ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

ハンガリーの気骨 

 

中村紘子氏が、かつてジュリアード音楽院に留学した時、基礎からのやり直しをさせられたことは、ご本人も著書などで語っているので、有名な話だと思う。「まあ、なんという才能でしょう!音楽的だこと。でもその弾き方は基礎から直しましょうね」

レヴィーン女史から与えられたのが「ドフナニー 指の教則本」という教材。ハノン、ピッシュナに近い感じだろうか。この本で指の上げ下げから直されたのだろう。

ドフナニー・・・これは英語読みだと思う。ハンガリー人なので、ドホナーニ・エルネーが正しいのだろうが、一般的にはドイツ語読みのエルネスト・フォン・ドホナーニという言い方が一般的なのではないかと思う。この人は大袈裟な表現をすれば、あのシフラの運命を変えた人でもある。子どもだったシフラをリスト音楽院に入学させたのが、このドホナーニなのだ。

「まだ子どもじゃないですか」「規則に反します」

「この子には素晴らしい才能がある。規則とは破るためにあるのだ。入学させなさい!」

これは全く僕の憶測なのだが、シフラ少年への偏見というものも音楽院の教授陣の中にはあったのではないだろうか?シフラはロマの血を受け継いでいる。ドホナーニは、そのような偏見が大嫌いな人だったに違いない。

ドホナーニの息子、ハンスはナチの強制収容所で処刑されている。ユダヤ人ではなかった。でもハンスは反ナチのレジスタンスだったのだ。ハンスは父親、エルネストの精神を受け継いでいたのではないだろうか?

ユダヤ人ではなかった。でも彼は戦時中、ユダヤ人音楽家を匿ったりしていたのだ。命がけだったと思う。当然、エルネスト自身への圧力も強くなっていく。職を失ったり、楽団を解散させられたり・・・

それでもエルネストは愛するハンガリーに留まったのだ。ハンガリーがソビエトの衛星国になった時、そこでやっと彼はアメリカに亡命することになる。失望というものを感じたのではなかろうか?ヨーロッパ、ハンガリーには未来がなくなったと。人間が人間であることが難しくなったと・・・

エルネストはピアニストとしてだけではなく、教師としても素晴らしい人だったのだろう。その門下にはハンガリーの至宝とも言うべき人材が育っている。ピアニストのアニー・フィッシャー、ゲザ・アンダ、指揮者のゲオルク・ショルティ、フェレンツ・フリッチャイ・・・

ゲザ・アンダが演奏するドホナーニ編曲作品。この演奏からは師への尊敬、敬愛、そして受け継いだという誇りを感じる。ドホナーニの編曲からは、音楽への憧れはもちろんだが、人間の感性とか尊厳のようなもの、それを最後まで信じたという、信じたかったという音楽家、人間の信念を感じる。

kaz




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ハリーというピアニスト 

 

ヒューバート・ハリーというイギリスのピアニストを知っている人はどれくらいいるのだろう?僕は知らなかった。昔、ジュネーブの国際コンクールで入賞しているらしいので、イギリスやヨーロッパでは知られた存在だったのかもしれないが、日本では有名ではないような気がする。

このような演奏をする人が存在した、というか、このような演奏が存在した。だからピアノって弾かずにはいられないんだな。彼のように弾けるようにとか、そのようなことではなく、一度でいいから自分もこのようなサウンドの中に浸ってみたいというか・・・

このピアニストは美を追い続け、ここに辿り着いたのではないか?追うということを自分もしたい・・・というか・・・

このような演奏をする人だったら会場に出掛けて聴いてみたいと思う。有名とか上手とか、そんなことではなく・・・

もうヒューバート・ハリーは亡くなっているので、生では聴けないが、このような演奏を好む人が多くなっていけばいいと思う。

国際的な超売れっ子ピアニストではなかったのかもしれないが、好きだ・・・と思う。好きなピアニストが増えるって嬉しい。

kaz




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揺りかご 

 

ジョゼ・ヴァン・ダムの歌はボストンで聴いた。かなり昔のことになる。オペラではなく歌曲リサイタルだった。彼の映画は忘れてしまったけれど、本業の歌の方は覚えている。前半にドイツ歌曲、後半にフランス歌曲を歌っていたと記憶している。個人的には後半が素晴らしかった。デュパルクやフォーレの歌曲を、きちんとまとめて聴いたのは、その時が初めてではなかったか?

僕が歌好きなので、そう思うのだろうが、フォーレもピアノ曲をチマチマ(?)聴いているよりは、歌曲の方が断然素晴らしいように思う。「夢のあとに」という歌曲が有名で、この曲は美しいメロディーの曲として知られているが、「揺りかご」という歌曲も、かなりの美メロディーの曲なのではないかと思う。いぶし銀のようなジョゼ・ヴァン・ダムの歌声と、どこか通俗的なフォーレの「揺りかご」はとても合っているように思う。

おフランスの芸術・・・になるのだと思うが、メロディーもそうだが、詞もどこか「おフランス」というよりは、日本の演歌の世界に近いように感じる。

「揺りかご」 曲:ガブリエル・フォーレ   詞:シュリュ=プリュドム

港に浮かぶ船の群れ
波間に静かに浮かんでいる
海の男たちは女たちが揺する揺りかごになんて見向きもしない

別れの時はすぐに来るのだ
涙に暮れる女たち
海の男は船出が運命(さだめ)なんだ
それが海の男の性(さが)なのさ

波間を進む船の群れ
遠くに消えていく港の灯り
捨てた我が子の揺りかごの魂だけが
それだけが海の男の心残り・・・

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遺作 

 

