ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

影があるから光が見える 

 

ピアニスト・ランキングの第1位、もう1人はエドゥアルト・リスラーです。

リスラーはロベール・ロルタよりは有名なのではないかと思います。この人もルイ・ディエメ門下のピアニストです。1873年生まれのピアニストですから、大変に昔のピアニストです。

グラナドスの「ゴイェスカス」ですが、あれは1曲を除き、当時の偉大なピアニストに献呈されています。「ゴイェスカス」の第2曲は、このエドゥアルト・リスラーに献呈されています。

また、フォーレに「ドリー」という連弾の曲がありますが、この曲を初演したのもリスラーです。もう1人の初演者(というか相方)がコルトーです。

リスラーの演奏するショパンを聴いて、その演奏から連想したピアニストがいます。ディヌ・リパッティです。正確にはリパッティの演奏がリスラーの演奏を彷彿とさせる・・・という表現が正しいのだと思いますが・・・

ポリーニあたりのピアニストからでしょうか?すべての音をクリアに、すべての音に光をあてて、すべてのものを明確にしたような演奏が主流になったのは・・・

この流れ、変わっていくのではないでしょうか?

kaz




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100年前のショパン 

 

ピアニスト・ランキングの第1位は2人います。

2人ともおそらく知られていないピアニストだと思うんですよねぇ・・・

たとえばサークルの打ち上げなどでピアニストの話題になった時にも、彼らの名前を出したことはありません。「誰ですか、それ?」という反応しか返ってこないような気がします。

そのうちの1人が、ロベール・ロルタという人です。ご存じですか?もし知っていた方がいて、ロルタの演奏が好き・・・ということであれば、その方と僕はお友達になれるのではないでしょうか?

まあ、そんなことはどうでもいいのですが・・・

ロルタはルイ・ディエメ門下のピアニストです。

「ルイ・ディエメ?誰ですか、それ?」

ロルタは知らなくても、このディエメの名前は知っておいた方がいいかもしれません。ルイ・ディエメは多くの素晴らしいピアニストを育てた人です。コルトー、カサドシュ、イヴ・ナット、ラザール・レヴィ、そしてロベール・ロルタ・・・

ディエメ門下のピアニストの中でも、ロルタは知名度が低いです。それは、コルトーのようにピアニストとしての活動期間が長くはなかったためではないかと思います。たしか戦争に召集されて戦地で毒ガスを吸ってピアノが弾けなくなってしまったんですよね。割と若くして亡くなってしまったのも、この毒ガスが原因だったのではないかとされています。

ロルタは、特にフォーレの演奏で有名だったらしいです。フォーレはノクターンの12番を、このロルタに献呈しています。残念ながら、ロルタのフォーレの録音は残されていないみたいなのですが、ショパンの演奏の録音は残っています。これが素晴らしい・・・

1885年生まれのピアニストですから、録音も「デジタル録音でクリアなサウンド」というわけではありませんが、でもショパン自身が理想とした演奏は、現代のピアニストの演奏よりも、このロルタの演奏の方が近いような気はします。

100年前に戻り、実際にロルタの演奏を聴いてみたいと思います。

kaz




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小品で分るセンス 

 

イグナツ・フリードマン・・・ホロヴィッツのように有名なのでしょうか?

日本ではそうでもなさそうな感じなので、一応説明を。

フリードマンはポーランドのピアニストなのですが、戦乱期、多くの音楽家がヨーロッパから逃れた際、その行先はアメリカの場合がほとんどだったのですが、フリードマンはオーストラリアに移りました。

この人も「神童」として有名になりました。この時代のピアニストには珍しくないので、あまり驚きません。レシェティツキに師事しています。さらには音楽学者のフーゴー・リーマンにも師事しています。あの「音楽辞典」のリーマンですね。フリードマン自身は、後に哲学も修めています。なるほどねぇ・・・

「前時代的な演奏」ということを、やや否定的なニュアンスで語られる場合、よくフリードマンの演奏が例に出されます。個人的には「許せん・・・」と思いますが、それだけ現代では聴くことのできないタイプの演奏をするピアニストなのかもしれません。だから好きなんだけど・・・

話題はそれますが、レシェティツキは大先生として有名な人なのですが、生徒の顔触れを知ると、やはり大先生だったんだなと思います。

シュナーベル、パデレフスキー、エリ・ナイ、モイセイヴィチ、フリードマン、その他物凄い顔ぶれ多数・・・

発表会ってあったのだろうか?

モシュコフスキーの「セレナータ」です。わずか2ページの小品です。中級者なら(初心者でも?)演奏可能なのではないでしょうか?フリードマンのように・・・とさえ思わなければ!!!

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何故練習にまで楽しさを求めるのだろう? 

