ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

サルデーニャのピアソラ 

 

ロベルト・ピアナの作品、そして演奏で悩殺(?)されたのが、まずピアソラだった。

ロベルト・ピアナ、1971年、イタリア、サルデーニャ島サッサリ出身。

「あなたはピアニストですか?それとも作曲家ですか?」この質問はピアナにとっては、もしかしたら答えようのない質問かもしれない。「音楽家です」と答えるかもしれない。モーツァルトやリストに同じ質問をしたらどうだろう?おそらく同じかもしれない。考えてみれば、演奏と作曲との完全分業なんて、つい最近のことなのだ。なんとなく、ピアニストは楽譜を読んで音にしていって・・・のようなことが普通に思えるし、それしかできなくても、それでもピアニストだとされてしまうけれど、ピアナのようなピアニストが昔は普通だったのだ。

幾光年も昔のことだが、ある音楽教室に関係していたことがある。隠す必要もないので書くが、ヤマハ音楽教室。むろんピアノを教えていたわけではないが。そこの生徒たち、ピアノが弾けないんだね。「10年通っていました」という割には、弾けない。弾けないというより、楽譜が読めない生徒が非常に多かった。まずはグループレッスンで音体験、音のシャワーを浴びてしまう。いいことだとは思う。でも読譜の苦手な生徒が続出・・・

僕自身の経験から、読譜が苦手(できない?)だと練習ができない。何をしていいのか分らないんだもん。「少しは練習してきてね、お願いだから。練習しなきゃ弾けないのよ?」「練習って???」みたいな?僕はヤマハ音楽教室ではなかったけど、楽譜は読めなかったね。自分一人で音の世界遊びをする(つまり即興で遊ぶ)のは好きだったが、簡単な曲さえ弾けない。読めないから。

むろん、ヤマハっ子も凄い子になれば、即興の天才、●歳でこんな曲?・・・みたいな天才児的な子もいただろうし、中には普通に(?)弾ける子もいただろうが、実体験としては「弾けない子多し・・・」という感じ。当時、社員として「保護者はたまらないだろうなぁ・・・」などと他人事ながら心配したりもしたな。

なので「読譜」は大切・・・だとは思う。ピアノ教師ブログでも、そこを強調している人も多い感じだ。それはそうだと賛同する。読めないと練習できない。練習以前の問題というか・・・

楽譜が読めないと「ピアノって、お家での練習が大切なんです」大切なこの部分が、最初から崩壊してしまう。なので読譜・・・

では読めればいいということなのだろうか?一つ一つの音符を読んでいく?そうなのだが、もっと大きく楽譜として捉える必要もあるような気がする。一つ一つ読んで「ハイ、半ページ読みました、今日はここまでです」的な読譜ではなく、音楽全体をワーッと読んでしまう。

僕の読譜というか、練習というか、ピアノ仲間に驚かれる。「まずは最後まで両手でワーッと弾いてしまう」非常に驚く。驚かれることが僕には驚きだ。埋め草的パッセージは、むろん練習しなければ弾けないが、和音の進行とか、ざっくりと掴んで弾いてしまえばいいのに・・・細かなところは取り出し別練習、別メニュー。最初は、まず音楽としてざっくりと・・・

ラフマニノフやショパンの大曲、近代のスクリャービン等々・・・パラパラとそつなく弾ける人が、意外と「メリーさんの羊」を移調して弾けなかったり、シンプルな主題をもとに、なんちゃって即興さえできなかったりする。これって不思議だ。でも「音を一つ一つ読んでいくのです」的練習しか経験がなかったらできないのかもしれない。曲(音符)は弾けるけど、音楽としての起承転結というか、まとまりというか、直感的に楽譜からつかめない・・・音そのものは弾けるけど・・・みたいな?

ヤマハの弾けない子、読めない子、音符しか捉えられない子、音符を音にするのがピアノ演奏だと思っている人、なんだか両極端なような気がする。中間・・・でいいのに。即興名人にならなくてもいいいのだ。でも・・・

このような日本のピアノ教育の特徴と作曲と演奏とが完全分業してしまったことと、何か関連はあるのかもしれないね。

ピアナのピアソラ、これは演奏が素晴らしいの?それとも編曲がいいの?「音楽として素晴らしいのでは?」彼にとって演奏と作曲との境目はないのかもしれない。音楽家だから・・・音楽をしているのだから。

kaz




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強気のエチュード 

 

