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ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

もう一つの「悲しきワルツ」 

 

最も有名な「悲しきワルツ」はシベリウスのものだろう。フランツ・フォン・ヴェツェイの「悲しきワルツ」も一部ヴァイオリン関係者だけではなく、もっと広く聴かれて欲しいような曲だ。もう一つの「悲しきワルツ」がある。最も地味な感じかもしれないが、悲痛さを最も感じさせてくれる「悲しきワルツ」かもしれない。

ボヘミア四重奏団でヴィオラを担当していたオスカル・ネドバル、先の動画の写真では右から二番目に写っていた人だ。

「オスカル・ネドバル?誰?」ピアノ曲もあるのかもしれないが、有名ではないはずだ。オペレッタやバレエ音楽が東欧諸国、特にチェコ、スロヴァキアなどでは演奏されているように思う。でも日本では、ほぼ無名の人かもしれないね。

ボヘミア四重奏団でヴィオラを弾いていた頃、彼はチェコ・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者も務めている。約10年間ぐらいかな?

その後、ウィーンに移っている。あのウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団の創立者でもある。おそらく、当時の音楽界では知られた存在だったはずだ。

オスカル・ネドバルの「悲しきワルツ」はバレエ音楽として作曲されている。「怠け者ホンザの物語」というバレエらしい。「悲しきワルツ」だけが単独で演奏され有名になっている、そんな感じみたいだ。でも有名・・・ではないかな?

悲痛、悲哀、消滅してしまいそうなほどの絶望感・・・このようなものを感じさせてくれる「悲しきワルツ」であるように思うが、それはオスカル・ネドバル自身の哀しい人生からくるイメージもそう感じさせてしまうのかもしれない。

「オスカル・ネドバル」

ボヘミア四重奏団ヴィオラ奏者、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団指揮者、そして作曲家、ウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団創設者。1930年、クリスマス・イヴの夜、演奏旅行先のザグレブにて投身自殺を図る。多額を負債を抱えていたという。

享年・・・56

kaz




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悲愴 

 

チェルカスキーの曲に「悲愴前奏曲」という曲がある。1923年にアメリカで出版されている。彼がロシア革命を逃れてアメリカに定住したのも、同じ1923年。チェルカスキーは1909年の生まれだから、作曲したのは、すくなくとも14歳以前ということになる。若書きの曲ということになるが、なんとも暗い世情を背負い込んだような曲のようにも感じたりする。

チェルカスキーの生年は、ずっと1911年とされていて、本人もそう思っていたのだそうだけれど、後年彼が自ら故郷のオデッサに出向き調べたところ、実は1909年生まれだと分かったのだそうだ。出生年が明確でなかったということは、混乱した社会だったのだろうか?世情は不安定だったのだろうか?そうだろうと想像する。

13~14歳、中学生ではないか?チェルカスキー少年が見た荒れ狂うロシアが「悲愴前奏曲」だったのだろうか?中学生にこのような世界を表出させてしまった社会・・・

僕は自分の国を失うという経験をしたことはない。永遠に戻れないという想いを抱きながら自分の国を見つめたことはない。でも想像は少しだけできる。

ポーランドからアメリカに逃れてきた人と友人になった。彼は祖国に対しては複雑な感情を持っていたようだ。彼は父親とワルシャワの空港で別れている。政治的理由の移民となるので、一度国外に出れば、二度と戻れない立場にあった。

「お前には未来がある。アメリカに行きたければ行きなさい。この国に将来はないのだろう。私は大丈夫だから行きなさい」

「でも父さんは一人になってしまう。僕は一人息子だ。親不孝じゃないか?」

「でもお前の人生なのだから・・・」

空港のゲートで最後の別れをする。「私は大丈夫だ。このまま行きなさい。歩き始めたら絶対に振り返ってはいけない。約束してくれ。そのまま飛行機に乗るんだ。振り返ってはいけない。元気で。愛しているから・・・」

そのままトボトボと歩く。最後の瞬間に振り返る。父親の姿はそこにはなかった。

僕は友人の気持ちにはなれない。彼の父親の気持ちにもなれない。そこまでの痛いような経験をしたことはないから。でも気持ちは動く。痛いような気持ちだ。

チェルカスキーの「悲愴前奏曲」は、このような痛みを音として空間に投げ出しているように感じる。音楽というものは、実際にそのような人生経験をしていない人にも、何かしらの心の動きを導き出す力があるように思ったりもする。

kaz




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「香港のラッシュアワー」 

 

