ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

本当にそれでいいのかい? 

 

「ちょっと、これは専念しなければいけないな」と思った。退院して、日常生活に戻りつつあるときに、改めてそのように思った。初めて自分の病気のことを宣告されたときには、感傷に浸る余裕や時間などなかった。「これからどう生活していくか」で頭が一杯だったともいえる。仕事は?生活は?恋愛は?これから長く辛い闘病生活が続くのであろうか?

アメリカから帰国して、なんとなくピアノ再開のことは考えていた。アメリカで、ある意味鑑賞者として、音楽にのめり込んでいたところもあったので、そのままの感覚で日本でのピアノ再開を試みたとしても失敗するだろうと思っていた。まずは日本のピアノ界のことを、その空気を感じなければとも思った。なのでピアノ教室の発表会とか、子ども、大人関わらず、コンクールというものを沢山聴いたり、有名音大の卒業演奏会なども聴いたりした。「日本的なるもの」を感じるために。ある意味、その印象は僕にとってはショッキングなものではあったけれど、ピアノ再開への心の準備はしていたとはいえるだろう。

「よりによって・・・何故今?・・・何故僕が?」

宣告はそのような感覚を僕にもたらした。ピアノは少なくとも先送りかな・・・そう思うしかなかった。今思えば、最初の手術なんて、そんなに思い悩むものでもなかったのだ。でも、それは今だからそう思えるのであって、その時はとても重い事実ではあったのだ。

むろん、入院中、退院直後は、「これからどうするのか?どう生活していくのか?」ということしか頭になかった。実際、手術後の痛みは辛かった。でも、生活は落ち着いてくるのだ。仕事も再開し、部屋で音楽を楽しむような余裕も生まれてきた。その時、ふと感じたのだ。それは恐怖感だったと思う。それまでは痛かろうと、何だろうと、医療の専門家に守られていたという感覚があった。でも退院して自宅で一人になったりすると、「これからが本当の闘病なんだ、これからは一人なんだ・・・」という恐怖感が僕を襲ってくるようになった。むろん、定期的な診断はあるが、基本的には自己責任という部分が多くなるということを再認識しなければならなくなった。

「ちょっと、病気と向き合わなければいけないな。専念しなければいけないな」と思った。闘病一色の人生なんて嫌だったけれど、逃げても病気はなくなるものでもないのだから。

「ピアノは、また再送りかな・・・もうちょっと精神的にも日常生活としても、そして身体的にも落ち着いてからがよかろう」と判断した。今までの30年間、そうしてきたではないか。音楽は聴くもの。自分で触れるものではない。それでいいではないか?

中学生の時にピアノを辞めてから、音楽を聴くと、自分をコントロールできなくなるような時があった。常に・・・ではなかった。一年に一度か、二度だろうか?ある種の音楽、演奏が僕の魂を揺れ動かしてしまい、どうにもならなくなるときがあった。その思いはしたくないからピアノを再開しようと思ったところもある。二度とあのような感覚は味わいたくないという思い・・・

そのような感覚になってしまった時には、感情が揺れ動きすぎてしまい、「感動して涙がでる」というような、そんなレベルではなく、「慟哭」という感じに近くなる。実際の演奏会場では、演奏会後、ハンカチで涙を抑えながら、拭きながら、電車には乗れないので、感情の高まりが収まるまで、ひたすら数駅、歩き続けたものだ。自宅で音楽を聴いている時には、思い切り泣いた。布団にもぐりこんで、一切の外界とのつながりを遮断して泣きまくった。

これは、とてもとても辛い感情だ。二度と味わいたくない・・・

でも、仕方ないのだ。その時にやるべきことというものがあるのだ。今は病気に専念することだろう・・・

そんな時、偶然にウィリー・カぺルのショパンを聴いた。ソナタの第3番。どうしてそのCDを自分で選んだのかは覚えていない。軽い気持ちだったと思う。

「ああ、カぺルは若くして亡くなったんだったな・・・たしか31歳だった・・・」

カぺルは飛行機の墜落事故で命を落としている。なので、彼が残した録音そのものは、死の影というものはない。カぺルは自分が死ぬなんて思ってもいなかったはずだから。前途洋々の輝かしい未来、自分の才能というものを信じ、飛行機の人となったのであろうから・・・

