表会にはあの曲を弾きたい!」のように・・・

CもAも、その考えには同意できないと言う。こちらが「えっ???」と驚く番だ。何がいけないのだろう?普通のことではないか?本番の日程が先にあって、そして曲を決めて弾きこんでいく・・・

「それは逆じゃないかな?」とCもAも言う。

「逆???」

「本番があるから・・・ではなく、日頃から弾きこんでいで、熟成してきたから人前で発表し、聴いている人と共有するのが本来の演奏の考え方だと思う。曲があるから本番であって、本番があるから曲・・・では順番が逆だよ?」

「えっ???」

「別にすべての曲を今まで弾いたことのある曲にしなくてもいいとは思う。でもバランスの問題だよ。すべての曲が新曲というのはありえないと思う。明日3人で曲目選定をしてみようよ?楽しいよ、きっと・・・」

僕は何故か、海外の友人にクラシックの音楽家が多い。日本の友人たちは筋金入りのクラシック嫌いばかりなので、とてもピアノの話なんかできない。なので、今はとても楽しい。その海外の音楽家の友人たちは、ほとんどがプロの音楽家だけれど、誰も「プロは・・・アマチュアは・・・」などとは言わない。でもプロとして生きていくのは日本よりも海外のほうが、はるかに厳しそうだ。

さて、僕は今までAというピアニストのことは全く知らなかったのだけれど、とても素晴らしいピアニストのように思う。

これはラフマニノフの「ヴォカリーズ」をA自身が編曲したもの。アール・ワイルドのような豪華絢爛な編曲ではなく、どちらかと言えば、フィオレンティーノの編曲に近いように思う。

このような演奏をする人、僕は大好きだ。

kaz



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初恋 

 

子どもの頃から「感情の動き」というものに興味があった。人の死というものに遭遇した時はもちろんのこと、そこまでの大きな感情の起伏ではないまでも、日常生活においても、感情の動きというものはある。そもそも何故気持ちとか、感情というものが動き、気持ちを高揚させたり、そして苦しくさせるのかと興味があった。何故感情というものがあるのだろう?

何故哀しくなるのだろう?何故胸が痛くなるのだろう?

僕が「サナトロジー」という学問に興味を持ったのも、感情の動きというものに幼い頃から興味があったからだと思う。「死」そのものは甘美で美しいものだと思う。でも、最期の瞬間までに辿り着くまでが苦しい。多くの「感情の起伏」というものを経過していくから。そこを通らなければ甘美な死に行き着かないから・・・

多くの場合、感情の動きというものがあった場合、人はその感情を飲みこんでしまう。まれに「泣く」という行為に至る。それは泣き叫ぶというものに近くなる。でも感情の発散というものは、とても困難なものだ。

時として、感情の動きというものが「形」となる。僕にとっては、音楽というものは、感情発散というものを代弁してくれるものなのだ。聴く場合もそうだし、自分で演奏する時もそうだ。

心の中にしまい込んでしまいたくなるような感情、それが音楽として自分の前に存在している。なので手を出して音にしてみたくなる。僕にとって演奏というのは、発散でもあるのだ。感情起伏の発散・・・

目の前にピアノの曲が芸術として、難曲としてそびえているという感覚はない。弾きこなしたいという欲求もない。ただその曲が感情を代弁してくれるから弾く・・・

僕にだって初恋というものがあった。どうしても「好きです」の一言が言えないんだよね。自分を拒否されるという恐怖感もあるし、自分を受け入れてくれた場合でも、淡い初恋というものの感情が終わってしまう。