アブラム・チェーシンズのピアノ曲の中では、中国風3つの小品の「香港のラッシュアワー」が最も有名なのではないだろうか?まれにピアニストがアンコールで演奏したりもすると思うが、まあ、珍曲ではあるだろう。

チェルカスキーはモートン・グールドの「ブギウギ・エチュード」なども弾いていて、非常にアメリカ~ンなところが絶妙にハマっていたりしていたので、この「香港のラッシュアワー」も弾いていて不思議ではないのかもしれないが、僕としてはチェルカスキーのレパートリーとしては変わった曲だと思っていたわけだ。

実は、この曲、一般的な聴衆、愛好家にとっては珍曲かもしれないが、ピアノの先生にとってはお馴染みの曲なのではないだろうか?もう今から30年程昔に日本の出版社から「発表会用」として出版されているのだ。たしか「大村典子 ピアノ・ピース・セレクション」という楽譜シリーズだったと記憶している。今も販売しているのかは知らないが。

子ども・・・には少し難しいかもしれない。音は弾けるかもしれないが、音そのものに軽やかさが欲しいし、かなり急速テンポで演奏されることを前提として書かれているように思うからだ。この曲を求められているように演奏できるのであれば、他にいくらでも演奏可能な曲もあるように思える。別に変な曲ではないと思うが・・・

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「舞踏への勧誘」の謎 

 

ウェーバーのピアノ曲って、あまり演奏されないような気がする。サークルの練習会で演奏した人はいたかな・・・と思いかえしてみても、やはりいないような気がする。ショパンの曲が登場しない練習会はないのに・・・

ウェーバーに「舞踏への勧誘」というピアノ曲がある。この曲はベルリオーズが編曲した管弦楽バージョンの方が有名なのかもしれないが、オリジナルはピアノ曲。ピアノ曲としても有名な曲なのではないかと思う。

曲としては、とても有名なのに、何故かあまり演奏されないという珍しい曲なのではないだろうか?珍曲ではないと思うんだけど・・・

プロのピアニストがリサイタルで「舞踏への勧誘」を演奏することも少ないのではないかと思う。何かしらの理由があるのだろう。即物的魅力に溢れた(?)現代のピアニストには、あまり魅力を感じない曲なのかもしれない。たしかにポリーニやツィメルマンがリサイタルでこの曲を取り上げるということは考えにくい。実際には弾いているのかもしれないが・・・

現代のピアノリサイタルの傾向としては、小曲を盛りだくさんに・・・というよりも、どちらかと言えば「大曲主義」のような気がするので、「舞踏への勧誘」はプログラムに入れにくいのだとも想像する。この曲は古典派のような趣もあるし、華やかなロマン的な技巧をも感じさせるところが組み合わせに苦慮するところなのだろう。ベートーヴェンとも合わせにくいし、ショパンとも合わせにくいというか。

どちらかと言えば、プロのピアニストが恍惚の表情を浮かべ熱演する曲というよりは、ピアノの発表会向きの曲なのかもしれない。事実、発表会向けCDには、「舞踏への勧誘」はよく収録されている。でも、この曲は難しいのだ。結構、技巧的な難渋さがある。しかもその難渋さを表には出せない難しさもあるので、子ども向け・・・という曲ではない気もする。「舞踏への勧誘」を弾きこなす達者な子どもは多いだろうが、そのような子どもはショパンやリストを弾くのではないだろうかとも思う。

なので滅多に演奏されない曲となってしまった・・・

以外なことに、往年の巨匠たちは「舞踏への勧誘」を録音している人が多い。それも「いかにも余興・・・」という感じではなく、真剣に(?)大真面目に(?)、一つのレパートリーとして演奏しているのだ。昔はこの曲もピアニストたちの大事なレパートリーだったのだろうか?おそらくそうなのであろう。

