ピアノのある生活、ピアノと歩む人生

「ピアチェーレ」代表の私的ブログ

愛で終わる人々 5 

 

イタリアのテノール、まずはパヴァロッティを思い浮かべるだろうか?イタリア国内でもパヴァロッティの人気は高いらしいが、コレッリとディ・ステファーノの人気はそれ以上かもしれない。それとは別に、アメリカ在住のイタリア人に人気のあるテノールがいる。カルロ・ベルゴンツィ。おそらく、外国に住むイタリア人たちに、何かしらのもの、それは「祖国イタリア」のようなものを最も感じさせる人だからではないだろうか?

「ソレントなんかで終わるのは嫌だ。俺は父さんとは違うんだ」「ここが嫌いなら、イタリアが嫌ならこの家から出ていけ」「ああ、出ていく。俺はアメリカで自由に生きるんだ」「では俺が生きているうちは帰ってくるな。もう息子とは思わない。この家の長男は今死んだんだ」

お互いに決して言ってはいけない言葉を言い合った。

ルカはニューヨークのカーネギーホールでベルゴンツィを聴いた。彼の歌唱はイタリアそのものだった。「ああ、ソレントへ帰りたい。父さんに逢いたい・・・」

ピアニストよりも身体が楽器である歌手は引退が早い。テノールは特にそうだろうか?ベルゴンツィは80歳近くまで現役を続けた。彼の衰えない声、発声は、その筋の人(歌手たちですね)の羨望を集め、研究対象にさえなっているそうだ。テノールなのに何故その年齢でも歌えるの???

このカーネギーホールでのベルゴンツィのリサイタル、客席にはニューヨーク在住のイタリア人たちすべてが集まったという感じだ。彼は死ぬまで「イタリア」を歌い続けた。

年齢差別で苦しんでいる人に、この歌唱を聴かせてあげたい。この時、たしかベルゴンツィ、70歳を過ぎていたはずだ。70歳を過ぎても、客席にいた一人の人間の人生まで変える歌唱ができるのだ。

kaz




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連弾、ごめんなさい! 

 

長い間、連弾というものに偏見があった。ソロと比較して、演奏中の会場が、どこか弛緩してしまうような?連弾の名曲というものがある。ブラームスの「ハンガリー舞曲集」とかドビュッシーの「小組曲」とか。このような曲には偏見はない。おそらくポップス寄りの編曲ものの連弾に偏見があった。「ディズニー・メドレー」のような?

幾光年昔になるのだろうか?全国規模の楽器店に勤めていたことがある。もちろん講師としてではない。2年ぐらい勤めていただろうか?その時に多くのピアノ講師との、おつきあい(仕事上の)があった。発表会の季節になると、一部の(多くの?)講師たちは憂鬱になるらしい。それは講師演奏というものがあるから。講師演奏を譲り合う、正確には押し付け合うのだ。

「あなたやりなさいよ」「私、一昨年演奏したわ」「A先生はどう?卒業したばかりなんだから現役みたいなもんでしょ?彼女にやってもらいましょうよ」「そうね、それがいいわね」

「でも、演奏なさらない先生がそこまで多いと、特約店としても困るわけで・・・」

「じゃあ、私B先生と連弾する。去年連弾したから今年は弾かなくていいと思ったのに・・・」「日本の唱歌メドレーは弾いちゃったから、今年はディズニー・メドレーかな・・・」

「忙しくて練習できないの。どうしてもやらないとダメ?」ある二人の講師は、「リズム体操」と称して舞台で体操のようなダンスを披露したのだ。そんなにソロって大変?ピアノ講師なのにピアノを弾きたくない?

一部の講師なのだろう。極端な例なのだろう。今でもそう自分に言い聞かせている。でも実際には一部ではなかった。僕が担当した地区だけがそうだったのだろうか?

以上のような、経緯から、連弾というものに偏見が生まれた。いや、連弾にではないな、ソロだと大変、じゃあ、連弾でも・・・という講師たちに偏見を感じてしまったのだ。

考えてみれば、「じゃあ連弾でも・・・」という理由で演奏されてしまうとしたら、連弾も気の毒だ。そもそも連弾は、4手なわけだから、ソロよりもサウンドとしてはゴージャスになるはずなのだ。「じゃあ・・・」では勿体ないではないか。

「連弾でないとできない世界、頑張りましょう」だったらいい。ソロではできないこと・・・

2台のピアノだと「じゃあ2台でも・・・」とはなりにくい。演奏会場に複数のピアノがあることが前提だし、練習(合わせ)も同様だ。そこには「やりましょうよ」という強い動機が存在しているような気がする。本来は連弾も同じはず。

ソロではできないことをしたい、だから連弾・・・

kaz




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愛で終わる人々 4 

 

イタリア人って「アクセント」「フェルマータ」「テヌート」「アッチェレランド」「スタカート」・・・これらの音楽用語を赤ちゃんの頃から言葉、会話の中で無意識に使いこなしてきたのではあるまいか?言葉に抑揚がある。

