ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

残像 

 

たしか天気予報をテレビで見ていたのだと思う。いきなり画面が変わり「北朝鮮がミサイル発射」という画面に変わった。アナウンサーが速報として話すのではなく、文字画面だけというのが非常に不気味ではあった。「どうせ日本上空を飛んでも太平洋上に落ちるのだろう、いつものように」という弛緩した考えが浮かんだ。同時に画面で説明された「頑丈な建物、地下に避難してください」という文字に緊迫感を感じたのも事実だ。頑丈な建物って?ミサイルに対してそんなもので身を守れるのか?つまり日本国民はどうしようもないということか?そうも感じた。

平和だから、平凡ながら幸せだからピアノを弾ける。たしかにレッスンに通い、人前で弾いて一喜一憂、サークルの打ち上げではピアノ仲間と談笑・・・たしかに平和な構図だ。明日には親が倒れるかもしれない、自分も倒れるかもしれない、いつまでピアノライフを送れるだろう?癌を宣告されたら?ピアノどころではないのでは?

幸せだからピアノを弾いているのだろうか?では、なぜ一曲を通して弾けなくなるほど体力が落ちても練習していたのだろう?泣きたくなる想いで「もう大曲は弾けないんだ」と自分に言い聞かせようとした。でもピアノに向かった。サークルの練習会にも参加した。途中、駅のベンチで意識を失いそうになっても参加した。あの頃は幸せ・・・ではなかった。でも弾いていたのは何故だろう?

人は幸せだから、平和だからピアノを弾いているのだろうか?楽しいから弾いているのだろうか?

昨年の10月、ポーランドのアンジェイ・ワイダ監督が亡くなった。享年90。このポーランドの巨匠の最後の映画、「残像」・・・この映画は、ある芸術家の晩年を描いている。ヴワディスワフ・ストゥシュミンスキという人の晩年。この人は前衛的な作品を残しているらしい。ウッチというポーランドの都市に近代美術館を設立し、ウッチ造形大学の設立にも寄与している。この造形大学、現在ではウッチ・ヴワディスワフ・ストゥシュミンスキ美術アカデミーという国立の美術大学となっている。戦後のスターリン主義時代、芸術が社会的リアリズムのために利用されていた。その動きに真っ向から対立した芸術家として知られているらしい。

アンジェイ・ワイダ監督も、レジスタンス運動に参加し、ウッチの映画大学で学んでいる。同じ都市でストゥシュミンスキの反骨精神を同時期に実際に感じていたのかもしれない。死を予感していたワイダ監督は、遺作としてストゥシュミンスキを描きたかったのではないだろうか?想像だが・・・

最後は画材を売ってもらえなくなるほどの迫害を受ける。それでも慕ってくれる弟子たちはいた。創作意欲というものは衰えなかった。幸せだったのだろうか?ストゥシュミンスキはスターリン主義時代の迫害以前に、第1次大戦で片腕と片足を失っているのだ。それでも何かを表現しようとしてきた。幸せだったからだろうか?ポーランドが平和だったからだろうか?

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諸国民の中の正義の人 ポーランド編 

 

イスラエル政府が与える賞にヤド・バシェムという賞がある。日本人では、ただ一人杉原千畝が受賞している。この賞を授かった人たちは「諸国民の中の正義の人」と呼ばれる。非ユダヤ人でありながら、命を懸けてユダヤ人を救った人たち。

諸国民の中の正義の人、ポーランド人が圧倒的に多い。ホロコーストの最も悲惨だった地域がポーランドであったため、これは自然のことのようにも思われる。6620名ものポーランド人が正義の人とされている。

ナチス政権支配の当時のポーランドでは、占領法が適用されていた。ユダヤ人を匿ったポーランド人は、匿った本人だけではなく、その家族をも死刑に処する・・・という法が適用されていたのだ。ユダヤ人を助ける、匿うという行為は、まさに命がけでもあったはずだ。

ポーランド人、レオポルド・ソハは、諸国民の中の正義の人の中では特殊な人なのかもしれない。この賞を授かった人は、割と地位の高かった人が多い。杉原千畝もリトアニアの日本領事代理であったわけで、外交官であった。ソハはそうではなく、ごく普通の一般人だった。それも小悪人的なところがあったらしい。空き家になったユダヤ人の家から金目になりそうなものを盗んだりとか・・・

