ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

ニュポートのフィオレンティーノ 

 

音楽雑誌などから自分のお気に入りピアニストを探す方法はある。でもその場合、どうしてもメジャーな人だけに限られてしまう。その中から自分の感性に合った人が好きなピアニストになるわけだが、どこか御見合い結婚っぽい。与えられた情報から吟味して探す感じ?恋愛結婚的に、もうちょっと自分との相性というものを積極的に全面に出す探し方はないだろうか?

ユーチューブを徘徊する。現在はこれが最も手っ取りばやいのでは?無名の人でも動画はアップできるので、雑誌などよりも広範囲から探すことが可能。でもあまりにも演奏の質として混在されすぎという欠点はある。まぁ、恋愛結婚と考えれば、「どこかにいる」的に気長に探せるのでは?

CDショップを徘徊する。一昔前までの方法。収録されている曲に、そのピアニストのセンスを感じたりとか。あとは、ジャケットなどからも意外に演奏を把握できたりもする。もっとも、実力ある人ほど、ジャケットは素朴というか、作曲家の顔だったり、風景だったり、ピアニストが普通に立位で写っていたりするので、判断は難しい。僕の経験では、あまりに芸能人のようなジャケットの人の演奏はあまり良くない印象。肌も露わなドレスを纏い、ピアノの上(横ではない)で大胆なポーズをとっていたりするジャケットのピアニストの演奏には期待できないことが多い。ライティングに懲りすぎていたり、恍惚の表情、かつての聖子ちゃんのような表情のピアニストのCDもあまり良くないことが多い。

自分の周囲に「あっ、この人の演奏、好き」という人がいたら、その人の好きなピアニストを訊いてみる。たとえば、サークルの中とか、発表会などで「いいな・・・」と思った演奏をした人に訊いてみる。「何時間練習しているんですかぁ?」などと野暮な質問をせずに、その人のお気に入りのピアニストを質問してみる。むろん、「えっと・・・キーシンとアルゲリッチと辻井さんかな」みたいな答えだったりすることもあるだろうが、「知らないかもしれないマイナーな人なんだけど・・・」みたいなラッキーな答えが返ってくるかもしれない。意外とこの方法は打率いいかも・・・

一人好きなピアニストが見つかったら、その人の記事をネットで読んだりしてみると、そのピアニストが尊敬するピアニストなどが分かることがある。たとえば、スティーヴン・ハフという人がお気に入りになったら、彼がフリードマンというピアニストを尊敬していることが分かったりする。それ以前に、ピアニストのインタビュー記事などを日頃から読んでいると、尊敬されるピアニストに何度も登場する人がいたりすることも分かる。「えっと、フリードマン?たしかルイサダもそう言っていたな」と。そしてフリードマンを聴いてみる。この方法も打率はいいような気がする。

最も大切なことは、自分で自分の好み、感性の方向性を知る、そして信じるということだろうか?ピアノを弾くという行為においても、「先生の言われたとおりに」とか「コンクールで優勝した○○さんのような」みたいな方向性で弾いていたら、他人の価値観に染まってしまう。好きなピアニストだけ自分好み・・・とはならない。達者で上手な人は山ほどいるから、「あらぁ・・・自分とは全く違う。こんな風に弾けるようになるのかしら?」という、ある種の感心を感動とはき違えて、自分もそれに気づかないなんてこともある。

「ああ・・・聴き逃してしまった」という後悔をしたことがある。もし、前からそのピアニストのことを知っていたらという後悔。セルジオ・フィオレンティーノを僕は聴き逃した経験がある。アメリカに留学して間もない頃だっただろうか?友人とロードアイランド州にあるニューポートという街に遊びに行った。観光目的だ。美しい海岸線と昔の財閥の屋敷(日本人の感覚だと宮殿)見物が楽しかった記憶がある。治安もいいし、景色も美しく、どこかのんびりと平和な街だ。その街であるピアニストの演奏会のポスターが貼ってあった。フィオレンティーノのピアノリサイタルだった。曲目も覚えていないし、当時の僕はフィオレンティーノという人を知らなかった。「ふーん、こんなところでもピアノのリサイタルがあるんだ?このオジサンも頑張っているんだねぇ・・・」ぐらいにしか思わなかった。地方でそこそこ活躍しているであろうピアニストの演奏会・・・という認識だっただろうか?