また慟哭の時がやってきた。カぺルの演奏を聴きながら、また感情がコントロールできなくなった。しかも、それまでの人生の中で最も激しい感情の動きだった。カぺルが僕にそう感じさせたのか、それとも癌がそう感じさせたのか、おそらく両方だろう。僕はまたベットの中で必死にその感情の高まりに耐えた。

「耐えられない・・・」と思った。今だからこそ、ピアノを弾くしかないのだとさえ思った。こんな思いは二度としたくないと思ったのではなかったか?これからの人生というものが長くはないとしたら、なおのことピアノを弾く生活をするべきではないか?

「聴くだけのピアノなんて、君には耐えられるのかい?それで本当にいいのかい?」

カぺルが演奏を通して僕に語りかけているように思えた。

kaz



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幻想即興曲 

 

医大生Hさんの部屋で音楽を聴く、留守がちだった両親のいない家にいるよりも、彼の部屋で音楽を聴かせてもらうのが好きだった。小学3年生の時からだから、もう3年になる。Hさんは何も知らなかった僕に、たくさんの歌手やピアニストの演奏を教えてくれた。

「Hさんは勉強しないの?」「夜中にするんだ。それまでは音楽の時間なんだ」「ふーん・・・」

中学進学についても、Hさんに相談したりしていたし、停滞するピアノのレッスンというものに関しても相談したりしていた。「僕・・・まだバイエルなんだ。遊びではショパンとか弾くけど・・・」「いいじゃない?ピアノで遊べたら」「そうかなぁ?」「フランソワは聴いたよね?彼はこう言っていたんだ。ピアノを弾く?なんて恐ろしいことを!ピアノで遊ぶだろ?・・・とね」「ふーん」

4年生の時に先生に一度だけ勇気を出して言ってみたんだ。「僕、ショパンのワルツを練習して弾けるようになったんです。来週弾いていいですか・・・」と。

「あなた、バイエルも終わってないじゃない?なにバカなこと言ってるの?そんなの認めません。絶対に。バイエルを練習しなさい。楽譜だって読めないでしょ?あなたのように弾けない生徒は初めてなのよ」

停滞レッスン・・・でも音楽を聴くのは大好きだったし、ピアノで遊ぶのも好きだった。

「コルトー聴こうか?まだ聴いたことないよね?」

その頃は、たしかポリーニのショパンのエチュードのレコードが発売されて、少し経った頃だと記憶している。ポリーニの演奏は、すべての音に光をあて、クリアなものを追及したような演奏だった。

「僕はね、この演奏はこれからのピアノ演奏の概念を変えてしまうとさえ思うんだ。でもそれでいいのか僕は疑問なんだ。個人的にはポリーニは嫌いだ。平凡な第二、第三のポリーニでこれから一杯になるよ。つまらないね・・・」

Hさんはそう言った。「コルトー・・・聴こうよ」

コルトーの演奏を初めて聴いた。いろいろ聴いたけれど、ショパンの「幻想即興曲」に惹かれた。とても詞的で斬新で、そのサウンドが頭の中から離れなくなった。

「このような演奏・・・なくなってしまうのかな?」とHさんは言った。独り言のように・・・

全音のピースの楽譜を買い、僕は翌日から猛烈に「幻想即興曲」を練習し始めた。数か月後に発表会があった。それまでは、簡単な編曲ものや、せいぜいブルグミュラーしか弾かせてもらえなかったけれど、僕はショパンを弾きたいと思った。それ以外にないとさえ思った。コルトーの独特の「節回し」に圧倒された。「こんな演奏があったのか?こんなピアノがあったのか?」

ピアノのレッスンは辞めようと決心していた。中学進学が理由になると思った。発表会は、たしか4月だったと記憶している。そこで「幻想即興曲」を弾いて辞めよう、もしくは、先生を変えよう・・・と思っていた。でも弾かせてくれるかな?

