ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

ドーナツ盤 

 

地方などを旅していると、偶然に蚤の市などに遭遇することがある。大規模なものではなく、神社仏閣の境内などで地元の人が・・・みたいなもの。いわゆる骨董品、陶器とか掛け軸とか、そのようなものには興味は全くないので、今までは素通りだったのだが、そのような市の片隅で昭和のドーナツ盤を売っていたりする。レコードプレーヤーを所有してから目につくようになった。

貴重品として高額な値段がつくようなものではない。段ボールの中に無造作に詰め込まれていたりして、物色する楽しさがある。「わぁ・・・この頃は初々しかったんだぁ・・・」などと小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」のドーナツ盤を手にしたり・・・

懐かしさ・・・なのだろうと思う。別にその人のファンではなかったとしても、妙な懐かしさがある。金井克子のレコードなど、買おうかどうか迷ってしまう。

そのような「懐かしさ」ではなく、絶対にその歌手、その曲を自分は知らないはず。でも曲のタイトルとか、ジャケットの印象とか、歌手の名前、そのようなものが総合的に絡まって、なんとなく購買意欲を感じてしまうレコードというものがある。

「これって、どんな曲なんだろう?どんな感じで歌っているんだろう?」という興味・・・

帰宅してターンテーブルに乗せて、そして音を出してみる。その時に自分の想像以上のサウンドだったりすると、なんだか分からないが、非常に嬉しかったする。

この、ある蚤の市で遭遇したドーナツ盤、僕の宝物となった。昭和って楽しくなかった???

kaz




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アナログ世代の楽しみ 

 

アナログレコードがひそかなブームであるらしいことは、なんとなく感じる。僕がたまに中古CDを物色する店、ディスクユニオンという店がある。オヤジの巣窟(?)みたいな感じの店で、圧倒的に男性の客が多い。まぁ、僕もその中のオヤジなのだと思う。最近気づいていたのだが、アナログレコードの売り場面積が昔と比較して広がってきているような?ディスクユニオン、東京では(クラシックオヤジには?)有名な店だと思う。吉祥寺店はそうでもないが、新宿店や御茶ノ水店は半分の面積がアナログコーナーのような印象だ。

アナログレコード、つまりLPだね。当たり前だがCDプレーヤーでは再生できない。僕はレコードプレーヤーを持っている。アナログ愛好者は、アナログ独自の音質というものに惹かれるみたいだ。僕はそこまでではなく、懐かしさからレコードを聴く。

叔父は昔、流しだったので、沢山のレコードを持っていた。幼児の頃からそのレコードを聴いて育ったのだが、叔父が亡くなった後、回りまわってそのレコードが遺品として僕の所へ来た。それらのレコード、最初は保管しているだけだったが、なんとなく聴いてみたいと思ったのだ。圧倒的にフランク永井のレコードが多かったように思う。つまり歌謡曲のレコード。フランク永井の、いくつかのヒット曲は僕も知っていた。言葉を変えると、フランク永井という歌手に関しては、いくつかのヒット曲だけの印象しか持っていなかった。歌が上手い人とは思っていたけれど。

そのフランク永井のライヴのコンサートのレコード、おそらくこれは一般にCDとしては流通していないと思うが、そのコンサートのレコードでのフランク永井が素晴らしかったのだ。トークも含め、「この人は歌に賭けていたんだ」みたいな鮮烈な印象を僕に与えた。その他に、このような印象を与えたのが、アイドル歌手だった天地真理。彼女のヒット曲は僕のような年代には非常に懐かしい。「恋する夏の日」とか「ひとりじゃないの」なんて、歌える人、僕の世代ではまだ多いかもしれない。彼女の場合もコンサートのライヴのレコードが素晴らしかったのだ。「えっ?これがあの天地真理?」みたいな?自分のヒット曲も歌っているのだが、ほぼ渋めのフォークばかり収録されていた。それが実に素晴らしかったのだ。もしかしたら、彼女の領分は、ほんわか歌謡曲ではなく、フォークだったのかもしれない。あまりにアイドルとして売れすぎてしまったための悲劇、そのレコードから受けた印象だ。

やはり僕は、いわゆる「クラシック音楽」が好きなので、ディスクユニオンの「クラシック館」に通う。ここで思うのだ。まだまだクラシックファンは健在なのだなと。駅ビルなどに入っている普通のCDショップ、クラシックのコーナーなど無残なものだ。店によってはクラシックのCDなど売っていないこともある。「ああ、クラシック離れ・・・」などと思う。でもディスクユニオンのクラシック館のような店も健在なのだ。クラシックファンはいるのだ。でも非常に残念なことに、僕を含めて昔を懐かしむようなファンが多いんじゃないかな?まぁ、中古CDを物色するような人はそのような人が多いのだろうが・・・

クラシック館、もちろん往年の演奏家、フランチェスカッティやルービンシュタインのレコードも売っている。いわゆる「音質」みたいなものに拘りをそれほど持たない僕は、それらの往年組の演奏はCDでも堪能することができる。僕なりのクラシックの掘り出し物としては、有名な演奏家、CDもバンバン(?)出しているような日本の演奏家の若い頃のレコード。

