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ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

秋に聴きたい曲 

 

今の若者の約40%が恋愛に対して消極的なのだそうだ。

「面倒くさい・・・」のだそうだ。幸せそうなカップルを横目に、「なんでいつも一緒にいなければならないんだろう?」と本気で思う。そして自宅で一人パソコン、ゲームの日々・・・

そのような若者がパソコンの画面にむかっている姿は、どこか寂しげ。でも彼らは、本当の寂しさを味わわなくてもすむのかもしれないし、愛というものを欲しなければ傷つくこともないのかもしれない。

「面倒くさい・・・」は「傷つきたくない」ということなのか?自分をプロテクトするから恋愛に消極的なのか?

心が動くということは、どこか痛みを伴うものだ。恋愛だけではないね。音楽もそう。

痛みを感じることができる人は才能があるから?

違うと思うな・・・

秋に聴きたい曲・・・「アルフィー」

kaz




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明日はチャリティー・コンサート! 

 

明日はチャリティー・コンサート本番の日。でも非常に落ち着いている。緊張している場合ではないというか、現在は気管支炎で咳が酷いのだ。でも大分よくなったかな・・・という感じではある。でも気温が変化したり、臥位になったりすると咳が止まらなかったりする。明日の演奏中は咳が出ないといいな・・・と思う。

演奏するのはプーランクの「愛の小径」、ピアノの難曲とは異なり、技巧的な難所はないので、まぁ、落ち着いていられるのかもしれないが、逆にピアノ曲的な聴かせどころは皆無のような曲でもあるので、そのあたりがどうなるか・・・

もともとは声楽の曲だ。もう、ほとんどシャンソンなのでは?声楽用の楽譜で練習したが、厳密には編曲になるのだろうか、でもピアノパートを弾くだけで曲になってしまうので、編曲ではないな・・・と思う。

「愛の小径」の歌詞は暗い感じだ。

愛の小径、想い出の小径、失われた小径、絶望の小径、君はもういない・・・人生はすべてを消し去ってしまう。僕の心の中には、かつての愛よりも、さらに強い想い出の小径が残って欲しい。心乱れた僕の上で君の手は熱く燃えていたのだから・・・

失われた愛を振り返る・・・それも人生の末期に・・・そんな感じの歌詞だ。ふとグラッペリの言葉が浮かんでくる。

ステファン・グラッペリ・・・ジャズ・ヴァイオリニストなので、クラシック好きの人には馴染みは少ないかもしれない。たしかこの人は幼い時に母親が死に、父親は兵士として出征していて、ほぼ孤児のように育ったのだったと記憶している。僕はなんとなくグラッペリの音にその幼少時代の何かを感じたりもする。どこか楽しげなんだけど、それだけではないような何か。心をヴァイオリンに注いでしまった何か・・・

ヴァイオリンは、ほぼ独学なのではなかったかな?本格的なデビュー前は街角で演奏していた。ストリート・ミュージシャンだね。「窓から小銭が降ってくることもある。でもバケツの水を浴びせられることもある。ヴァイオリンだって上手くなるだろう?」(ステファン・グラッペリ)

「愛の小径」を弾いていて連想したグラッペリの言葉。「死にたいと思いつめるほどの失恋をしても、時が経ち、歳を重ねるうちに、甘い想い出に変わるのさ。それが人生・・・」

グラッペリの演奏で個人的に惹かれるのが、ピアニストのペトルチアーニと組んだ演奏。とてもとても素敵だと思う。グラッペリもペトルチアーニも・・・

kaz



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ファヴェーラ 

 

ブラジルに限らずだが、南米の国々は貧富の差が激しいらしい。日本に住んでいると、皆が中流・・・みたいな意識だが、ここではその感覚はないらしい。

リオデジャネイロは明るい雰囲気の街だ。あまり治安の悪さは感じない。人々は笑いさざめき歩いていく・・・

「あれは何?」

街を歩いていると、目立つものがある。丘に無秩序に浸食されていったような小屋のような建物が見える。このような地区をファヴェーラと言う。いわゆる貧民街だ。特にリオのファヴェーラは街の中心部、観光の中心地からも目立つので、とても有名らしい。

パウロも「あのような場所には絶対に足を踏み入れてはいけない。命の保証はできない」などと言う。リオにはたくさんのファヴェーラがあって、ツアーなどもあるという。車からは下りないで・・・という条件付きのツアーらしい。でもどうなのだろう?貧民街であれ、どこであれ、人が住んでいる地域なのだ。動物園ではないのだ。基本的に見物、観光するべき場所ではないように僕は思う。

パウロはサンパウロの出身だ。リオよりも、さらに規模の大きなブラジル一の大都会なのだそうだ。サンパウロにも当然、ファヴェーラがあり、パウロは子供の頃、ファベーラ地区の子と学校で友達だったのだそうだ。でもその子は突然学校に来なくなってしまったと・・・

銃弾の音、人が襲われる時の叫び声、人々の悲鳴、そのような音に囲まれてその子は育った。母親が耳をふさぐ。「ダメ、聞いてはいけないよ」と。でも、それが日常の音となっていった。

学校に通うということは、その友達も、家族も這い上がるのに必死だったのだろうと。でも来なくなってしまった。日本のように、非行とか、そのようなレベルではなく、ギャング組織や売春、麻薬が日常的な地域でもあるのだ。這い上がれなければ、それは死を意味したのではないかとパウロは言う。

