ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

涙への信頼 

 

「プロじゃないし」「音大なんて出ていないし」「まだピアノを再開して間もなくて初心者だし」

現在の立ち位置のようなものはあるだろう。その人それぞれの。でも皆同じではないかと思うことがある。それは演奏、音楽を聴いて心が動くという摩訶不思議な現象。

「この曲を聴くと涙が出てしまう」「なぜこんなに哀しくなってしまうのかな?」「ああ、もうどうしていいか分からないぐらいにこの演奏が好き」みたいなこと。

私はチェルニー30番だから、30番程度の感動、誰それさんはショパンのエチュードを弾いているから、ショパンのエチュード仕様の感動があるんだわ。こんなことはない・・・と思う。

純粋に鑑賞者として心が動いた、ここに音楽歴での差はないと思う。むろん、経験や訓練によって聴き方が違ってくる、深く聴こえるというか、それまで聴こえなかったものが聴こえてくるということはあると思う。でも、初心者はこれぐらいとか、上級者はそれなりの感動とか、そんなことはないと思う。音大生とアマチュアの感動能力の差というものは、僕はないと思う。あるとしたら、個人的な差・・・ではないかな?

フレイレだから、自分が受けた感動を、このように、さらに他人に渡せるのかな?フレイレじゃないとダメなのかな?感動した、聴いて涙したということは、実は凄いことなんじゃないかな?

信じるということかもしれない。自分を導いてくれる師を信じる、涙溢れた自分を信じる・・・

ピアノに関して、死ぬときに「やっておけばよかった」と後悔するのは、この部分かもしれない。

kaz




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レパートリー 

 

ピアノ、クラシック音楽全般について素人の人。厳密には僕も、そしてこのブログを読んでくれる人も、アマチュアの人が多いと思うのだが、そのような意味での素人、プロですか、それとも素人ですか・・・という意味での素人ではなく、クラシック音楽に全く日常生活において接点のない人。「エリーゼのために」を聴いたことはある。「あっ、これ知ってる」でも作曲者を知らない。「えっと、チャイコフスキー?」みたいな?「白鳥の湖?えっとシューベルト?」みたいな人。

統計から考えてみると、毎日通勤電車の中で会う人たち、ほとんどの人が、このような素人ということになる。ピアノを習い、サークルに出席し、日常的にピアノオフ会などにも馴染んでいると、ついピアノを弾く人に取り巻かれてしまったりするけれど、ピアノを弾いている人は全体からするとごく少数なのだと思う。つまりマイノリティ???

素人さんって、ピアノを習っている人は、なんでも、どのような曲も弾けると思っていたりする。これは困る。「ねえ、幻想即興曲弾いて!」「リストの・・・何だっけ、愛の夢、それ弾いて!」

「弾いてと言われても・・・」

ピアノ教師なんか、きっと素人さんは「先生なんだから何でも弾けるのよ」と思っている人は多いのではないだろうか?僕だって○○流の生け花の師匠とか、なんでも知っている、お花については、できないことはない・・・みたいに思ったりもするもの。

レパートリー・・・実は持っていない人、プロは別として結構多いのではないだろうか?別に人前で暗譜で完璧に・・・ということではなくても、「えっと、今習っている曲は譜読み段階だし、発表会で弾いた曲は忘却の彼方でもう弾けないし。あっ、この間のレッスンでハノンが合格したから、スケールのヘ長調だったら弾けるわ」

これはちょっと寂しい。ハノン・・・ではなくても、チェルニー、この間合格したから〇番だったら弾けるかも・・・これもちょっと寂しい。

何か、いつでも弾ける、自分の惚れた(!)曲があっていいように思う。「ねぇ、ピアノ習ってるんでしょ?何か弾いて」と言われたら弾ける曲。つまりレパートリー。

僕の経験では、アメリカ人って、そのようなことに関して屈託がないというか、おおらかというか。クリスマスや感謝祭などで、ピアノがあったりすると「ねぇ、弾いてよ」とか、よくある。その時に「実は習ってはいるんだけど、譜読み段階でぇ・・・」とか「そんなぁ、人様にお聴かせできるようなもんじゃなくってよ!」ということは少なく、何か弾いてしまう人が多い。その演奏が「譜読み中ですか」のようなものであったとしても(そのようなことは多かったように感じる)、少なくとも「実に楽しそう」ではあった。別にコンクールでもないのだから、それはそれで羨ましいと思ったりもした。

「なんで自分は弾けないとか、下手だからなんて言うんだ?」などと叱責されたことさえある。

文化の違いと言ってしまえばそれまでなのかもしれないが・・・

素敵だな・・・そう思ってピアノを始めた、再開したのであるのならば、その「素敵だな」を他人と共有できたら楽しいのではないだろうか?

kaz




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時空を超えて 

 

音質は決して最良とは言えない。中にはノイズの彼方から聴こえてくる演奏さえある。録音技術上の合成、お化粧のようなことも、未発達だったと思う。どこか一発勝負のような録音、演奏。

そのような時代の演奏が時空を超えて、100年の時空を超えて入り込んできてしまう。

感嘆してしまう・・・というよりは、自分が隠しているような、苦しくて押さえ込んでいるような感情をズバリ言い当てられてしまうような?