一年の最初、何を書こうか昨年から決めていた。好きなピアニストの紹介。基本的に僕は往年のピアニストを好む傾向にある。

「今生きているピアニストには興味ないの?」そんなことはない。この人いいな・・・と思う人はいる。でもどうも世界的に有名という人ではない人を好むというか?誰でも知っているピアニストが嫌いというわけでもないし、有名コンクール覇者の演奏も、別に嫌いというわけではない。なんというか、僕は、あまり「お勉強」というスタンスでピアノ演奏を聴くタイプではないのかもしれない。

同時に、もっと知られて欲しいなと、自分の好きなピアニストを聴きながら思うことは多々ある。例えば、スティーヴン・ハフとか。彼は有名だけれど、欧米諸国と比較すると、日本での知名度はいま一つなのかなとも感じる。「アルゲリッチって誰?」「ポリーニ?知らな~い」という人は、ピアノ仲間の間では、かなり変わった人だと思われるだろうが、「ハフ?知らないな」ということは多々あるような?好きな人は好きだと思うんだけど。そのような感じのピアニストを紹介したいなと・・・

まずは、イタリアのアントニオ・ポンパ=バルディという人。彼と僕とでは、共通の友人がいる。なので、彼とは話したことはある。「ピアノ聴きたいな」なんて彼から言われて躊躇してしまい、「そんなぁ、アマチュアなんで・・・練習もしてないし・・・自分があなたの前で今何か弾くなんてとんでもございません」なんて言うと、日本では、もしかしたら、それは美徳となるのかもしれないが、アントニオのような人は、必ず叱責するのだ。「何でそんなことを言うんだ?信じられないな・・・」諭されるというよりは叱責される。まぁ、彼だけではなく西洋人ってそのような人が多いのかもしれない。

大雑把な感想なのだが、ピアノって弾ける人ほど他人の表面上のレベルとか、腕前(?)を気にしないような気がする。

この演奏、かなりアントニオの若い頃の演奏だと思う。おそらくコンクールでの演奏。今現在の彼の演奏からすると、かなり強気(?)な演奏。今の彼は弱気な演奏ではもちろんないが、ベルカント・・・というピアニストだから。コンクールということもあるのかもしれない。強気で大胆・・・

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パリの香り 1 

 

もしウィリー・カぺルが事故死せず、そのままピアノを演奏し続けていたら?そんなことを想像しても仕方がないのかもしれないが、ピアニスト系図のようなもの、伝統の伝承のようなものが異なり、今のピアノ界も変化していたのではないかなどと思う。

視点を日本という国に移してみると、カぺルのように、つまり、もしこのピアニストが日本で演奏活動を続けていたら、今の日本のピアニズム、ピアニスト系図のようなものも著しく異なっていたのではないか・・・そんなことを思わせるピアニストが二人いる。二人とも女性だ。

もしかしたら、権威とか狭い意味での頑ななアカデミズムのようなものに反発し、独自のものを発するような勇気、これは男性よりも女性の方が発揮することがあるのでは?つまり女性の方が勇気があり、男性は権威とか体制というものに、少し弱い面がある?

神戸で生まれるが、完全にパリ仕込み、幼い頃よりパリで暮らし、パリ音楽院でラザール・レヴィの薫陶を受ける。そのままヨーロッパで活躍するが、戦争の影濃くなると、日本に戻る。原智恵子にとって、日本は母国というよりも異国そのものであったのではないだろうか?当時、鮮烈なまでのピアノ・・・と聴衆は感じたはずだ。人気ピアニストのトップの座に君臨し、日本で演奏活動を続ける。

しかし、原智恵子は東京の掟に従わなかった。パリ時代の自分を通してしまった。聴衆の心は掴んだが、音楽のためならば、大物男性にも物おじせずに自分の意見を言ってしまったのだ。楽壇からは当然反発がある。

「原というピアニストは女のくせに生意気だ」「あの女はそのうちに力を持つようになる。とんでもないことだ」「今のうちにあの女を潰してしまうのだ」

原智恵子というピアニストの人気が大衆に浸透するほど、「いじめ」に近いような圧力さえ加わるようになった。

かつての師、レヴィやコルトーと日本で接し、パリを想い出す。「ああ、パリ、あの頃は良かった。なぜここでは自分は疎外されてしまうのだろう?でも自分の音楽を曲げることはできない。そして自分には家族、子どもがいる・・・」

夫との離婚、子どもたちとの離別、そして新しい愛・・・

「子どもを捨てた鬼のような女」当時は週刊誌などで相当叩かれたらしい。

1959年4月、ある二人の音楽家の婚約が日本の各新聞で報じられた。

原智恵子(ピアニスト)44歳・・・再婚
ガスパール・カサド(チェリスト)61歳・・・初婚

二人はイタリア、フィレンツェで新生活を始めることになる。

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好きなピアニスト フレデリック・マインダース 

 

このピアニストも個人的には来日して欲しいと思うピアニスト。CDは日本でも手に入る。シューベルトやシューマンなどの歌曲をマインダース自身が編曲したもの。ベートーヴェンやショパンなどの一般的なレパートリーではないので、どこか敬遠されるのだろうか?「ちょっと特殊だよね?」と思われるのかもしれない。単にピアニストと呼ぶよりは、コンポーザー・ピアニストとでも呼びたいような?