今思い返しても、胸がキュンとなるような淡い感情・・・

その感情、多くの人は自分の中にしまい込む。想い出として心の中に残っていく。その感情を「何か」にしたものが、音楽なのではないかと思う。

今は亡き、村下孝蔵のヒット曲「初恋」は、村下孝蔵自身の初恋そのものなのだ。彼は、自分の淡い感情というものを言葉にし、そして音楽にしたのだ。

どうしても「好き」と言えない。名前を呼ぶこともできない。ただ遠くから見つめているだけ・・・それしかできない。

初恋の人が転校することになった。

「気持ちを伝えたい・・・どうしても伝えたい」

村下孝蔵は、彼女が乗った電車を自転車で追う。全速力で自転車をこいでいく。踏み切りまできた。電車を追い抜いて・・・

そして、彼女の乗った電車にむかって、思い切り手を振り続けた。電車が見えなくなるまで・・・いつまでも。

「初恋」のヒットで、村下孝蔵はコンサートで全国を縦断するようになった。歌い終わり、客席が明るくなる。その瞬間、彼はいつも思ったのだそうだ。「もしかしたら彼女は、この街に住んでいるのかもしれない。もしかしたら、あの人がそうなのかも・・・」

いつも胸が痛くなった・・・

「この曲、初恋を歌うときは、いつもあの時の淡い気持ちをキープしながら歌うことができた。それはとても幸せなことだと思うんだ」  村下孝蔵

村下孝蔵は「好きです」と言えなかった。

彼は、「好きです」という言葉、そして感情を詞と音楽、曲として伝えた・・・



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抱擁 

 

「テルちゃん、いつもすみませんね、kazは迷惑かけなかった?」

僕は物心つかない頃からテルおじさんに預けられることが多かった。2~3歳の頃からずっとだ。両親はとても忙しかったので、父の弟であるテルおじさんが昼間は面倒をみてくれたのだ。

テルおじさんは、新宿で流しをしていた。仕事は夜からなので、昼間は時間があったのだ。僕はテルおじさんの歌を聴いて、そしておじさんが聴くレコードを一緒に聴いて育ったのだ。

今でも覚えている。ギターを抱え、低音で歌うテルおじさんを・・・

僕のピアノは、どこか歌みたいだと言う人が多い。たしかに僕は歌が好きだ。僕のクラシック開眼は小学3年生の頃で、それ以来、ずっと歌を中心に聴いてきたと言っていいだろうと思う。カルーソ、ジーリ、ゲッダ、ヴンダーリヒ、バスティアニーニ・・・たしかに彼らの歌の影響はあるだろう。でも、僕に音楽的な影響を与えた人はテルおじさんなのではないかと思う。

僕は幼稚園に通っている時に、いきなりピアノで即興演奏をしたのだそうだ。まだピアノを習う前のことだ。ピアノのレッスン、正確には音符を理解して鍵盤に移していく作業は苦手だったし、どこか苦痛だったけれど、鍵盤で遊び弾きをするのは大好きだった。誰に習ったわけでもない。でも弾けた。すべての調で即興演奏ができた。これは、テルおじさんの歌を聴いて育ったからではないだろうかと思う。

「kaz、テルおじさんに、さようならをしなさい。もうおじさんには会えないのよ?」

棺桶の中のテルおじさんは、とても小さくなってしまっていた。僕は哀しかったのだとは思うけれど、幼かったからか、「死」というものを実感できないでいた。皆が泣いていた。「テルちゃん、こんな姿になっちゃって・・・」

この時、テルおじさんは、皆に愛されていたのだと思った。父方の祖父母はとても厳格な人たちで、子どもを大変厳しく育てた。そして学歴というものをとても重視した。おそらく、祖父母はとても苦労したのだろう。なので、自分の子どもたちには違う人生を歩んで欲しいと思ったのだと思う。そしてその期待に父をはじめ、子どもたちは応えたのだ。ただ一人テルおじさんを除いて。

「まったく、テルはどうしようもないな。きちんと就職もしないで、流しのような水商売をして・・・」

「テルは将来どうするんだ?歌なんかで稼ぐつもりか?」
「売れるようになんかならないじゃないか?一生場末の流しで終わるんだぞ?いいのか?そんないい加減な生き方でいいのか?」

テルおじさんの声は、低音で、完璧なるクルーナー唱法だったと記憶している。演歌というよりは、ムード歌謡的な歌を歌っていた。何故か、具体的な声質は想い出せない。なぜなら、テルおじさんは、いつもフランク永井のレコードを聴いていたし、僕の中ではテルおじさんとフランク永井の声が一緒になってしまっているところもあるからだ。二人の声、そして歌い方は、とても似ていたような気がする。なので、僕はフランク永井の声を聴くとテルおじさんを想い出すのだ。