こう感じる。「なぜ、あなたは僕が隠している、人には秘密にしているような感情を理解できるのですか?」と。

巨匠と呼ばれているから聴くのではない。時空を超えた共感に酔いたいから聴くのだ。

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難しさを感じさせない美学 

 

ピアノロールというものは、どれだけ演奏者の神髄を再現しているのだろう?ピアノロールでは本当のところは分からないという意見もある。そうなのかもしれないが、このローゼンタールのダブルのエチュードのピアノロール、例えばショパン・コンクールでこの曲を弾いた、どのコンテスタントたちよりも闊達、機敏に思えるし、難曲と感じさせない軽さがある。僕には、現代のピアニストの演奏、ユーチューブ、CD含め、ローゼンタールのこの演奏を超えている人は思いつかない。

ミスのなさ、単純な速さという意味では、同じように弾いている人はいるかもしれないが、軽さに欠ける。音の弾き分けというのかな。ダブルのピアニシモが、これほど美しいとは思わなかった。

現代のピカピカのピアノとは、楽器も異なるのかな・・・と感じたりする。敏捷、繊細な楽器だったのかもしれない。

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「えっ?今のトリプルアクセルだった?」という演奏 

 

浅田真央選手、彼女がジュニアの頃、初めて観た時、こう思った。「なんて軽々とジャンプを跳んでしまうのだろう?」と。「えっ、今のジャンプ、もしかしてトリプルアクセルだった?」みたいな?簡単そう、軽そう・・・という印象を持った。同じような印象を往年の巨匠の演奏、音に感じるのだ。軽々としていて、どんなに難所であっても、これでもかっ・・・という力感を感じさせない。おそらく巨匠たちも練習を重ねたのだろうが、その痕跡を聴いている側に一切感じさせない。いとも簡単(そう)にコロコロと弾いてしまう。そこが好き。

今の主流の演奏って、浅田ジャンプと正反対のところにあるような気がする。長いジャンプまでの助走、そして跳ぶ。会場が一瞬緊張する。そしてなんとか成功。「あ~!!!成功ですっ!」みたいな?そんな演奏。ドラマ性はあると思うの。でもコロコロ・・・みたいな軽さに欠けているような?緊迫感(おクラシック感?)というか、そのようなものが必要以上に強調されるみたいな?

完全に個人的な好みなのだと思う。僕が子ども時代、メカニカルな完璧さということで、まず名前が挙がったのがポリーニだった。今だったらアムランがその地位を獲得しているだろうか?もちろん両者とも、音楽的に変・・・とか、嫌い・・・とかは思わないし、立派な演奏だと思うのだが、「凄~い!」とかは感じても、あまり「素敵♡」みたいなことは感じない。「ピアノを弾いているのだったら誰もが認める立派な演奏を聴くべき」と言われても、音楽を聴く時は完全に鑑賞者であり、あまり「お勉強」みたいな気分で聴くことはないから、どうしても「キャッ、素敵な演奏」と感じたいと思うのだ。「立派ねぇ」とか「凄いよねぇ」とは鑑賞者としてあまり必要としていないのだと思う。それではいけないのかな・・・などと(たまに)思ったりもするけれど。

そのような意味で、現代のピアニストではスティーヴン・ハフが好き。彼の演奏は素敵だもの。そして往年組のような、軽さというか、音はクリアなんだけれど、変に重油のように重くない。そこが好き。

「絶対、これって真っ黒な楽譜だよねぇ???」というような超絶技巧の曲でも往年の巨匠の演奏は、軽さ(これは重さの反対語の軽さということでもない。でも他に言葉が見つからない)がある。コロコロ・・・コロコロ・・・

これって、重油、鋼鉄の音で弾くよりも難しいのではないだろうか?「えっ?今のトリプルアクセルだった?」の方が「さぁぁぁぁ・・・トリプルアクセル・・・降りましたぁぁぁぁ!!!!」よりも難しいのではないだろうか?

ショパンの弟子にカール・ミクリという人がいた。この人のお弟子さんたち、彼らは便宜上(?)ミクリ派などと呼ばれたりするが、彼らの演奏を聴くと、ショパンの伝統がどうたらとか、正統性がどうたらとか、そのようなことよりも、まず「音の軽さ」に聴き入ってしまう。

アレクサンドル・ミハウォフスキ・・・小犬のワルツ(によるパラフレーズ)を弾いている。これ、相当真っ黒な楽譜なのではないだろうか?でも空中に舞うような軽さがあるような?力感を感じさせない、大変そうと感じさせない。

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