亡くなってしまったがフィオレンティーノや、現在活躍中のスティーヴン・ハフのような、コンポーザー・ピアニストを僕は好きになる傾向があるように思う。考えてみれば、往年の巨匠たちは、コンポーザー・ピアニストだった。というより、作曲、編曲というものと演奏というものが完全分離してしまっている現代が、どこか特殊なのかもしれない。

フレデリック・マインダース、1946年生まれらしい。若手・・・ではないよね?日本には来ないのかなぁ?アメリカでは割と有名だった記憶がある。オランダのピアニストのようだ。なので実際の演奏に接するにはオランダあたりまで出掛けなければならないか?でも調べてみると、マインダースは現在はブラジルで暮らしているらしい。ますます遠くなってしまったような?

もちろんトランスクリプションものの、豊潤で歌い込むようなベルカントサウンドも魅力だが、この人は超絶技巧的な楽しさもある。そこが魅力だ。ラヴェルの「ラ・ヴァルス」のピアノソロ版は、あまりにも技巧的に難曲であるので、腕自慢(指自慢?)のコンクール覇者などがよく演奏する。あとは頂点に立つようなピティナっ子?バリバリ、ガンガン系の曲というイメージ。この曲は3段譜の部分を、どのようにして2本の手で演奏するかというところが難しいのだと思う。ほとんどの人が「こんなに沢山の音を弾きました~」的な演奏になってしまっている。でもワルツなんだよね?黄金の光に包まれたり、霧のベールに包まれたり、そこに魅力がある。そもそも華やかさという点ではオケ版が勝る。ならば、ピアノで演奏する理由は?達者さを披露する名刺代わりの曲?

マインダースはそのあたりをすべてクリアしているように思う。コンポーザーでもあるからではないだろうか?

ピアノを弾くのは目的ではない。音楽をする手段なのだ・・・そのようなことを感じさせてくれる数少ないピアニストでもある。

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好きなピアニスト ワスゲン・ワルタニャン 

 

サンドロ・ルッソに続き、好きな現役ピアニスト、それも日本での知名度はまだそれほどでもない人シリーズ(?)第2弾。ワスゲン・ワルタニャン。どちらかと言えば、僕はベルカント系ピアニストが好きなのだが、この人はホロヴィッツ傾倒系というか、華やか系というか、ちょっと僕が好きなタイプのピアニストではなさそうなのだが、非常に好き。妙に好き・・・というか?

ロシア人でモスクワ音楽院で学ぶというところは納得だが、後にニューヨークのジュリアード音楽院でも学んでいる。ローウェンタールのお弟子さんらしからぬ奔放さというか、「音楽院で学んだんだぁ・・・」的なサウンドではある。「先生に習っていたんだ?」みたいな?

日本の優秀な若手(だけではないが)ピアニストの演奏でとても残念に感じるのは、音が伸びないとか、入魂・陶酔表情の割には平坦でチマチマしているみたいなところだが、最も残念に思うのが「お伺い演奏」だと感じること。「あの、この演奏、合ってますよね?主流の範囲ですよね?」みたいな?そこが残念。なので多くの演奏から聴衆との対話に欠けている演奏と感じてしまうのだ。達者なんですけどねぇ・・・それだけに残念というか?誰に伺っているのだろう?その場にいる聴き手・・・ではないんだな。先生?権威?日本の若手からもワルタニャンのような「イケイケ系」のピアニストも誕生して欲しい気がしてくる。

変に成熟、老成せずに、いつまでもホロヴィッツのように自分を保って欲しいなどと思うピアニストだ。

どこか惹かれるんだよね。潮の満ち引きのような対話力がある。聴き手に迫ってくるという表現になるのだろうが、それよりも、聴き手を引いてしまうみたいな?満ち潮になったり、引き潮になったり・・・聴き手のテンションを吸引してしまうみたいな?

まぁ、コンクール向きの人ではないと思う。感じ方によっては「イケメン」であるようにも思うので、来日すれば人気が出るかもしれない。

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