僕が聴いた中で「舞踏への勧誘・コンクール」的に記してみると・・・

5位 デ・ラローチャ
4位 コルトー
3位 ブライロフスキー
2位 シュナーベル

・・・となる。デ・ラローチャは亡くなっているとはいえ、現代のピアニストにカテゴライズするべきであろうが、真摯な演奏が素晴らしい。コルトーの演奏は、ラローチャの演奏に夢が加味されているような?意外にもブライロフスキーの演奏が素敵だった。この人のショパンのワルツのレコードで僕は音楽開眼をしたのだった。なんだか懐かしい感じだ。シュナーベルの演奏、後期のベートーヴェンの演奏がやたら有名だけれど、彼の本領は本来このような種類の曲なのかもしれないなどと思ったりする。

即物的な方向、ザハリヒな方向、現在はもうある意味行き着いてしまった感もある。人々は再び「夢」「ロマン」を求めているのではないかとも思う。「舞踏への勧誘」のような曲がピアニストの重要なレパートリーとなる時代はもしかしたら遠くはないのかもしれない。

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解放された最後の奴隷 

 

演奏会の告知をしようかと思う。9月27日に新宿文化センター小ホールで演奏する。有料の演奏会で、収益はすべて寄付となるチャリティーコンサート。詳細はこのブログのリンクにある「愛の夢の続き」というブログにコンサートに関しての情報が掲載されている。このブログは野谷恵さんというピアニストのブログで、彼女はチャリティーコンサートの主催者でもある。

この情報の部分が「こちらのブログを参考にしてください」と丸投げなのは我ながら気になるところだが、興味のある方は参考にしてください(?)。

そこで僕は珍しい曲を演奏する。ブラインド・トムという人が作曲した「月明かりの中の水」という曲だ。旅行から帰って、今譜読みをしているところだ。ブラインド・トムって???

ブラインド・トムは南北戦争時代に生まれた奴隷だ。しかも生まれながらに盲目であり、知的障害もあった。彼の両親は、なんとか心優しい白人にトムを託したかった。つまり、買ってもらいたいと思った。そしてトムは、ある白人一家に買われることとなる。

当時の奴隷の平均寿命は30歳程度だったと言われる。どれほど過酷な条件で彼らが生きていたのかが分かる。トムは肉体労働は免除され、子どもたちの遊び相手、つまりペットのような役割を担うようになっていったらしい。

トムは、奴隷として誕生したので、もちろんピアノなど弾いたことはなかった。しかし、ある日トムはピアノでいきなり即興演奏をしたのだ。驚いた一家の主人はトムに教育を施す。つまりピアノを習わせるのだ。ここで当時のアメリカのピアノ教育の水準などということを、チラッと考えたりしてしまうが、トムは目覚ましい進歩をみせた。トムはアメリカ中を演奏して周るようになる。

盲目の奴隷、しかも知的障害をも持った少年が見事にピアノを弾き、作曲をする・・・話題にもなったであろうと想像する。それが「見世物」としての要素があったにしても・・・

南北戦争が終結し解放されるはずだったトムは「障害者を保護する」という名目で、その後25年も白人一家の管理の下にあった。解放宣言から25年後、トムは実の母親と暮らすため、ニューヨークに旅立つ。解放されたのだ。トムは「解放された最後の奴隷」と呼ばれた・・・

トムは演奏により5億円を稼いだと言われている。しかし、旅立つ際に彼が所有していたのは、粗末な身の回りの衣服と一本のフルートだけであった・・・

トムは自分がマイノリティに属していたということを自覚していたのだろうか?それは分からない。そもそも彼の人生は幸福だったのか?それも僕には分からない。

「月明かりの中の水」を実際に練習してみて感じたことがある。聴いただけでは分からなかったこと。この曲は非常に穏やかな曲であり、全く派手な超絶技巧的なものは感じさせない曲なのだが、弾いてみると、月明かりが水にキラキラと反映されている様なのだろうか、水が流れている様なのだろうか、アルペジオを伴った跳躍が非常に弾きにくい。想像してみる。盲目の少年が、この跳躍を見事に弾いてのけたなら、そしてトムは実際に弾いてのけたのだろうが、当時の観客は非常に驚いたのではないだろうか?「盲目なのになんで弾けるの?なんで跳躍できるの?」と。それがトムの生きる術だったのだ。彼にはそれしかなかった。そして彼にはピアノしかなかった。

kaz



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