ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

思い立ったらアップルパイ 

 

口コミというものがある。通販サイトによくある。僕はAmazonをよく利用するけれど、購入者の口コミは参考にしたりする。熟読?ホテルや旅館にも口コミはある。一休とか楽天みたいなサイトですね。こちらも熟読するけれど、中には「えっ?」というような口コミがある。口コミなんて主観的な感想だから、色々あっていいのだろうが、「では何故にそこに泊まったの?予想できたんじゃない?」とこちらが感じてしまうような不思議な口コミも存在する。

「富士屋ホテルに宿泊しました。食堂も立派で雰囲気も素晴らしいのですが、子ども連れだったので、緊張してしまいました。子どもたちも窮屈に感じたようです」

富士屋ホテルのダイニングルーム、「ザ・フジヤ」と呼ばれる。昭和5年に作られた食堂。子ども連れがいけないわけではないし、ホテル側も何歳以下はおことわり・・・とか明示していないと思うけれど、でも「ザ・フジヤ」はデニーズやジョナサンではないのだ。

「施設が古く、猫足のバスタブも素敵なのですが、浴槽が狭く二人で入れませんでした」

あのバスタブは二人で入るものではありません。施設が古い、そうですね。古いですね。富士屋ホテルの創業は明治11年。1878年なのだ。そりゃあ古いでしょう。このような口コミを読むと「では何故富士屋ホテルを選んだの?」と正直なところ思ってしまう。

古さを愛でるというのだろうか?ピカピカの最新旅館やホテルにはないもの、それを求めての富士屋ホテルなのでは?

創業1878年・・・日本の西洋音楽史に当てはめてみると、音楽取り調べ掛は1879年にできている。その後、1887年に東京音楽学校となっている。瀧廉太郎が生まれたのは1879年・・・

連弾を「連れ弾き」などと言っていた時代だったのではないだろうか?西洋文化というものが、日本に紹介され、まだ間もない頃。当時の日本人の、西洋文化への憧れというものを具現化したものが富士屋ホテルだったのではないかと思う。日本の伝統テイストを盛り込みつつ、西洋への憧れをホテルというもので日本人は表現したのだ。少し前まで江戸時代だったのだ。文明開化の頃の憧れを味わうホテルなのだ。

富士屋ホテルのアップルパイ、なんと大正4年から引き継がれているレシピなのだそうだ。

さあ、あなたもロマンスカーに乗って、文明開化ロマンを・・・

kaz




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思い立ったらロマンスカー 

 

高級旅館滞在記ブログ、これらのブログを愛読している。自分では書けない。いちいち料理を写真に撮るとか、部屋の細部を撮るとか、とても面倒に感じる。でも他人のブログを読むのは好き。実際に宿泊先を決める際にも、とても参考になる。旅館やホテルのホームページでは得られない情報などもあったりする。ただ、個人ブログの場合、かなり主観的なものもあったりするので注意も必要だ。自分はどこを重視するか、それが人によって異なる。なので、自分の好み、感性と似た人のブログを読むようになる。このあたりはピアノブログと同じだなと思う。

僕自身は、温泉の泉質などはどうでもいい。循環だろうと気にしない。眺望もこだわらない。窓を開けると寂れた駐車場・・・というのは困るけれど、目の前が広がる海原でなくてもいい。

最近は、純和風旅館は流行らないのだろうか?部屋食で担当の仲居さんが、バッチリお世話してくれて、食事中に女将が挨拶に来るような旅館。「仲居さんに、いくら包めばいいかしら?」みたいな旅館。個人的には、このような旅館が好き。

最近流行りの旅館、食事は食事処、布団ではなくベッド。気軽でいい感じではあるが、ちょっと物足りない。ホテルという手もある。ホテルの場合、食事は朝食のみの代金だったりするので、お財布にもやさしい。まぁ、ホテルにもよるが。

何故かロマンスカーが子どもの頃から好きだった。京成線にもスカイライナーという特急があるけれど、あの電車は移動手段という感じで、成田に憧れて・・・という感じではない。ロマンスカーの終点は箱根。これは大きい。箱根って東京からだと、思い立ったらすぐに行けるような気軽さがある。そこが好き。様々なタイプの宿泊施設があるけれど、伝統ある富士屋ホテルなどどうだろう?