中村紘子のデビュー盤なのではないだろうか?録音は1968年。このリストのレコードに収録されている曲の何曲かは彼女は後年に再録していて、その演奏はCDでも聴くことができる。再録であるCDの演奏の方が演奏家の特質を表出しているのだろうと思う。演奏家は成長するものだから。1968年の中村紘子の「ため息」を聴く。なんというか、非常にフレッシュな印象。正直驚いてしまったほどだ。再録の(CDの)「ため息」は、「ああ、中村紘子さんですね」と納得してしまうような演奏。多くの人が「中村紘子というピアニストの演奏」という情報から想像できるような要素がある。ファンはそこがいいのだろうし、そうでない人は、そのあたりが気になる・・・そんな部分。その人なりの歌い口というのだろうか・・・

若い演奏、おそらくその部分が、まだ確立されていない頃の演奏なのだろう。少なくとも僕はそう感じた。このような発見、非常に楽しい。

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わぁ・・・♡♡♡♡♡ 

 

「ねえねえ、Aちゃんは昔部活何だったの?」「私、新体操やってたんだ」「わぁ・・・」このわぁ・・・の後ろには♡マークが五つぐらいはつくのではないだろうか?イメージというものはある。バレエとか、茶道なども、わぁ・・・+♡マークのイメージではないだろうか?ピアノもそうかな?「私子どもの頃ピアノ習ってたんだ!」この場合、あまりにも特殊性というか神秘性に欠けるかもしれないが、♡マークも一つぐらいは、つくのではないだろうか?でもこれは女の子の場合。男子ピアノも昔はイジメの対象に、なりかねなかったぐらいだが、最近では♡マーク組になるかもしれないね。

「僕、新体操やってたんだ・・・」今の世の中、♡マークはいくつつくだろう?むしろ「えっ?」とか「・・・・」のような?絶句・・・のような?

でも、男子新体操という競技、スポーツが世間一般にもっと知られるようになれば、もうこれは♡マークものの特技(?)、経験になるのではないかと思う。皆、ただ知らないだけ。これって残念だなと思う。しかも日本発祥のスポーツなのだから。

鹿児島実業高校、先の演技、21位なのだそうだ。「あれだけ会場を熱狂させて21位?」とも思う。では1位の演技は・・・と興味を持った。岡山県の井原高校、なかなかの新体操名門校らしい。

演技の感想なんて人それぞれなのだろうが、個人的には、このような演技、競技は世界にもっと知られるべきだと思った。将来、日本の男子新体操のナショナルチームが存在するようになり、オリンピックでその妙技に触れた全世界の少年たちが新体操に憧れる・・・これは夢物語ではないように思う。

高校や大学の部活動、そのような範囲内だけのものではない。そして日本国内だけのものではない。世界に広がる可能性を持った魅力はないだろうか?

まずは多くの人に知られるようになること、これだと思う。

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日本発祥のスポーツ 

 

昔はフィギュアスケート、マイナーなスポーツだったのか?日本でも、それなりに人気はあったように思うけれど、全日本選手権のチケット入手が困難・・・みたいなことはなかったように思う。1985年の世界選手権、東京で開催されたのだが、シングルのフリーでも空席はあったと記憶している。フィギュアスケート、今ではアマチュアの選手もスポンサーがついたりしているらしいけれど、やはりアマチュアとプロとの境目は、はっきりしているように感じる。現役引退みたいな形で明確化されているように思う。

これは完全に僕の偏見なのだと思うが、オリンピック競技の放送で、ゴルフとかテニスなどを観ると、ちょっと違和感を感じたりもする。プロとして賞金を稼いでいるような人がオリンピック?なんとなくそう感じてしまったりもする。まぁ、いいのだが。

世の中にはマイナーなスポーツというものもあるらしい。新体操はどうだろう?スリムで小柄な女性(少女?)が柔軟性を活用し、美の競演をする。魅せる競技、パフォーマンスとして技術だけではなく、観客のテンションを集める表現力・・・みたいなことも重要だったりする。そのような意味ではフィギュアスケートと近いような?女子の新体操はオリンピック競技になっているぐらいだから、メジャーではあるのだろう。

男子にも新体操はある。女子と、ある意味では似ているかな?個人と団体があり、男子も個人では種具を用いる。クラブとかロープとか。さすがに男子にリボン・・・はないが。

男子新体操の競技人口は約1000人。これではマイナーなスポーツかもしれないね。各国に1000人・・・ではなく日本で1000人。競技人口は日本に集中している。男子新体操は日本発祥のスポーツなのだ。海外に男子新体操の魅力を発信したりとか、色々とやっているらしいのだが、国体の競技からも男子新体操は、はずされてしまったりと、なかなか難しいようだ。

男子新体操、発祥国日本においてさえ、あまり馴染みは少ないのかもしれない。もしかしたら「え~っ、男にも新体操があるの~」みたいな人もいるかもしれない。見てみると、これがまた素晴らしいのだ。このようなスポーツ競技が消滅してしまうのは、なんとも勿体ないと思う。