「ショパン?無理に決まってるでしょ?私に恥をかかせる気?辞めるの?それもいいわね。あなたはピアノに向いてない。辞めた方がいいと思うわ。発表会?最後だから出てもいいわ。でも私はレッスンしないわよ。勝手に弾けばいいわ」

先生は僕の「幻想即興曲」の楽譜をビリビリと破き始めた。「無理だって・・・絶対に・・・何を言うかと思ったら・・・」

Hさんはピアノ教室とか、そのような世界が好きではなかった。「発表会かぁ・・・僕そういうの苦手なんだな・・・」

「下のピアノで弾いてよ。聴いてみたいな・・・」

Hさんは僕の拙い「幻想即興曲」を真剣に聴いてくれた。

「ねっ、コルトー・・・だろう?いいじゃないか・・・素敵なショパンだと思うよ。kaz君、ピアノ上手いんだね?」

初めて人から褒められた瞬間だった。

30年の歳月が流れた。Hさんは医大を卒業し、日本で医師として働いていたが、ある日Hさんから葉書がきた。「僕は今インドにいます。こちらでは医療を受けられない人も多いし、水準も高くない。同じ人間なのにね。同じ医療を受けられないておかしいじゃないか?そう思うよね?だから僕はインドで暮らそうと思う。インドで医師として何かできたらいいと思うんだ」

僕はピアノを再開しようとしていた。独学で練習はしていた。でも独学では無理だと思っていたし、先生を探していた。昔と違い、ネットがある。何人かの先生の体験レッスンも受けた。でも「何か違う・・・」と感じた。

ハンガリーに留学した人のホームページに行き着いた。そのページには個人レッスンのことも記されてあったし、よくあるような、何人を音大に合格させたとか、コンペティションで入賞させたとか、そのような記載が一切なかった。また、イラスト満載の、よくあるページとも違っていた。「この人・・・いいかも・・・」

日本の大学では哲学を専攻していた。そしてピアノでハンガリーに留学・・・

僕はピアノを再開して、まずは「幻想即興曲」を練習した。「ブランクって?」と思った。指が動かないとか・・・あまり思わなかった。もともとが動いていなかったのかもしれない。Hさんが言っていたサンソン・フランソワの言葉を思い出した。「ピアノを弾く?なんて恐ろしい・・・ピアノで遊ぶだろ?」という言葉を。

初めての再開ピアノのレッスンで、僕はショパンのマズルカとハイドンのソナタを弾いた。正直言うと、ピアノの先生という人達が怖かった。もしまた何か傷つくことを言われたら・・・もうあの時のような弱い子どもではないけれど・・・

先生は僕の演奏をまずは、静かに聴いてくれた。そして言った。

「素敵じゃないですか?何か古いピアニストの雰囲気を感じますね?コルトーとか・・・素敵ですよ。いいじゃないですか?」

僕はピアノを再開しようと思った。

kaz



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飛翔するベートーヴェン 

 

中学生の時のエピソード。なのではっきりと覚えている。僕は小学6年生でピアノは辞めてしまったのだけれど、先生を変えてピアノは続けたいな・・・という希望は一応持っていた。中学生になったからといって、急に勉学に励んだりはしなかったし。

中学生になったばかりの頃、僕はベートーヴェンの悲愴ソナタの第2楽章を練習していた。これは、当時はシュナーベルのレコードによるソナタ集を聴き始めていたということもあったし、シュナーベルの悲愴が好きだったのだ。今でも好きだが・・・

どこか、苦しみに打ち勝つ怒涛のベートーヴェンというイメージからは遠いものを当時の僕は感じていた。むろん、シュナーベルから聴いたということもあろうが、それよりもベートーヴェンの歌曲を聴いていたということの方が大きいような気がする。「アデライーデ」という曲だ。フリッツ・ヴンダーリヒの歌唱だった。僕にこの曲を聴かせてくれた音楽好きの医大生(その頃は医師の卵だったのかもしれない)がこう言ったのだ。

「このアデライーデを歌った数日後にヴンダーリヒは亡くなってしまうんだ。これは彼が亡くなる数日前の演奏なんだ。こんなふうに歌っていた人が急に亡くなるなんてね・・・」

