ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

ハイソなお芸術? 

 

バレエは好きだ。でも知識は皆無に近い。僕の最も好きなバレエは「ドン・キホーテ」で、つまり派手な演目が好きだったりする。ミーハーなのかもしれない。ドンキのバジル、是非ワシーリエフの舞台は実際に接してみたい。キトリは誰でもいいが・・・

ニューヨークに住んでいた時にはアメリカン・バレエ・シアターの会員になっていて、バレエは結構観たような気がする。でも基本的にはミーハーなので、スターが出演する派手派手な演目ばかり観ていたような?

帰国後、誘われてバレエを観た。たしかにバレエからは離れていたねぇ。演目は「パキータ」だったと記憶している。外国のバレエ団の引っ越し公演ではなく、日本のバレエ団の公演だった。とても誠実というか、立派な舞台だったように思う。「パキータ」は華やかなバレエだと思ったが、アメリカで体験してきたバレエ鑑賞と比較して、どこか客席の盛り上がりに欠けるような気はした。一応拍手はある。でも「わっ!」「キャッ!」というような客席の盛り上がりがないのだ。

客席もピアノの演奏会などと比較すると、お上品な人が多かったような印象だ。ハイソなマダム・・・みたいな?

アメリカン・バレエ・シアターの公演では、客席の盛り上がりが凄いのだ。凄いのだ・・・と書いたが、僕のバレエ体験はアメリカでのものなので、バレエとは盛り上がるものだと思っていた。でも日本でのバレエは、どこか「おハイソ」であり、客席には静謐な空気さえ漂っていた。まぁ、クラシックバレエだし、芸術だし、それが普通なのかもしれないが・・・

アメリカ人は特に陽気なのだろうか?正直というか?派手な技に対しては素直に反応がある。「ワ~オ!」「キャーッ!」みたいな?芸術に対しての真剣さが欠けているのだろうか?少々軽薄なのか?

でも、日本でも歌舞伎に関しては「盛り上がり」を感じる。僕は「藤娘」ぐらいしか知らない超素人(?)だけれど、贔屓の役者が出てきた時の歓声など、アメリカのバレエファンとそう変わらない印象だ。歌舞伎では正直なのにバレエでは何故?

西洋文化が輸入された・・・みたいなことと関係しているのか?音楽に関しても、ちょっとそのような「おハイソ」な部分もあるような気はするし・・・

「海賊」というバレエは好きな演目だった。まぁ、派手なので。これもオシポワとワシリーエフ。ワシリーエフのアリだったら、これぐらいの歓声は上がるだろうとは思う。それにしても客席盛り上がってるねぇ・・・

kaz




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スポーツか芸術か? 

 

スポーツにおいて、いわゆる芸術性というものを絡んで語られたりするのがフィギュアスケートなのではないかと思う。そしてスポーツと芸術ということで、しばしばバレエと比較されたりもする。

フィギュアスケートとバレエ、共通点のようなものはあるのだろう。まぁ、フィギュアスケートはピアノ演奏にも共通点は多いように思うが。

フィギュアスケートがバレエと比較されることはあるが、逆は少ないような気がする。バレエからフィギュアスケートを連想したり、共通点が語られるということは少ない。そもそも芸術を語っているときに、スポーツというものと比較したり、話題にしたりする時、それはいい意味ではないことが多い。「演奏はスポーツではない」とか「スポーツ的で技巧は高度だが・・・」みたいな?

どのバレエでも、グラン・パ・ド・ドゥの場面は、いわゆる見せ場であることが多いので、個人的印象としては、非常にスポーツ的な快感を観ていて感じることが多い。高度なフェッテなど、4回転をクリーンに着氷した時のような興奮さえ感じたりする。

フィギュアスケートの4回転も、バレエの華やかな技術の場面でも「人間技ではないよな」みたいな興奮を覚えるのだ。そこか共通している部分ではないだろうか?

どこか日本では「お芸術」というものは「快感」というものと一緒にしてはいけないような、そんな禁欲的なモードがあるような?