デヴィッド・ボウイが亡くなった。誕生日を過ぎてすぐだったのだそうで、69歳だった。「まだ若いのでは?」というのが正直な気持ちだ。ファンというわけではないけれど。発売中の彼の新譜を聴く場合、亡くなったという事実を知って聴くのと、そうでない場合とでは何かしらの印象の違いというものはあるのだろうか?なんとなくありそうな気はする。

僕の場合、シューベルトの曲というと、それはピアノ・ソナタでも即興曲でもなく、やはり声楽曲ということになる。

フリッツ・ヴンダーリヒが亡くなって、もう50年になるのか・・・

彼の場合は、デヴィッド・ボウイと反対で、36歳の誕生日の直前に亡くなっている。シューベルトの「美しき水車小屋」の録音は終えていた。でも発売前にヴンダーリヒは亡くなってしまった。おそらく、シューベルトのチクルスは全部録音する予定だったのだろう。多くの歌手のように。でもそれは実現できなかった。

ヴンダーリヒの水車小屋を聴いた人は、すでにヴンダーリヒという歌手がこの世にはいないということを知って、彼の歌声を聴いたことになる。夢見る青年のような声だ。そうだろう、まだ若かったのだから。この天にも届くような歌声のために、ヴンダーリヒという歌手が亡くなってしまったという悲劇性が、さらに増してくる。

これは演奏の聴き方、感じ方としては変わった聴き方なのかもしれない。演奏と演奏者というものは、ドライに切り離して考えるべきものなのかもしれない。

でも、ある種のシューベルトの曲は、短命だった演奏家へ、どこか微笑みかけているように思えてならない。その演奏家のキャリアに光を与えてくれるような包容・・・

シューベルトの「美しき水車小屋の娘」のレコードは若きヴンダーリヒの遺作となった。

階段から転落し頭蓋骨骨折による死亡だったという。

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人気と実力 

 

大昔のことだ。僕が中学生か高校生の頃だったように思う。マイケル・ポンティというピアニストの演奏会を聴いた。彼はアメリカのヴォックスというレーベルに多量のリコーディングをしていた。全集ものが多かっただろうか、今ではそう珍しくもないが、ラフマニノフやスクリャービンのピアノ曲全集など、当時は話題になったような気がする。全集ものの他に、例えばモシュコフスキの協奏曲など、当時は(今でも)ほとんど演奏されない曲を世の中に紹介をもしていた。ポンティのレコードは廉価で求めやすかったように記憶している。とても過酷な条件で録音していたらしい。

「知られていない曲にだって素晴らしい曲があるんだ。それを紹介できて僕は嬉しいんだ」とポンティは音楽雑誌などで語っていたように記憶している。来日時の演奏会でポンティは割と有名な曲を演奏していたように思う。「誰も演奏しない曲」=「マイケル・ポンティ」という図式が当時はあったように思うので、意外な感じだったが、その頃は「そろそろ自分が心から弾きたい曲も演奏したい」ともポンティは語っていたので、日本でそれを実現したのかもしれない。

ポンティのリサイタルは東京の中央会館という会場で聴いたように記憶している。当時はこの会場でよく演奏会が催されていた。結構大きなホールだったように思うが、ポンティのリサイタルはガラガラだった。15人くらいしか集まっていなかったのではないだろうか?舞台に登場したポンティも客席の閑散ぶりに「ワーオ?」みたいな驚きの表情をしていたように思う。プロだから当然だとも思うが、聴衆が少ないからといって手を抜くなんてことは彼はしなかった。ポンティの熱演を独占状態で聴けたのは嬉しかったが、気の毒にも思えた。「なんでこれだけの演奏をするピアニストのリサイタルにこれだけしか集まらなかったのか?」とも思った。

当時の僕はピアノなんて弾いていなかったけれど、楽譜を持参していた。鑑賞用に楽譜類は集めていたのだ。客席で聴いていた人のほとんどが楽屋を訪れたように思う。それは「せっかく日本に来てくれて、ここまで素晴らしい演奏をしてくれたのに、聴衆があまりにも少なくて申し訳ない。でも日本にもあなたのファンはいるのですよ」という気持ちからだったように思う。

ポンティは僕が差し出した楽譜にサインをしてくれた。「おお・・・モシュコフスキ???」

彼は僕と握手をし、立ち上がり、なんと強く抱きしめてくれた。おそらく僕を熱心にピアノを学ぶ学生と思ったのではないだろうか?マイケル・ポンティは現在でも存命だ。しかし脳梗塞を患い半身不随だ。もうポンティの演奏は二度と聴くことはできない。

プロの演奏会は芸術活動であると同時に、経済活動でもあるわけだから招聘する側もできるだけリスクは負いたくはないのだろうと思う。でもあまりに「知られたピアニスト」「コンクールで話題になったピアニスト」「アイドル的存在のピアニスト」ばかりが来日し、そのようなピアニストばかりが注目されてしまうと、本当に実力のあるピアニストを聴く機会が少なくなってしまうようにも思う。ここが残念だ。

この動画でモシュコフスキのエチュードを弾いているのはイレ―ナ・ヴェレッドというイスラエルのピアニストだ。僕はこのようなピアニストも聴いてみたいのだ。日本への来日はあるらしいが、昔のことだ。将来日本の大手事務所が招聘してくれることもなさそうな感じ。パリ音楽院でペルルミュテール、ジュリアード音楽院でロジーナ・レヴィーンに師事している。でも誰もが知っているメジャーコンクールで優勝しているわけでもないから、招聘するにはリスクが伴うのかもしれない。

誰でも知っている有名な人だけがピアニストではないように思う。

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