「フランクさんはな、とても偉大な歌手なんだ」

テルおじさんの口癖だった。ヒット曲を連発し、紅白の常連でもあり、そしていつもテレビに登場していたフランク永井は、テルおじさんの憧れの人だったのだ。自分が新宿の流しであったテルおじさんにとって、フランク永井は目標となる人だった。

テルおじさんは若くして癌で亡くなった。おじさんの遺品として、僕は沢山のレコード、そして何冊もの日記を受け取った。僕は癌という病気も、おじさんから受け継いだのかな・・・などと思うけれど、おじさんの「音楽を愛する心情、歌を愛する心情」のようなものも受け継いだのかもしれない。最近は特にそう思う。

僕のピアノは大変に素人くさいところがあるのかもしれないが、それは、誰かに習って会得したものではないからかもしれない。なんというか、湧いてくる、自分の内側から湧き上がってくるという感じで今もピアノを弾いている。この感じは、テルおじさんから受け継いだものなのかもしれない。だとしたら、そのことを誇りに思いたい。宝物だと思いたい。

テルおじさんは、正式にクラシック教育を受けたわけではない。でも、僕の身内の中で、ただ一人の音楽家だった。死ぬほど歌を愛した音楽家・・・

テルおじさんは、自分の日記の中で箱崎晋一郎の「抱擁」という曲について書いている。箱崎晋一郎は超高音の歌手だったから、彼のヒット曲である「抱擁」は、おじさんの持ち歌ではなかったのだと思う。なので、歌っていなかった。でも、おじさんは、「抱擁」をレパートリーにしたかったのではないかと思う。なので、日記に書いた。低音のテルおじさんにとって、箱崎の「抱擁」を歌うということは、一つの挑戦だったのかもしれない。それは最後の挑戦・・・

箱崎の「抱擁」について書いた頃は、おじさんは入院中だった。おじさんは、もう一度、新宿で流しとして歌いたかったのだと思う。回復して、もういちど流しをしたい、歌いたい・・・と。挑戦をしたいと思うことでおじさんは希望を持とうとした。

「退院して元気になったら歌うんだ。高音の箱崎の抱擁を歌うんだ・・・」

おじさんは「抱擁」を歌うことなく旅立ってしまったけれど、フランク永井の「抱擁」を聴くと、「これがテルおじさんが歌いたかった世界なのかな・・・」と思ったりする。

僕は、たしかにテルおじさんから、何かを受け継いだ。

それは何なのだろう?

そう思いながらフランク永井の「抱擁」を聴く・・・

kaz



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閲覧注意 

 

「奇妙な果実だったらニーナ・シモンの歌唱も素晴らしいと思う」と友人が言う。

ニーナ・シモン・・・

この人のことは、ほとんど名前しか知らなかったし、ジャズの人というよりは、非常にディープなプロテスト・シンガーというイメージがある。

「プロテスト・ソングだったら、やはりニーナ・シモンだよ。聴くのは辛いけどね。でも彼女が生涯をかけて表現したかったこと、伝えたかったことだから・・・」

ニーナ・シモンは8人兄弟の6番目として生まれた。本名はユーニス・ウェイマンという。貧しい家庭ながら、一家は信仰深く、そして、いつも音楽に溢れていたのだそうだ。

彼女はピアノの才能があった。でもピアノのレッスンを受けることができない。お金がなかったからだ。

そんな彼女のために「ユーニス基金」が設けられ、彼女はピアノを学ぶことができた。クラシックを学んだ。そして名門ジュリアード音楽院に入学する。

しかし、途中で学費が払えなくなり、ニューヨークを去ることになった。この時のニーナ・シモンの胸中を想像すると、なんだか胸が痛む。

ピアノの先生をしたりしていたのだそうだが、クラブなどで歌うほうが、はるかに稼げることを知り、彼女は歌手として働き始める。そして本格的に歌手として活動していくようになる。