「どうして亡くなったの?」

「階段から転落したんだと思う。頭蓋骨骨折でね。まだ35歳だったんだよ・・・これからという人だったんだ・・・」

このヴンダーリヒの歌唱が決定的だったのだと思う。彼の歌声と、シュナーベルのピアノが僕の中で重なり、ベートーヴェンの音楽は、天国に飛翔していく音楽、駆け上がっていく音楽・・・というイメージが完全に出来上がってしまった。

「天に飛翔していく・・・魂が飛翔していく・・・」

悲愴の第2楽章を弾きたいと思ったのは、「悲愴が弾きたいの」というよりも、天への飛翔というもの、そのイメージに触れたかったから。僕は今でもこのような観点で選曲をするような気がする。

当時、どれだけ弾けていたのだろう?目茶目茶だったのかもしれないし、今の僕の演奏とあまり変わらなかったような気もする。今の演奏も目茶目茶と言われればそれまでだけれど・・・

もしかしたら、新しく探した先生が僕なりの「飛翔」というものを感じてくれれば、少しでもそのような発言があれば、僕はピアノは中学生になっても続けていたかもしれない。

「ベートーヴェンは、もっとかっちり弾かなきゃ・・・そんなに歌ってはいけないのよ!」

僕のそばで手をパチパチと叩き、「定規をあてたようにって分かる?ベートーヴェンなんだからそのように弾くの。古典派の音楽はそのようなきっちりとした音楽なの」

生意気盛りだったんだな・・・

弾けてもいなかったのだろう・・・

「ピアノは好きなんだけどなぁ・・・でもピアノのレッスンって・・・もういいかな・・・」

などと思ってしまったのだ。

「えっ、バイエルが終わってないの?それで悲愴?バイエルは終わらせなきゃ!」

うーん、相当弾けていなかったのだろうか?

この時の悲愴から今の僕はあまり変わっていないような気もするのだが・・・

ヴンダーリヒへの憧れは当時も今も変わらないね。それは確かだ。

kaz




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音楽経験 

 

音楽経験、これが僕には足りないものだと今まで心のどこかで思っていた。普通の子は、ピアノの先生の注意を一生懸命守って、そして練習に励んで、曲が弾けるようになっていく。この歴史・・・

バイエルがブルグミュラーになり、そしてソナチネになり、ソナタとなって・・・この歴史、この経験が僕にはない。きちんと曲をレッスンで仕上げたこともなければ、先生から褒められた経験もない。音楽は好きだった。もちろんね。でも好き勝手に遊んで弾いていただけ・・・

決定的に僕には何かが足りないと思っていた。でも、そうだったのだろうか?たしかに「きちんと一生懸命な子ども時代のピアノ」という想い出、経験は何一つないが、音楽を聴いてきたという歴史はある。でも、そんなの誰にでもあるよね?聴くだけなんだから・・・

でもこうも思い始めた。「もしかしたら一生懸命だった記憶しかない人だっているのでは?」と。

僕は、今でも、どこか「柔らかきもの」を演奏に求めることが多いと自分で感じるけれど、僕が無意識に追い求めるものは、実は幼児の頃に聴いた音楽が原点になっているのではないか?最近はそんなことも思うし、もしかしたら幼児の時に聴いた音楽の強烈な印象というものは、他の人にとっての一生懸命に練習・・・と同じくらいに僕にとっては尊いものなのではないかと・・・

5歳くらいまで、僕は新宿で「流し」をしていたおじさんに預けられることが多かった。もちろん、流しなのだから歌謡曲が専門だったのだろうが、おじさんは、どこか西洋志向もあったような気がする。シャンソンやジャズも好んで聴いていたし、ギターで弾いていた。曲などは覚えていなかったりする。なにしろ幼児だったのだから。50年近く昔のことなのだから。

でも、なんとなく覚えていることもある。部屋の様子とか、椅子に腰かけてギターを弾いていたおじさんの姿とか、音とか・・・

たくさんのギタリストの演奏を聴いたけれど、この人の「音」が僕の記憶の中の音に最も近いような気がする。たしかにこのような音、このような音楽、このような演奏であったと・・・

これは立派な音楽経験になるのだろうか?

kaz



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根底 

 