富士屋ホテル、最も安く堪能するには、レトルトのカレーを買う。これなら1000円以下で富士屋ホテルを味わえる。でもこれではちょっと寂しい。800円以上するレトルトカレーを自宅で食べる、これは寂しい。

富士屋ホテルは日帰りでも楽しめる。建物内部の鑑賞ツアーなどもあるし、ランチだけ堪能することもできる。カレーライスもメニューにはあるが、なんというか、カレーを単品でオーダーできる雰囲気ではなかったりする。カレーライスだけで2000円以上するのだ。

できれば富士屋ホテル、お泊りしたい。猫足の浴槽とか、いい感じだ。チャップリンがかつて宿泊した部屋に泊まる・・・なんて素敵ではないだろうか?冷静に判断すれば、それほど衝撃的なお値段でもないような?

思い立ったらロマンスカー、箱根登山鉄道に乗り換えて、あなたも富士屋ホテルへ・・・

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ヤド・ヴァシェムのメダルと駿河のリンゴ 

 

「これがヤド・ヴァシェムのメダルなのか・・・」想像していたよりも小さなメダルだった。

岐阜県八百津町、「杉原千畝記念館」には杉原千畝に関するものが展示されている。日本語の他にヘブライ語で説明文があるのが印象的ではある。八百津という街、自動車でないと訪れるのも大変なのではないだろうか?そのせいか、この記念館も貸し切り状態。

杉原千畝という個人に関する展示の他に、ホロコーストやユダヤ人迫害についての説明が非常に詳しいという印象。パネルなども専門用語を並べたてたというものではなく、小学生や中学生にも充分に理解できるように工夫されている。おそらく、個人の功績の展示というよりは、次世代に何かを伝承したいという記念館なのではないだろうか?

大恐慌、ドイツ国内の不況、生活苦、どうしてこんなに苦しいのだろう?あいつらのせいだ。ユダヤ人たちさえ消えれば我々ドイツ人は優位に立てるのだ。我々は優秀な民族なのだ。ユダヤ人を抹殺してしまおう・・・大雑把に言えばそういうことが始まりだった。現在でも似たような発言をする首脳もいるんじゃないかな?自国優先主義みたいな?思春期の難しい時期の世代に訪れて欲しい場所だと思う。

シベリア鉄道、そして天草丸で日本の駿河に到着したユダヤ人たち、着の身着のままという状態だったらしい。駿河の人々は無償で銭湯を開放し、食べ物を提供したと言う。

名もない日本の少年がユダヤ人たちにリンゴを配った。おそらくお互いに言葉はなかったのだろう。逃れてきたユダヤ人たちにとって、そのリンゴの味はどのようなものだったのだろう?

ヤド・バシェム、諸国民の中の正義の人とも言われる。非ユダヤ人でありながら、まさに命懸けでユダヤ人を救済した人たちにイスラエル政府が授与する賞。授与された人はポーランド人が圧倒的に多い。それはポーランドという国で多くの非人道的行為が行われたということなのであろう。次いでオランダ人が続く。日本人はただ一人、杉原千畝が授与されている。意外なのは授与されたドイツ人も多いということ。「おかしいのではないか?同じ人間なのに・・・」こう思ったドイツ人も非常に多かったのだろう。最も有名なのはオスカー・シンドラーなのだと思うが、ピアノ弾きにとって身近なのはヴィルム・ホーゼンフェルトだと思う。映画「戦場のピアニスト」にも登場した、あの人。

ピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマンを助けた人として知られているだろうか?この人は元教師であり、最初はナチズムを信じていたけれど、やがて人道的なものが芽生えてくる。「同じ人間なのにおかしいではないか?」という素朴な想いだ。自分が任された施設の従業員としてユダヤ人を雇ったりとか、オスカー・シンドラーと少し似ているかもしれない。

1945年、ソ連軍の捕虜となる。諜報活動を行ったとされて、ソ連の戦犯捕虜収容所に収容、そこで亡くなっている。

ヴィルム・ホーゼンフェルト、イスラエル政府からのヤド・ヴァシェム賞の他に、ポーランド政府からポーランド復興勲章を授与されている。むろん、本人が亡くなってからだが・・・

ヴィルム・ホーゼンフェルト、駿河のリンゴ、同じものが流れているのを感じる。

「同じ人間なのにな・・・」

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先なのは技術?表現? 