ソハは下水道関係者(?)であったため、ユダヤ人たちを地下の下水道に匿う。それは人道的な目的ではなく、お金のため。ユダヤ人から金品を受け取り、匿う。

ソハは善の誘惑に負けてしまうのだ。「こんなことをしていたら本当にヤバいかも?」手を引こうとするが、どうしてもそれができない。感じてしまったのだ。「地下に隠れている人たちも、自分も同じ人間じゃないか?」と。

レオポルド・ソハのことを僕に教えてくれたのはHだ。彼は、もちろんソハの物語が映画化されたことは知らない。その前に亡くなってしまっているから。でもソハという人物はポーランドでは有名なのだそうだ。

この種の映画としては、珍しく(?)ラストはハッピーエンドとなっている。実話なので、なおさらハッピーな感じだ。地下の下水道に隠れていた人たちは生き延びるのだ。戦争が終わるまで生き延びる。

「さあ、出てごらん、空を見てごらん・・・」ソハはユダヤ人の子どもを抱き上げるのだ。鮮やかなラストシーンだったように思う。監督はアグニェシュカ・ホランドというポーランド女性。ソハを演じているのが、ポーランドの名優、ロベルト・ヴィエツキーヴィッチ。この俳優の演技だけでも、この映画を観る価値はあると思う。この人はアンジェイ・ワイダ監督の映画でワレサを演じていた人でもある。

Hによれば、当時下水道に隠れていたユダヤ人は他にもいたらしい。中には妊娠していた女性もいた。むろん、下水道、隠れ家で堕胎をするわけにもいかないので、赤ん坊は生まれてくる。そして多くの母親が泣きながら生まれてきた赤ん坊を窒息死させたのだそうだ。赤ちゃんは泣いてしまうから。この映画にもそのようなシーンはある。映画に描かれなかった悲劇としては、ソハは戦後、事故死で亡くなっている。暴走するソビエトのトラックに轢かれそうになった娘を助けたため、自分が亡くなってしまった。この時、こう囁く人たちがいたのだそうだ。

「ユダヤ人なんかを匿ったからだ。天罰が下ったのさ!」

地図帳でポーランドの位置を確認してみる。しっかりとドイツとロシアに挟まれている。最近の世界情勢を考えてみる。負の歴史が繰り返されなければいいと念じる。

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聖なる作品 

 

僕が初めて小津映画に接したのはいつだっただろう?子どもの頃だったか、あるいは中学生ぐらいにはなっていたか?記憶は定かではないが、テレビで観た「東京物語」が初めての小津映画だったと思う。まだレンタルビデオなんて一般的ではなかった時代だったのは確かだ。

両親とも、特に小津映画ファンということもなかったと思うが、放送前から「これはいい映画だ、お前も観なさい」と半ば強制的に(?)テレビの前に座らせられたような気がする。正直、淡々と物語が進行していくだけ・・・という印象で、小津映画初体験は、子どもだった僕に鮮烈な印象を残したとは残念ながら言えない。

「伝記みたいだなぁ・・・」と思った。学校の図書室で借りてきて読んだ「りょうかんさま」とか「キュリー夫人」「モーツァルト」といった伝記を読んだ後の読後感と似ている・・・

「いい人」なのだ。子ども向けの伝記なので、主人公は「いい人」であるのだが、どの偉人も品行方正で立派であり、「自分とは違うなぁ・・・」などと思っていた。子どもなりに、子どもだからこそ、心の中の自分の「狡さ」のようなものは自覚していたし、それを「子どもらしさ」というもので隠していたようなところも自分にはあったので、伝記の人たちは「もとが違うんだぁ」と感じていた。たしかに子ども向けのモーツァルトの伝記に、スカトロ趣味なんて盛り込めないよなと思う。

「東京物語」の原節子が演ずる「紀子」という人物に似たような印象を持った。「いい人」なのだ。伝記の人みたいと。

僕の父の世代にとって、原節子という女優は偶像化していたような印象がある。マドンナ的存在であり、どこか聖なる憧れを持たれていたような?たしかに美しい女優だけれど、おそらく小津映画の「紀子三部作」によって、その聖なるイメージが確立されていったのではないだろうか?