「刑事」というイタリア映画があった。1950年代の古い映画だ。監督のピエトロ・ジェルミは刑事役の俳優としても素晴らしかった。クラウディア・カルディナーレの美しさも際立っていた。何よりもカルロ・ルスティケッリの音楽が涙を誘う。決してロマンティックな映画ではなく、ましてや恋愛映画でもない。暗い(渋い?)刑事物だ。でもラストに「死ぬほど愛して」が流れると泣かずにはいられない。恋人を追いながら走るクラウディア・カルディナーレ・・・彼女はこのシーンでスターになったのかもしれない。

その「刑事」の場面集。会話が抑揚ありすぎ。喧嘩しているみたいだ。まぁ、内容的に会話は激しい場面ではあるが、会話のサウンドそのものが「感情のすべてを爆発」みたいな?イタリア語、激しい・・・

このような人たちが作った音楽(イタリアものとか狭い意味ではなく)と考えてみる。我々は譜読みをする時、音の高低、長短だけを読んで音にしていないだろうか?視覚的な情報を鍵盤で押すみたいなことをしすぎていないだろうか?それが譜読みだと思っていないだろうか?抑揚、彼らには自然なことかもしれないが、我々は意識しないといけないのではないか?

音だけではなく「抑揚はどうなのかしら?」という譜読みも必要なのかもしれない。我々は全部が8分音符の人たちなのだから・・・

kaz




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愛で終わる人々 3 

 

フィオレンティーノよりも、さらに知名度の低いピアニストかもしれない。サンドロ・デ・パルマというピアニスト。チマローザのソナタを演奏しているのだが、実に美しい演奏だ。ピアノのトーンそのものが歌みたい。イタリア人だから・・・と言ってしまえばそうなのかもしれないが・・・

この動画はピアニスト本人がユーチューブにアップしている。バルコニーからの雪景色、これは自宅のバルコニーから撮影しているものと思われる。また、近所(ローマ)の雪景色も美しい。美しい演奏は、美しい住環境に関係している?毎日目に入るものだから、可能性はあるかもしれない。ピアノが上手くなるためには美しい景色の中で暮らせばいいのか?

さり気ないような美しさなのだが、左手の刻みにメロディーを合わせています的な演奏ではなく、メロディーが生きている感じ?よく聴くと(よく聴かなくても)フレーズ内で旋律の動きが一定ではなく、山に向かって、そして落ち着いて・・・のような自然な動きがある。長い音符はエネルギーがあるように、細かい音符は枯れ葉がチラチラと落ちるように・・・この動き、イタリア語の会話に似ているような気がする。つまり言葉に抑揚がある。

フランス語って美しい言葉とされているらしいけれど、フンフンと抜けてしまう感じで、個人的にはイタリア語の方がサウンドとして音楽みたいだなと感じる。何を言っているのかは全く分からないけれど、だからこそ「あそこの店で洗剤買ってきて」のような日常的な言葉でも音楽的に聴こえるのかもしれない。

母国語に抑揚がある、これは外国人にとって日本語を学ぶ際のネックになるらしい。どうしても外国風(?)な日本語、抑揚の激しい日本語になってしまう。その場合、「全部が8分音符。それ以外はないの」と指導すると、少しは日本語らしくなるのだそうだ。

日本人が西洋音楽を演奏する、そして「なんだか音を並べているだけ?」と感じる場合、この逆をすればいいのかもしれない。自分たちの言葉は、イタリア語と比較すれば「全部が8分音符」なのだから、意識的に抑揚を感じなければならない。タモリのように「なんちゃってイタリア語」を話してみたら?それをそのままピアノに移してみたら?意外と抑揚効果ありかもしれない。

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愛で終わる人々 2 

 

イタリアのピアニスト、まずはポリーニでしょう。たしかにi、愛で終わる苗字の人ではある。でも彼よりも個人的には愛を感じるイタリアのピアニストとしては、iでは終わらないけれど、セルジオ・フィオレンティーノを挙げたい。

この人、無名・・・ではないのだろうが、練習会の打ち上げなどで話題になるほどの知名度はないようだ。「ポリーニって?」という人はいないと思うけれど、フィオレンティーノだったら可能性はある。

ああ、歌・・・そんな存在のピアニストだ。

どの曲の演奏でも歌を堪能できるピアニストだと思うけれど、まずは彼自身のトランスクリプションを聴いてみるといいのではないだろうか?フォーレの「夢のあとに」のトランスクリプションとしては、アメリカのアール・ワイルド(この人も好き)のものが演奏される機会が多いように思う。フィオレンティーノ版は、それよりも飾りが少なく、原曲に忠実な感じだ。シンプルな美・・・というのだろうか?

たった2ページ、音も多くはない。でも・・・素敵だねぇ。編曲も演奏も素敵だ。

kaz




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