自画自賛になってしまうのだが、昨日の演奏会に限らず、サークルの練習会などでも、僕の演奏を聴いて「音楽的」と言ってくれる人は多い。「どんな練習をしているの?」という質問も多い。「どのようにしたらそう弾けるの?」とも・・・

この部分に対しては僕の中で明確な答えがある。それは僕が音楽的才能に満ち溢れているからではない。それは「歌を聴いてきた」ということに尽きると思う。

僕にとってはピアノを弾くということは、どこか「ピアノで歌う」的な願望があって、歌を追い求めているところがある。

残念なことに、僕の子ども時代のピアノレッスンというものは、どこか上手くいかなかった。でも仮に、教材がサクサクと進んでという意味において、上手くいっていたとしたら・・・と思うことがある。先生に新しい曲を渡されて、楽譜を懸命に音にして、弾けるようにして、先生の注意を守ってというピアノレッスンを続けていたら・・・と。

ピアノって鍵盤を押せば音が鳴るから簡単といえば簡単。でもそこが落とし穴となるような気がする。音だしそのものは簡単だけれど、楽譜は複雑。両手の動きがあって忙しい・・・

この部分で「楽譜を一生懸命に音にしていく」という行為が、どこか「ピアノを弾く」ということになってしまうところがあるのでは?

子ども時代のピアノ道が、上手くいかなかったのは残念なことではあるけれど、でもそのおかげで僕の場合は「ピアノで歌う」ということを全うできたのかもしれないなどと思う。

小学2年生までは、僕は「ピアノを練習しない、ただの困ったちゃん」だった。そのままピアノを習っていても辞めていただろうとは思う。そしてその時に辞めていたら、現在でもピアノなんか絶対に弾いていなかったとも思う。

転機は小学3年生の時だった。その時にいろいろと音楽のシャワーを浴びたのだ。導いてくれた医大生の影響も大きい。彼とピアノも聴いたけれど、やはりオペラや歌曲を聴くことが多かった。8歳の時にオペラの全曲盤を聴いた。DVDなんて当時はなかった。医大生の説明つきで聴いたのだ。ニコライ・ゲッダの歌曲をレコードで聴いた。叙情的な彼の歌声を聴き、「音楽って哀しいね・・・」「そうだね」などと言い合ったりしていた・・・

僕はピアノではなく、歌から音楽に入ったのだ。

8歳の時、生まれて初めて生の演奏会を聴いた。その医大生に連れられて、渋谷のNHKホールに行った。フランコ・コレッリの演奏会だった。彼のことは僕は全く知らなかったし、有名なテノールのアリアも沢山歌ったのだと思うけれど、正直、この部分は記憶にない。

コレッリの演奏会はオーケストラ伴奏だったけれど、アンコールになるとピアノが舞台に運ばれ、コレッリはピアノ伴奏でアンコールを沢山歌ってくれた。この方式は変わったものだと思うけれど、コレッリならではのファンサービスだったのだと思う。彼はいつもこの方式でアンコールを歌うのが通例となっていたらしい・・・

このピアノ伴奏のアンコールの時、なんと表現したらいいのだろう、コレッリの歌、声がハラハラと僕の内部に入ってきたのだ。理屈ではない。彼の音の伸ばし方、ポルタメント、跳躍の際の音の扱い方、息遣い・・・このようなものすべてが僕の内面に入ってきた。そして僕の中の何かが動いた。無意識に「これだ・・・」と感じた。

それ以後、コレッリのレコード特に集めたりということはなかったけれど、その時の彼の歌というものは、僕の中に入り込み、現在の僕のピアノを支えていると思う。

僕の演奏、音楽表現は、どこか濃いというか、どこか濃厚なところがあると自分では思うけれど、それは8歳の時に聴いたコレッリの影響なのだと思う。彼の歌が僕のピアノ表現を形作っていると言ってもいいと思う。

昨日の演奏会を終え、改めて8歳の時、41年前に聴いたコレッリの歌唱の影響の大きさというものに驚いたりしている。僕はピアノが上手くなりたい・・・というよりは、ピアノでコレッリのような表現をしたいのだ。41年前のあの時の・・・

kaz



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