「東京物語」は1953年の映画らしい。僕の母が娘時代だった頃だ。当時、日本の一般家庭で紀子のような話し言葉が普通であったとは思えない。紀子というキャラクターだけではないが、小津映画の登場人物の話し言葉というものが、ある種の「小津らしさ」みたいなものを作り出していて、それが違和感というか、現実にはないだろう・・・的な雰囲気をも醸し出していた。子どもだった僕にはそう感じたのだ。

紀子三部作の中で、この「東京物語」の紀子だけが、嫁入り前の娘役ではない。未亡人なのだ。たしか次男の嫁で、その次男、つまり紀子の夫は戦死している。亡くなってから8年が経過している・・・という設定だったと思う。

東京に住む実の子どもたちは親を、どこか邪険に扱う。「この忙しいのにお父さんたち、東京見物に来るんですって・・・」のように。子どもたちにも、それぞれの生活、人生があるのだ。尾道から出てきた老夫婦を歓待するのが、未亡人、つまり血のつながっていない「元嫁」である紀子なのだ。あくまでも聖なるいい人なのだ。

「あんたはいい人だ」「そんなことないんです」「いや、いい人だ」「私、狡いんです」「いや、あんたはいい人だ・・・」

紀子を偶像化し、聖なるマドンナとした男性、「今時こんな女性いないよな、原節子(紀子)・・・いいなぁ・・・」このような男性は、軟弱で時代遅れなのかもしれない。「まっ、言葉使いからして男尊女卑じゃない・・・」みたいなことを小津映画から感じる現代女性はいるのかもしれない。分からないけれど。妻だけが夫に丁寧な言葉を使うなんて・・・と。

たしか「彼岸花」だったと思う。あまりにも映画の中の古風な女性像に、ある人(忘れたが)が「今時の女性はこんなことしないわ」と小津監督に言ったのだそうだ。小津監督は、ただ一言「僕はそんな女は嫌いだ」

なぜ紀子は「私、狡いんです」と義理の父親(笠智衆です)に言ったのだろう?そしてワッと泣き出したのだろう?

誰にでもあり、そしてそれは他人には絶対に見せない心の中のドロドロとしたもの、それを小津監督は淡々と、気づかせないほどの淡々さで表現しているのかもしれない。人生も後半期になると、なんとなくそのことを感じるようになってくる。

この会話、1953年頃には普通だったのだろうか・・・この言葉使い・・・

紀子さん、いい人・・・なのだ。

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表現なのか、説明なのか? 

 

中野 翠の「小津ごのみ」(筑摩書房)という本と共に小津映画を楽しんでいる。この本はローアングルがどうとか、映画技術がうんたら・・・ということではなく、変わった切り口の本というか、非常に斬新、かつ分かりやすい小津入門書だと僕は思っている。

この本の中で著者が小津映画について語っているところで、「これってピアノ演奏と同じだ!」と感じた箇所がある。どうして往年のピアニストや歌手ばかり聴きたくなるのだろう?とても上手で文句なんか一つもないけれど、どこか楽しめない現代の多くのピアニストたちの演奏、彼女の文章が僕の「ピアニストごのみ」を代弁してくれているような気がする。少々長いが、引用してみたい。

以下引用

小津映画に親しむようになってから、多くの映画がうるさく感じられるようになった。いや、逆か。映画の多くがうるさく感じられるようになったから、小津映画に吸い寄せられたのかもしれない。ここで言う「うるさい」というのは「騒々しい」という意味ではなく「煩わしい」という意味です。悲しい場面になると、演者が悲しい顔やしぐさをして(時には鼻水まで垂らしたり、天を仰いだりまでして)、悲しいセリフを吐き、悲しい音楽が流れる・・・これでもかこれでもかとばかり、見る者を一つの感情へと、出来合いの大ざっぱな感情へと追い立てようとする。そういう映画を世間では「わかりやすい」と言うのだが、私は「うるさい」と感じる。顔を歪めるのも涙を流すのも内面吐露も切々たる音楽も50パーセントOFF、五割引くらい控えめにしてもらいたい。