このブログは新体操ブログではないし、スポーツブログでさえない。このブログを訪れる人は、何かしら「ピアノ」と関係ある人が多いだろうと想像する。そのような人に、一人でも「えっ?男子の新体操ってこんなに素晴らしかったの?」と知ってもらいたい気持ちがある。

鹿児島実業高校、野球部が有名らしいのだが、この高校、新体操でも有名なのだ。大会で連覇している・・・みたいなチームではないのね。成績だけを見ると、あまりパッとしないのかもしれない。でも演技が非常にユニークなのだ。およそ3分間の演技なのだが、見入ってしまう。飽きさせない、これは、ある意味非常に難しいことのように思う。それを鹿児島の高校生がやっているということに、まず驚く。

もともと、あまり強いチームではなかったらしい、大会に出場できるということは、鹿児島実業高校新体操部にとっては、当たり前のことではなく、ある意味「ハレ」の舞台であった。数少ない機会であるのなら、なおのこと印象に残る演技をしたい・・・そう監督は思ったのだそうだ。ユーモラスな動き、振り付けは生徒(選手)と監督との共同作業なのだそうだ。

監督はこのように言っている。

「ビデオで早送りされないような演技をさせたい」これは非常に難しいことのように思うが、彼らは見事にクリアしている。

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自分たちの中にある原因 

 

先のアーンを独唱している人も、このラフマニノフを弾いている人も韓国の人。日本人演奏家の平均的演奏と比較すると、なにか表現意欲旺盛というか、したたかというか、闊達な印象を持つ。僕なりに考えていたことは、民族的なものがどうこうというよりも、韓国の音楽留学というもの。かの国ではヨーロッパなりアメリカなりに、非常に幼い頃からスパーン(?)と渡ってしまう人が多いような?小学生とか?日本の場合だと、音大4年生を終えてからとか、割と悠長というか?まぁ、人によるとは思うが、平均的にはそう感じる。音楽高校を終えて・・・でも、もう18歳。そこから・・・というのは、かなり遅い感じになる。日本の場合、学歴というものへの拘りはあるのかもしれない。人気ピアニストになれればいいけれど、そうでない場合、学歴がないと厳しい。むろん、外国の学位取得ということでもいいけれど、正式なディグリー取得をする場合は、ピアノのレッスンだけを受けていればいいわけではない。大変に厳しい語学力の問題というものが絡んでくるはずだ。特に大学院ではなく学部留学の場合。

ご本人に訊いたわけではもちろんないけれど、中村紘子さんのジュリアード音楽院留学、あれはマスターズディグリーではなく、ディプロマだったのではないかと思っている。そうだとすると、彼女の日本流の最終学歴は「中卒」ということになる。高校を退学して留学していたと思うので。中村紘子さんのように有名になれればいいけれど、そうでなかったら?このあたり、日本人の留学発進の遅さの一因ではないかと。22、22歳になってからでも遅くはないけれど、やはり多感な時期を外国で過ごす韓国人音楽留学生とは、どこか差がついてしまうのかもしれない。

でも、このような基準というか、僕の考えは、根本的に「日本が普通」という感覚に基づいている。物心ついた時から日本に住み、日本人だけの中で日本語を話して育ったので、僕は「日本が普通」という感覚を持っているのだろうと思う。そこを基準にする。もしかして、日本では普通でも世界からすると、異端・・・ということもあるのかもしれない。

いきなり算数の話しなる。このような問題があったとする。「1袋に8個のアメが入っています。その袋が7袋あります。袋に入っていないアメが17個あります。アメはいくつありますか?」ある生徒が次のように解答した。そして教師はその答えを不正解にした。

8×7+17=73  アメは73個

何故不正解なのか?何故なら、その生徒はまだ授業で掛け算を習っていないから。こう答えなければならなかったらしい。

(8+8+8+8+8+8+8)+17=73

この話は有名な話らしく、「ひぇ~、それはおかしくない?」という人が「掛け算をまだ授業で習っていないんでしょ?じゃあ生意気に掛け算なんか使っちゃだめじゃん」という反応の人を圧倒していたのがせめてもの救いだが、なんとなく「ああ、日本・・・」という気はする。でも、僕自身、このようなことに自然と順応させて生きてきたように思う。ここは日本だから・・・と。国語のテストで小説か何かの一部の文章が載っていて「主人公の気持ちを答えなさい」などという設問があったりすると、心の中では「そんなこと作者じゃなければ答えられませ~ん」と思っても、正直に書くとどうなるか知っていたので、こう答えたらいいんだろうな・・・みたいな答えを書いていたように思う。そのようにして、周囲に順応させながら生きてきた。このようなことって、長い間には「それが普通」みたいな感覚になっていってしまうのではないだろうかとも思う。本人は意識しなくなっていく・・・

何故に韓国の演奏家は・・・ではなく自分たちが「ああ、日本・・・」であるという可能性。

何故○○さんは○○なの?原因を相手だけに探るのではなく、独自の、独特の自分というところへも広げてみる。

また新たなパズルの一片が見つかったようだ。

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