海岸を歩き、カクテルを飲む。夕焼けがきれいだ。僕は「光」の部分を満喫している。

丘のファヴェーラにも夕陽があたる。情景としてはとても美しい。そこにも人の人生があるのだな・・・と思う。喜びや哀しみが普通に存在しているんだろうな・・・と思う。

パウロと話していて感じたことがあった。これはブラジル人に限ったことではないのかもしれないが、南米の人は生まれながらに「光と闇」という概念を感じつつ生きてきた、そして生きているのではないかと。それがサウダージという感覚になるのではないかと・・・

それが音楽やその他の芸術にも反映されているのではないかと・・・

光、そして闇・・・

kaz



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「サウダージの国へようこそ!」 

 

「本当に来たんだねぇ・・・サウダージの国へようこそ」

そうパウロ(仮名)は言った。パウロとは長年の友達というわけではない。以前イタリアのシエナに旅行した時に知り合ったブラジル人だ。同じホテルに滞在していて、僅か数室のホテルだったから、顔を合わせる機会も多く、お互いに気も合い、シエナでの行動を共にしたりした。

「ブラジル・・・世界一美しい国だよ。いつか訪れてきなよ。案内するから・・・」

空港でパウロの姿を見たときには、心底ホッとした。「本当に来てくれたんだ」と。まぁ、彼も同じ思いだったのかもしれない。

アルゼンチンでは単独行動だった。言葉が通じなかったが、それも旅の楽しみの一つだ。ブラジルはスペイン語ではなく、ポルトガル語になる。僕にとっては、どちらも理解不能な言語だから、「だから何?」という感じだが、やはりポルトガル語堪能な人と行動を共にできるのは、行動範囲も広がり、とても嬉しい。

ブラジルは治安が良くないらしい。普通に観光している分には心配ないらしいのだが、殺人は日本の34倍、強盗は日本の315倍・・・などというデータに少し固まったりもする。

「喜び、快楽と死や絶望と隣り合わせの国なんだ。だから美しい・・・」などと意味不明なことをパウロは言う。さらに固まる。

サウダージ・・・外国語に訳すのが難しい言葉、概念らしい。哀しみ、望郷、失った愛を想う気持ち、僅かな希望・・・どれも当てはまるが、ズバリと言い当てる言葉も外国語にはないというか・・・

「そうだなぁ・・・後悔というか、懺悔というか、光と闇を浮遊するというか、なんとも説明しにくいな・・・言葉では説明しにくいものなんだ、音楽みたいにね・・・」とパウロは言う。

彼は、ある曲を口ずさむ。ヴィラ=ロボスの「メロディア・センチメンタル」・・・

「ブラジル人だったら誰でも知っている曲だ。この曲はサウダージそのものだね。ブラジルの魂そのものだね。この曲も言葉で説明できない感じだろう?だからサウダージなんだ」

「本当によく来てくれた。サウダージの国へようこそ・・・」

kaz



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「人生よ ありがとう」 

 

かつて中南米諸国は軍事独裁政権の国が多かった。そのような社会の中で、底辺の民衆から湧き起ってきた運動がある。それが「ヌエバ・カンシオン(新しい歌)運動」というもの。

ビオレータ・パラ・・・民衆の心に根ざした歌を作り、歌った。そして自ら命を絶ってしまった。このビオレータ・パラの精神、魂を受け継いだミュージシャンも多く生まれるようになった。「歌で世界は変えられる」・・・ビクトル・ハラのようなヌエバ・カンシオンの担い手がチリのアジェンテ政権を生んだのだ。

しかしながら、民衆によって大統領に選ばれたアジェンテを倒したいと思っていた国がある。チリが独自の道を歩み始めてしまっては困る国があった。チリの富を吸い続けることができなくなると・・・

アメリカ、ニクソン政権はCIAを通して、反アジェンテの勢力を煽動し、クーデターを起こさせた。官邸は襲撃されアジェンテ大統領は殺害され、民衆のためのチリは消滅した。クーデター後、多数のアジェンテ支持者が連行、殺害されたという。

ビクトル・ハラも連行された。捉われた人々を勇気づけようと彼は歌を歌い続けた。軍の命令を無視し続けて・・・

彼はギターを弾けないように両手を砕かれ、そして銃殺された・・・

ビクトル・ハラも、そしてアジェンテ大統領もビオレータ・パラの「人生よ ありがとう」という歌が好きだった。彼らだけではない。弾圧された人々が、この歌を歌い続けた。

「人生よ ありがとう」はアジェンテ政権を連想させるものとして、歌うことが禁じられた。それでも人々は歌い続けた。収容所で、牢屋の中で。そして軍事政権に反対する集会の中で。大きな怒涛のようなうねりとなって歌声が中南米全域に広まっていった。

チリの独裁軍事政権は17年も続いた。その間、行方不明になり、いまだに身元の分からない人の数は1000人以上いるという。

多くの民衆が催眠ガスを浴びせられ、護送車に動物のように放り込まれる。収容所で拷問を受けた人も多い。電流を身体に流されたりとか。それでも人々は言う・・・

「いつでも希望を持っていた。音楽はそれを助けてくれた」「過去は消すことができない。それでも歌うことによって人生を歩むことができた。生きているのだもの。人生よ・・・ありがとう」

それにしても、なぜこの歌だったのか?「人生よ ありがとう」だったのか?




「人生よ ありがとう」  作詞・作曲:ビオレータ・パラ

人生よありがとう こんなにたくさん私にくれて
私にくれた、二つの明星
それを開くと、はっきりと分かる
黒いものと白いものを
高い空から星々の底を
人混みの中から愛する人を

人生よありがとう こんなにたくさん私にくれて
笑いをくれた 涙をくれた
そして私は見分ける 幸せと苦しみ
私の歌を作る二つのものを
あなたたちの歌 それこそが私自身の歌
すべての人の歌 それが私自身の歌

人生よありがとう
こんなに私にくれて・・・




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