オシポワとワシリーエフの「パリの炎」、このグラン・パ、快感・・・という感じなのだが・・・

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フリルの世界の中で 

 

昔は男の子がピアノを習っているなどというと、まぁ、色々と言われたりしたものだ。「男のくせにピアノ?」みたいな?最近は変わってきたのだろうか?「ピアノ男子って素敵!」みたいな?

フィギュアスケートだとどうだろう?やはり女の子の世界なのだろうか?でも最近は日本の男子シングルは強いので、あまり「男のくせに」なんて言われないのかもしれない。

バレエだとどうだろう?少なくともピアノよりは男の子(男の人)にとっては肩身が狭いというか、何かしら言われたりするなんてことはあるような気がする。男性お断りなんてバレエ教室もあるらしい。まぁ、これはピアノ教室にも多いらしいが。

「男の子は逞しく育てる」みたいな固い考えの親だと、もしかしたらバレエを習いたいという男の子に対して「男の子なんだからサッカーとか野球にしたら?」なんて言ってしまう親もいるのだろうか?この場合、その男の子は非常に傷つくと思う。親が何気なく言ったとしても。「バレエが好きだなんて、僕はおかしいのだろうか?」この思いは、やがて自分否定になり、その男の子はかなり苦しむはずだ。

今のところ、やはりバレエはフリルの世界なのだろうか?

イワン・ワシーリエフというバレエダンサーがいる。むろん、バレエ界では大スターなのだが、一般的にはどうなのだろう?一般的にバレエって、どうも女性的と思われているのではないだろうか?オデット姫、オーロラ姫、チュチュ・・・フリルの世界・・・綺麗な女の子が憧れる世界。そのような部分もあろうが、イワンのような人もいるのだ。これも「バレエ」なのだ。

「僕、バレエ・・・やってみたい」

絶対に「男の子でしょ?バレエじゃなくて他の事をしたら?」なんて言ってはいけないのだ。その子は一生傷を抱えていく。こう言ってみてはどうだろう、「頑張ってイワン・ワシーリエフのようになれるといいね」と。

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鬘の人たち 

 

今はどうなのか知らないが、昔は音楽室に作曲家の肖像画が飾られていた。左端にいた「鬘の人たち」、ヴィヴァルディ、バッハ、ヘンデル、もう少し右の人たちも鬘だったような気もするが、いわゆるバロック時代の作曲家は鬘の人たちなんだという印象を小学生だった僕は持ったものだ。

この鬘の人の作品、いわゆる正統ピアノ道を歩んだ人、まずは音楽室ではなくピアノ教室のレッスン室でご対面したのではないだろうか?昭和の時代ということを考えると、おそらく、その作品はスカルラッティ(ドメニコの方ね)ではなく、バッハのインヴェンションとか。僕自身はバッハを習ったという経験はないので、当時のピアノ教室で聴こえていたバッハから想像すると、それは多少(かなり?)学習バッハサウンドだったように思う。「ここに主題が出てくるの。もっと強く」「ペダルは使わないで」みたいな乾燥バッハ(?)だったような?コツコツ、カツカツ・・・のような?

むろん、そのサウンドは「素敵!」というものではなかったが、根底には、それなりに「当時の楽器」「当時のスタイル」というものを優先していたように思う。それ自体は悪いことではないのだろう。

僕の場合、鬘の人の作品としては、鑑賞者としてヘンデルから入った。ここが真面目なピアノ道を歩んだ人とは異なるのかもしれない。ヘンデル、「調子のよい鍛冶屋」ではなくオペラから入った。特にマリリン・ホーンの歌唱に惹かれた。

マリリン・ホーンのヘンデル、凄く魅惑的で闊達だった。そして小学生だった僕はこう思ったのだ。「鬘の人(バロックの人とも言う)ってお茶目!」と。厳格な(?)昭和バッハ指導を受けた人は、バッハのインヴェンション、「お茶目!」「楽しい!」などと感じながら弾いていたのだろうか?

