ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

ギフテッド 

 

このような人が周囲にいるだろうか?大きな会社の社長であり、カリスマ主婦でもある。オリジナリティ溢れる、しかもセンスのいい服を着ている。「どこで買ったの?誰のデザイン?」「私がデザインして縫ったの」趣味でピアノも弾いている。仕事が多忙なので練習時間はなかなか捻出できないなどと言う。でもサークルの練習会ではラヴェルのスカルボを見事に弾いたりする。「いつから練習始めたの?」「えっと、2週間前からかな・・・」

もしこのような人がいたら、その人は「ギフテッド」と呼ばれる人かもしれない。ギフト・・・なので神から授かれた才能だ。なんでもできてしまう人だ。音楽家だとヤッシャ・ハイフェッツが「ギフテッド」だったとされている。あとはアインシュタインなんかもそうだったらしい。まぁ、超優秀人間のことだ。

キャサリン・ヒーリーもそうだったのではないかと個人的には感じたりしている。基本的にはバレリーナ・・・であったのかもしれない。でもスケートも滑るし、新体操や水泳も見事にこなしたそうだ。映画女優としてもゴールデングローブ賞にノミネートされたりしている。学歴としてはプリンストン大学卒業。う~ん、あなたは何者?

ギフテッドの人、なんでもできてしまう超優秀な人なので、悩みもないのだろうと思うが、そうでもないらしい。あまりに優秀なので、既成概念からはずれてしまうところがある。通常の教育システムとか。つまり普通の人々を対象とした社会から、どこか浮き出てしまう。ギフテッドの人が感じる孤独感、そのようなものも相当なものではないかと僕は想像する。既成の教育では飛び出てしまうので、自分でプログラムを組み、独習し・・・という強さのようなものも必要となってくるのではないだろうか?

アメリカなどではギフテッド対象の教育プログラムなどもあるそうだ。たしかに「飛び級すれば」などというレベルではなく優秀なわけだから、そのような特別なものも必要となってくるのだろう。

ちょっと調べてみたが、日本の場合はギフテッドに関する理解などは相当遅れているようだ。むろん日本にもギフテッドの人は存在しているが、そのような人が疎外感を感じることもあるようだ。普通ではない・・・医師の診断などで軽いアスペルガーなどと診断されてしまい、自分は障害を持っているんだなどと悩んだ人もいるらしいし、学校などで、どうしても目立ってしまうのでイジメにあっている人もいるらしい。

人と違う、このことが攻撃の対象になってしまう社会ってどうなのだろう?自分に自信がないと似たような人と集まり、似た者同士の集団になる。集団だと安心だよね。だから異なる人は脅威にもなる。それを認めると自分たちが危うくなるから「ええい、排除してしまえ、イジメてしまえ」みたいな?年齢差別、セクシュアリティーへの差別、どこかリンクしているように思えてならない。

kaz




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バレリーナがリンクで滑ると・・・ 

 

知ったから生活に影響があるわけでもない些細なことでも、それを知ると嬉しい・・・ということはある。もうかなり昔、1980年代の初め頃だったと思うが、テレビであるスケーターの演技を観た。たしかアメリカのアイスショーか何かの放送だったと思う。そのスケーター、ジャンプはあまり得意ではないというか、せいぜい2回転どまりだった記憶があるのだが、動き、身体のラインが、バレリーナのようで印象に残った。

フィギュアスケートとバレエは、どこか似ているところもある。スケーターが自身の表現力アップ(?)のために日々のリンクでの練習の他にバレエを習うということも、それほど珍しいことでもないみたいだ。でも彼女の場合は、バレエによってスケートも・・・というレベルではなく、「もろバレエ」のような?非常に印象に残ったのだが、そのスケーターの名前は失念してしまっていた。

プロスケーターのショーだったようにも思う。おそらく演技をしていたのは競技生活を引退したスケーターたちなのだろうと思った。アメリカのショーだったので、かつて活躍したアメリカの女子シングルの選手の演技をユーチューブで追ったりもしていた。でも該当する選手はいない。バレエのよう・・・という選手はいるのだ。でもあそこまでバレエ・・・という人は見当たらない。アメリカだけではなく他の国の選手も追ったりしていたが、該当者はなし。もしかしてアマチュアの競技会では冴えなかった?