その後、フィオレンティーノのCDをみつけた。「あっ、ニューポートで弾いていた人?」さらに時が経過し、僕はニューポートの人のCDを聴いた。その演奏が素晴らしかったのだ。彼はニューポートの人ではなく、イタリア人で、長い間ナポリ地方を中心に活動していた人。ナポリ音楽院教授を定年退職して、ワールドワイドな活動を再開した人であったことも知った。世界の聴衆はフィオレンティーノを忘れていなかったし、その演奏を待ち望んでいたのだ。

ニューポートという街は、たとえば、フィオレンティーノのようにアメリカの音楽界には久しぶりに登場する人や、共産圏から亡命してきた人、あるいはコンクール覇者たちが、まずはデビューしたり、デビュー直後に演奏するような由緒ある街でもあったのだ。

「知らなかった・・・」

その後、僕はフィオレンティーノの生の演奏に接することはなく、その演奏を聴く機会を待ち望むうちに、フィオレンティーノは亡くなってしまった。

このフィオレンティーノの演奏を聴いて、「えっ、こんな演奏をする人がいたの?」と感じるのは僕だけではないだろうと思う。

kaz




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ナポリ音楽院 

 

セルジオ・フィオレンティーノというピアニストは、ナポリ音楽院の出身。カーネギー・ホールにデビューしたのが1953年。そのまま世界を舞台に活躍するピアニストとなるはずだったけれど、翌年にフィオレンティーノは飛行機事故に遭遇してしまう。幸い大事には至らなかったけれど、それ以後はフィオレンティーノは母校、ナポリ音楽院で教える人生を選び、演奏活動の場を限定してしまった。

ナポリ音楽院を退職してから、「そろそろ演奏活動でも・・・」と、活動の場を広げるのが、1993年のこと。でも彼は、その数年後に亡くなってしまうので、世界的な・・・という意味でフィオレンティーノが活動していたのは本当に短い期間であったと言える。彼の知名度が低いのは、そのためでもあったと思われる。

フィオレンティーノの生き方はガツガツしていない感じで憧れるところもあるけれど、彼の録音を聴いたりすると、やはりナポリという一地方で教えていた人生というもの、それは彼自身の選択だったとしても、愛好家としてみれば、やはり「生でフィオレンティーノを聴いてみたかったな・・・」という思いは残る。

そのナポリ音楽院、正式名を「サン・ピエトロ・ア・マイエッラ音楽院」という。同名の教会、修道院が付設されている。この書き方は正しくはないのかもしれない。教会、そして修道院に音楽院が付設されているというのが正しい認識なのかもしれない。

イタリアの音楽院は、ナポリ音楽院に限らず、教会や修道院との密接な関係がある。教会では捨てられた子供、孤児などを育て、そこでコーラスや楽器演奏などの音楽教育を施した歴史があるからだ。なので、音楽院と教会が結びついているのだろう。このあたりは、日本の音大やアメリカの音楽院とは違う歴史の重み、伝統の重みを感じさせる。

ナポリ音楽院、決して巨大な建物ではないが、歴史的建造物・・・という感じがする。

「フィオレンティーノは、ここで学び、そして教えていたのか・・・」

彼の選択が素晴らしいもののように思えた・・・

kaz




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歌うピアノ 

 

夢の中で、ヴンダーリヒの伴奏をしていたのがフィオレンティーノ。なぜフィオレンティーノだったのだろう?