スカルラッティと言えば、ドメニコではなくアレッサンドロを連想するような少年、つまり歌の世界がピアノ(鍵盤楽器)よりも身近であったので、バロック=闊達、華々しい、挑戦的・・・のような、ちょっと変わった感覚を持ってしまったのかもしれない。

当時の、オリジナルの、つまり原典というものを尊重する。楽譜の研究とか、当時のスタイルに忠実にとか、研究が進んだ。それは現代の演奏スタイルがバロックに限らず、ザハリヒなものになっていったことと無関係ではないだろう。それはそれで素晴らしい。個人的にはザハリヒなスタイル、もうこれは限界かな・・・などと昨今の演奏を聴くと感じたりするが、それは個人的な好みの問題もあるだろう。どちらがいいとか、そのようなことではないのだろう。

でも、当時の再現・・・その「当時」というものが、特に鬘の時代のそれにおいて、やけに禁欲的ではないだろうか?いかにも古っぽくというか?

当時の踊りを考えてみましょう・・・確かに有益だとは思う。「クーラント」とか「アルマンド」を弾くのには、欠かせない情報であり、学習ではあろう。重い、パニエバリバリのドレスで情熱的なタンゴは似合わないし、踊れない。そうなのだろう。でも「いかにも昔」のような演奏が正しいのだろうか?正しいのかもしれないが、現代人の我々が「おっ?これは凄い」と思うような闊達なバロック時代の作品の演奏に出会ったら、それは現代感覚のものであり、当時のスタイルと、もし異なっているのだとしたら、それは価値のないものなのだろうか?声楽のバロックは、あれほど生き生きと人間的であり、闊達であるのに、どうして鍵盤楽器のバロックは「いかにも古っぽく」という演奏が多いのだろう?それは鑑賞者としての素朴な疑問でもある。

鑑賞者としての素朴な疑問は他にもある。ショパンなど、かなり即興性のある演奏をしていたらしい。ヴァリアント盛りだくさん・・・のような?そうだとしたら、当時のスタイルに忠実ということは、研究成果の高いエディションに印刷されているように演奏する、この行為は当時のスタイル、原典に忠実と言えるのだろうか?ショパンコンクールでヴァリアント満載の演奏をしたら、はたして予選通過できるのだろうか?現在でもベルカントオペラでは普通のことなのだが・・・

先のカルミニョーラ問題(?)について考えてみても、カルミニョーラが現代的・・・なのではなく、ヴィヴァルディは当時、非常にホットでポップな音楽であったのではないかと想像してみたら?想像としては非常に面白い。もしかしたらカルミニョーラは当時の再現に近いのかも?「いかにも古式」という演奏よりも・・・

ジャン・ロンドーという演奏家、この人の演奏って大胆だな、闊達だな、挑発的だなと感じる。現代の僕に直接訴えてくるような?演奏しているのはジョゼフ=二コラ=パンクラス・ロワイエという作曲家の曲。「スキタイ人の行進」というタイトル。スキタイ人って?ロワイエさんで何処の国の人?

ブルボン王朝の人らしい。ルイ15世の子どもたちの音楽教師だったとか?そうすると、ルイ16世、マリー・アントワネットの親世代が習った人ということになる。

重いドレスだったのではないだろうか、鬘だって相当な重さだったはずだ。むろん飛行機もないし、馬車だったのだろう。パソコンもCDもない。ゆったりした時間が流れていたのだろう。

でも闊達な時代であったのかもしれないよ。

kaz




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3パーセント 

 

ベンジャミン・ザンダー氏によれば、日常生活の中でクラシック音楽を身近に感じ、聴いている人は3パーセントなのだそうだ。クラシック愛好家と言われる人たちかな?知識豊富な人もいるだろうし、知識、うんちくということよりも、ただ好きだから聴いているという人もいるだろう。でも3パーセントとは・・・