非常にメッセージ性の高い曲を多く歌っていて、特に人種問題に関しての内容の歌が多いような気がする。

彼女はこのことについて、このように語っている。

「もっとラブソングを歌える日が来ればいいと思う。プロテスト・ソングを必要としなくなる日が来ればと・・・でも、今は、まだ必要だから」

彼女の人生は戦いの人生だったのかもしれない。晩年は癌で苦しんだ。でも長い癌との戦いを終え、最期は自然死だったのだそうだ。

ニーナ・シモンの「奇妙な果実」・・・

実に素晴らしいと思う。

でも、この動画の映像は、かなりショッキングなものだと思うので、観るとしたら覚悟が必要と思う。

kaz



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奇妙な果実 

 

今、アメリカにいる。完全なる休暇。今年は頑張ったので、いいのではないかと思う。クリスマスと年始を、こちらで過ごす。

飛行機がとても込んでいて、疲れてしまい寝込んでしまったが、今は元気だ。本当はロックフェラーのツリーなどを写真にアップして「クリスマスで~す」のような記事を書けばいいのだろうが、そのようなことは何故か興味がない。

アメリカに6年住んだだけ、6年も住んだ・・・捉え方は様々だろうが、僕は日本に生まれた典型的な日本人なのだと思うし、それ以外の何者でもないけれど、何故かアメリカにいると気持ちが安らぐ。正直になれるというかね。日本にいると、多くの人が「楽しさ」というものを追及しているような気がしてくる。生活や人生においても、音楽の捉え方、感じ方においても・・・

むろん、苦しいよりは、楽しいほうがいいのだと思うが、どうも皆が「こうあるべき」という方向に向かなくてはいけないような?そうでない人は仲間外れにされてしまうというか、変わった人と見られてしまうか・・・

音楽って楽しいだけのものではないような気がしている。昔からしていたが・・・

ビリー・ホリデイを聴いている。「奇妙な果実」を・・・

あまりにも悲惨な歌だ。でもこれも音楽なのだ・・・と思う。

どうも、僕は昔から音楽や演奏というものを「楽しいもの」「ワクワクするもの」という方向だけで捉えることができない。人の心が動き、魂が自分の中で動くということは、もっと複雑なものだと感じたりする。

「奇妙な果実」はエイベル・ミーアポルという人が作詞、作曲をした歌。この人は、黒人がリンチされ、木に吊るされ、白人が見ている・・・という写真を見て、この曲を作った。このような写真は当時は、絵葉書にもなっていたのだそうだ。黒人は人間として認められていなかった・・・

エイベルの妻が、この曲を集会などで歌ったりして、小さな広がりがあった。その歌を聴いた「カフェ・ソサエティ」のバーニー・ジョセフソンという人が、専属歌手であったビリー・ホリデイに「奇妙な果実」を歌うことを勧めた・・・

当時は、黒人への迫害というものを、黒人歌手が歌い、告発をするということは、とても勇気の必要だったことなのだ。多くの黒人が殺され、木に吊るされ、焼かれ、それが当たり前のように行われていたのだから・・・

このような音楽もあるのだ・・・と思う。

楽しくなりたいから音楽に触れる・・・それだけではないこともあるのだ・・・と思う。


「奇妙な果実」

南部の木には奇妙な果実がなる
葉には血が、根には血を滴らせ
南部の風に揺らいでいる黒い死体
ポプラの木に吊るされている奇妙な果実

勇敢な南部の田園に
飛び出した眼、苦痛に歪む口
マグノリアの甘く新鮮な香り
そして不意に陽に灼ける肉の臭い

カラスに突つかれ
雨に打たれ、風に弄ばれ
太陽に腐り 落ちていく果実
奇妙で悲惨な果実


初めてビリー・ホリデイが「奇妙な果実」を歌ったとき、歌い終わっても拍手は起こらなかった。長い沈黙があった。やがて聴衆の1人が拍手をした。すると、拍手は聴衆全員に広がっていった・・・

ビリー・ホリデイは、コンサートのラストに、いつも「奇妙な果実」を歌うようになった。

kaz



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