子どもじゃないんだ。そんなに「ここは悲しい場面」と説明されなくても、普通の人間なら十分に察するところだろう。そもそも、どこにどう悲しみを見出すかは見る者の自由じゃないか。「喜怒哀楽」と言うけれど、実際には人間の感情はそれほどハッキリと割り切れたものではない。ほとんどつねに、悲しみも一色ではなく、おかしみの入り混じった悲しみ、怒りを帯びた悲しみ、恐怖にも似た悲しみ・・・などさまざまなニュアンスがある。これでもかこれでもか式の感情表現では、そうしたニュアンスを察して味わうことは難しい。大ざっぱで、型にはまった平板な悲しみしか伝わってこないのだ・・・などと、頭の中で演説が始まってしまうのだ。

引用終了

そうなんだよな、と思う。「上手じゃない?」「ミスもなく立派じゃない?」そう思う。見事な演奏だよね。事務処理のようにサクサク・・・というわけでもない(そのような演奏も実は多いと思うが)、一応表現のようなものもある。いや、それは「表現」なのだろうか、「説明」ではないか?「このような曲なんですよ~」というものを減点なく示されても、聴いているこちらとしては、「乗れない」のだ。音楽という翼に一緒に乗れない。演奏者は一生懸命に演奏者。聴き手はどうしたらいいのだろう?なぜにその曲を弾いているの?その理由が不明のまま、曲解説を聴かされているような気分になる。

大袈裟な演技もない。ドラマティックな音楽が壮大に流れるわけでもない。いかにもラブシーン・・・のようにカメラワークもグルグルしたりしない。セリフも最小限。でもこれは感情の「説明」ではない。感情表現なのだと思う。小津式表現・・・

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悲しい風格 

 

自分にとって身近ではない国の映画を観ると、まずはその国独自の文化、風習のようなものに目が行くと思う。そうですね、例えばブータンとかウルグアイといった国は、僕にとっては非常に遠い国なので、映画で描かれるであろう、独自性にまずは着目するだろうと思う。料理とか部屋の佇まい、登場人物の動作とかね。

小津映画にも日本独特のものがあるとは思う。おそらくハリウッド映画にはないようなもの・・・

とにかく小津映画は何も起こらないのだ。ハリウッド映画のようなドラマティック性には欠ける。ストーリーも「嫁だし物語」が多いし、僕などはストーリーはゴチャゴチャになっていたりする。だって似ている(同じ?)なんだもん。娘役は司葉子だったっけ?あれ、有馬稲子じゃなかった?・・・のように。父親役も笠智衆だったか、佐分利信だったっけ・・・と混乱してしまう。

それでも(それだからこそ?)世界共通のものを感じるのかもしれない。誰も銃で殺されるわけではない。平々凡々な生活、人生が描かれる。だからこそ感じるもの。

結婚式の後、父親は一人で帰宅する。妻は先立っている。娘との二人暮らしだった。「紀子も、もう27だ。嫁に出さねば・・・」本心からそう思っていたはずだ。娘が片づいたという安堵感はあろう。でも悲しみもある。

他人にその悲しみを語ることもない。「よかったじゃない?結婚できたんだから・・・」そう言われるだけだろうし、実際にそうなのだ。世の中にはもっと不幸な人はいるのだ。

でも、その悲しみは日本人でなくても感じるのだ。父親でなくても感じる。共通の感情なのだ。そのところが小津映画が世界で評価されるところでもあるような気がする。

「役者に泣かせなくても、悲しみの風格は出せる」  小津安二郎

この動画は「晩春」のラストシーン。小津監督は笠智衆にこのような指示を出したそうだ。「笠さん、リンゴの皮を剝き終わったら慟哭してくれ」と。

笠智衆は「オーバー嫌いの先生からそんな注文を受けたのは初めてだったので驚きました。あの場面で慟哭するのは、なんぼ考えてもおかしい」

「先生、それはできません」小津の演出に対して「できません」と言ったのは、その時が最初で最後だった。小津監督自身も慟哭に関しては迷っていたらしく、それでこのようなシーンが生まれた。

このシーンの感情は、世界共通のものと思う。娘がいなくても、父親ではなくても、生活していれば、誰でもが感じるようなこと。誰でもが持つ感情・・・それは自分の中にしまいこむしかない感情・・・

だから世界の小津・・・なのではないだろうか?

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