残りの97パーセントの人は、クラシック音楽がかかっていれば、別に嫌悪感は感じないし、まっ、いいんじゃない・・・みたいな?でも自分から積極的に聴いてみようとは思わない。中にはクラシック音楽コンプレックスみたいな人もいるらしい。「クラシックなんて高尚な音楽は理解できなくて」「聴いても分からないし」「なんだか堅苦しそうなんだよね」みたいな人たち。

「クラシック音楽入門」のような本はたくさんある。これらの本からクラシック音楽の世界に入っていける人も、まあ存在するのだろうが、音楽の好みって人それぞれで幅があるものだから、有名曲、分りやすい曲が感動とはイコールにはならないこともある。そこがこのような入門本の難しいところなのかもしれない。例えば「おもちゃの兵隊の行進」のような曲、たしかに分かりやすい曲だとは思うし、「あっ、キューピー3分クッキングの曲だ」・・・とは思うから、そのような意味で入門編の曲なのかもしれないが、「クラシックも聴いてみればいいものね」と全員がこの曲から感じるかは疑問に思ったりもする。

「ショパン?白鳥の湖の人?」のような知識の人でも、ヴンダーリヒの歌うシューマン、「詩人の恋」に涙したりするのだ。「詩人の恋」はクラシック入門編という感じの曲ではないだろう。つまり人によるし、好みには幅がある。知識がないから好みは一律ということはないので、そこが入門段階(?)の難しさでもあろう。

クラシック音楽にも親しみたい、でも何から聴いていいのか分からない。このような人は多いようだ。クラシック音楽に限らないが、曲そのものの印象というものは、演奏によって、かなり左右されるものではないだろうか?ややもすると、それらの演奏の優劣などは、クラシック音楽に対して深い知識のある人だけが聴きとれるもので、何も分からない、クラシック音楽なんて聴いたこともないような自分は、とてもとてもそんな高度な耳などは持っていないと考える人がいても不思議ではない。

ヴィヴァルディの「四季」にまず魅せられてしまった人がいる、入門本に載っていたので、まず聴いてみたらしい。「えっ?これってクラシック?えっ?ポップじゃん?」その人はそう感じた。曲にもだが、演奏に惹かれていった。ジュリアーノ・カルミニョーラという人がヴァイオリンを弾いていた。「これって凄くね?」

この人のヴィヴァルディなら是非生で聴いてみたい!

そして実際に生のカルミニョーラというか、ヴィヴァルディというか、「四季」を聴いたのだそうだ。「凄い!凄すぎる!!!」

でも、休憩中のロビーで、いかにもクラシック通という感じの男性(うんちくおじさん?)がこう言っているのが聞こえてきてしまった。「テンポが速すぎるね、勢いばっかりで音程があやふやじゃないか?それにあのボウイングは何なんだ?」

「えっ、そうなの?僕はいいと思ったんだが?聴く耳のある人はそう感じるんだ。クラシックを聴きなれている人の耳はそう感じるんだ。やはりクラシック音楽って難しいんだ」

たしかにボウイングとか、バロック音楽のスタイルからすると、彼の演奏はどうたらこうたら・・・などと言われたら、「自分はいいと思ったが、本当はそうではないんだ」などと思ってしまう入門者はいるかもしれない。自分がいいと感じたことが、かえってクラシック音楽を遠ざけてしまう。これって不幸なことだと思うし、何か違うのでは・・・とも思う。

この場合、うんちくの弊害なのではないだろうか?僕はそう思うのだが。ほかのジャンルの音楽では、あまりないような気がする。ジャズなどもそのような人の存在を感じたりするが、クラシックほどではないような?

3パーセント、衝撃的な数字ではある。100人のうち、たった3人だよ?子どもの数が減少しているので、高度経済成長期ほどの勢いはないものの、日本はピアノ教室の数は多いと思うし、ピアノ人口も多いように思う。毎日複数のピアノリサイタルが大都市では行われ、地方にも立派なピカピカホールが沢山ある。そのホールには外国製の最高級ピアノ(?)が搬入されている。

でも3パーセント?

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