答えは簡単。最近の僕のお気に入りのピアニストで、彼のCDをこのところ沢山聴いていたからだと思う。

僕はピアノで歌うことのできるピアニストが好き。指に魂が宿っているようなピアニストが好き。

フィオレンティーノ・・・日本でも有名になるといいと思う。

kaz




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ピアノもベルカントで・・・ 

 

シューマン~リストの「献呈」という曲、この曲は人気がありますね。でも僕は、「献呈」に限って言えば原曲の方が好きです。特にバリトンのヘルマン・プライの歌唱が好きですねぇ・・・

リスト版は、リスト特有の華麗なパッセージが、なんとも邪魔に感じられてしまうんですよね。そこまで飾らなくてもぉ・・・というか。まぁ、いい曲なんですが・・・

「献呈」の編曲では、リストのものよりは、セルジオ・フィオレンティーノの編曲の方が僕は好きです。フィオレンティーノという人は、基本的にシンプルな編曲をする人で、華麗な「埋め草パッセージ満載」という編曲ではないので、原曲の素晴らしさが生きていると思います。「ピアノ的」というよりは「歌そのもの」という感じでしょうか?

原曲のピアノ伴奏譜に歌のメロディーを加えて弾いている・・・みたいなシンプルさ。このような編曲では、演奏者は、まさに「ピアノでベルカント」という要素が要求されるのではないでしょうか?

「あのう・・・フィオレンティーノって誰ですか?」

セルジオ・フィオレンティーノはイタリアのピアニストです。この人は若いころ飛行機事故に遭遇したらしくて、大惨事にはならなかったらしいのですが、基本的にはそれ以後は活動をワールドワイドな場ではなく、母国イタリアに限定してしまいました。なので知名度は高くはないのかもしれません。たしかナポリ音楽院の出身で、活動を限定してからは、母校で教えていたと思います。ナポリ音楽院を定年退職してからは、またワールドワイドなピアニストとして復帰。その期間は、彼が亡くなるまでの約5年くらいだったでしょうか?

フィオレンティーノの演奏は、まさに「ピアノのベルカント」というところにあるのではないかと思います。技巧的な闊達さとベルカントとの完璧なまでの融合・・・

イタリア人なので、血そのものが「ベルカント」だったのでは・・・なんて思えてきてしまいます。

彼のように、ピアノで歌う・・・これが僕の理想であり目標でもあるんですよねぇ・・・

道のりは険しい・・・

kaz




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名誉挽回 フィオレンティーノ 

 

ラフマニノフの「ヴォカリーズ」ですが、様々な楽器に編曲されています。ピアノ独奏版では、4人の編曲した版が有名です。① アール・ワイルド ② アラン・リチャードソン ③ ゾルタン・コチシュ ④ セルジオ・フィオレンティーノ  

考えてみれば、同じ楽器で4つ編曲がある曲というのも珍しいですね。それだけ「ヴォカリーズ」が美しい歌曲なんでしょうね。

ワイルド版とコチシュ版が弾かれる割合が多いのかと思います。でも、ワイルド版は、一度弾いてしまうと、その魅力に打ちのめされてしまうような・・・どうしても他の編曲では物足りなくなってしまうような編曲でもあります。それだけ難しい編曲となっていますが。

反対に、とてもシンプルな編曲が、フィオレンティーノ版。シンプルというか、もうほとんど簡易版?

当然、フィオレンティーノ版を弾く人は少ないですねぇ・・・

「ちょっと、この編曲、簡単すぎない?」「これじゃあねぇ・・・」

フィオレンティーノ版は、たしかにシンプルすぎますかね。美しくはあるのですが・・・

どこか軽視の眼差しで見られてしまうフィオレンティーノですが、僕、CDを持っていました。5枚もありました。聴いた記憶がないのですが、改めて聴いてみると、それが実に美しい演奏で驚きました。

「いやあ、大変申し訳なかったです!」とフィオレンティーノに謝りたい感じです。もう亡くなっていますが。

どの曲も美しい演奏で、いくつかの編曲も素晴らしい演奏です。聴いてみて思ったのですが、この人は、どうもシンプルな編曲をする人のようですね。

最も美しい編曲、そして演奏だと感じたのは、フォーレの歌曲、「夢のあとに」をフィオレンティーノが編曲し、自ら弾いている演奏。もうこれは素晴らしいです。

うーん、やはり編曲も演奏も1曲だけで判断してはいけないですねぇ・・・

kaz




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