アメリカ人の友人に訊いたりもした。「ジャンプで魅せる選手ではないので、アマチュア時代の戦績はそれほどでもない可能性がある。でも所作がバレエそのもので素晴らしい。そんな選手って思い当たる?」

「う~ん、バイウルとかゴルデーワかな?」たしかに彼女たちの動きは綺麗でバレエの要素を感じさせる。でもそうではなく、バレリーナそのものの人。「う~ん、誰だろう?」

キャサリン・ヒーリーという人だと判明した。たまたまジョン・カリーのことを追っていて判明した。ジョン・カリーが彼女を指導しているような写真を見つけたのだ。「そうか?ジョンのカンパニーで滑ったりしていたのか」現役=競技会=引退=プロとしてアイスショーという普通(?)の道を歩まなかった人なのだ。幼い頃からプロスケーター、そしてバレリーナとして活躍していたらしい。なのでアマチュアの戦績・・・という調査(?)では引っ掛かってこなかったのだ。

久しぶりにヒーリーの「バレエそのもの」のような滑りを堪能した。この動きは彼女にしかできない。この時、また10歳ぐらいなんだよね。小学生じゃないか!ジャンプだけで考えれば、ジュニア、ノービスの段階で今の日本だったら3回転をバンバンこなしているのだろうが、このようなバレエそのもののような動きを身につけている人は今でもいないのではないだろうか?

知ったから何かが変わるということでもないのだが、なんだか嬉しい。

kaz




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仮のピアノライフ? 

 

ピアノ教室の現場というか、場面でこのようなことはないだろうか?電子ピアノを購入してピアノを始めた生徒。真面目だし、ピアノも好きなようだ。上達していくんじゃないかな?音大とか、いきなりそういうことではなくても、もうちょっと深くピアノというものを学ぶためにも、是非アコースティック、できればグランドピアノで練習してもらいたい・・・

結構あるパターンなのではないかと思う。やはりこのような時、発音そのものが異なるので、とか、タッチの感覚とか、やはり電子ピアノでは限界があるので・・・みたいな説明をしていくのが普通なのではないだろうか?

それは正しい・・・にしても、可能性としてその生徒の家庭は電子ピアノを選択することもあるだろう。経済的な理由かもしれないし、ピアノのために引っ越しまではできないという理由もあるだろう。

電子ピアノを選んだ場合、その生徒が「仮のピアノライフ」をこれからは送るんだと感じないような説明を先生はして欲しい。大人の再開組・・・のような場合も、心のどこかで「どうせ電子ピアノだから・・・」みたいなピアノライフは送らないで欲しい。

本式=グランドピアノ
テンポラリー=電子ピアノ

このような単純図式は少々寂しい。

グランドピアノ買いました、でも辞めちゃいました、ピアノ?う~ん、レッスン辛かったし、あまり楽しくなかったし・・・

このような人も結構多いのではないだろうか?電子ピアノでも最高のひと時を自分が弾くことで得られる人、これまた結構多いのではないだろうか?

いずれはグランドピアノ・・・その考え自体は間違えではないにしても、そうならなかった場合、そしてそのような場合も多いと思うが、そうなった時に「どうせ仮のピアノライフだから」と思わせないような説明というか、誘導をピアノの先生はして欲しいなと思う。

アコースティックのピアノでなければダメなんだ、電子ピアノだから・・・どうせ・・・

こうなると不幸なような気がする。

この電子ピアニスト(?)、実に楽しそうだ。「僕、どうせ電子ピアノだし・・・」とは感じていないような?

kaz




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電子ピアノですが・・・ 

 

日頃は電子ピアノで練習している人は多いと思う。子どもの場合もそうだろう。子どもの場合、「いつ辞めるか分からないし」とか「音大とかそういうことではないので・・・」という保護者の思惑(?)も入ってくるのかな?

やはりアコースティックのピアノ、できればグランドピアノでないと・・・

ピアノの先生はそう望んでいるようだ。タッチとか、専門に学ぶ(そもそも専門に学ぶって?・・・とは思うが)のでなくても、やはり電子ピアノだと限界がある・・・のような意見は多そうだ。まぁ、「電子ピアノの生徒は教えませんっ!」と公言してしまうと、生徒獲得という意味で難しいところもあるのだろうが、本音は「電子ピアノよりは本物のピアノで」と考えている人は多いように思う。

電子ピアノだと上手くならないのか?電子ピアノは偽物楽器、単なる家電なのか?

僕自身は電子ピアノで練習している。別に不都合を感じたことはない。人前で演奏する機会には本物(?)のピアノで演奏するけれど、そのような時でも、多くの人が語るような「本物のピアノだと弾けない」とか「弾きにくい」と感じたことはない。以前はスタジオで練習していた時期もある。歩いて〇分の場所にユー〇ピアノという店があるので、そこで。でも最近はそのようなこともなくなった。電子対アコースティックという違いよりも、アコースティックのピアノの個体差の方も大きいのではないか・・・などと思うようにもなった。つまり自宅の電子ピアノに不都合は一切感じていないのだ。

「まっ、それなりの演奏力だからそう感じるんでしょ?」そうなのかもしれないし、むろん自宅にスタインウェイのピアノがあれば、そりゃあ電子ピアノよりもいいな・・・などと思うのかもしれないが、このような妄想ってきりがないような?もしスタインウェイだったら、もし自宅の練習室がサロン風のホールだったら・・・とか。

多くの場合、経済的な理由というよりは、音問題、楽器不可物件・・・のような理由で電子ピアノを選ぶのではないだろうか?