 

飛騨高山美術館に行ってきた。飛騨高山というと、いかにも外国人が期待するような日本・・・というイメージで、まさにその通りの街なのだが、街の中心から少し離れた高台に、日本人が期待するような西洋の美術館が存在していた。フランスのタイヤ会社の評価星が3つということで、もしかしたら混んでいるのかなと思ったが、貸し切り状態で、静かに鑑賞できた。この美術館の売り(?)はガラス工芸作品。ルネ・ラリックとかエミール・ガレ、あとはティファニーのランプとか・・・

「ガラスって綺麗だよね」ぐらいの知識、感覚しか持っていない。絵画ならまだしも、ガラス工芸は分からない、そう思っていた。そのような僕が立ち止まってしまった作品群があった。モーリス・マリノという人の作品。知識を蓄積して、初めて理解できるようなこともあるのだろうが、知識を持たなくても訴えてくるものもある。なにか強靭な表現力というもの、むせ返るほどのエネルギーを感じてしまったのだ。

モーリス・マリノ、最初は絵画を描いていたのだそうだ。カテゴライズすれば、マティスのような「野獣派」ということになるらしい。ほぼ独学で絵画というものを描いていたそうだ。そのマリノ、ある時ガラス工芸に魅せられてしまった。ガラス職人の手によって、様々に表情を変化させるガラスという物体に。絵画も独学だったが、ガラス工芸も一から独学で始めた。空気を入れて形を造形するとか、そのような基本から始めた。その時マリノは30歳になっていた。いくらなんでも遅すぎる転身だったのではないだろうか?

作り手のエネルギー、表現したいというエネルギーを幾光年、ヨーロッパから遠く離れた飛騨の地で、3代以上続く江戸っ子である僕が感じたという不思議さ。

表現したいという爆発的な想い、それは地道に修練を重ね、技術を身につけ、さらにある種の才能が備わった人のみが持ってもいいものであり、素人は素人らしく、表現などは考えず、与えられた課題をこなしていればいいのだ。プロとは違うのだから。技術も備わらないのに、表現したいだなんて身の程知らずだ・・・

技術→表現

そうだろうか?モーリス・マリノのガラス作品の前で無数の疑問符が頭の中を駆け巡った。たしかに技術というものを介さなければ表現として伝わらないと思う。なのでピアノも「まず弾けてから・・・」となりがちなのだろう。表現ってどこか敷居が高い。弾けもしないのに表現だなんて・・・みたいな?

そうだろうか?

むしろ順番としては、表現→技術なのではないか?

こうしたい、表現したいという爆発しそうな感覚が自分の中にある。生まれ出て、すぐに技術を備えている人なんていない。なので技術を身につける必要はある。でも表現したいというものを持たずに、あるいは「私はまだまだ弾けないのでぇ・・・」と内なる表現意欲、欲望を先送りして、技術を追い求めることなんて難しいのではないか?こうしたいというものがあって、技術の必要性を感じるものではないだろうか?ひたすら技術を追っていれば、霧が晴れるように表現というものが自動的についてくるのだろうか?

チェルニー50番を合格すれば、自然とその技術に見合った表現が景品のようについてくるわけではない。表現したい、でも足りないものがある。今の技術では表現できない。だからチェルニーを頑張っている・・・というのが本来で、チェルニーを弾けば表現力が自動的についてくるわけでもないような気もする。

モーリス・マリノの作品の前で浮かんだ疑問符・・・

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しばらく逃避行 

 

明日から、しばらくの間、日常、ネットから離れて過ごしてみたいと思う。ブログの更新をサボったりすると「体調がお悪いのですか?」とメールを頂いてしまったこともあるので、ブログ更新がなくても、そうではないということを前もって一応書いておきたい。

例えば、このような場所を訪れて、何もしない時を過ごす・・・

「モネの池」とあるけれど、フランスではありません。日本国内。かなり有名な場所になってしまった感もあるけれど、まだガイドブック等にも掲載されていないし、観光地化はされていない所。周囲には店も何もない。おそらくモネの「睡蓮」のような・・・ということで、モネの池なのだろうと思う。でも、この池には名前はない。農家の裏手にあるような小さな神社の境内にある池・・・

なので、この池の場所などは、明かさないでおこうと思う。

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