 

僕はトランスクリプションを弾くのが好き。人前でも弾く機会が多いと思う。その理由は、トランスクリプションが好きだから。好きだから弾くという単純な理由。何故トランスクリプションやパラフレーズものが好きかというと、それは往年のピアニストの演奏が好きだからだと思う。彼らの演奏の技法や魅力が、演奏だけではなく、自作曲やトランスクリプションにも反映されているように思えるから・・・

トランスクリプションは演奏するのが至難だから弾いているわけではない。

単純に「好きなもの」に夢中になる・・・これは最高の趣味なのではないかとも思う。

でも、トランスクリプションは演奏が困難なのも事実。練習は、はっきり言って面倒ですらある。楽しみのために練習しているわけなんだけれど、練習そのものは「ワッ!キャッ!」的な楽しさからは遠いものだ。どちらかというと「苦しみ」かもしれない。でも、この部分まで「楽しみ」に変えようなどとは思わない。

ピアノを習い始めた頃は、鍵盤を押せば、色々な音が出るし、先生と連弾なんかしようものなら、豊かなサウンドとして耳で体感できるしで、本当に楽しいのだと思う。でも、この「ワッ!キャッ!」的な楽しみが、練習の面倒さや苦しみに変わるのは時間の問題だ。ある程度の曲を弾こうと思ったら、楽しさだけでは弾けない。

この時、なぜ「苦しさ」を「ワッ!キャッ!」的な楽しさに変えようと考える先生が多いのか僕は理解に苦しむ。

何故、練習の苦しみがある?それは曲を弾くためでしょう?弾きたいからでしょう?

多くの子供が「真の芸術作品」に触れる前にピアノを辞めてしまう。これは、練習の苦しみの先、「目的」が示されていないからではないだろうか?

「弾いてみたい!」「こんな風に素敵に演奏してみたい!」「こんな素敵な曲があるなんて!弾けるようになりたい!」

そこに行き着くまでの途中には苦しみがあっても、行き着く先が見えてさえいれば、その苦しみから逃げるようなことはないのかとも思う。この目的地を示さないでおいて、途中経過ばかり楽しくしようと工夫しても無理があるのではないだろうか?

何故練習しなければならないか、練習の先の目的を理解できていなければ、練習そのものは心躍るものではないのだからピアノなんて辞めてしまうだろう。

ピアニスト・ランキングの第2位はイグナツ・フリードマン。彼の演奏は僕の「目的地」なのだと思う。別に彼と同じように弾きたいということではなく、ただただ触れたいのだ。聴くだけでは満足できないのだ。だから僕はピアノを弾いている。目的地は遠いのだけれど、そこに行くまでの過程は苦しいのだけど、でも弾いてしまう。それが僕にとって最高の快楽でもあるから・・・


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永遠のホープ 

 

ピアニスト・ランキングの第3位は悩みました。ウィリアム・カペルにするかユジャ・ワンにするかで相当悩みました。でも結局、カペルが第3位です。

この人は、永遠の若手なのだと思います。我々がカペルの演奏として聴いている録音は、彼の非常に若い時の演奏です。彼は31歳で亡くなっていますから。

一般的には、演奏家というものは、年齢を重ねると経験を積み、演奏も円熟・成熟し、若い時の演奏では感じられなかった美点が現れてくるものです。でも、カペルにはそれがありません。もしかしたら、さらに素晴らしい演奏をしていたであろう、カペルの年齢を重ねた時の演奏、そのような一般的な演奏家が評価されている「成熟」というものが一切ない頃の若い時の演奏のみでカペルは後世にまで生き残っている。これは凄いことなのだと思います。

上昇カーブの勢いの魅力・・・

カペルのこの状況に非常に似ている演奏家が、テノールのフリッツ・ヴンダーリヒです。彼も30代で亡くなった人です。ブンダーリヒの若々しい、そして瑞々しい声による「水車小屋」や「詩人の恋」などを聴くと、年齢を重ねて円熟した、でも声も低くなったであろうヴンダーリヒの歌唱というものは想像できませんし、正直、想像したくありません。

ヴンダーリヒもカペルも若い頃の音楽で止まったまま、その止まった一点の瞬間の壮絶なまでの音楽への思いというもの、その音楽、その演奏こそがヴンダーリヒであり、またカペルであったのだと・・・そう思います。

彼らの演奏は、若さゆえの未熟さというものが感じられません。上昇していく勢いのみが感じられます。

戦争直後、カペルの演奏を実際に聴いた人は何を感じたのか・・・想像するだけで身震いがします。

もし、もし現在、ヴンダーリヒとカペルが演奏したとしたら、センセーションを巻き起こすのではないかと僕は思います。

若かったカペル、その演奏は哀しいくらいに完璧であり、そして美しい・・・

その時の、限られた時期だけに許された「美」というものも存在するのであろうか?

カペルは100年後も永遠のホープとして讃えられていると思う。

kaz




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