人生の一コマ、日常の中に「ピアノ」とか「演奏を楽しむ」みたいなことがあればいいな、そう思った時、電子ピアノでという選択もあっていいのではないか?何のオブジェクトで弾くかということよりも、そのオブジェクトで何をするか、何をどう弾くかということに重点をシフトしていくピアノライフ。

ピアノブログは数多いけれど、いいな・・・と感じる電子ピアノでの演奏を紹介しているブログって少ない。というか存在している?

あっ、素敵な演奏だな、楽しそうだな、僕も私もこのようなことが生活に組み込めればいいな、人生が楽しくなるのだろうな・・・そのような場合、「やはりグランドピアノでないと・・・」という思考だけではなく、電子ピアノでも・・・という発想もあっていいのではないかと思うのだが?

素敵な電子ピアノ演奏・・・

kaz




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亡くなるときまで I love you・・・ 

 

音楽と臨終の時、人生の終末期というものとの関連性は研究されていて、ミュージック・サナトロジーという言葉もあるぐらいだ。最近では日本でもリヴィング・ウィルなどという概念が医療現場では考えられてきているようにも思う。緩和ケアなども、そんなに異端なことでもなくなってきたように思う。音楽という、感情を動かすものと命との関連性はこれからさらに深まっていくようにも思う。

もともとは米国から広まってきた概念ではある。この分野で有名な人と言えば、テレーズ・シュローダー・シェーカーという人だろう。この人は臨終の場でハープを弾きながら愛に包まれる場を実践している。1970年代、この人は学費を稼ぐために高齢者施設で介護の仕事をしていた。ある人が苦しんだんだね。直感的にその人の頭を少しだけ持ち上げ、耳元でグレゴリア聖歌を歌ったのだそうだ。そうすると、その人は苦痛表情を和らげ、落ち着いた安堵した表情になったそうだ。音楽と苦痛緩和が学問として結びついた瞬間でもあった。

さらに昔から、臨終の時と音楽というか、サウンドというものは人類の知恵レベルで文化を問わず取り入れられているようにも思う。耳元で祈るとか、お経とか。聴覚というものは最後まで尊厳を守るものなのだろうか?そう考えると「もう意識なんてないんだから」と、枕元でその人の死後の始末、遺産とか葬儀のことを近親者で話し合うなんて、いけないことなんだなと思う。聴こえているかもしれないのだから。理解しているかもしれないのだから。

介護の現場で長い間働いてきて、似たような経験をしたことがある。もう随分昔のことになるが、ある特養の重度のフロアの担当だった頃だ。たしか30床のフロアで、ほぼ全員がオムツを着用していたと記憶している。オムツ交換をするわけだが、経管栄養の人がほぼだったせいか、便が水様の人が多かった。オムツ内に留まっていればともかく、リネンや時には床まで漏れていたりすることもあった。「う~ん、これが3K職場の現実か~」などと思っていた。大変なんだもん。

尊敬できる先輩スタッフがいた。その人は困苦のオムツ交換時、一人一人に話しかけながら介助をしていたのだ。「今日は少し暖かかったわね」とか「紅葉が綺麗な季節になったのよ」とか。「なんでそんなことを言いながら交換しているのですか?」先輩はこう言ったのだ。「だって・・・相手は人間ですもの・・・」と。

早速僕も真似るようにした。声掛けと共にオムツ交換をしたのだ。ある方の臨終の時、肩で呼吸をし、死亡診断書を書くために医師、看護師が呼ばれ、家族も詰めかけた時、意識がないとされていたその人が手を動かそうとしたのだ。泣きながら・・・

「お母さん、私よ、分かる?」家族が話しかける。でも目は家族を見てはいなかった。手を家族ではない方に向けようとしていた。医師でも看護師でもなかった。

「ねぇ、あなたに・・・じゃない?」手は介護スタッフである僕に向けられていたのだ。何を言ったらいいのか分からなかった。ただ「辛いんですか?」と。涙を浮かべながら、その人は僕の手をそっと、そして力強く握りしめた。そして永遠の眠りに旅立ったのだ。

この経験は3K職業と言われている介護という仕事にのめり込む一因ともなった。また、サウンドとして耳元で囁いていたということが関連しているという自覚にもなった。

愛・・・というものだと思う。その人を愛していたとか、そのような感情があったかどうか、当時の僕にそのような意識はなかったと思う。でも愛と相手は感じたのかもしれない。

音楽を聴いて心が揺さぶられる、この時の感情、それは言葉で表現できないようなものだからこそ、だからこそ重いし、臨終の時ではなくても、何かを感じてしまう瞬間なのではないか?そしてその瞬間の積み重ねは人生の週末へとつながっている・・・

生まれた時から、そして死ぬときまで「I love you・・・」なのだ。愛に包まれるために人は人生を歩むのだ。音楽は時に、そのことを自覚させてくれる。代弁してくれる。

kaz




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