ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

愛好家としての今年の10曲 その7 

 

リシャ-ル・ガリアーノの演奏を聴いて感激したのは、ソロで弾いていても、まるで何人ものプレイヤーとの「合わせもの」を聴いているような感じがしたことだ。

たとえ、一人で演奏していても、楽譜(音楽)が要求しているすべての要素に反応しているというか・・・

一人で弾いているのだけれど、どんなに小さな箇所でも音楽に「反応」するので、まるで合奏のように聴こえるというか・・・

もしかしたら、真っ白なキャンパスに色を塗っていくようなイメージではなく、もともと多彩なものを、どれだけ引き出せるか・・・というイメージが演奏を分けるのでは?

まずは、間違えずに弾けるようになってから「表現をつけていく・・・」ということではなく、というよりも、表現は「つける」ではなく「反応」できるかなのでは?

楽譜にフォルテと書いてあるから強く弾く・・・

でも、楽譜というものは、「音のニュアンス」というものまでは表記できない、表記されていないものなのでは?

つまりニュアンスというものは、削ぎ落とされてしまっている。もともと作曲者は、自ら思い描くニュアンスというものを想定して楽譜にしているのだと思うのだけれど、その部分は演奏者が何らかの方法で埋めていくしかない・・・

もしかしたら「表現をつける」ではなく「反応する」という発想がクラシックの演奏でも必要なのかもしれない。

kaz



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愛好家としての今年の10曲 その6 

 

今年の収穫はリシャ-ル・ガリアーノを生で聴けたことだ。彼は、いわゆるクラシックの演奏家としてカテゴライズされる人ではないので、クラシックの演奏会ではなかなか感じることのできない貴重な時間を共有できた。

まるで、各プレイヤーがボールの投げ合いをしているような、そんな素晴らしい時間・・・

クラシックの演奏会だと、「ひたすら弾いています」とか「格闘しています」のような演奏に遭遇することが多いけれど、リシャ-ルの演奏は、他の演奏者との「やりとり」が凄いのだ。反応力が凄いというか・・・

ジャズだから・・・と言われればそれまでだけれど、まさに「生きている演奏」という感じがしたのだ。

クラシックの人、特にアマチュアの人は、「弾く」ということに一生懸命になりすぎていて、自分の音を聴きながら音楽に反応するということが、あまりにも少ないようにも思える。

「これはジャズだから・・・」と自分でカテゴライズせずに聴いてみたらどうだろう?相手の音楽、音、自分の音楽、音・・・聴けていなかったら反応できないわけだから・・・

kaz



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色 その2 

 

先日、至近距離でリシャ-ル・ガリアーノの演奏を聴いて感じた。

もしかして、演奏とか音楽というものも、一種の「仮の姿」なのかもしれないと・・・

たしかに音を聴いているのだ。演奏を聴いているのだ。曲を聴いているのだ。

でも、それは仮の姿・・・

kaz



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さまよえる子供たち 

 

リシャ-ル・ガリアーノを聴いた。「ブルーノート東京」という会場。

リシャ-ルの音色を聴きながら、僕は「上手くなりたいから自分がピアノを弾いている」のではなく「音楽に触れたいからピアノを弾いている」のだと感じた。

聴きながら涙が止まらなかった。別に恥ずかしくはなかった。会場は熱狂していたけれど、僕と同じように泣いている人もいたから・・・

僕はピアノ教室でピアノを習い始める前から、鍵盤と戯れ、好きな曲を弾いていたという。この幼稚園時代の記憶はない。でも、ピアノを習い始めて、「なんだか違うな・・・」と子供なりに感じたのだ。それは、練習すべき曲や先生の指導が、将来は自分で音楽に触れることができる道と思えなかったことだ。音楽を聴く喜びを知ってからは、さらに、この思いは強くなった。

練習をしない生徒だったと我ながら思う。でも、練習やピアノを習うということが、「音楽」とは、かけ離れたものであると感じていた。いきなり芸術作品を弾きこなしたかったわけではない。でも、そこに行き着く、音楽を聴いて得られる感動を自分でも触れてみたかったのだ。「再現」ではなく「ただ触れてみたかった」のだ。

さまよえる子供・・・であったのだ。

聴いた感動を自分で触れてみたくて、先生には内緒でショパンとか弾いてみた。もちろん上手くは弾けなかったけれど、自分でサウンドを生み出せた感動があった。練習は辛くても、練習そのものは退屈でも、行き着く先のようなものが見えたのだ。

「バイエルも弾けないのに、そんな曲・・・無理に決まっているじゃない!!!」

ピアノを習うって何だろう???

さまよえる子供・・・

大人になって、発表会などで子供の演奏を聴いた。

どの子供も、ピアノを習い始める時には「音楽への憧れ」のようなものがあったはずだ。でもさまよっている子供が沢山いた。かつての僕と同じように・・・

現在は、僕がピアノを習っている頃とは違い、子供の心を捉えるキャッチ―な教材も増えた。でも「今現在が楽しくなくてもいい」のだ。退屈でも辛くてもいいのだ。将来、今やっていることが「感動に触れる」ということに、つながるという感覚が欲しいのだ。

ピアノが上達するとか、上手く弾けるということは、それは僕にとっては手段なのだ。目的は、「ただ何かに触れたい」という強烈な思いを満たすことだ。子供の頃もそうだったし、今現在もそうだ。

リシャ-ル・ガリアーノを聴いた・・・涙が止まらなかった・・・そして何かに触れたいと思った・・・

kaz



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音楽注入作業中 

 

ピアチェーレの演奏会が終わり、明日で一週間。早いなぁ・・・

演奏会に向けて、自分のテンションを上げたので、現在はピアノのテンションは下がりまくりです。明日は某所でピアノを弾くのに、実は一週間、全くピアノに触れていない。触れられなかったのですが・・・

そろそろ、ピアノモードにしないといけませんね。(演奏は明日ですが・・・)

このような時は、素晴らしい演奏を聴いて、自分の内部のエネルギーの注入をすることが必要。でも普通は、みんなピアノを聴くんですよね?

演奏会前から、というか、何年も前からハマっているのが、リシャ-ル・ガリアーノ。このような演奏を聴くと圧倒されますね。

いい演奏って何だろう?

会場の空気が動く演奏ではないだろうか?会場のテンションが動くというか・・・

つまらない、退屈な演奏って、聴いてすぐにわかる。音楽の演奏って厳しいよね。でも、いい演奏だと聴き入ってしまう。自分のテンションが演奏に吸い込まれていくように。ここで空気も動くのだ。演奏が終わると、その空気とテンションが開放されて、聴いている人は、歓声とか拍手という行為をせずにはいられなくなる。自分のテンションも解放したいから・・・

そのようなエネルギーを貰いたい時には、リシャ-ル・ガリアーノの演奏がぴったりなのではないでしょうか?

世の中にはクラシック音楽しか聴かない、クラシック音楽しか認めないという人も少数だが存在するようだ。そのような人たちにリシャ-ル・ガリアーノの演奏を聴かせたいと思ったりもします。

kaz



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